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「──じゃあ、そういうことで君たちは夫婦役で良いな?」
「まあ、確かにそれが順当でしょう……私は構わないわ」
「……ああ、俺もだ」

 芝居で与えられたその配役をエドから言い渡されたときに俺は、──そうだ、俺は確かに、彼女とその間柄に収まることを望んでいたのだと、……そう、思い出した。
 ──何も、今でもその願望を完全に失っていたわけではなかったが、……それは最早、不可能であるのだと、誰よりも俺が一番よく理解している。
 正道と言うものを踏み外し、己の信じた理想を追い求めるために常識という枷を放り投げたあの頃には、──俺の中で、世間の用意した決まり切った形にと二人で収まりたいなどという願望も、大分薄れたものとは思っていたが。
 ──それでも、言うならばそれは法で縛った契約なのだから、欲するなと言う方が無理な話である。
 ──彼女は永遠に俺の物である、というその約定は、──地獄を彷徨う今でさえ、尚も甘美な響きに聞こえた。

「ただいま……エド、起きてる?」
「エドならば寝ている。……おかえり、
「あら……亮が見張り番だったのね? どうしたの?」
「ああ。……が戻るのを待とうかと思ってな、俺の方から見張りを引き受けた」
「そうだったの? 全く、主人より先に寝るなんて、エドは困った使用人ね……」
「……、カイバーマンはどうした?」
「カイバーマンなら、念のために館の周囲を見張っておくって言ってたわ。覇王軍には見つかっていない筈だけれど、一応ね」
「そうか。……それで、首尾はどうだ?」
「目新しいものは見つからなかったわね……でも、覇王軍の動きは活発化しているみたいだったわ」
「ほう……?」

 古びた館を拠点とした異世界での生活の中で、斥候は基本的にエドとカイバーマンが担当していたものの、どうやら覇王城とやらがこの次元の支配者の根城であるらしいと判明してからは、が度々、青眼の白龍の背に乗って、空からの斥候を引き受けてくれていた。
 ──もっとも、白く輝く翼を持つ青眼の白龍は、日中では余りにもその姿が目立ちすぎる為、上空からの偵察は専ら夜間ということになっている。
 故に、雲隠れで月の見えない今夜、は覇王城の偵察へとカイバーマンを連れ立って出払っており、俺はエドに仮眠を摂ることを促した上で、館の見張りを兼ねて、の帰りを待っていたのだった。

「近頃では、館の周囲を覇王軍がうろついていることも増えてきたし……」
「……そろそろ、積極的に仕掛けてみても良いかもしれんな」
「ええ。……今までは、不要な戦いは避けてきたけれど……少なくとも覇王軍と言う組織とは、いずれ敵対することになりそうだものね」
「違いない。今後は見かけ次第、叩き潰して情報を吐かせるか……」
「そうね。……一般の住民や低級モンスターからは、これ以上は目ぼしい情報を引き出せそうにないし……」

 館へと戻ってきたはカイバーマンを見張りとして外に残し、応接間のソファに座って伸びをしている。
 ──初日、彼女から披露された決闘──もとい“制圧”の様子によれば、以前より乗り慣れているのであろう青眼の白龍とは言えども、夜間の飛行は見晴らしも悪く、ましてや偵察の名目で覇王軍に存在を気取られぬようにと気を張っている分、やはり斥候帰りのは幾らか疲れている様子に見えた。
 彼女の言うところによれば、──の心の部屋に封じられた破滅の光は、その後弱体化を続けおり、──現在では、数ヶ月悩まされた異様な睡魔も無くなり、──但し、今度は妙な夢を繰り返し見ることで、夢と現実の境界が曖昧になってきていると、……異世界に来るよりも少し前、はそう気がかりな言葉を漏らしていたが、……少し疲れた顔色から察するに、やはり、まだ睡眠障害は治らずに居るのだろうか。……それとも、それは異世界での日々による消耗なのだろうか。

「──亮」

 その場に立ち尽くしたままで、ソファに座って寛ぐを眺めていると、は徐に彼女の隣をぽんぽんと軽く叩くジェスチャーで、俺の着席を促す。
 ──少し前までの習慣のように、仮眠を摂る為に膝を貸せと言っているのかとそう思い、俺は大人しくの隣に腰を下ろすものの、「そうじゃなくて、こっち」と、の華奢な手で俺の側頭部を引き寄せるように身を押されて、──先日までとは逆転して、俺がの膝を借りる形で、その場で横になることを催促されるのだった。

「……見張り、助かったわ。あとはカイバーマンと私に任せて、あなたも少し寝なさい」
「……お前はどうするつもりだ、も疲れているだろう」
「私も、カイバーマンが戻ってきたら少し休むわよ」
「しかしだな……」
「大丈夫、……カイバーマンが見回りをしているんだもの、もしも、ふたりでうっかり一緒に寝てしまったとしても、何事も起きないわ。……私の従者、あなたの召使と違って優秀なのよ。羨ましいかしら?」
「……そうか、それは何よりだな」

