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 誰でも心の中に、自分の部屋を持っている。
 ──心の部屋、それは自分と向き合って前を向くため、或いは其処で立ち止まるための、自分だけの居場所。精神の揺り籠であり、魂の牢獄。その場所には自分以外の誰も立ち入ることは出来ない、──そう、一部の例外を除いて。

「もう一人のボク……アテムは、ボクの心の部屋に住んでいたんだ」
「でも、心の部屋には自分しか入れないって、遊戯さんが……」
「うん。……だから彼は、ボクにとってもう一人の自分だった」
「……アテムさんは、遊戯さんじゃないのに?」
「不思議だよね? ……彼は確かにボクじゃない、でも……ボクにとって、もう一人の自分と呼べる存在もまた、彼だったんだ」
「……ふうん……」
ちゃんには、まだよく分からないかもしれない。……でも、君の心の部屋を、きっと大切にしてね」
「大切にって……どうするの? 心の中を掃除することは出来ないよ?」
「そうだなあ……心の部屋には決して、心の闇を留まらせないようにするんだ。それが、掃除することに繋がるのかな?」
「心の、闇……」
「そう。誰しも心には闇を持っているけれど……それを抱え込みすぎちゃ駄目だ」
「……遊戯さんの言う通りにしてたら、私の心の部屋にも、もう一人の自分が住んでくれるのかな?」
「あはは、どうだろう? ……でも、もしもそんなことがあったら素敵だね。そのときはきっと、ボクにもう一人のちゃんを紹介してね?」
「うん!」

 ──心の部屋と、心の闇。それらの存在を昔、私に教えてくれたのは遊戯さんだった。
 自分の心の中にある闇を、何も否定することはない。──けれど、それに振り回されちゃいけない。自分をしっかりと持って、誰かに心の闇を利用されないようにするんだ、と。
 ──幼い頃、遊戯さんに言われた言葉の意味が当時の私にはよく分かっていなかったけれど、尊敬する遊戯さんの言葉だったからこそ私はずっと、そのことを気にかけてきた。
 何も、その言い付けのすべてを徹底出来ていた訳ではなかったのだろう。──けれど、私の心に渦巻いていた幾許かの闇は、吹雪が帰ってきて、父に私の夢を後押しされ、亮との完全なる相互理解を得た今、碌に残らず消えてしまっていたのだと思う。
 私の心の部屋は、きっと真っ白で、殺風景な場所なのだろう。けれどそれでも、伽藍堂だったその部屋には少しずつでも大切なものが増えて、──そして今、私の心の部屋の中には、破滅の光の残滓が住み着いている。

 斎王から解き放たれた破滅の光の燃え滓は、もしかすると、そのまま放っておいても勝手に消滅していたのかもしれないし、私が引き受ける必要も無かったのかもしれない。
 けれど事実、あの瞬間に私へと襲い掛かってきた破滅の光に対して、私が切れる対抗策などはせめて弱体化させて心の部屋へと捕らえることくらいで、他の皆だってあのときには既に疲弊しきっていたから、──実際、他に手段はなかったし、消えることを信じて放っておく、と言う賭けに打って出る訳にも行かなかった。
 そうして、私は光の波動を捕まえてから自分の心の部屋へと招き入れて、その場所を牢獄代わりに、破滅の光との格闘を続けている。
 破滅の光は、人間の悪意──心の闇を食べて誇大化する。今の奴は碌な抵抗も叶わずに、私の心の奥底で大人しくしているから、──このまま私が心の闇を増幅させることもなく、光の波動を解き放つこともしなければ、時間の経過と共に破滅の光は飢えて、完全に消滅することだろう。

「亮、おつかれさま……」
「……平気か? ……」
「平気よ、このくらい……」
「あまり、そうは見えないが……」
「逆に聞くけど、どうしてあなたはそんなに元気そうなの……?」
「俺はお前のように表立った仕事が回ってこない。俺にそんな役目を回せば、リーグの評判を尚更落とすと分かり切っているからな」
「なにそれ、狡いわよ……」
「ならば、お前も悪役に転向するか? 生きるのが楽になるぞ」
「そうね……前向きに検討してみるわ……」

