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「──? 君、まさか……もうプロリーグに復帰するのか?」
「エド! ……久しぶりね、元気そうで良かった」
「あ、ああ……僕は大事ないが……万丈目たちから聞いたぞ、大怪我で保健室に運ばれて、療養しているって……だから一度、様子を見に行ってみようと思っていたのに……まさか、君の復帰が先になるとは」
「ふふ、エドは忙しいものね、益々活躍しているって聞いてるわよ」
「……、本当に平気なのか? ……だって、君は……」

 ──その日、プロリーグの本部で偶然にも顔を合わせたのは、この場には決して居る筈もない海馬その人で、──僕は余りの事態に一瞬だけ事の次第が読み込めず、しかしそれでも、ずっと心配していた彼女の姿を見かけたことで、慌てて声を掛けながらの元へと駆け寄る。
 少し前に、が異世界より帰還したことは万丈目たちからも聞いていたけれど、生憎僕は異世界より帰ってからはずっと、プロリーグの仕事の方が忙しくて学園には顔を出せておらず、──それでも、流石にのことは気がかりだったから、どうにかスケジュールを調整して、数日後にでもデュエルアカデミアに一度出向いてみようと、──それは、僕がそう考えていた最中の出来事だった。
 灯台で発見された彼女は、酷い怪我で保健室に運ばれたと聞いているし、──それはもう、本土にて海馬コーポレーションが有する医療技術を受けさせたいと思っても、現在の彼女にはヘリでの移動は耐えられないとそう判断されて、アカデミアに残留することとなったほどの有様だった、らしい。
 ──そして、そんなに酷い様態なのに、個室を与えられずに皆の出入りする保健室で療養生活を送っていたのは、……今の彼女の精神状態では、一人にしておくのは危険だと判断されたからだ、とも。
 そのように酷い話を聞かされていたというのに、──目の前のは以前通りの笑みを浮かべて、プロデュエリストの海馬として其処に立っているのだった。

「平気……ではないけれど、それでも頑張らないと。……私がプロデュエリストとして頑張り続けないと、あいつに笑われるでしょう?」
「……しかし、せめてもう少し、怪我の治療に専念した方が良いんじゃないのか……?」
「大丈夫よ、もう見た目ほど酷くはないから。復帰戦の頃には包帯も取れるわ」
「……、本当に大丈夫か?」
「……ええ。ありがとう、エド。心配させてしまった?」
「当然だろう。……僕は、君のことを友達だと思っているんだから……」
「……そう、それは光栄だわ」

 そう言って薄っすらと微笑むだったけれど、未だ頭には包帯が巻かれていて、──そして、包帯の白が恐ろしく浮くほどの黒い服を、今の彼女は身に纏っている。
 は今までずっと、仕事着や私服は白や青──青眼の白龍の色を好んで身に付けていることが多かった気がするのに、今の彼女は黒のハイネックワンピースの上から黒いコートを羽織っていて、──僕にはそれがどうしても、妙に不吉なものに思えてならなかった。
 ──イメージチェンジのつもりか? ヒール役に転向でもする気かい? ──それとも、喪に服しているつもりなのか? ……なんて、いっそのこと、僕と彼女がその程度の悪態を吐けるだけの間柄だったなら、僕だって、こんなにもその変化を気に留めることもなかったのだろうに。
 
「……珍しいな、黒い服なんて……」
「ああ、これ? 以前の仕事着は異世界で駄目にしてしまったから、新調したのよ」
「……へえ、ファッションの趣味が変わった?」
「其処まで深い理由はないの、……只、少し寂しいだけよ」
「……そうか。妙なことを聞いたな、悪かったよ……」
「気にしてないわ、……それよりも、私ってもしかして、黒は似合わない?」
「いや……悪くないんじゃないか?」
「そう? それなら良かったわ」
「……なあ、。その……僕で良ければ、話を聞くし……何かあったら、いつでも声を掛けてくれ。いや、何もなくても良いんだけど……君には斎王のことで世話になった。……だから……」
「……ありがとう、エド。またお茶でもしましょうよ、例のカフェにも久々に行きたいし」
「……ああ。いつでも付き合うよ、

