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「……え……?」

 状況が急転したのは、本当に突然のことだった。
 亮が、──デュエルアカデミアの浜辺にて瀕死の状態で発見されたと、──そう、鮫島校長から連絡を貰ったのだ。
 ──何が何だか分からないまま、私はその日の仕事をすべてキャンセルして、本土を飛び出して、自社のヘリを飛ばして、デュエルアカデミアまで仕事着のまま、荷物だって仕事用の鞄ひとつを持っただけで駆け付けると、その足で手術室まで走って、──そうして、手術室のランプが点灯している廊下の前に鮫島校長と鮎川先生、吹雪、そして翔くんの姿を、私は見つけて──。

「──さん!」

 私が駆け付けたことに、真っ先に気付いた翔くんが椅子から立ち上がって、──そうして私も、彼らに並んで、鮫島校長と医師から状況を説明されている間、──ずっとずっと、怖くて仕方なくて、どうしたって涙が止められなかった。
 今になって突然に異世界から帰還した亮は、浜辺で発見された際には心拍停止の状態で、本当に危険な容態で運び込まれて緊急手術が行われたのだと、鮎川先生や鮫島校長からはそう説明を受けたものの、──私が連絡を貰って本土からアカデミアに駆け付けるまで、少なくとも数時間が経過していると言うのに、未だ終わっていない手術を前にして、嫌でも焦燥は募る。
 先生たちや吹雪は、私を励ましたり慰めたりしてくれたけれど、──それでも、手術が終わるまではずっとずっと不安で仕方がなくて──手術室のランプが消えた直後、ストレッチャーに乗せられて手術室を出てきた亮が静かに眠っているのを見て、──凍り付いたようにその場から動けなくなっている私に、吹雪が必死の様子で、「、亮は麻酔で眠っているだけだよ」とそう言ってくれるまで、──本当に、目の前にいる亮は死んでいるんじゃないかって、……どうしたって、そう思ってしまったのだ、私は。
 
 術後、亮は職員寮の空き部屋まで運ばれて、当分の間はこの部屋が亮の病室になるらしい。
 心配だろうから付き添って構わないと医師から言われて、鮎川先生と鮫島校長は恐らく私たちに気を遣ったのか部屋を後にしたものの、私と吹雪、そして翔くんはそのまま亮の病室へと残ることにした。
 何かあったらすぐに医師を呼ぶようにと鮫島校長に言われて、──それから数時間の間、私たちは亮の麻酔が切れて彼が目を覚ますのを、待ち続けている。
 この空気の中では、とてもではないけれど誰ひとりとして雑談するような気にはなれずに、──只、私たちは、黙って時計の針の音だけを聞いていた。

「……う、ん……」
「! 亮……!」
「兄さん!」
「…………? ……しょ、う……」
「亮、意識ははっきりしてる……? 無理に起き上がらなくて良いわ、安静にして……」
「──、お前、ユベルに……! っ、ぐ、う……!」
「亮!?」
「──、僕は医師を呼んでくる、亮を頼む!」
「吹雪……!」
「兄さん、落ち着いて……さんは無事だよ、ちゃんと生きているから……!」

 どれほどの時間が過ぎたのかも分からない頃に、目を覚ました亮の寝台の傍へと椅子を置いて座っていた私と翔くんが、亮に向かって声を掛けると、──亮は酷く取り乱した様子で無理に起き上がろうとして、そのお陰でまた発作を起こしたようで、前のめりに崩れ落ちながら酷く苦しみ始めてしまった。
 私は慌ててそんな亮をベッドへと押し戻し、楽な体制を取らせて気道を確保した上で背中を擦ってやると、次第に亮の容態も落ち着いてくれたようで、ほっとどうにか胸を撫で下ろしているところに、医師を連れた吹雪が戻ってきて、その後、亮は軽い診察を受け──そうして、少し落ち着いた亮に、翔くんの口から異世界での顛末について、事情の仔細が語られたのだった。
 ──尤も、私が一度はユベルに殺された、という事実については、──今の亮には刺激が強いからか、恐らく翔くんは意図的に伏せていた様子だったけれど。

「……そう、か……は、無事だったか……」
「あのねえ……私の心配をしている場合? ……自分の状況、分かってるの……?」
「そうは言ってもな……唯一の心残りだったんだ、仕方がないだろう……」

