095

 万丈目くんと明日香さんは光の結社の洗脳が解かれて、無事に戻ってきてくれたけれど、──でも、その代わりに近頃のデュエルアカデミアは、さんの話題で持ちきりだ。
 プロリーグで活躍を続ける昨年度の卒業生、学園の生徒たちからは今でもレジーナと呼び慕われているさん──彼女がジェネックスの参加者として島を訪れた際には、皆が彼女の来訪を喜んでいて、……実はボクも、さんが来てくれたことが少し心強かったんだ。
 それは、光の結社と対立している現状で、さんが味方になってくれたならこんなに頼もしい助っ人は居ないとそう思ったから、──というよりも、本当は、……さんなら、変わり果ててしまったお兄さんを元に戻してくれるかもしれないと、そう思ったからだった。
 ──だって、お兄さんはさんのことを、とても大切にしていたから。
 ボクはさんについて特別に詳しいわけでも、彼女と親しいわけでもなかったけれど、……それでも、デュエルアカデミアで二人と過ごした一年の間にあれだけ二人のやり取りを見ていれば、お兄さんはきっと、さんのことが本当に好きなんだろうなとそう思ったし、さんだってお兄さんを大切に思っていることは、ボクにもちゃんと分かっていた。
 だから、もしかするとさんの言葉なら、──今のお兄さんにも、届くんじゃないか、って。
 さんなら、お兄さんの目を覚まさせてくれるかもしれないと、……そう、思ったのに。さんは、今──、光の結社に居る。

 ──さんが光の結社に入った経緯は、洗脳されていた明日香さんが彼女を誘き出して、斎王の策略に堕ちたさんはそのまま洗脳を施され、意識も無いままにホワイト寮へと連行されてしまった、──というものだったそうだ。
 ……そのときのことを、明日香さんは洗脳下にあってもしっかりと覚えているようで、彼女と、……それに、明日香さんが光の結社に入る原因を作った万丈目くんも、この件に対して強い責任を感じている様子だった。
 それも、仕方のない話だと思う、……だって、あの二人は以前からずっと、さんのことを特別にリスペクトしていたから。
 更にエドの話によれば、それ以前にも一度、さんは斎王と顔を合わせたことがあるのだそうで、……もしかすればその時点から、斎王はさんに目を付けていたのかもしれない。
 
 光の結社に入ったさんは、彼らから“神子”と呼ばれて担ぎ上げられており、──しかし、彼女は殆どホワイト寮の外には出てこない。
 以前までは、明日香さんがさんの補佐……というよりも介助役をしていたらしいから、一度だけ、光の結社に入ったさんの姿をボクも見たことがあったけれど、──そのときの彼女は、白いドレスを着せられて酷く虚ろな目をして、手を引かれるまま辛うじてぼんやりと其処に立っているだけで、──何時だって強い意志の宿る眼をしていたさんの面影は、その時の彼女の何処にも見つけられなかった。
 顔に被った薄いヴェールの向こう側の彼女は、表情さえまともに読み取れず、会話などは以ての外で、……ボクたちの呼びかけは、さんにまるで届かなかったのだ。

「──さんは明日香さんを助けようとして斎王に捕まって、光の結社に洗脳されてるんだ!」
「……ほう」
「助けてあげてよ、お兄さん! さんと恋人同士なんでしょ!?」
「それはお前には関係のないことだろう、翔」
「関係あるよ! お兄さん、さんが心配じゃないの!? ボクたちの声は、さんに届かなかったんだ……でも、お兄さんの声ならさんだって分かるかもしれない! なのに、どうしてさんを助けに行かないのさ!?」

