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「──斎王、その後の体調はどう?」
「申し訳ない、さん……本当は私が謝罪に出向くべきところを、ご足労をおかけしました。……体調も、お陰様で大分良くなりましたよ」
「それは良かったわ。……美寿知はどう? あなたもバーチャル空間に意識を囚われて大変だったと、弊社の人間から聞いたわ」
「ええ。私も海馬コーポレーションの皆さまが早急に助け出してくださったので……後遺症もなく、元気に過ごせております」
「そうなのね、良かったわ。ああ、そうだ……これ、ふたりにお見舞いよ」
「これはご丁寧に……茶葉ですか?」
「ええ。……紅茶が好きだと言っていたのは、きっと破滅の光ではなく、斎王自身でしょう? だから差し入れるなら、これが良いかと思ったの」
「……ええ。ありがとうございます。……美寿知、早速淹れてもらえるか?」
「はい、兄さん」

 清潔感のある真っ白な病室にて、寝台の上に座る斎王は入院着を身に纏っているものの佇まいはきっちりと整えられており、──恐らく彼は、私が今日訪問することを事前に知っていたからこそ、礼節を重んじた態度でこうして出迎えようとしてくれているのだろう。
 説明されずとも、ある程度の見当は付く。──恐らくは、これが本来の斎王琢磨という男なのだと。
 私の持参した茶葉を使って美寿知が紅茶を淹れてくれている間、私は斎王のベッドの横に置かれていた椅子に腰を下ろして、他にもお見舞い品として持ってきた焼き菓子を彼へと手渡しつつも、──挨拶もそこそこに、私は本題に入るのだった。

「それで、斎王……破滅の光の件だけれど」
「ええ……さんには本当に迷惑をかけてしまった。私に把握できている限りの情報は、全て共有しておきたい」
「助かるわ。あのとき、美寿知に言われた通りに私は、破滅の光の残滓を心の部屋に捕らえたけれど……以来、目立った動きは見られないのよね」
「何か、後遺症などは?」
「少し前までは、毎日酷い眠気に襲われていたわ、あとは軽い動悸と……でも、最近ではそれも収まって……あ、でも……」
「他にも何か?」
「近頃はね、やけに頭痛が酷いの、……多分、睡眠の質が影響しているんじゃないかしら」
「頭痛……?」
「実はね……破滅の光を受け入れた日から、不思議な夢を見るのよ」

 ──あの日、光の結社から解放されて、明け方まで夜通しで亮とデュエルをしていたその当日だけは良かったものの、──その翌日以降から私は、繰り返し不思議な夢を見るようになってしまった。
 夢の中でいつも私は、この病室よりも遥かに眩くて白い部屋に居て、──恐らくその場所こそが私の心の部屋なんじゃないかと、そう思うのだけれど。……その部屋ではいつも決まって、デュエルアカデミアの意匠を模した白い制服の男が私の隣に居るのだった。
 心の部屋の中には、原則的に自分自身しか立ち入ることが出来ないとは、昔に遊戯さんから教えられたことで、遊戯さんの心に住んでいた名もなきファラオ──“アテムさん”は、特例として彼の心の部屋に立ち行ったり、また別の人間の心の部屋に入り込むことも出来る、特異な存在だったらしい。
 アテムさんは、千年パズル──千年アイテムのひとつを担い、それと同時に彼の魂は千年パズルの中に閉じ込められていた。──三千年もの間ずっと、アテムさんの魂の牢獄はその三角錐の中であったのだ。
 
 そう言った“特例”の話を事前に遊戯さんから聞いていたし、私が白い制服の彼と夢で会うようになったのは、破滅の光を受け入れたのとほぼ同時だったこともあり、──当初、“彼”は破滅の光の意志の化身なのではないかと、私はそのように考えていた。
 アカデミアの白い制服というのは、斎王の外見とも一致するし、斎王の姿を借りて破滅の光の意志は私の心の部屋に顕現しているのではないかと、──そう、思っていたのだけれど、……徐々に私は、この推論を誤りなのではないかと、そう思い始めている。
 
 確かに、破滅の光を受け入れたその日から、私は光の波動に幾らかの体力を奪われているという、その実感がある。
 ──しかし、破滅の光は私に直接何かを訴えかけてきたり、精神攻撃を試みるような余力を既に持ち合わせていないのではないかと、──この忌々しい光源との付き合いが長くなるにつれて、そんな確信をも、私は覚えつつあるのだった。
 事実、近頃では強烈な睡魔も大分収まってきて、元の生活が出来るようになってきているし、──頭痛に関しては、毎晩見るこの奇妙な夢が原因で、眠りに付くことへの微かな不安を抱いている節があったから、……これは、単純な睡眠障害によって引き起こされている頭痛というだけの話なのではないかと、そう思う。
 その夢は何も、恐ろしい内容という訳でもなかったけれど、……それでも、毎晩繰り返すように同じ人物の夢を見ると言うのは、──なんだか、いつか夢と現実が逆転してしまうのではないか、夢に引きずり込まれてしまうのではないかと、……そんな漠然とした不安を、近頃の私は幾らか抱いていた。

