146

 ──アモンとの決闘に敗北したエドが居なくなった後で、吹き荒ぶ雪原の道を歩き続ける十代に同行し、宛てもない道を私たちは往く。
 最早、生き残った仲間も片手で数えられるほどになってしまって、──今の十代には目の前の現実などは見えておらず、きっとヨハンを助け出すことだけが、微かな希望として映っているのだろう。
 しかし、肝心のヨハンの所在は一切知れずに、辛うじてヨハンが生きていることが分かっているのみというこの状況で、歩き続けた先にヨハンが要るとは限らないのに、無策で遮蔽物のひとつもない雪道を突き進もうなどと、遭難したいとでも言っているようなものだ。
 それでも、──十代はきっと止まれずに、私たちでは、彼の望む希望を与えてやることも出来ない。
 
 そうして、宛てもないままに歩き続け、吹雪が止む頃に、──辺り一面の銀世界の中、突如として禍々しく大きな門が現れたのだった。
 雪原にはあまりにも不自然に佇む、その門を私たちが怪訝に思っていると、──不意に引き寄せられるようにして、十代は扉へと近付いていく。
 ……それは、まるで現実から逃避しようとしているかのような、危うい歩みだった。
 
「──いかん!」
「亮!」

 亮はそう叫ぶと、十代に向かって駆け寄りながらも、衝撃増幅装置を飛び道具として放り投げて、十代の行く手を阻む。
 そうして、突然の亮の行動に十代は驚いて此方を振り返り、──不安に打ち震える瞳で、亮に向かって必死に叫んでいた。

「カイザー!」
「十代……その扉を何のために潜る?」
「……俺には分かるんだ、この扉の向こうで、ヨハンが待っているんだ」
「もしそうだとしても、今のお前に出来るのか? ヨハンを助け出すことが……」
「助け出す……?」
「きっとヨハンは、何者かに囚われている。今のお前に、その強大な力からヨハンを奪い返す覇気はあるのか」
「あ……」
「俺には、お前の身体から湧き上がる戦う心が見えない。まるで扉の向こうに、逃げ込もうとしているように見える」
「……っ! もう、精一杯なんだ、前に進むのがやっとなんだ……!」

 ──やはり十代は、扉の向こうに希望を見出している訳ではなく、直感を信じることて、その先へと逃げてしまいたいのだと、……只のそれだけなのだろう。
 ……それは、無理もないことで、寧ろ此処まで歩き続けただけでも、十代は頑張った方だと思う。
 ──けれど、今扉の向こうに逃げ込んでしまったのなら、此処までに積み重ねられてきた何もかもが、すべて無駄になる。
 死んでいった仲間たちも、身を挺して十代の道を作ったエドも、──彼らが成してきたバトンが此処で途絶えてしまうことを、──決して看過は出来ないという亮の意志には、私も同意ではあった。
 そうして、その後も亮は、逃げ出そうとする十代の行く手を阻み、──仕舞いに亮は、強硬策に訴えたのだった。
 
「──其処は通さん」
「……何故だ、カイザー!」
「そんなお前に、その扉を潜る資格はない! そこを通ると言うのなら、俺を倒していけ!」
「──待って、亮! それなら、私が十代の相手をするから……!」
「来るな、! ……其処で見ていろ。……十代、お前の中に俺を倒すほどの闘気が残っているか?」
「そんな……!」
「ヨハンを助けたいのなら、デュエルディスクを構えろ! ──決闘だ!」
 
 ──それはきっと、決して、十代の命を奪おうと考えてのデュエルではない筈だ。
 不器用なこの男は、己に出来る最大限──即ち決闘を持ってして、十代を奮い立てようとしているに過ぎないのだろうけれど、──だけど、それでも。
 ──亮、……あなた、本当はもうとっくに限界なんでしょう?
 ──館で過ごしていた日々の中、そして、あの場所を放棄して戦いに旅立った数日間の中で、──何度も何度も、皆に隠れて亮が心臓を抑えて呼吸を乱すのを、傍で見ていた。背中を擦り手を握ってやることくらいしか最早出来ない無力感を、私だって何度も噛み締めてきた。
 ……だから、私にはよく分かる。……今の亮にとっては、最早、勝敗の決さない軽い決闘でさえも致命傷になりかねない。──不要な戦いで消耗出来るような余裕は、亮には残されていないのだ。
 だからこそ、亮の意図を汲んだ上で、私が十代に渇を入れるとそう名乗り出たつもりだったけれど、亮は私の申し出を跳ね退けて、──結局、亮と十代の決闘が始まってしまった。
 亮の決闘を止める訳でもなく、交代を申し出た私を見て、クロノス先生と翔くんは困惑の表情を見せていたし、私へと疑惑の目が向いている事にも気付いてはいたけれど、──それでも、今の私もまた、それらを気に留めているような余裕が残っていなかった。
 