 学園の正門前で、お兄さんとエドが相対している──剣山くんからそう聞いて大慌てでその場に駆け付けたとき、……ボクは、お兄さんへと直接その疑問をぶつけた。
 今やさんが光の結社に担ぎ上げられていることは、デュエルアカデミアの生徒だけではなく、この島に招かれているジェネックスの外部参加者にとっても周知の事実だったし、大会に参加しているお兄さんが、それを知らない筈がない。
 それに何より、ボクの言葉を受けてもまるで動揺を見せず、既に知った口ぶりで語るお兄さん本人が、肯定の言葉などよりも雄弁にその事実を認めていた。
 ボクのお兄さんは、強い。……近頃では決闘者として、人間として、すっかりと変わり果ててしまったけれど、それでも決闘の腕前ならお兄さんは今だって、誰にも負けない。
 ──だからこそ、お兄さんはその気になれば光の結社を蹴散らして、さんを助け出すことだって出来る筈なのに。
 ……どうしてかお兄さんは、まるでそんな素振りを見せないまま、ジェネックスに参加し続けているのだった。

「翔、お前はを助けろと俺に言うが……が俺に助けて欲しいと、そう言ったのか?」
「そんなわけないだろ!? さんは、まともに口も利けなくされてしまっているんだよ!? でも、きっとさんだって、お兄さんに助けて欲しい筈だよ……そうでしょう!? お兄さん!」
「……甘い。俺のライバル、海馬は俺に命乞いなどせん」
「お兄さん……!」
「あいつが俺の助けを望むはずもない……ならば俺も、を助けようとは思わん」
「……どうしてそんなこと言うのさ、お兄さん……!」

 ボクがお兄さんと決闘をすることで、お兄さんを元に戻すことが出来たなら──優しくて思いやりのある、高潔だったお兄さんに戻ってくれたなら、……きっとお兄さんは、今すぐにでもさんを助け出そうとするはずだって、……そう、思ったけれど。
 結局、ボクはお兄さんに一手及ばず、生か死かのヘルデュエルに敗北してしまい、──目を覚ました頃には保健室のベッドに寝かされていて、白い天井を見上げながら、──どうしてこんなことになってしまったんだろうと、つい一年前の出来事を、ボクはいくつも思い返していた。
 
 さんがカミューラと決闘をしたとき──命がけでボクを庇い、お兄さんを助け出してくれたとき、……ボクは何よりも真っ先に彼女へとお礼を言わなきゃいけなかったのに、……ボクは思わずさんに、酷いことを言ってしまった。
 でも、それからも彼女は変わらずボクに優しくしてくれて、……学園祭のコスプレデュエル大会では、レッド寮を盛り上げるために協力してくれたんだっけ。
 あのときは、やっぱりブラマジガールが一番目立っていたけれど、学園のレジーナと名高いさんのコスプレが見たくて来てくれた生徒だってかなり多くて、さんが協力してくれて本当に良かったとボクはそう思ったけれど、……お兄さんは少し複雑そうな顔をしていて、それを見たボクは、……ああ、あのお兄さんでもこんな風に、恋人へと向けられる視線に嫉妬したりするんだなあと驚いて、……でも、お兄さんのことを、なんだか身近な存在に感じられたような気もしたんだ。
 
 ──ボクはまだ、さんにあの時のお礼も、謝罪も、何ひとつとして言えていない。
 勝手に彼女を怖がって皆の背に隠れ、さんの気持ちをちゃんと考えることが出来なかったから、──ボクは彼女に、酷いことをしてしまったままだ。
 ──やっぱり、そんなのは嫌だよ。このままなんて、嫌だ。お兄さんのことも、さんのことも、……見なかったことにするなんて、ボクは嫌だよ、お兄さん。 
 
 お兄さんはきっと、さんのことが大切で、大好きなんだろうなって、……ボクはずっと、そう思っていたけれど。
 ──だったら、どうして、……お兄さんはさんを、助けてあげないんだろう。
 ライバルだからってお兄さんはそう言ったけれど、──事実、さんはライバルのお兄さんをカミューラから助け出してくれたじゃないか。
 ……ボクには全然、分からない。まさか、お兄さんは、……ボクや吹雪さんだけじゃなく、さんのことだって、どうでもいいと思うほどに人が変わってしまったのかな……。