「白い服の男、ですか……」
「どうしてか、いつも彼の顔は見えないの。背格好は斎王、あなたと同じくらいだったから……あなたの姿を借りた破滅の光なんじゃないかと、そう思っていたのだけれど……」
「なるほど……」
「──私は、その可能性は薄いと思います」
「! 美寿知……」
「……お前がそのように考える理由を教えてくれるか? 美寿知」
「私には分かるのです。兄さんと破滅の意志の間の繋がりは、今や完全に途絶えている……現在の破滅の光に、兄さんの姿を借り受けることは不可能でしょう」
「……斎王と破滅の光との縁が理由ではなく、元から破滅の光は、自らの意思で特定の人間の姿を模すことが可能……という可能性は?」
「だとすれば、兄さんを選ぶ必要がないのでは? の警戒を解くのが目的であれば、他に適任者がいる筈です」
「……確かに、それはそうかも……」
「……では、その白服の男が、私ではない第三者と言う可能性は? アカデミアの白服と言えば、在学中のさんの制服もそうだったでしょう。であれば、あなたの同級生だとか……」
「ううん……私に付け入る隙を作るために姿を模した、とすると……確かに、可能性のありそうな友人は二人、心当たりがあるけれど……」

 白い制服の“彼”が、破滅の光の化身だったとして、──斎王ではなく、亮か吹雪の姿を模しているという可能性は、……まあ、ゼロではないとは思うものの、その可能性は限りなく低いことだろう。
 ──夢の中で出会う“彼”との会話の全容を、私はいつも、はっきりと覚えていることが出来ない。
 でも、目覚めた際に記憶から零れ落ちてしまうのは毎回、恐らくは最も重要な部分だけで、なんでもない会話に関しては、目が覚めてからも比較的、記憶に残っているのだ。
 “彼”は私に対して親しい友人のように振る舞い、私にとっての“彼”がアカデミアで共に過ごす学友であるかのように語り、──そして、彼との会話の中で、度々、亮と吹雪の名前が上がることもあった。
 ──だからこそ、顔の見えない“アカデミアの白い制服を着た男”の可能性として、私の選択肢から亮と吹雪は既に除外されており、……故に私は、“彼”を斎王なのではないかと推測していたのである。──そう、少し前までの私は、そのように思っていた。
 
「……でも、違うと思う。“彼”との会話には、友人たちの名前も挙がっていたから……」
「……確かに、近しい者たちの姿を模倣出来るとすれば、会話の内容まで徹底してくるか……」 
「それに……破滅の光は現来、その時代の人間の肉体を乗っ取ることで活動していたのでしょう? 姿を模す能力があったなら、依代を必要としないわよね……」
「ああ……それは、そうだな……」
「……斎王は、破滅の光を宿している間に似たような経験は無かった? 毎晩の夢に、特定の誰かが出てきたりだとか……」
「いえ……破滅の光に主導権を奪われてからも、私はずっと心の部屋の中で意識自体は保っていましたが……そのような夢を見た経験はありません」
「……そう……」
「……前提として、我々は何か思い違いをしているのかもしれません。、そなたの夢に出てくるその人物とは、……破滅の光とは、無関係なのでは?」
「……え……?」

 “彼”は破滅の光そのもの、或いはそれに由来した何者かなのだと、──そう考えていたのは、私の誤解で。
 或いは、──“彼”と破滅の光とは全くの無関係なのではないかと、斎王のベッドに設置された簡易テーブルへとティーセットを置きながら、美寿知は思いもよらない可能性を私へと提示するのだった。

、その夢というのは、そなたが破滅の光を受け入れた日から見ているのですね?」
「ええ……その通りよ」
「私の力は、破滅の光が導く運命を見通すことが出来ました。しかし……あなたの言う人物とあなたに纏わる運命は、……どうしてか、私には見えないのです」
「……見えない……?」
「美寿知にも見通せない運命というと、それは……」
「破滅の光ではない……何らかの力が、そなたに干渉している可能性は捨てきれないでしょう」
「……それは、一体……?」
「そこまでは、私には見通せません。……しかし、その者はそなたに害を与えているわけではないのでしょう?」
「ええ……寧ろ、私を護ろうとしてくれているような、そんな気がするの……だから、確かに破滅の光と呼ぶには、違和感もあって……」
「……さんは、デュエルモンスターズの精霊と心を通わせた決闘者なのだろう? “彼”とは、もしやそう言った類の存在なのでは?」
「……確かに、精霊であれば心の部屋に介入することも、可能だと思うけれど……」

