159

 ──最後に覚えている景色は、ユベルによって崖から蹴落とされたときに見上げた、狂気に満ちたあの笑顔。
 異世界での決闘による物理的なダメージに加えて、ユベルに思いっきり蹴り飛ばされたことで意識を保っているのもやっとだった私は、──恐らく、崖から落ちる途中で意識を手放して、──目を閉じたあの時には、そのまま死ぬものとばかり思っていたけれど、──どうやら、またしても私はあなたに守られてしまったらしい。
 青眼の白龍、──きっと、あなたが私を背に乗せて、助けて、此処まで守ってくれたのだろう。

「──! ……良かった、意識が戻ったんだね……!」

 ──次に目を開けたとき、私は白い天井を見上げており、──その視界の端には白い制服に身を包んだ彼が、今にも泣き出しそうな顔で此方を覗き込んでいる吹雪の姿が、飛び込んできた。

「……ふ、ぶき……?」
「……まだ動かない方が良い、本当に酷い怪我だったんだ……あちこち痛むだろう?」
「……う、ん……少し……」
「痛み止めが出ているから、酷いようなら後で飲もう。……、状況は分かるかい? 記憶は混乱していないか……?」
「……此処は、デュエルアカデミア……の、保健室……?」
「そうだよ、……良かった、意識はしっかりしているみたいだ……」
「……そう……私、死ななかったのね……生きて、帰ってこられたんだ……私、ユベルを倒そうとしていたのよ、でも……私が事態を解決したわけでは、なさそうね?」
「ああ……でも、の助力が十代くんに活路を切り拓いたと聞いているよ。そのおかげで、十代くんが僕たちを救ってくれたのは確かだ」
「……そうなのね……良かった……」

 まだ状況をしっかりと飲み込めた訳ではなかったけれど、どうやら私は異世界で死ぬことなく、十代のお陰で元の世界へと帰ってこられて、現在はデュエルアカデミアにて保護され、保健室で治療を受けていたと言うところらしい。
 ぼんやりとまだ曇った頭で辛うじてそれだけを理解して、咄嗟に私は保健室を見渡してみるけれど、──保健室に据え置かれたベッドは私が使っている場所以外は全部空いていて、保健室を訪れている生徒も吹雪一人だけだった。

「……亮は? 吹雪、亮はどこ……?」

 私が生きて帰ってこられたのならもしかして、という一縷の望みに、咄嗟に賭けてしまうほどに、──私はその現実を未だに受け入れられていなくて、──けれど、私がそう問いかけたのと同時に吹雪からはスッと表情が失せて、……彼は必死で言葉を選んで、嗚咽にも似た声を漏らしていたから、──それで、語られずとも、もう分かってしまった。

「そっか。……生還できたのは、私たちだけなのね……」
「……ああ。他の皆は十代くんも含めて帰ってこられた。……だけど、亮は……」
「……そう、なの……」
「……、その……」
「……どうしよう、吹雪……」
「…………?」
「……私、……これから、どうやって生きていけばいいのかな……」

 亮が死んだ。この結末を私は予め分かっていた、──分かっていた、けれど。もうじき死ぬのともう死んだのとでは全然話が違うのだと、……私には、どうやら一番重要なその部分が理解できていなかったらしい。
 ……それは、迫り来る現実が見えていないのだから、幾らでも強気なことを言えた筈だと、亮が生きていた頃の自分に対して、悪態を吐いてやりたくもなる。
 亮に悔いが残らないならそれでいいだとか、私は亮の気持ちを優先するだとか、そんなものは、まだ喪っていないからこそ、軽々しく口から出せただけの詭弁に過ぎなかったのだと。
 ──だって、私は、本当は。

……」
「……死んで欲しくなんてなかった……デュエルが出来なくなっても、それでも生きていて欲しかった……でも……そんなこと、亮に言えっこないじゃない……」
「……うん、分かってるよ、……君は偉いな、本当に……亮はきっと、君のそういうところを知っていたから……」
「そうよ、……あいつ、私の気持ちを利用したんだわ、私なら引き留めないって分かっていたから……本当に、酷い奴……無神経だし言葉も強いし、思いやりも無いし、冗談だって趣味悪いし、それに……」
「……うん」
「……でも、そういうところも……全部ね、大好きだった、な……」
「……そうだよね、分かっているとも」
「それに、私は亮に信頼されていたからこそ、あいつは私に甘えていたんだって、ちゃんと分かってるの……分かってるから……分からないよ、吹雪……」
「……うん」
「……こんなに好きなのに、……今更、どうやってひとりで生きて行けばいいの……?」