 ──十代の闘気を叩き起こすために吹っ掛けられた、亮とのデュエルで十代は、──覇王であった頃や、それ以前の学園で楽しくデュエルに励んでいたあの頃の彼の面影などはまるで見当たらない、不甲斐ない戦術を連発して、プレイングミスばかりを重ねる十代に、亮はまるで苛立ちを隠せない。
 パワー・ボンドで融合召喚したサイバー・エンドにアーマード・サイバーンを合体させることで、亮は十代のフィールドに並べられたカードを一枚ずつ丁寧に破壊していく。
 それらのリバースカードを発動していれば、或いは十代にも勝機があった筈だと言う亮の指摘に十代はたじろぎ、亮の苛立ちもまた募って、──やがて戦意を失くして崩れ落ちた十代に、亮は叫び、激昂するのだった。

「──なんだその腑抜けたデュエルはぁ! 戦う意思を持たぬお前に、他者を救う力など無い!」

 ──十代の場は丸裸で、あとはもう、亮のダイレクトアタックが通ればこの決闘は、亮の勝利に終わる。
 ──そうなれば、十代は死ぬ。
 故にどうにかしてこの決闘を止めなければと皆は慌てながら、「シニョーラ! シニョール亮を止めて欲しいノーネ!」「のアネゴ! お願いだよ!」──とそう言って、私の肩を揺さぶるけれど、──私って、本当に酷い先輩だ。
 私はこの状況でも、──結局は、亮の意志を汲んでやりたいだなんてことばかりを考えて、決闘を止めることを躊躇っているのだから。

「俺は、たくさんの罪を犯してきた……」
「……?」
「融合のカードで、たくさんの人を傷付けていった……それなのに、成す術もなく、心の奥から見ているしかなかった……俺は、消えるべきなんだ……!」
「……十代、まさかお前……融合のカードを使えないのか……!?」

 十代がその手から取り零したのは、──かつての彼が何よりも信じ愛していた、融合のカード。
 融合召喚が主体である彼のE・HEROデッキは、キーカードである融合がなければ、本来の力を発揮することは出来ない。
 ──その上、今の十代には超融合というキラーカードがあると言うのに。
 この異世界を一度は統一しかけたほどの力を持つ、超融合のカード。……それさえあれば、ヨハンを捕らえる何者かへの切り札にもなり得るし、十代はヨハンを救い出せたかもしれないけれど、──当の十代がこの様で、更には融合さえも使えないとなれば、──此処で生き永らえたとて、きっと十代に、未知の敵に対する勝ち目はない。

「──このぉ……! 消えろ、十代ィ! ……っ、ぐああ……!」
「──亮!」
「来るな、! ──十代、今のお前では、ヨハンを救い出すのは無理だ! お前を倒して、俺が……! 最強の敵と、相見えよう……! ……っぐ、う……」
「うるさい! ──それなら余計に、こんなところで死んでる場合じゃないでしょ、馬鹿!」

 ──しかし、亮が十代へとカードの剣を振り抜こうとしたその瞬間に、突如心臓の発作に襲われた亮は苦悶の声を上げ、その場に崩れ落ちてしまった。
 決闘が中断されたことによりソリッドビジョンが解ける中、──私は遂になりふりなどは構っていられず、その場を駆け出して、倒れる亮の身をどうにか抱き留め、助けを拒む手などは問答無用で叩き落し、慌てて亮をその場に寝かせてから楽な姿勢を取らせて、血が通わずに冷え切った手をぎゅっと握り締めるのだった。

「──亮! しっかり! 落ち着いて、深呼吸して、……そう、大丈夫……お願いだから……」
「っ、はあ……ぐ、う……」

 一次的な心肺停止に陥っている亮の身体に極力、負担が掛からないようにと、ベルトを緩めてやってから、十分な気道が確保できているか呼吸を確認して、動きの止まっている心臓を叩き、血液の循環を促して、──そうして、すっかり慣れてしまった処置により亮の発作が落ち着いた頃、──私たちは、亮を心配して駆け寄ってきた翔くんとクロノス先生にも、……流石に、この状況の仔細を説明しなければならなかった。
 
 ──地下デュエル場での過酷な日々が、ずっと亮の肉体を蝕んでいて、心臓を患った亮は、最早先が長くはないこと。
 ……私は、こんなにも迅速な措置が出来るようになるほどの長い間、それを知っていて、周囲には黙っていたこと。
 私たちは共犯で、皆にこの真実を隠した上で、──亮の身を案じるひとたちなんて幾らでも居ることを知っていて、遺された亮の家族は、──翔くんは、きっと悲しむだろうということだって分かっていたのに、──それでも、私は亮の好きなようにさせていたのだという、その事実を。
 ──私は本当に酷い奴なんだって言うことも全部、……翔くんにも、クロノス先生にも、全てを知られてしまった。
 
 ──そうして、翔くんは亮の抱えていた事情を静かに聴いてから、亮の容態を心配している様子ではあったし、私に亮を任せることにも不安はあったのだろうに、──それでも、亮に促されると、逃げるように立ち去った十代の後を追って、その場を後にするのだった。