 事実、私の心の部屋が輝く白に保たれている理由として、私の魂の守護者として青眼の白龍がその場所を守ってくれているから、──というところは、かなり大きいと思う。
 それに、私にはカードとしての成り立ちが由来で、私へと特別に干渉する力を持ったカイバーマンの存在もある。──青眼やカイバーマンのように私に特別な干渉の出来る“誰か”が、私の知らないところに他にも存在していると言う可能性は、捨てきれない筈だ。

「──あ」
「……何か、心当たりが?」
「心当たり、というか……どうしても精霊の姿が見えないカードを一枚だけ持っていて。……これ、オネストのことなのだけれど」
「ああ……プロリーグの試合でも、よく使用していましたね。てっきり私は、愛着の深いカードなのだとばかり思っていたが……」
「このカード、知らないうちに私のデッキに入っていたの。……どうしてかずっと、何故私がオネストを持っているのか、思い出せなかったけれど……」

 ──思い出した、今唐突に。
 このカードは、昔──、

「……思い出した。……私は、このカードを大切なひとから託されたんだわ」

 
 ──結局、斎王や美寿知との情報のすり合わせでは、“彼”が何者であるのか、はっきりとは分からなかった。
 今日のところの話し合いでは、現状の破滅の光には、私の意識を乗っ取るほどの力は残されていないだろうということと、──やはり私の想定した通りに、──このまま順当に、私の魂という牢獄に破滅の光を捕らえ続けることが出来たのならば、光の残滓は次第に弱り続けて消滅するだろう、と言う結論で三人の意見が纏まったことで、何か進展があればすぐに連絡する旨を互いに約束して、次の仕事もあるし、私は斎王の病室をお暇することにしたのだった。
 ──そう言えば、会話の流れで聞いたことだけれど、──なんと、以前に斎王が私のファンだと言っていたのは、本当のことだったらしい。
 エドから存在を伝え聞いて試合を見て以来、彼は私を密かに応援してくれていたのだそうで、……そんな事情も相まって、斎王は本日少しだけ緊張していたのだと美寿知が言うものだから、幾らか照れ臭そうな斎王を前に私はなんだか少しおかしくて笑ってしまったし、……プロ決闘者として、彼からの応援が素直に嬉しかった。

 そうして、色々と話し合ったけれど、“彼”については──それらしい結論は、結局出せなくて。
 もしも彼が破滅の光とは無関係なのだとすると、考えられる可能性としては、彼はデュエルモンスターズの精霊であるだとか、或いは精霊を経由して私に干渉できる何者かだとか、……そんなところだろうと、そう思う。
 大きなヒントとして急に思い出したオネストとの出会いについての記憶を、もっとはっきりと呼び起こすことが出来たのならば、“彼”の正体に迫ることも可能なのかもしれない。
 ──これはまだ推測の域を出ない話に過ぎないけれど、──私はどうにも、“彼”はオネストのカードを経由して私に干渉してきているんじゃないかと、そんな気がしているのだ。
 ……“彼”の正体が、オネスト自身であるのか、オネストを私へと託した“誰か”であるのかについては、手掛かりが少なすぎて、推理さえもしようがなかったけれど。……それでもやはり、唯一精霊の姿が見えないカードというのは、どうにも奇妙に思えるから。
 破滅の光を受け入れた時期と、“彼”と夢で会うようになった時分が被る理由についても、何とも断言しがたいものの、──可能性として考えられるのは、破滅の光を授受したことで私の心の部屋の鍵が開いたから、第三者が入り込むことも容易くなっていただとか、──或いは、白く塗り潰されていた部屋に隠れていた何者かが、その衝撃で顔を覗かせたのか、……そんなところ、だろうか。

「──! どうした!?」
「……え? ああ……ごめんなさい、頭がぼーっとして……コップが……」
「良いから、早く水で冷やせ。……火傷跡が残るぞ」

 ──がしゃん、とキッチンに鳴り響いた大きな音で、思考に沈んでいた意識を引きずり戻されながらも、未だ何が起きたのか分からないまま呆然と立ちすくむ私の手を乱暴に掴み、蛇口をひねった亮の手により、赤くなった手を水の中に突っ込まれている。
 幾らか声を荒げている亮の態度に少し驚きながらも、立ち尽くしたままで氷のように感覚のなくなっていく指先に頭が冴えてきて、──私は今ほどコーヒーメーカーからマグカップに珈琲を注ごうとして、手を滑らせてマグカップを落とし、手に熱湯を被った上でカップの割れた音に訳も分からず動けなくなっていたのだと、──血相を変えた亮の横顔を見上げながら、ようやく私は状況を理解していた。