 亮が死んだこと、そして、私は決して彼に死んで欲しくないと心の底では思っていたけれど、結局は亮の決定を後押ししてしまったこと。
 それらが現実として押し寄せてきたことで、堰を切ったように泣き出した私の傍に、吹雪はずっと付いていてくれた。
 ……これで良かったのだと、すべてが終わった時にそう思って前を向けるように、必死で努めてきたつもりだったけれど、──現実とは、決して甘くはないものだ。
 だって、……私は、結局亮が死ぬその瞬間を見届けることが出来なかった、から。
 だから、異世界から帰らなかったあいつはきっと、あのまま死んだのだろうとそう思ったところで、……まるで、実感が追い付かないのだ。
 
 果たして、亮は本当に死んだのだろうか。
 ──もしかしたら、まだ異世界に残っているんじゃないの?
 今からでも探しに戻れば、……まだ、亮を助け出せる可能性は、残っているんじゃないだろうか。

「──再び異世界への特異点を開く方法、だと?」
「ええ。……カイバーマン、あなたなら何か知っているんじゃない?」
「……知らんな。ユベルが十二次元宇宙を統合しようとした影響で、異次元との繋がりは以前よりも不安定になっている。オレの知る方法では次元を渡ることは不可能だ」
「……そう……」

 カイバーマンに聞いてみたところで、彼が口を割らないことは最初から分かっていた。私のデッキの精霊である彼は、私がこの世界に帰還したことで共に此方に戻ってこられたものの、──しかし彼は、私を庇ってユベルと戦った上で、異世界にて一度消滅している。
 ……そして、あの頃の私がカイバーマンにさえも、亮と二人で考えていた計画を隠していたこともまた、今の彼は知っているのだ。
 それは当然、軽々しく私に異世界へと渡る方法など教えてくれないだろうということは、私にも分かりきっていた。……只、それでも最短ルートがあるとすればカイバーマンの手を借りることだと思っていたから、一応は確認してみただけという、これはそれだけの話で。

「──それよりも主よ、貴様は天上院吹雪に聞きたいことがあったのでは無かったのか?」
「え? ……吹雪に? 私、そんなこと言っていたかしら……?」
、……貴様は近頃、何か夢を見るか?」
「夢……? 特に見ないわね……それがどうかしたの?」
「……いや、何もないならばそれで構わん。……ともかく、異世界に渡ろうなどと考えるな。──友を探しに異世界へと向かった遊城十代が何事を招いたか、まさか忘れたわけではあるまい」
「……ええ、分かってる、……分かってるわ、カイバーマン……」

 カイバーマンが溢していたその質問の意味はよく分からなかったけれど、……吹雪に話したいこと、ましてや私の見た夢の話……? ……なんて、一体何の話だったのか、まるで心当たりがない。
 ……異世界より帰ってから此方、大怪我をした状態で発見された私は、保健室で半ば入院に近い療養生活を余儀なくされており、日がな一日ベッドの上で過ごしてばかりいたけれど、……近頃は本当に寝付きが悪くて、体力回復の為にも寝るべきだとは分かっていても、睡眠薬を出してもらわなければまともに眠れなくて、……夢なんて見ている余裕は、何処にもなかった。
 きっと私は、亮の隣で眠っていた期間が長過ぎたのだろう。あいつが少し図々しくなってきてからは、抱き枕代わりにされているうちに朝には足まで使って羽交締めにされていたりと、全然寝心地が良かったわけではなかったけれど、……でも、思えばそれでも、亮のとなりにいるときが一番安心して眠っていられた気がする。
 私が破滅の光に侵されていた頃も、屋敷に帰ってふかふかのベッドで眠るよりずっと、亮の硬い膝を借りる方が落ち着いて目を閉じていられたんだから、──私は本当に、あいつのことが大好きだったんだなあと、今になって幾らでも思い知っている。……まあ、以前までだって自覚くらいは十分あったけれど。

 私が異世界より戻ったことを知って、デュエルアカデミアの後輩たちは、皆挙って私のお見舞いに来てくれた。
 何でも、あまり大勢で押しかけても私の負担になるからと、交代制を取っているらしかったけれど、準や明日香だけではなくレイちゃんや剣山くん、ジュンコやモモエ、──それに翔くんも度々私の様子を見に来てくれて、……そして、異世界での亮の最期を私に教えてくれたのは、翔くんだった。
 翔くんだって辛い時だと言うのに、わざわざ彼は私に事情を話してくれたのだ。
 ──亮は、私が門の中に引き摺り込まれたとき、必死で後を追おうとしたけれどもう彼には時間も体力も残っていなくて、心底悔しげな亮を見た十代が、亮の代わりに私を助け出すとそう言って、翔くんとクロノス先生と共にユベルの元に向かったけれど──十代と対面したユベルは、私がユベルとデュエルを行ったこと、私の心の闇を食べようとして破滅の光の反撃を喰らったこと、──結果、腹を立てたユベルが私を殺したことを、彼に向かって語っていたのだという。
 でも、結局私は生きている。──生きているのに、あのときにユベルの前で隙を見せたことで、私の所為で亮の最期に未練を残してしまった。
 ──そして、私も。
 亮の最期を見届けられなかった私には後悔が付き纏い、──私はずっと、あいつの亡霊に苛まれている。