 ジェネックス終了後、光の結社から解放された私は亮と共に本土に戻り、すぐにプロリーグでの仕事が再開されたものの、──なんと、私が光の結社へと囚われている間に行われた世界タイトルマッチの決勝戦にて、現場では海馬ドームが半焼する騒ぎになっており、世界チャンプへの挑戦者だったドクター・コレクターはその事故で死亡し、更には十年間世界チャンピオンの座に君臨していた、プロリーグの頂点・DD──エドの後見人である彼までもが、試合後に乗っていた船の沈没事故に遭い、現在は行方不明となっているらしい。
 原因不明の火事では他にも観客を含めた死傷者が相次ぎ、これによってプロリーグは現在、管理責任能力を問われている他、事故とチャンプの失踪によりイメージダウンの一途を辿っているリーグの人気を立て直すため、本部では人気選手に対して次から次へとプロモーション活動の仕事を回しており、──当然ながら、私もこの事態に駆り出されているのだった。
 海馬ドームが半焼したことで、海馬コーポレーションの方もそれなりに立て込んでいるから、近頃は父様やモクバ兄様とは碌に話す時間も取れずに、磯野も大抵は社の方に戻っていて、私はひとりで現場に出向くことが多くなったから、当然ながらその分だけ負担も大きい。……磯野は本当に、優秀な秘書だったから。
 そうして、急激な多忙が続く日々で、屋敷に帰っても家族に会えるわけでもないので、必然的に私は亮の自宅に連日寝泊まりしているわけだったけれど、──こんな有様だから、近頃では彼の家に帰ったところで、今までのように亮とゆっくり過ごすことも儘ならずに居る。
 亮の方も、現在のリーグによる皺寄せで以前とは比べ物にならない量の公式戦を組まれてはいるものの、彼は私のように“お行儀のいい仕事”を回されることが少ないため、彼だって過密スケジュールで疲れてはいるのだろうけれど、良質な決闘の機会に多々恵まれることには満足しているようで、亮は思いのほか元気そうにしているのだった。

「……亮、最近、エドとは会った?」
「何度か、仕事で顔を合わせはしたが……どうかしたのか?」
「その……世界チャンプって、エドと親しかったでしょう? だから……」
「ああ……後見人だったか」
「ええ……」
「しかし、もエドとは顔を合わせているだろう。気になるのならば本人に聞いたらどうだ」
「聞けないわよ……エドはプロとして以前通りに振舞ってるもの」
「まあ、確かにそれはそうか……だが、お前はまず自分の心配をした方が良い。……あまり調子が戻っていないように見えるぞ」
「それは、まあ……数週間? 監禁状態だったんだもの、それはそうよ……解放された日なんて、走るのも大変だったんだから」
「それで、よく灯台まで走ってこられたものだ」
「だって、あなたは絶対に灯台で待っていると思ったもの。……頑張ったのよ、私」
「それは光栄だな」

 仕事に復帰してから数週間、──この間にもエドと顔を合わせる機会は度々あったものの、私は結局未だに、エドに世界チャンプのことを聞けずに居る。
 光の結社から解放されたあの日、──エドはホワイト寮まで単身で乗り込んで、斎王と私を助け出そうとしてくれていた、……らしい。
 惜しくも、エドと斎王の奮戦は破滅の光に一手届かなかったけれど、──それでもエドは、後見人を失った直後の傷心の中で、私を助けようとしてくれた。
 世界チャンプの行方に纏わる真相については、鮫島校長も何かを知っている様子だったけれど、エド本人の口から語られない限りは、私がその事実を追求することも無いだろう。
 ──只、それでも、やはりエドの心配くらいはしたくもなる。今まではずっと私が勝手にエドを気に入っているだけだとばかり思っていたけれど、……どうやら、この分だと彼の方でも、私を友人くらいには思ってくれているらしかったから。

「……、今日は食事はどうする」
「うーん……今日はちょっと、パパラッチの相手をする元気はないかも……」
「ならば、適当に買って帰るか」
「私、何か作ろうか?」
「いや……疲れているのだろう、無理はしなくて良い」
「そう? それなら、確かにその方が助かるわ……」
 
