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「──、お前はもう寝室に行った方が良いんじゃないか?」
「え?」
「いや……ここ暫くのは就寝が早いだろう。無理をせずに、今日も早く寝たらどうだ?」
「ああ……そうよね? 最近はずっとそうだったから……」
「……ああ」
「でも、今日はまだ特に眠くないのよ。……なんでかしらね?」
「……本当か? また、無理をしているわけでは……」
「本当よ! ……あ、でも……」
「? どうした?」
「今日は眠くないけれど、なんだか頭が痛くて……やっぱり不調ではあるのかも……」
「……やはり、早く寝た方が……」
「でも、意識はしっかりしてるから! 卓上で良いから、少しデュエルしましょうよ。……最近、亮とあんまり決闘できてないし……」

 夜、──すっかり俺の家へと共に帰ってくるのが習慣付いたは、風呂上がりにソファの上で膝を抱えながらもそう言って、些か肩を落としており、──確かに、今日は比較的に意識もはっきりしているようだったが、……それでも、顔色は相変わらずに芳しくない。
 ──これは、どうしたものだろうかと、そう思う。
 光の結社に囚われていたが戻ってきたあの日からずっと、──はどうにも本調子では無いようで、何処かぼんやりとしている日が続いていた。
 それでも、責任感の強い彼女はプロリーグでの試合や仕事はきっちりと果たしていたから、その反動かオフの時間はほとんど眠って過ごすようになってしまい、お陰で俺とは近頃、リーグでの試合くらいでしか、二人でデュエルをする機会が無くなってしまっているのだった。
 何度か卓上でのデュエルを試みたりもしたものの、俺との戯れにまで、僅かな気力と体力を削いで望まれたのでは、此方としてはたまったものではない。
 それはもちろん、俺にとってとの決闘に勝る喜びなどある筈もないが、──俺はこの手で正面から彼女を打ち負かしたい、力任せに捻じ伏せて、地に叩き付けてやりたいと渇望しているのであって、……不調のに無理をさせたところで、俺の欲する勝利の悦楽が得られるわけでは決してないのだ。
 ──まあ、欲を言えば俺とてとデュエルはしたい、……しかし。

「良い? ルールは三本勝負のマッチ戦で、先に二本取った方が……」
「……
「……じゃあ、一本勝負で……」
「……時間制限付き、20分だ」
「! 良いわよ! 速攻でボコボコにしてやるわ!」
「それは此方の台詞だ、……行くぞ!」
 
「「──決闘!」」

 今のに対して譲歩できるのは此処までだと俺が提示した条件に、も快くとは行かなかったのかもしれないが、ともかく了承し、──その日は、久々に彼女との決闘が出来た。
 卓上での時間制限付きの一本勝負は、スタジアムでソリッドビジョンを用いてのデュエル──互いの進退を賭けた公式戦の、命運を別つ文字通りに決闘を行うあの瞬間と比べれば、それは幾らか臨場感や高揚感に欠けるはずだと言うのに、……それでも、俺にとってはとのデュエルが何よりもの熱狂を与えてくれるのだから、不思議なものだ。
 
 十年もの間、無敗だった世界チャンピオンの失踪によって、現在のプロリーグはすっかりと立て込んでおり、──その皺寄せでやエドのような花形選手は、試合以外のプロモーション活動にも奔走している。
 その一方で、すっかり悪役が板に付いた俺には、そのような立ち回りをリーグ側も期待しておらず、俺にはそれらの仕事を斡旋しては来ないが、その分俺はジェネックス以降、大量の公式戦をこなす日々を送っていた。
 仮にも対戦相手は皆、プロ選手だ。故にその中では至上の勝利を得る機会も多々あり、長らく使い込んできたサイバー流のデッキを、裏デッキとの混合構築にしてからも久しいが、今のデッキも大分使い慣れて手に馴染んできたように思う。
 何百回、何千回と決闘を繰り返し、俺は確実にプロ入り一年目の頃よりも強くなったのだろう。──しかし、互いにプロ二年目を迎えた現在、もプロリーグでの立ち位置をすっかりと確立させており、彼女の方とて不調が続く中でもどんどん強くなっているのが、日々の試合やこの20分余りの対決の中でも、十分によく分かる。