「亮、マグカップが……」
「良い、俺が後で片付けておく」
「でも、割ってしまって……」
「……丁度良かっただろう。もう俺は、白という柄でもないからな……新しく買い替えればいい」

 ばちばちとシンクに水の跳ね返る音と、私と同じように冷水で冷えている筈なのに、どくどくと強く脈打つ亮の手に、彼の焦燥を強く感じて、……次第に、現実へと意識が引き戻されてゆく。
 ──斎王への面会が終わった後で私は残りの仕事を片付けてから、亮の家へと帰ってきて、──それで、斎王と話したことを亮にも相談しておきたいと思って思考を整理していたはずだったけれど、──いつの間にか、深く泥沼のように広がるその闇へと、……ぼんやりと、意識が持っていかれつつあった私は、手元にも力が入らず、まるで白昼夢を見ているかのように、すべてへの現実味がないまま亮の声を聞いて、──それでも、自分達にはまるで似合わなくて柄でもない、数少ない“お揃い”の持ち物の片方を割ってしまったことと、……私の好きなその色を亮が「自分には相応しくない」と称したその言葉とが、……重たい頭の中では、妙に反響していた。

「──決闘者なら、手を大切にしろ。食器など、幾らでも割ってくれて構わないが……気を付けてくれ、
「……ええ、そうよね……気を付けるわ、亮……」

 ──そういうあなたは、体中に火傷跡だとか注射痕だとか、古傷を幾らでも残している癖に、私にばかり良く言えたものよね。
 そんな、普段の私ならば軽く叩けそうな反論も、重たい口からはなかなか出て来てくれなくて、──結局、その日は漠然と頭が重く、亮に事情を説明することも儘ならずに、──私は黙って亮を見つめながらも、光の結社から解放されて、朝まで彼と大騒ぎで決闘を交わしたあの日のことを、思い出していたのだった。 
 あの夜、──頭の中が冴えて、体中から掻き出されたアドレナリンによる一種の全能感さえもあった、その瞬間はまるで永遠のように幸福だったのに、──あの時間が終わってからと言うものの、私はずっと、何処か夢の中に居るような心地がしている。
 それで、──私はやはり、決闘の中にしか生きる喜びを見出せないのだと、生を実感できるのはあの一瞬のみなのだと、──そんなことを思い知って、それでも、──地に足を着けている現実は、嫌でも奥底へと押し込まれた本音との対面を強いるのだ。
 
 ……ああ、そうか、私は、……夢の中、亮のいないあの部屋から出られなくなることが──目が覚めなくなることが怖くて、……それと同じくらいに近頃の亮は、私がこのまま目を覚まさないのではないかと考えて、……きっと彼もそれが怖いからこそ、こんなにも焦燥を浮かべているのだ。


「──さん、その夢で会う“彼”については、我々でも調査してみたいと思う。……もう少々、詳しい事情を聞いても?」
「ええ……夢の中で、“彼”はいつだって私に親身になってくれて……どうしてだか、いつも私を助けようとしてくれるの」
「……そう聞くと、あなたにとって親しい友人のように聞こえるな」
「そうよね……だからやっぱり、身近な友人にも一度相談してみようとは思うわ。……事情が事情だから、なかなか説明も難しいところだけれど……」
「……どうしても相談しづらいのなら、私から事情を説明しましょうか?」
「有難い申し出だけれど……ごめんなさい、私が言わなきゃ意味がない……というよりも、多分、あなたから説明されたらあいつ、怒り出すと思うわ」
「あいつ、とは……ご友人のことだろうか?」
「友人でもあるけれど……ライバルで、恋人なの。……あいつって、独占欲が馬鹿みたいに強いから、多分あなたが妙な恨みを買うことになるわ。それでは困るでしょう」
「……それは、確かに……」
「ふふ、……ですが、そなたは満更でもなさそうな顔をしていますよ。さぞかし、大切な相手なのでしょうね」
「……そうね、美寿知の言う通りだわ。……それで、夢の件だけれど……なんだか、妙な現実味があるのよ、それに居心地が良くて……いつか、その夢から帰ってこられなくなりそう、夢と現実が逆転してしまいそうな……」
「……現実よりも心地のいい夢だと?」
「ええ……そうなのかもしれないわ」
「……しかし、それでも、あなたは迷わずに現実を選ぼうと思えるのですね。……やはり、あなたは強い方だ」
「ああ、それは……夢の中の私が学生のままだからだと思うわ」
「? ……と、仰ると?」
「さっき言ってた恋人……彼は学生の頃、今とは人柄が少し違っていて。……でも、私は人としてもライバルとしても恋人としても、自分を偽らなくなった今の彼の方がずっと好きなの。……だから、今のあいつが居ない場所に、私は生きたいと思えないのよ。……きっと、私を繋ぎ止めている理由があるとすれば……あいつの存在そのものじゃないかしら」


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