 そう言ってひらりと手を振ると、今日のところは、リーグには打ち合わせで顔を出しに来ただけなのだと言うは、黒いコートを翻しながら本部を後にしたのだった。
 ──その翌週に、彼女の復帰戦が行われた際には、本人が言っていた通り既に包帯も全て取れており、モニターの向こうで決闘に打ち込むは、衣装が変わった以外には、別段の変化は見られないような気もしたけれど、──それでも、間違いなくそのときに抱いたその印象は、全て気のせいだった。──僕が只、そう思いたかっただけの話だった。
 現に、復帰戦を境には徐々に衰弱してゆき、──本部で顔を合わせる度に、彼女は顔色が悪く、一戦一戦に対して死力を尽くすかのような決闘で臨み、そうして最後には必ず勝利を掴み取る彼女の様子は見ているこちらが苦しくなるほどで、──それでも、は一切プロとしての活動を休止することも無かった。

「──あら? この紅茶、少し風味が薄いような……蒸らしが充分じゃなかったのかしら?」
「……そうかな、僕はそうは思わないけれど……」
「あ、……そうなのね……そっか、ごめんなさい、変なことを言って……」
「いや……、スコーンは食べないのか?」
「ええ……良かったら、エドが食べて」
「……君の方こそ、少しは食べた方が良いと思うが」
「……うん、そうよね……」

 僕はそんな彼女の身を案じて、せめて休息や食事を摂るべきだと、あの紅茶専門店や他の店に連れ出したりもしていたけれど、──多分その頃には、は重度のストレスで、味や香りがほとんど分からなくなってしまっていたのだと思う。
 紅茶を口に含んでから不思議そうな顔をしたかと思えば、スコーンを食べる手も進まず頬に影を落とすに、──僕では、何もしてあげられないのだろうか。
 
 そうして僕が焦燥を募らせる間にも、はどんどん弱っていき、以前に比べると窶れて痩せてしまったし、お陰でデュエルアカデミアの皆からは僕宛てに引っ切り無しの連絡が届いていた。
 ──全く、僕はのマネージャーになった覚えはひとつも無いんだが、……でも、今の彼女に直接連絡をするのは憚られるということも、今となってはに最も近しい存在は、プロリーグに在籍する僕くらいだということも、ちゃんと分かっているからこそ、彼らを蔑ろにも出来ない。
 ──それに、を心配に思う気持ちは僕だって、彼らと一緒なのだ。

 僕は異世界でアモンと決闘した末、エクゾディアに敗北し、そうして、消滅した。
 その後、僕は現実世界へと帰還することが叶ったけれど、──あのとき、後を託した亮とが戻ってこなかったことを知った僕は、あまりの衝撃に愕然としたし、──それでようやく、異世界の共同生活は、僕の中で彼らに対して妙な友情を抱かせてしまっていたことにも、ようやく気付いたのだった。……まあ、のことは元々、友達だと思っていたけれど。
 亮とが恋人同士なのは僕だって知っていたし、亮がに向けている愛らしきものが幾らか歪んでいるのも、なんとなく気づいてはいたけれど、──それでも、僕にはやっぱり分からない。
 亮とも、アモンとエコーも、──どうして、只好きな相手を大切にして、その傍に居るだけじゃダメだったのだろうか。


「──ただいま……」

 ──リーグでの試合を終えてから、エドに誘われて軽く食事をして、──そうして、私は自宅──ではなく、家主が不在となったままの亮の家へと帰る。
 当然ながら、部屋の中から返事がある筈も無かったけれど、気に留めることもなく靴を脱いで部屋に上がり、上着を掛けて手洗いうがいを済ませて、お風呂の支度をしている間に今日の試合の反省を済ませる。それから、入浴後はデッキの調整をして、──その後はノートパソコンを開いてひたすら睨み合いをするのだった。
 ──プロリーグに復帰後、すっかりルーチンになったこの生活のお陰で、最近は殆ど本邸に顔を出さない日々が続いていたけれど、──父からは、特に咎められたりはしていなかった。
 尤も、心配されているのは分かっているし、デュエルアカデミアのオーナーである私の父は、異世界における一連の事件についても把握しているからこそ、私に対して深く追求しないでくれているだけなのだろう。
 ──ライバルを失った痛みなど、きっと父が誰よりも深く理解していることだろうから。
 