 ──やはり、なんとしてでも、異世界に戻る方法を見つけよう。
 誰にも気取られないように万全の準備を整えてから、いつの間にか姿を消していたことに誰も気づけないように徹底して、──それで、私は亮を探しに行く。
 まだその方法は見つかっていないし、亮が異世界に居るのかさえも分からなかったけれど、そうなのだとしても、……それでも、亮の居る場所が地獄や冥界だとしても、私はあいつのところまで会いに行く。
 何が何でも、もう一度亮に会わなければ、──私はこのまま、何処にも進めなくなってしまう。
 私も死んでしまいたかったと、……そう、心の何処かで思っている事実を、認めなければならなくなって、しまう。

 保健室で療養を送る私の元に、吹雪は毎日様子を見に来てくれた。──きっと吹雪は、私が自棄になってしまうような気がして怖かったのだと思う。……それに、他の皆もそうだったからこそ、卒業も近く忙しいこの時期に、何度も面会に来てくれていたのだろう。
 ──実際、本当に。もしも、只死ぬだけで亮に会えるのなら、……いっそのこと、このまま死んでしまいたいなあと、私は確かにそう思っていた。
 けれど、根拠のない逃避に走れるほど私は愚かでもなくて、保健室にひとりで過ごしている間はずっとノートパソコンを開き、海馬コーポレーションのデータベースに目を通し、異世界や冥界に関する情報を片っ端から洗っていた。
 私が此方に戻ったことを聞いて、本社から飛んできてくれた父は、──私の無事を喜んで抱きしめてくれた父は、きっと、私がこんなことをしているとは思っていない筈だ。
 ……でも、私が再び姿を消したならそのときは、父様にだけは、もしかしたら、真相も分かってしまうのかもしれないと、そう思う。
 だって、──きっと父だって、名もなきファラオをしっかりと送り出すことが叶わなかったのなら、……冥界まで押し掛けてでも、その人に逢おうとするんじゃないかって、……そんな、気がしたのだ。

 ──何としても、手段を見つけなければ。
 亮を探し出して、殴り倒してでも連れ帰る方法を、──亮ともう一度、デュエルをする方法を、──只、これからも共に並んで生きていくための、その手段を、早く見つけなければ──。

 
「──何故、マスターはお前のような奴を……」
「……あなた、誰……? デュエルアカデミアの生徒かしら……? その制服、特待生のようだけれど……ええと、私たち、……初対面、よね……?」

 ──そうして、保健室で一人計画を詰めていたその日、ガラリと開いた扉の向こうに気配を感じて、きっと吹雪だとそう思った私は慌ててノートパソコンを閉じたものの、──保健室に入ってきたのは吹雪ではなく、面識のない青年だった。
 最初、青年は鮎川先生に用事があるものとばかり思って、鮎川先生の不在を伝えようとしたものの、私が何かを言う前に彼はまっすぐな歩みで私の腰掛けていた寝台へと近付いてくる。
 特待生の白い制服に、若草色の跳ねた髪と、紫色の瞳──見覚えのないその青年は恐らく私と同い年くらいに見えるけれど、……でも、やっぱり一度も見覚えがない。
 今年度の在学生だとすると、特待生制度が廃止されてから入学した生徒の筈だから、十代の同級生……というのは少し不自然で、だとすると吹雪と同様に、失踪していた生徒が復学していると考えるのが順当だろうか。
 ……けれど、それなら私と同級生の筈なのに、特待生という決して人数の多くなかった面子の中で、幾ら特別に親しい友人が亮と吹雪に限られていたとは言えども、寮での共同生活だった訳だし、私は他の特待生とも多少は面識や交流があった。
 ──でも、目の前の彼にはどうしてか、全く見覚えがないのだ。……それはもう、不自然なほどに。
 ──そうして、私が困惑の面持ちで目の前の彼を見上げていると、──青年は瞳を歪めて私へと手を伸ばし、乱暴に私の手首を掴む。