「……シニョール亮、十代を目覚めさせるために、そんな身体で……」
「……フ、俺は、そんな善人じゃない……」
「……何処がよ、馬鹿……」

 ──本当に、馬鹿な奴。どんなに悪人ぶったって、結局は根がずっと真面目なままで、何事においても真剣で、自分にも他人にも何時だって厳しくて、──出会った頃からまるで変わらないその精神性は、こんな場所まで来たところで、決して揺るがない。
 そんな亮だからこそ、──私はずっと、彼のことが好きだった。……心の底から、大好きだった。
 ……だからこそ、ちゃんと決めたのにな。……どんなことがあっても決して揺るがずに、亮を送り出してやるのだと、私が亮を殺すのだと、……そう、決めていたのに、な……。
 ──この期に及んで、今更になって、泣いたって、もう何にもならないでしょ、。……それに、宿敵として傍に居ることを望んでくれた亮の信頼を、裏切ることになるって言うのに、──それなのに、どうしても耐え切れなくなった私は両手で顔を覆って、せめて二人からは見えないようにと必死で涙を隠したけれど、……きっと、亮にもクロノス先生にも、私が泣いているのはバレてしまっていたのだろうな。
 
 ──ああ、そうだ。
 私は亮を失うことが、……泣くほどに辛い。
 ……こんな結末は、どうしたって、耐え難かった。

 
「──亮、具合はどう……?」
「……悪いな、いよいよもって、そう長くはなさそうだ……」
「……そう……」

 ──クロノス先生は、私と亮が恋人同士であることを知っているから、気を遣ってくれたのかもしれない。
 亮の容態が少し落ち着いた頃に、カイバーマンと共にクロノス先生がその場を少し外している間、……もしかしたら、これが最期になるのかもしれないとそう思いながら、──私と亮は、ふたりきりで話をしていた。
 病人を雪原の上に直接寝かせるのは気が咎めたから、私の荷物の中から外套を出してその場に布いた上で、亮に膝を貸してやりながら、──何処か、現実味が薄いほどに辺り一面が真っ白なその場所で静かに語らっていると、まるですべては白昼夢かのように思えてしまうけれど、──されど、背後に禍々しい扉が聳え立っているせいで、これは悪い夢だという逃避行動に走ることさえも許されない。
 ──多分、私の人生の中で。最も長い時間を共有してきた相手は、亮だと思う。
 彼と出会ってからは、まだ五年ほどだけれど、それでも、その五年間の間、私たちはずっと一緒だったから、……今となっては亮は、とっくに私の半身になってしまったと言うのに、──それなのに私は、これから身を引き裂かれて彼と別離し、魂の半分を失ったままで、気の遠くなるような時間を生きていかなければならないとは、……なかなか、信じたくは、ないな。

「……亮、いっそのこと今此処で……私たちで決闘、しましょうか?」
「……何?」
「私は、それでも良いわ。……皆に恨まれたとしても……私が、あなたの最期の相手で居られるなら……」
「……そうだな。……それも、良いかもしれん」

 ──今、此処で。クロノス先生も翔くんも、カイバーマンもおジャマイエローも、十代も、皆が席を外しているこの瞬間、──私のことを信用して、彼らが私に亮を任せたこの一瞬で、──私が彼らの信頼の全てを裏切ったなら、──或いは、このまま私は、亮を永遠に私だけのものにしてしまえるのかもしれない。
 だったら、もう、──それでも、良いのかもしれないな。
 ユベルと戦う目的も、ヨハンを取り戻すことも、彼らを無事にデュエルアカデミアへと帰投させてやることも、きっと、全部叶わなくなってしまうだろうけれど、──もう、それでも良いかなあって、……そう思ってしまったのよ、私。
 私の膝の上に頭を預けて、じっとこちらを見上げてくる亮は、──きっと、私が本気なら、私の提案を呑んでくれるつもりだったのだろう。──私が、自分の中に残った最後の良心を噛み砕いて、その喉元に食らい付いてしまえば、それだけで全て終わる。──全部が、人知れずに終わってしまう。
 ──だと言うのに、私は、確かに亮を殺してやろうとそう思って、顔を寄せ覆い被さったはずなのに、私の頬へと延びる武骨な手の感触に涙が出そうで、気付けば亮の唇を塞いで彼に口付けていたのだから、笑わせる。
 亮はそれに少しだけ驚いた様子で目を見開いて、──けれど、黙って私のすることを受け入れながらも、私の後頭部へと静かに腕を回すのだった。
 
 ──ああ、何をしているのかしらね、私たちって。
 ……最期の時を宿敵として終えようって、……そう言ったのは、自分達のくせに、……結局は、この愛を壊してしまうことなんて出来やしないんだから、……ほんとうに、馬鹿ね。


close
inserted by FC2 system