 ──それならば、……俺も未練なく、の従者に彼女を託して逝ける、と。
 そう、思わず口から零れかけた言葉には、本意などは何ひとつとして含まれていないことも、冗談としては流石に質が悪すぎるということも分かり切っていたからこそ、──結局、俺はその言葉を口にすることはなく、静かに目を伏せる。
 残念ながら、俺にはもう、──と添い遂げて生きていくことが、叶わない。
 ……この束の間、ままごと遊びの役柄が本物になる日は、最早訪れないことだろう。
 何もエドには、他意があって俺達にその配役を言い渡してきたわけではなく、あいつは何も知らずに、俺とが恋仲であることを知っているからこそ、順当に行けば“そうなるもの”と考えて、その関係性を提示してきたと言う、只それだけの話だ。……だが、当事者である俺とだけが、今やそれは叶わぬ夢であることを知っていたと言う、これはそれだけのこと。
 ──そうして、現実に直面しても尚、俺は未だに。……その指の甘さを、この足の柔らかさを、あの牙の鋭さを知る者などは金輪際、俺だけであってほしいと、──俺が死んだ後でもには俺のことを引き摺っていて欲しいと、そう思い願ってしまっている。……全く、本当に。……きっと、この役柄はの幸福を願えない俺などには、まるで相応しくないのだろうな。

「エドが起きたら、彼にも話しましょう。明日からは、覇王軍の兵士を見つけ次第、積極的に館に招き入れるわ」
「……ああ。如何に雑魚であろうとも、幾度もこの周囲で覇王軍の兵士の行方が分から無くなれば、いずれは……」
「責任者が出てくるしかなくなる筈よ。……此処から極力動かずに、リスクを避けて情報を引き出すには……今後はそれが最適だと思うわ」
「そうだな。……
「……なあに、亮?」
「以前に話していた……妙な夢は、未だ見るのか?」
「……ええ。……変なことを言うのだけれど、良い?」
「……ああ」
「昨夜の夢で……“彼”に言われたの。覇王軍の兵士を倒して、情報を吐かせるのが良いって」
「……何だと?」
「……やっぱり、只の夢じゃない気がするわ。……まるで、こちらに干渉しているかのような……」
「……相変わらず、その男の顔は分からないのか?」
「ええ……だから、覇王軍による罠ではないとは言い切れないわ。……尤も、異世界にくる以前から同じ夢を見ているし、“彼”と覇王軍は無関係だとは思うけれど」
「……そうか……」

 破滅の光を受け入れて以来と言うもの、は、夢の中で見知らぬ男との逢瀬を重ねているのだと言う。
 デュエルアカデミア特待生の白い制服に、若草色の髪をした、俺と吹雪と似た背格好の男子生徒。──残念ながら、俺ももその特徴に該当する人物にはまるで心当たりがなく、一度吹雪に覚えがないか聞いてみることも考えていたが、その吹雪は現在、この異世界の何処かに居るはずではあるものの、──依然として、行方が知れないままになっている。
 
 夢の中であろうとも、が俺の知らない男と会っていると言う事実に、俺は妙に腹が立って、……それと同時に、その男の話を聞かされる度、言い知れない焦燥が過ぎるのだった。
 が俺の前で毎日眠り続けていたあの日々、──俺は、もしもがこのまま目を覚まさなかったならと、何度もそのような結末を思い浮かべては首を横に振り、──そして今、やはり、あの時に俺が危惧していた可能性は、……ゼロではなかったのではないかと、そう思い始めている。
 ──夢の中に出てくるその男は、──を其方側へと連れ去ろうとしているのではないか? などと、……幾らなんでも、彼女のこととなると些か思い込みが、……独占欲が強すぎるだろうか、俺は。
 夢の中でに逢っている、架空の存在でしかないその対象に向かって、こんな妄想に憑り付かれるほどに、俺はに執念を燃やしていたのだと、──そんな自覚とて、とうに出来ていたと言うのに、結局はこのような結末を遠い異世界で迎えようとしているのだから、──俺はきっと、が俺のことをまっすぐに射抜いてくれていなければ、もっと早くに何処かでくたばっていたのだろうと、そう思った。

「……、俺が死んだら、お前はその男に乗り換えるか?」
「馬鹿言わないで、……悔しいけれど、きっとこの先もあなた以外の人間を好きになんてなれないわ、私。……どうしてくれるのよ、亮?」
「……そうか、それは良かった」
「良くないわよ……ねえ、亮」
「……ああ」
「好きよ、……どんな世界でも、私はあなたのことが、一番好き……」
「……俺もだ、。……俺は、此処まで落ちぶれてもやはり、お前が好きだ……どうしても、手放したくない……」
「落ちぶれてなんていないでしょう、……決闘者として、あなたは今でも輝いているわよ、……ライバルの私が保障するわ」
「……そうか」

 ──残り僅かなこの時間を、宿敵として悔いのないように過ごそうと、互いにそう誓ったところで、──結局、それだけで満足出来ていたのならば、俺とお前は、端から只のライバルという関係で終わることが出来ていた筈だ。
 だが、そんなもので俺達は満たされなかった。互いにとってのすべてを、互いで埋めようとして、──そうして、やがて、伽藍堂で取り残されるは、何を思うのだろう。
 それでも、願わくば末永く、彼女の魂を俺だけが縛り続けていたかった。──死などというまやかしに、俺とお前を別てる筈もないと、──死に往くその瞬間まで、俺はそれだけを信じていたい。


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