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 異世界に辿り着いてから数日が過ぎ、私たちは拠点を中心に、この世界での日々を送っている。
 初日にカイバーマンの先導で暗い森を歩き、獣道を抜けた先にて見つけた古びた館。現在は、それが私たちの拠点になっていた。
 ──まあ、当然ながら。精霊界とは言えどもそんなに都合もよく、無人の館が打ち捨てられている訳も無かったから、恐らくはこの館にも本来の持ち主が居るのだろう。
 ──持ち主が戻ってくるまでには、私たちが此処を引き上げていると良いのだけれど。……そう上手く行かなかった場合には最悪、多少の揉め事に発展するかもしれない。
 しかし、人としての善悪を問う余裕もない状況で、増してや此処は人間の理などが通用しない精霊世界である。──仕方がなく細かいことには一旦、目を瞑って、自分達が生きるためにと、私たちはこの館の設備と備品を使わせて貰っているのだった。

「──主よ、今戻ったぞ」
「お帰りなさい、カイバーマン、エド……周囲の様子はどうだった?」
「いや、特に変わり映えはしなかったな……」
「この次元で急激な異変が起きている様子は、現状では見られない……まあ、それも時間の問題かもしれないが……」
「そう……なかなか、順調には行かないわね……」
「──ところで奥様、旦那様はどちらに?」
「エド……それ、人前じゃなくてもやるの……?」
「君たち、反射的に芝居が出来るような性格じゃないだろう? ……特に、彼の方はね」
「……まあ、確かに亮はそうね……」

 館の外に斥候へと出向いていたエドとカイバーマンが戻り、丁度お茶の準備をしていた私は館の広間に据え置かれていたテーブルに二人分のコップを並べて、厨房の戸棚から拝借した茶葉──恐らくはこの世界特有のそれで淹れた、何処か独特の風味がするお茶をポットから注ぐ。
 戻ってくるなり椅子に腰を掛けてふんぞり返り、非常に偉そうな所作で今しがた「奥様」と私を呼んだエドは、この立ち振る舞いからは信じられないけれど、──現在、この世界の住人たちの前では、私と亮の召使、という役柄を演じているのだった。
 
 ──突然、無人の館に住み着き始めた私たちのことを、当然ながら、近隣の住民は警戒することだろう。
 数日間の滞在で分かったことだけれど、どうやらこの世界は現在、戦時下にあるようで、周囲に住まう者たちは皆、現状の日々に怯え切っている様子だったし、避難の手を進める住民も少なくはなくて、初日と比べるとモンスターや住民と遭遇する機会が徐々に減ってきている。
 ──故に恐らくは、この館の元住人も、戦渦から逃れるために此処を離れたんじゃないかと言うのが、現在の私たちの見解だ。……或いは、これほどの館を有する人物であれば権力者である可能性も高いから、……既に、戦火に散ったと言う可能性も捨てきれない、けれど。
 
 デュエルが文字通りの決闘として、命を奪い合う行為であるこの世界では、デュエルが出来ない、或いは弱い低級モンスターは上級モンスターに虐げられて、搾取されているらしかった。
 此処では決闘が身を護る術であると同時に、身を立てる術でもあり、優れた決闘者は戦渦の中心に在る“覇王軍”とやらに、戦士として徴兵されるのだそうだ。
 もしくは、腕の立つ者は覇王軍の対抗勢力に属するかであり、──そうともなれば、覇王軍へと属さずに、戦火の只中にある館で生活を送る決闘者の四人組など、双方から見て怪しい集団として映るに決まっている。
 故に、詮索を受けた際にスマートな対応で煙に巻いてしまえるように、──或いは、館の中に招き入れて強硬策で彼らから事情を聞き出すために、四人の立ち回りを事前に決めておこうと言うエドの提案により、現在、彼とカイバーマンは、私と亮の従者というていで振舞っているのだった。
 ……まあ、カイバーマンは元々、私の従者ではあるのだけれど。
 
「亮なら、館の奥に待機しているわ。私も今、お茶を持っていこうとしていたところだったの」
「これはこれは、奥様の手を煩わせてしまいましたね」
「よく言うわね……それが、主人の淹れたお茶を飲みながら言う台詞かしら?」
「全くだ。オレの主人への過ぎた振る舞いは控えて貰おうか、召使よ」
「はいはい……」
 