「……残念だが、今日は此処までだな」
「えー! もう1ターンだけやりましょうよ! 次で勝てそうなの!」
「そうか? ……俺の手札はこれだが」
「ちょっと! 手札見せたら対戦にならないでしょ!? ……うわ、リミッター解除握ってるの……?」
「これでも、次のターンで決着が着くか?」
「私だってオネスト握ってるわよ! ほら!」
「伏せカードは攻撃の無力化だが、それでも次で勝てるか?」
「……う……」
「……やはり、今日は此処までだな。続きはまた明日以降にしよう」
「……良いの? 私に勝ちたくないわけ?」
「それはもちろん、勝ちたいに決まっているが……しかし、やはり顔色が悪いぞ、

 ──普段のならば、俺から体調を指摘されれば機嫌を損ねているだろうし、そもそも彼女は、自分の不調を他人に気取らせることなどは殆ど無くて、第一、俺は五年間も取り繕えない程傍で彼女を見ていると言うのに、体調を崩しているのを見たことさえ、あまりなかった。
 徹底した自己管理とトレーニングを欠かさないストイックなが、これほど体調を崩し続けていると言うのは、──恐らくだが、風邪や病気の類ではなく、の意志では防ぎきれない何かの仕業なのだろう。……彼女の身に何か異変が起きているのは、まず間違いないのだ。
 光の結社に囚われていたの身に何があったのか、──俺は未だ、からその全容を明かされていない。
 しかし、ぼうっと虚空を見上げていることの増えていた近頃のは、──まるで、セブンスターズから帰ってきたばかりの吹雪がぼんやりと口も利けなくなっていた頃の姿と被るようで、……どうにも、嫌な胸騒ぎがする。
 とは言え、余りこちらから詮索したのでは、必死で平常を装っている彼女のプライドを傷つけるかもしれないし、──俺の前でだけ気を緩めて、隣に丸まって眠り続けていたから、場合によっては休息の機会を奪うことになるかもしれない。
 ──それに何より、──俺自身が、近頃はに、些細な隠し事をしているからこそ、下手な詮索が出来なかった。

「んー……じゃあ悪いけど、横にならせてもらうわね……」
「おい、横になるなら寝室に……」
「嫌。……今日は寝ないから、亮が寝室に行くときに声かけてくれれば、自分でベッドまで行くから……」
「……頭痛、鎮痛剤ならあるが飲むか?」
「んん、のむ……でも、鎮痛剤って? あなた、もしかしてドーピングの後遺症とか……」
「そうではないが、……まあ、こうして役に立っているだろう」
「……ふーん……」

 ──恐らくは、普段のならば其処で食い下がらずに、俺の不調の可能性を徹底的に潰すまで質問攻めにされていたと思うのだが、今のにはそんな気力も無いようで、大人しく俺から受け取った薬を飲んでソファの上に丸まるように横になったを見て、……俺は、内心では幾らか胸を撫で下ろしていた。
 ──不調を押して、が仕事を続けているこの数ヶ月の間に、──どうにも、俺の方も最近、身体の違和感を覚えている。
 時折、胸の奥が妙に痛むことがあり、頻度はそれほどでもなかった為に放置していたが、──それでも、近頃は酷いときには鎮痛剤を飲むほどの激痛に襲われることがあるのだった。
 その所為で鎮痛剤が家に置かれていたことが、の役にも立った訳だが、……流石に、彼女は鋭いな。この痛みは恐らく、彼女の指摘の通りに、──地下デュエルでの過酷な生活が招いた後遺症だろうと、俺もそう読んでいる。
 しかし、違法薬物の摂取によるものというよりは、──疑わしいのは、衝撃増幅装置の方か。薬物を打たれていたのは僅かな期間だが、彼方の装置に関しては地下から持ち出した後も、度々使用していたから、……そのツケが回ってきたのかもしれないと、そう思う。
 増幅装置の使用を何度かにも強請られたが、──やはり、彼女には使わせなくて正解だった。
 