 私が本日のスケジュールをすべて終えて、リーグ本部の正面玄関前で私が出てくるのを待ってくれていた亮と帰路につく頃には、既に外食の選択肢も少ない遅い時間になっており、テイクアウトもまた同様で、馴染みのコーヒースタンドでサンドイッチにサラダとスープを買って帰るくらいしか出来なかったから、──互いに忙しいからこそ本当は、食事くらいは亮にもちゃんと食べさせておきたいけれど、──でも、なんだかもう、どうにも、眠くて仕方がない。
 それは、ずっと忙しない日々が続いているから、寝不足が続いているから──ではなく、──破滅の光を受け入れたあの日から、私は毎日やけに眠くて堪らない日が続いているのだった。
 破滅の光は、私の心の部屋に封じられる以前は斎王の身体の中に宿り、彼の中の世間を憎む気持ち──心の闇を食らって、最終的にはあそこまで膨れ上がったのだそうだ。
 十代に敗北した破滅の光は現在、人の心の闇を求めている。──しかし、私の心の部屋には闇らしきものが碌に見当たらない筈。
 光の龍を操る私は、破滅の光の器としては優良物件だったらしいけれど、その代わりに揺り籠としてはまるで不適格であることだろう。
 心の部屋に住み着くそれは、例えるならば病原体のようなものだ。現在、私の体の中、──私の心の部屋では、きっと私の精神と破滅の光が戦い続けていて、どちらが意識の主導権を握るかを、この肉体を動かす権利を得るかの争いをしている──のだと思う。
 遊戯さんが以前に話していた、“心の部屋に他者が住み着く事例”に類似した現象が、恐らく私の中で起きており、──きっと、その皺寄せで近頃の私は意識を保っているのが難しいのだ。

「──、此処で寝るな。眠いのならば寝室に行け」
「……う、ん……亮は……?」
「俺はまだ起きている。お前は先に……」
「……いや。亮が寝ないなら、私も起きてる……」
「……仕方のない奴だな……」

 只でさえ忙しくて碌に余暇がないと言うのに、僅かな時間を亮と過ごすことも儘ならずに、──なんだか、毎日決闘しているか、仕事をしているか、眠っているかというそればかりで、……亮と話すこともあまり出来ていないから、せめて傍に居ようとして意固地になって、ソファに座ってデッキ調整をしている亮の膝へと勝手に頭を乗せてその場に陣取り、気が付けば今日もそのまま眠りに落ちて、いつの間にかベッドに運ばれ、朝になる頃には布団の中、亮の隣で目を覚ますのだろう。
 ──本当は、亮に話したいことが、──話しておかなければいけないことが、たくさんあって。
 ジェネックスでは、亮が誰とどんな決闘をしたのかをまだ聞いていないし、どうして亮が優勝者じゃなかったのかも、私は知らない。……私を信じて待っていてくれたことにだって、幾らでもありがとうを伝えたい、のに。
 ──それに何より、──破滅の光と私の間に遭ったことを、まだ亮に話していない。
 あれほど、亮に向かって「あなたは私の物なんだって自覚して」と釘を刺しては我が物顔をしてきたのだ。それに、亮が嫉妬深くて独占欲の強い男だと知っているからこそ、──何があったのかをちゃんと話しておくべきだと、そう思っているのに、──言葉が纏められないまま意識は白く溶けて、微睡みの中で私は近頃、──とある人物に、夢の中でよく会うようになった。
 ……だから近頃、私が一番よく話しているのは、亮でも家族でもエドでもなく、もしかすると“彼”なのかもしれない。
 その人物が一体何者でなのかを、私は知らない。けれど、破滅の光を受け入れた直後から、──確かに、私の体の中で、意識の中で、記憶の中で──何かが解けつつあるのだ。


「──、おはよう」
「……おはよう、■■……」
「……なんか、疲れてるな?」
「うーん……そうかも……」
「吹雪と丸藤は、先に食堂に行ってるってさ。俺達も行こう」
「んー……」
「……、本当に大丈夫か?」
「なんか、最近ずっと眠くて……」
「へえ……ちょっといいか?」
「なあに?」
「ほら、……これで少しは、楽になる筈だから……」
「……? 今、何をしたの? ■■……」
「……その苦しみの原因はすべて、お前が眩しいからだよ、
「……え?」
「心に闇が一滴でもあれば……そいつは、それに食らい付く。お前が狙われることは無くなる」
「で、も……それでは、破滅の光は……」
「大丈夫、……それはお前の心の闇じゃない、ダークネスの闇だから。……破滅の光がそれを食べることで、お前は目を覚ましたときにまた俺のことを忘れるけど……それで良いんだよ、
「……■■……?」
「良いんだ、……お前は、俺のことなんて忘れていた方が良いんだから……」


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