 ──俺との決闘の約束の場所、灯台にが訪れなかった日から、既に幾日が過ぎ──なにも俺とて、その間に只棒立ちで待っていた訳でもない。
 島内でを探すついでに、ジェネックス参加者とデュエルをしたりもしていたし、──その中で、翔と戦う機会もあった。
 決闘は俺が制したものの──その際に翔は、俺がを助けに行かずにいることを厳しく責めて、……まあ、翔の指摘に対してはエドでさえも厳しい顔をして俺を見ていたから、その場の皆が、この件に関しては俺を糾弾したいのだろうということも、分かってはいた。は、人望のある奴だからな。──しかし、俺との絶対的な関係に土足で踏み入るそれらの邪推を、俺は決して容認しない。
 
 ──なにも俺とて、の心配をしていない訳ではないのだ。
 彼女が光の結社に身柄を拘束されていることならば、常に俺の方でも十分に把握できており、──もしも、実際にその姿を見かけることさえ出来たなら、俺との決闘での目を覚まさせてやろうと、──その程度の算段は、俺も立てている。
 元より、決闘の約束をしている最中なのだ。それならばも文句はないだろうと思い、そう考えたからこそ俺は島内で偶然にと遭遇する機会を探しているものの、──どうやら、元よりホワイト寮の外にはほとんど出てこなかったらしいは、明日香が光の結社を離脱し、介助役が居なくなったことで、近頃は全く外に出て来なくなっているようだった。
 以前にの目撃情報があった場所に張り込んだり、先回りをしたりもしてみたが、──この分では、遭遇は余り期待も出来そうにないな。
 
 光の結社総本山──ホワイト寮へと乗り込めば、当然ながらは其処に居るのだろう。さすれば、彼女と相対することも、俺の目的を遂げることも可能かもしれないが、──しかし、正面から殴り込んで俺が連れ戻したのなら、高潔な彼女のプライドは、一体どうなる?
 ──きっと、その瞬間に俺達は、対等な関係ではなくなるのだろうな。
 ……そんな結末を、決しては望まないことだろう。実際、彼女とて俺を連れ戻しにマイナーリーグや地下デュエルまで追いかけてきたりはせず、俺が自力でメジャーリーグの舞台まで戻ってくるのを辛抱強く待っていてくれたと言うのに、……まさか、俺だけがその信頼を破り捨てて、の面子を潰すわけにも行くまい。
 俺にとっては、プライドなどと言うものも最早取るに足らないが、──それでも、その信念がにとって如何ほどの重みを持っているかを、俺が一番よく知っている。故に俺は、の誇りを無遠慮に踏み躙ることを良しとしない。
 
 ──が光の結社に捕らえられたのは、明日香を助け出そうとしてのことだったらしい。
 本当に、彼女らしいことだ。吹雪が行方知れずになっていた期間、俺とは明日香の保護者代わりだったが、その役目が終わっても尚、は明日香の為ならば、躊躇なく飛び出して行き、──そして、敵の術中に堕ちたのだと言う。
 
 ……全く、だから言ったのだろうに。斎王という男に会ったとに聞かされたそのとき、少しは相手を警戒しろと俺は釘を刺したつもりだったが、──どういう訳だか、彼女は変なところで人を疑わないと言うか、……それも、表面上に見えているものなどはにとって常に些末な問題だから、だろうか。
 俺が世間ではアンチヒーローとして通るようになった今でも、は俺に対する接し方が別段に変わった訳でもないし、今でもは俺に対して自然体で触れてくる。
 彼女にとって、服の色やデッキの種類などといった差異はどうだって良いからこそ、──それが悪い方向に作用して、“明日香なら話せば分かる”と、……きっとは、そのように考えてしまったのだろうということは、想像に容易い。
 現に俺とは、話してみれば、今まで以上に分かり合えたという実績があったから。──全く、そんなもの、が特別だったと言うだけの話なのにな。……やはり、あいつは少し、素直すぎる。


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