138

「──、お前はこのまま丸藤のことを、忘れるべきなのかもしれない……」
「え……? 何を言ってるの、■■……?」
「何も意地悪で言うわけじゃ無いんだ、嫉妬……は、正直あるかもしれない、でも……、丸藤が死んだらお前は心の闇を抑えきれなくなるんじゃないか……?」
「……心の、闇……」
「……だって、吹雪も、その妹も……万丈目だって死んだんだろ? ……今のお前には、とてもじゃないけど、心の闇を制御することなんて……」
「……それは……」
「今までずっと、お前の心の部屋には闇なんてほとんど見当たらなかった。……だけど……」
「……そう、今は違うのね」
「うん……それに、今のの心の部屋には、まだ破滅の光の残滓が残ってる……このタイミングでお前が心の闇に支配されたりしたら……破滅の光が、力を取り戻すかもしれない」

 ──白い部屋の中、不安げな様子で、焦燥の滲む声色でそう語る“彼”に反論したくとも、──本当は、私にも分かっていた。影のひとつも見当たらなかったこの部屋に、──確かな闇が、停滞し始めていることくらい、私にも分かってはいたのだ。

「……だから、亮を忘れるべきだと、あなたはそう考えているの? ■■」
「だって……もしも、そんなことになれば、は破滅の光に身体を乗っ取られるんだ。それなら、いっそのこと……丸藤を忘れてしまった方が……」
「駄目よ。……忘れるなんて出来ない、私はこの先、記憶の中の亮と生きていくんだから……絶対に、駄目」
「……もしも、破滅の光に乗っ取られでもしたら、がこの先を生きることだって、出来なくなるかもしれないんだ。……それでも、忘れられないのか?」
「それでも駄目。……心配しなくとも、私は破滅の光になんて屈しないし……亮を喪っても、心の闇に支配されたりしないわ。──だって、亮に引導を渡すのは私だもの。……私がそれで落ち込んでいたら、亮が安心して死ねないでしょう……?」
「…………」

「──、大丈夫か?」
「うん……? 何が?」
「君、顔色が良くないぞ。……此方に来てから、あまり眠れていないんじゃないのか?」
「……いえ、平気よ。でも、昨夜は遅くまで見回りに出ていたから……少しだけ疲れてるのかも……」
「全く……気を付けてくれよ」

 古びた館の広間にて、カイバーマンの用意した軽い食事で朝食を摂っている最中に、パンをちぎって口元へと運んでいたエドが、なかなか料理に手を付けないの様子を不思議に思ったのか、彼女に向かってそのような言葉を投げ掛けて、──そこでようやく、エドにはまだ昨夜におジャマイエローから聞いた情報を共有していなかったことを、俺は思い出したのだった。

「──、万丈目たちのことなら、お前に責任はない。気に掛かるのは分かるが……」
「……うん……ちゃんと分かってるわ……」
「万丈目たちのこと? って何の話だ」
「……万丈目と吹雪、明日香、剣山が死んだらしい。おジャマイエローがそう語り、翔も否定しなかったことから信憑性は高いだろう」
「は……!? おい、なんだそれは!? 僕は初耳だぞ! 亮!」
「……俺達も、昨夜知ったんだ」

 昨夜は館に帰り着いたのが大分遅い時間だったし、行方知れずだった翔の無事を確認できたことや、翔が失くしていたらしいデュエルディスクをあいつに返してやれたことで幾らか安堵して居たのもあったし、──何よりも、が失意に沈んでいることくらいは本人に語られずとも理解できていたからこそ、彼女に追い打ちを掛けるような真似は出来ずに、俺の方からこの件について言及することも無かった。
 ……しかし、互いに触れられないまま一晩が明けたところで、決して事実が無くなるわけじゃない。
 ──吹雪たちが、死んだ。
 俺にとっても、吹雪と明日香の死は衝撃であり、思うところは幾らでもあったが、……恐らく、のそれは俺が受けている震蕩の比ではない筈だ。
 ……何故ならば、俺はもうじき吹雪たちと同じように、自分も死ぬということを知っているが、──しかし、はそうでもないからな。
 彼女はこれから幾らでも現実を生きて行かねばならないと言うのに、──その上で、俺の意思を尊重すると覚悟を決めて腹を括ろうとしていた彼女は、……俺を見送るよりも先に、余りにも呆気なく友人や妹分、弟分と言った存在までをも失って、──が現実に戻ったとしても、最早よすがなどはその手にほとんど残らないのだと、……吹雪たちの死は、にとって、それだけの意味を持ち合わせている。
 
 昨夜、おジャマイエローから語られた話を掻い摘んで説明する俺の話を聞くエドは、心底信じられないと言った表情で、……何処か悔しげに、顔を歪め俯いていた。
 カイバーマンの方も、俯くを驚いた様子で見つめていたので、──恐らくはカイバーマンもまだ、から事情を聞かされては居なかったのだろう。

「──早急に、十代を見つけ出す必要があるな……このままでは、十代まで犠牲になるかもしれない」
「……そうだな、捜索の手を強める必要がある」
「最早、ユベルなどに構っている余裕はない。君もそう思うだろう、亮」
「……ああ」
「……、君は少し休んだ方が良い。朝食を終えたら、僕とカイバーマンで斥候に向かおう」
「……いえ、私も一緒に……」
「主よ、オレもその意見に賛成だ。……貴様にを任せるのは気に入らんが、くれぐれも主を頼むぞ」
「……ああ、分かっている」