「痛……っ」
「……お前は……マスターのことは探そうともしなかった癖に! どうして今はそんなにも必死になって、友人の行方を追おうとしている!? お前にとってマスターは友ではなかったのか!?」
「あなた、何を言っているの……? やめて、離して……」
「黙れ、マスターはもっと痛かったはずだ! お前は精霊が見えている癖に、ダークネスの干渉など防げた筈なのに……どうして抗おうとしなかった!? 何度も僕はお前に助けを求めたのに、それなのに……!」
「……ダークネス……? あなた、どうしてダークネスのことを……?」
「──煩い! お前に今更知る権利はない! ……マスターはお前のことを、本当に大切に思っていたんだ……なのに、お前は、マスターの心を踏み躙って……!」

 ──目の前の彼が言わんとしていることが、何ひとつとして理解できない。
 ……マスター? って、誰のこと……? どうしてダークネスの話を知っていて、なぜ私にその怒りをぶつけているのかも分からないし、目の前の彼からは強く精霊の気配を感じるけれど、姿は人間のそれだったし、……一体彼は、何者で、……私に何を訴えているの?

「……あなた、もしかして私に、何かして欲しいことがあるの……?」

 マスターが私を大切に思っていたって、──それは、一体どういうこと?
 ──あなたは、一体誰の話をしているの?

「──お前! 一体何をしているんだ!」
「!」
に触れるな! 彼女は怪我人だぞ、その手を離せ!」

 ──がしゃん、と保健室の入り口で何か大きな物音がして、咄嗟に私と青年がそちらに視線を向けると、其処には手に持っていた花瓶を放り投げて、青年を取り押さえようと駆け寄る吹雪の姿があった。
 青年は吹雪の来訪に気付くと小さく舌打ちをして、──そして、突如保健室が光に包まれたかと思えば、いつの間にか青年の姿が消えていたのだった。……何故だか、ベッドの上に、一枚の羽だけを残して。

! 大丈夫か!? あいつに、何かされなかったか!?」
「だい、じょうぶ……少し、腕を掴まれただけで……」
「……ここ、腫れてしまっているね……少し冷やそうか」
「吹雪、あなたも手を切って……」
「ああ……花瓶を放ったときに破片が当たったのかな……ごめんね、あとで片付けてからもう一度花を持ってくるよ。いやあ、綺麗な花が購買に売っていたから、に見せてあげたかったんだけどなあ……」
「……吹雪、花なんて良いから、……怪我しないで、自分を大切にして……」
「……うん、ごめんね」
「……もう、いや……あなたまでいなくなったりしたら、私は……」
「分かってる。……も、我慢しなくていいよ。……痛かったろう? 怖かったよね?」
「……うん……ずっと……痛かったし、怖かった……」

 吹雪に向かって居なくならないでと平気で呪いを吐く私は、結局はやっていることが亮と何ら変わらなくて、──その上、この後で亮と同様に行方を眩ませてしまおうと考えているのだから、本当に救えないと思う。
 私が居なくなったら、……吹雪は、泣くのかなあ。
 きっと泣くんだろうな、……だって私は、今吹雪がいなくなったら泣くもの。
 其処まで分かっていてもブレーキを踏めない私はきっと、人として大切な何かがとっくに壊れてしまっていて、──私にとって、ギリギリの場所に私を繋ぎ止めてくれていたのは、亮に何度も口うるさく言われた嫉妬や忠告の数々だったのだろうなと、そう思った。
 ──きっと、自分を大切に出来ない私は、亮が私に病的なまでの独占欲を向けていたからこそ、自分を多少は顧みなければならなかったのだろうなあ、……亮は私の最大限にまるで納得がいっていなかったみたいだけれど、これでも私は頑張っていたのだろう。
 だって今までなら、知らない男子生徒に手を挙げられたときにだって、きっと後で亮が何かをしでかさないかを心配して、必死に抵抗していたのだろうに、──今はもう亮が怒るわけでもないからどうでもいいかという、……そんな風に浅はかな私の考えも、吹雪には見透かされていたのかな。
 
 ──結局、それから私が本土に戻るまでの間、一度もあの男子生徒は私の元を訪れはしなかったけれど、──彼は一体、私に何をして欲しかったのだろう。
 以前までの私ならきっと力になろうと追い掛けたのだろうに、今はそんな気力も体力も無くて、……悪いことをしてしまったな。
 なんとなくだけれど、彼はただ私が憎かったわけではないような、そんな気がしたのは、……難儀な友人が多すぎるから他者に対して寛容になり過ぎてしまっているだけ、だったのだろうか。


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