 亮は学園の方では失踪扱いになっているけれど、事情が事情なので世間にはすべてが公表されている訳ではなく、事実プロリーグにもまだ亮の名前は残っている。
 現在は休養中だと表向きにはそう言うことになっていて、──それでも、真相を追い回すマスコミはどうしても出てくるので、そうなれば必然的に彼らのターゲットは私だ。
 ──正直、勘弁して欲しいな。今はそんなものに構っている余裕なんてないと言うのに。
 亮はこの部屋の家賃を、どうやら残高から毎月引き落とす形式で契約していたようで、亮が居なくなってから暫く経った今でも、この部屋は法的に亮の自宅ということになっていて、家主が帰らない以外に目立った変化はない。
 でも、長期で家を空ければ埃も溜まるからとそう思って、一度掃除に訪れた日から、結局私はずっと亮の部屋でひとり暮らしているのだった。
 実際、埃が溜まったところで帰る人間が居ないのなら関係ないけれど、自分が此処で生活しているからには、この部屋を維持する口実が作れたし、──何より、この部屋にはまだ亮の気配があるし、……私がこれからやろうとしている事の計画を、誰にも知られずに詰めることも出来た。
 
 お風呂上がりに彼の部屋着に袖を通し、亮がいつも寝転んでいたソファに寝そべりながらノートパソコンを開いている間は、──ほんの少しだけ、この痛みも紛れるような、そんな気がする。
 ……でも、仄かに残っている亮のにおいも、何時かは消えてしまうのだろう。
 きっとそのときに、私はその現実に耐えられないから、──だから私は、亮を探しに行くのだ。

 異世界に戻るための計画は、未だ特異点を開く方法の発見には至れていないけれど、あの世界で得た知識と地理、そして海馬コーポレーションのデータベースに残っていた、十年前から父が続けてきたデュエルモンスターズに纏わる研究や、異世界、冥界に纏わる資料を元にすると、──冥界とは、恐らくは高次の場所に存在していて、──それは、十二次元の頂点に当たる場所なのではないかと、私はそう考えている。
 十二次元宇宙の一番上にあると推測される冥界に、人の力で辿り着こうと思ったなら、──現実世界においても、より高い場所からアクセスを試みる必要があるのかもしれない。──例えば、宇宙軌道上だとか。
 しかし、私がまず向かいたいのは冥界ではなく、ユベルと戦ったあの世界で、冥界を十二次元宇宙の頂点と仮定した場合には、次元を辿ることで最後には冥界に辿り着くことも可能になる筈だから、──まずはあの世界の座標を特定したいけれど、カイバーマンが黙秘を貫いている以上は、自力で調べるより他に無い。
 ツヴァインシュタイン博士の協力を仰ぐことも考えてはいるものの、それは最後の手段になるだろう。──博士に連絡をしたなら最後、私が失踪した後でそれが露見すれば、行き先の見当も付いてしまうだろうから。

 ──全く、前途多難だ。
 亮の命が掛かっている以上は、事態は一刻を争うと言うのに。
 ……それに、私の方も、こんな生活を続けていたのでは、いつか耐えられなくなるだろうに。
 近頃、何を食べても味が分からなくなった。嗅覚が生きているのがまだ救いだけれど、何を食べても味がしないから食が進まなくて、このままではまずいと思っている間に、見る見るうちに体重が落ちて、真っ先に筋力が落ちたせいで酷く窶れてしまった。
 ──私が倒れたら、誰が亮を探しに行くの。誰が、亮のライバルは最強だって決闘で証明するの。──そんなの私しか居ないんだから、私は倒れたら、駄目でしょう……? ──と、そう、気持ちの上では分かっている。──努力も、している。

「……寂しいよ、亮……」

 でも、──近頃はずっと、何を食べても美味しくなくて、誰と決闘をしても味気なくて、勝ってもあまり嬉しいとさえ思えなくて、淡々とした日々だけをひたすらに繰り返している。
 黒い服に身を包んでみたところで、私が亮になれる訳でも、亮が其処に居ると錯覚できるわけでも何でもなかったけれど、──最早私には、その程度の慰めしか思い浮かばない。……どうやら私は、自分を大切にするのが下手らしい。
 ふたりで眠るために買った広いベッドの余白が、こんなにも恨めしくなる日が来るなんて思わなかった。手足を伸ばして悠々自適に眠れるというのに、睡眠薬がないと眠りにも就けなくなる日が来るとは、思わなかった。
 ──私にとってあなたの存在がこんなにも大きかっただなんて、──思わなかったよ、亮。……もしもあなたは知っていたと言うのなら、やっぱりあなたって、酷い奴ね。


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