 ユベルなど最早どうでも良いと、……此方に来る以前は、個人的な欲求により欲していたそのカードへの未練を呆気なく断ち切れるエドは、……本当に、悪を語ったとて根が善良な奴なのだろうな。……全く、そんなところはにそっくりだ。
 ──結局、エドとカイバーマンが食事を終えて巡回に出向いても、はなかなか食が進まない様子で、椅子に座ってフォークを手にしたままで考え込んでおり、──少しひとりにしてやるべきか、それとも、今はひとりにならない方が良いのだろうか等と考えながらも俺は結局、自分がの傍に居たいからという独善だけで、食卓から立ち上がれない彼女の隣に、黙って座っていた。

「……昨夜も、“彼”が夢に出てきたわ」
「……ほう、その様子では、それも寝不足の原因か」
「ええ……」
「……その男は、今度は何を言っていた? また進言でもされたのか?」
「……それは……」
「……俺には言えないか?」
「……私が何を言っても、絶対に気に病まないでいられる?」
「……ああ。俺は身勝手な人間だからな、逐一何も思わん」
「そう。……あのね」
「ああ」
「……あなたのことを、忘れた方が良い、って……そう、言われたわ……」

 ──は語る。昨夜の夢でその男は、俺のことなどは忘れた方がの身の為だと、……そう、言ったのだと言う。
 特定の誰かへの記憶を無くすだとか、忘れたい記憶を故意で手放してしまうだとか、──そのようなこと、生きている限りは自由意志で出来るようなものでもない。
 故には、男が語ったその言葉にどんな真意が在るのかは分からないとそう話していたが、……どうやら、彼女が気落ちしているのは、吹雪たちのことだけが原因ではないらしい。……この分では、男に言われたその言葉が引っかかっているのだろう。

「……それで、お前は何と言ったんだ?」
「絶対に嫌だ、って。……そう言ったわ、当然でしょ?」
「……そうか」
「ええ。……忘れてなんてやらないわ、亮のこと、私を置いて行ったんだって一生悪口言ってやるんだから……吹雪も、明日香も、準も、……聞いてくれるひとが誰も居なくなっても、私は……」
「……ああ」
「……私は、あなたのことを覚えているわ、亮。……覚えて、いたいの。忘れたくない……」
「……
「……なあに、亮」
「その、……大丈夫か……?」
「あのねえ……それを、あなたが言うわけ? ……馬鹿ね、大丈夫なはずないでしょ?」

 ──きっと、は。
 今、どうしようもなく、泣き出してしまいたいのだろう。出来るものなら泣いて縋ってでも俺を引き留めたいと、きっとそう思っているのだろうに、──それでも、にそんなことは出来ないと分かっていて、俺は彼女に向かって、俺の宿敵らしく剣を抜けと言い渡している。
 は、俺との決闘からだけは、──決して逃げられない。
 その弱味に付け込んで俺が彼女を追い詰めたからこそ、──はその目的を果たすまでは俺と同様に、どのような艱難辛苦に晒されようとも立ち止まることなどは出来なくなってしまった、……悔やみ悲しんでいる余裕さえも、俺がから奪ってしまったのだ。
 ──かつて、吹雪が居なくなったときに俺達は共に支え合って、互いをよすがにして暗闇を歩いたと言うのに、──最早俺には、そんなものになってやることさえも出来ない。──俺はこれからをたった一人で、永遠の白夜へと突き落とすのだ。
 ……これらはすべて、俺が招いた結果だ。俺が勝利に執着して、正しさなどは何もかも放り投げてきたツケを、──よりにもよって俺は、に払わせようとしている。

「何ひとつ大丈夫じゃないわよ、……でも、あなたがそれを顧みる必要もない」
「……
「言ったでしょ? 気に病む必要なんてないの。……問題ないわよ、私は別に、あなたに幸せにして貰おうと思ったことなんて、一度もないから」
「……そう、なのか?」
「ええ。……私はずっと、あなたを幸せにしてあげようと思っていただけよ、亮」
 
 静かに目を伏せて、そう言って笑うとは、「……だったら、今は悩んで立ち止まってはいられないわね」とそう言って取り繕うように笑い、強引に朝食を口へと運んでいく。
 その横顔がどれほど苦しげで、瞳が揺れていることに気付いていたとしても、──俺には、を心配するような権利は無い。
 ──彼女の言う通り、これからを不幸にする俺が、の身を案じたところで、──俺には、彼女に何をしてやれる訳でもなく、立ち止まる良心さえも最早俺には残っていないのだ。
 それでも、──この期に及んで俺は、遺していく彼女の身を確かに案じているのだ、馬鹿らしいことに。
 誰彼構わずその身を施して、何時か人の身を脱してしまうのではないかと思ったからこそ、を必死で呼び止めた、その口で、──俺にだけはその身のすべてを差し出して欲しいと、俺の為に人生を棒に振ってくれと、……人間のままでこの先も死ぬまでずっと、俺のことだけを引き摺って、俺という亡霊に苛まれ続けてくれと、そうも惨たらしい言葉を吐くこの口で、──されど、俺は此処まで来ても尚、のことが心配なのだと、……そう言って、……一体、どれだけお前の魂を縛れば、この途方もない独占欲は満ちると言うのだろうか。


close
inserted by FC2 system