 カイバーマンはともかくとして、こうも慇懃無礼に振舞っているエドが、実際に異世界の住民を前にすると、恭しい態度で従者の役柄を演じ切っているものだから、毎度ながら、どうにも驚かされる。
 ……ちなみに、どうしてこの配役なのかと一度エドに聞いてみたところ、「館に住む四人組として順当な関係性だろう? ヘルカイザーに演技が出来るとは思えないし、従者の真似事なんて以ての外だ」──と、そう言い切られた言葉に対しては、……正直なところ、私とて何も言い返せずに、結局はエドの案が採用されることとなったのだった。
 ……まあ、改めてエドから指摘されなくとも、皇帝として生きてきた男に従者の真似事が出来る筈もないという見解には、私も同意だもの。 
 亮は館の主人役で、エドがその従者役。私とカイバーマンは元より主従関係だから、そのまま振る舞うのが順当で、「君たちは元々恋人同士なんだから、下手な演技をするよりもそのまま振る舞ってくれた方が、彼も主人らしく見えるだろう」というエドの見立てにより、原則的には私と亮が館の主人──夫婦役として館に待機し、従者を演じるエドとカイバーマンが物資の調達を兼ねて周囲の偵察に出向く、──というのが、ここ数日の大まかなルーチンになっていた。
 ──配役はともかくとして、正直なところ私は、この役割分担に幾らか安堵している。
 現在の亮は、本来なら無闇に出歩けるような体調ではないことを私だけは知っているからこそ、……本当は、危険極まりない異世界で無策に歩き回らせたり決闘をさせたりするのは、私の本意ではないのだ。
 ──それでも、本人が決闘を望んでいる限り、私には亮を言葉で止めることも出来ない。
 本当にもう後がなくなったならそのときは、──強硬策で、力で、カードの剣で、……私が、亮の息の根を止めると、そう決めたから。

「──亮、お茶を淹れてきたわ。休憩にしましょ」
「……ああ、助かる」
「エドとカイバーマンも戻ってきてるわよ、広間で皆と飲む?」
「何か進展はあったのか? 収穫は?」
「特に、目ぼしい収穫はなさそうだったわね……」
「そうか、……ならば此処で良い。広間では、邪魔が入るからな」
「邪魔って、あなたねえ……」

 ──邪魔が入ると言うその表現は、私たちの代わりに斥候を果たしてくれているカイバーマンとエドに対して、流石に言葉が強すぎない? と、──そう思うけれど。
 ……事実、私たちがこうしてふたりきりで過ごせる時間は、もう僅かばかりしか残されていないことを知っているからこそ、……まあ、亮の意見には私も幾らか同意ではある。
 
 エドとカイバーマンを広間に残して、館の奥の部屋にて待機している亮の元に向かってみると、亮は壁に掛けられたサイバー流道場の掛け軸を見上げながら、その場に佇んでいた。
 ──恐らく、その掛け軸は亮が持ち込んだものだと思うけれど、──そうして持参した荷物を飾って、仮にも師範代の真似事をするくらいには、亮にとってサイバー流の看板は大切なものなのだろうと思うものの、……今になってその指摘をしてしまうのは、流石に意地が悪すぎるだろう。
 きっと亮は、元の世界で道場を継承するような未来がないと分かった上で、無意識からかその行動を取っているのでしょうから。
 ……まさか、“旦那様役”の芝居の一環でやっている訳ではない筈だ。だってあなたって、演技なんて出来るような奴じゃないものね。……私が一番よく思い知ってるわよ、そんなこと。
 
 ──私の声に振り向いた亮と共に、部屋の隅に置かれたソファの前まで移動すると、テーブルに茶器を並べて温かいお茶を注ぐ。
 それは、何度も亮の部屋で過ごした、見慣れた日常の一頁のような時間だったけれど、薄暗くて古びた部屋と見慣れない食器、それに互いが仕事着のままで並んでいる事実が、何よりも現在の非日常を物語っていた。

「……亮、心臓の調子はどう?」
「ああ……相変わらずだな」
「痛み止め、まだ残ってるの?」
「いや、もう持ち合わせが底を付く」
「じゃあ、私のあげるわ。後で持ってくるわね」
「……お前も、何処か痛むのか? まさか……まだ破滅の光の後遺症が?」
「それはもう、落ち着いてるから平気。前に亮も私にくれたでしょ? だから私も備えておいただけよ」
「……そうか、それなら構わんが……」
「もう少し、自分の心配をしなさいよ……と言いたいところだけれど、流石にもう諦めたわ。あなたの心配は私がしてあげるから、好きにやりなさい」
「……お前には、心配だけされたのでは困るぞ、
「分かってるわよ、……心配してあげるし、引導も渡してあげる。……あなたに必要なものは、全部私があげるわ、亮」
「……そうか。それは、助かるな……」
 