 は、今日は眠くないとは言っていたものの、やはり頭痛が酷いようで、ソファに寝転んで暫く経つ頃には小さな寝息を立てており、すっかり定位置と言わんばかりに俺の膝に乗せられた寝顔を覗き込むと、些か顔色が悪いのは見間違いではないように思う。
 ──が本調子になる頃、彼女から光の結社での顛末を聞き出せる頃には、……どうにか俺の方も、この僅かな不具合が落ち着いていると良いのだが。
 一応、近頃では装置の使用を控えてはいるものの、現状ではまだ目に見えての改善は見られない。故にこそ、に俺の実情を伝えれば、不用意な心配を掛けることなどは分かり切っており、──現に俺が今、の不調に対して同じ想いを抱えている以上は、復帰したてのに余計な負担を掛けたいとは思えなかった。
 それに、──やはり俺達は、何よりもライバルだから。
 こうして、近頃の彼女が俺に対して素直に寄りかかってきているのは余程のことで、──きっと、現状が改善すれば、二度とこのような機会は訪れないのだろうと、そう思う。
 俺達は決して互いに己を取り繕っているわけではなく、全てを曝け出して見せてはいるものの、──それでも、出来ることならば急所は互いに隠しておきたい。
 お前は俺よりも余程優しいから、──俺とは違い、弱点を知れば必ず、容赦なく心臓を狙いに来ることは出来なくなることだろう。──俺は、それだけはどうしても、嫌なのだ。俺はお前の宿敵でありたいと、何よりも強くそう願っているから。
 俺は彼女の心臓の柔らかい部分にこうして触れさせてもらっていると言うのに、自分だけが弱点を隠し抜こうと言うのだから、……俺はやはり、卑劣な男なのだろうな。

 ──その日から徐々に、が眠ってばかりいることは減っていったが、──それでも、当分の間は彼女の不調は続き、頭痛は鳴りやまない様子だった。はそれを「寝不足だから」とそう言っていたが、俺はが寝息を立てているのを毎晩見ていたし、──決してそんな筈がないだろう。
 ……それに、近頃のは、時折心臓を抑えるように、胸を抱えて必死で呼吸を整えていることもある。
 一体、……光の結社とやらで、誰がお前に何をしたのか、……そろそろの口から聞き出せなければ、──ジェネックス期間中には必死で堪えたと言うのに、俺は。……お前に触れた何者かを、強硬策で見つけ出し引きずり出して、叩き潰してしまいそうだと、そう思う。
 お前が俺の激情を思い知ってくれるのならば、俺にとっては、他者の尊厳も己の面子やプライドも、お前の前では何もかもが無価値なのだと、──もう少しくらいは、にも自覚して欲しいものだ。


「──■■! 今日は日中、意識を保っているのがつらくなかったの! こんなの久々よ!」
「良かった……ずっと無茶してたもんな、少しは楽になったか?」
「ええ! 昨日、あなたが処置をしてくれたお陰だわ! ……あ、でも……」
「どうしたんだ、?」
「……それでも、体力が落ちてるのかしら。夜まではなかなか持たなくて……また亮より先に眠ってしまったの……」
「……それは、良いんじゃないか? 丸藤も、そんなことでに文句を言ったりしないだろ」
「それはそうだけれど……もう少し、亮と決闘していたかったな……」
「……そうなんだ……」
「ええ……まだ、話したいこともあるし……」
「……そんなに、丸藤が良いんだ」
「え、……■■? どうしたの?」
「いや……良いんだ、これは、俺が望んだ結果なんだから……これで良かったんだよな……?」
「……■■……?」
「……なあ、俺とデュエルしないか? 
「■■と? ……どうしたの? あなたから誘ってくれるなんて、嬉しいけれど、珍しい……」
「いや……せめて今だけは、お前の正面に座っていたくてさ……どうせお前は、こんな会話も忘れてしまうけど……」
「……■■、何を言っているの……?」
「ああ、ごめんな……それで、どうする? やっぱり、俺が相手じゃ、つまらないかな……丸藤の方が……」
「そんなことないわよ! あなたって私たちの中で一番デュエルモンスターズに詳しいもの! やりましょう! さあ早く!」
「……って、本当にデュエル好きだよな」
「ええ! 大好きよ!」
「……っ、そっか……じゃあ、俺のターンからで良いかな」
「ええ!」
「じゃあ行くよ。俺は、手札からオネストを──」


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