 鎮痛剤を飲んだところで延命措置などにはならなくて、結局はその場凌ぎなのだろうとは分かっているけれど、──それでも、前に進もうとする亮の苦痛を少しでも取り除いてやりたかったし、病に起因した痛みなどで生を実感されては、たまったものではないから。
 ──亮、あなたが、それでも。……そんなに痛い目を見たいのなら、命の奪い合いを望むのならば、──その相手は、私が果たしてあげる。
 その命は病にも、そこら辺のモンスター達にも──ユベルにも、絶対に渡さない。それだけは決して、誰にも譲ってあげられない。……あなたの心臓は、ずっと前から私だけのものだ。

「──それにしても、十代たちの手がかりはなかなか見つからないわね……」
「ああ……覇王軍とやらに、囚われているものかとも思ったが……」
「特にそれらしい証言は聞こえてこないし、……まだ、他の次元に居るのかしら?」
「その可能性が、高いかもな……」

 異世界──十二の世界が折り重なって出来ているこの世界では、私たちだけではなく、別の次元に暮らしていた精霊たちがこの次元に流されると言う現象が、近頃では度々発生しているらしい。
 これは、近隣で出会った低級モンスターたちから聞いた話で、彼らも恐らくは私たちと同じように、自分達が暮らしていた世界に突如発生した“特異点”へと飲み込まれて、この世界に流れ着いたのだと、彼らの証言からはそのように推測することが出来る。
 ──私たちが異世界と呼んでいた場所は、十二の次元のうちのひとつであり、私たちが暮らしていた現実世界もまた、そのうちのひとつである、と。
 此方に漂着したその日、カイバーマンの口からもそのように語られていたから、私たちと彼らが巻き込まれた現象は恐らく同一のものと考えられて、──更に、各次元から皆がこの世界に呼び寄せられているこの現象を鑑みると、──恐らくは、覇王軍の支配しているこの次元こそが世界の中心に値する場所なのだと、──少なくとも、皆を招き寄せている“何者か”はそのように考えているのではないだろうか。

「この世界が、十二次元の中心だとして……やっぱり、主犯はユベルなのかしら」
「恐らくはな……覇王とやらが何者なのかは、まだ分からんが……」
「ともかく、情報が必要ね……ユベルが覇王軍を率いて十代を探し出そうとしているのかと、当初はそう思ったけれど……」
「ああ……だが、そう単純な話ではないのかもしれん」
「そうね……でも、ユベルの狙いが十代なら、十代は最後には必ずこの次元に呼び寄せられるとそう思うわ」
「確かに、それは一理ある。……下手に動いて、この次元から移動する方法を探すよりは、此処に留まって十代たちを探すべきだろう」
「ええ。……夜間にでも、私と青眼で空から覇王城を偵察してみるわ」
「そうだな……くれぐれも気を付けてくれ」
「任せて頂戴」

 ──まるで、何らかの引力で引き寄せられるように。
 人々が、或いは次元そのものが、この世界を中心に束ねられて、ひとつに融け合おうとしている。その中心に在る目論見が一体何であるのか、──未だ全容は知れないが、きっとその場所にこそ私たちの標的は、──ユベルは、現れることだろう。
 ──私たちの大切な後輩、遊城十代を狙って、──奴は、必ず姿を現すのだ。


「──そうだ、見回りの際に食材が手に入ったから、カイバーマンが後で夕飯を作ってくれると言っていたわ」
「……カイバーマンが……?」
「ええ、そうよ?」
……カイバーマンに、炊事が出来るのか……?」
「出来るわよ? だって彼、私が幼い頃から私の従者役ですもの。紅茶を淹れるのも上手いのよ」
「……不思議な話だな、精霊とやらの存在を、から聞いて俺も知っているつもりだったが……」
「ええ」
「実際に見るのとでは、まるで違うものだ……なかなか、実感が湧かん」
「そうね、……でも亮も、この世界でサイバー・エンドを召喚すると、いつもと違う感覚はあるでしょう? あなたって、元からサイバー・エンドの心が見えていたものね」
「……何故、お前がそれを?」
「? 見ていれば分かるわよ。……だってあなたのサイバー・エンドはずっと昔から、あなたのことを信頼して、通じ合っているのが分かるもの」
「……そう、か」
「そうよ? 誰が一番、あなたのサイバー・エンドと正面から対峙してきたと思ってるのよ?」
「……確かに、それもそうだな……」

 ──ああ、そうか。サイバー・エンドは、俺のデッキは、──今でも、こんな俺のことを。……信じて、いるんだな。


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