 その後、翔くんと吹雪は私に気を遣ったのか、医師と共に部屋を出て、──病室には、私と亮だけが残された。
 ……あんなに会いたかったというのに、いざ対面してみると、何を話したらいいのか分からなくなってしまうのは、──私は、決して推奨はされない方法で、次元を超えて亮へと会いに行こうとしていたからという、只のそれだけだったのだろうか。
 最期にあんな死に別れ方をしたかと思えば、生き別れたに過ぎなかったのだと言う事実を上手く受け止めきれずに居るのは、私だけではなく亮も同じようで、──それでも、亮は繰り返し、そればかりを呟くのだった。
 ──私が無事でよかった、それだけが心残りだった、と。

「……何よ、それ……?」
「……?」

 ──あなたって、私にはそんなこと絶対に言わせてくれなかった癖に、自分ばっかりよくも平気でそんなことを言えたわね、って。
 そう、言ってやりたくて、──でも、今の亮にストレスを与えるような言葉を、極力は投げ付けたくなくて、それで必死になって飲み込んでいる此方の気も知らずに、──亮はこんな時だって配慮に欠けて、言葉が強くて、……そんなの、言葉が足りないだけだって、悪気はないんだってちゃんと分かっているのに、……分かって、いるのに。

「……だが、お前の無事が確認できてよかった」
「……? どういう意味?」
、……やはり俺はもう長くはない。恐らく、原因はこのデッキだ」
「え……デッキ……?」
「ああ。……俺はてっきり、地下デュエルでの生活が心臓に負担を掛けているものとばかり思っていたが……ようやく分かったんだ」
「……何を?」
、お前は以前、俺がサイバー流の裏デッキを持ち出した際に、裏デッキには三幻魔のような……使い手を蝕む副作用は無いのかと、そう言っただろう」
「……まさか、あれが当たっていたって言うの……?」
「ああ……間違いない。このデッキに触れている限り、俺はこの苦痛から逃れられそうにない……」

 ──そう言って、何よりも大切なものに触れるかのような素振りでデッキを撫でるその手付きに、気が狂いそうになるほど嫉妬した。
 ──どうかしているだろうか、私は。……でも、どうしても、もう、自分の意志では止められない。
 だって、その手は、──私がこの命を投げ出して、異世界や冥界にまで旅立ってでも繋ぎ止めたいと、引き摺り戻したいとそう思い願っていた手なのに。
 ……何よ、あなたがまず触れるべきなのは、私でしょう。──あなたを傷付ける、そのデッキじゃない筈、でしょう……。

「……それが分かってるなら、デッキを組み直す、だとか……」
「無理だな。──お前ならば分かるだろう、
「……でも」
「俺はこのデッキに恩がある。……俺の人生の残りは、このデッキにくれてやるつもりだ」
「…………」
「だが……最期に、こうしてと話が出来たから、俺は……」
「……さっきから、何を言ってるの? 亮……」
「……?」
「そう……そうなのね、よく分かったわ……あなたにとって、決闘者としてのあなたを押し上げた存在は、そのデッキだけなんだって……十分に伝わったわ」
、何を……」
「私だけだったのね、……あなたというライバルが居たからこそ、此処まで強くなれたと思っていたのは、私だけだったんだわ……」

 ──何よ、それ。そのデッキが大切なのも、サイバー流のカードが亮にとってどれほど重要なものなのかも、ちゃんと分かっているけれど、それでも、──その言い草じゃまるで、あなたが強くなれたのは、そのデッキがあったからという、只のそれだけが全てだったように聞こえるのだけれど、──一体どんなつもりで、あなたはそんなことを言っているの?
 ──違うでしょ、亮。
 私とあなたはいつだって、お互いに凌ぎを削り合うことで、──そうやって、強くなってきたはずでしょう。
 私たちって、あなたって、──それだけの決闘者じゃなかった筈でしょう。

「待て、……俺は何も、そんなつもりでは……」
「……帰るわ、本土に仕事を残してきてるの」
、俺の話を……」
「……聞きたくない。……もうこれ以上、私を惨めにさせないでよ、亮……」

 ──亮が生きて帰ってきたと、そう言われたとき。その言葉の意味が信じられなくて、本当なのか確かめるのが怖くて、手術を待っている間も目を覚ますのを待っている間も、ずっとずっと不安で仕方がなかったけれど、──それでも、確かに亮は帰ってきてくれたんだって、──もう、異世界まで探しに行こうだなんて無茶を通さなくても、──きっと亮は、これから先も生きて、私の隣に居てくれる、だなんて。
 ……そんなの、とんだ私の独りよがりだった。
 実際の亮には、私が冥界まで迎えに行ったところで、──私に着いてきてくれるつもりは無かったらしい。
 亮は絶対にデュエルを手放さないと、そんなことは分かっていたけれど、──でも、だからこそ、デッキに原因があると分かったのならば、まだ希望はあると、そう思ったのに。
 それなのに、──私ばかりが必死になっても、──亮はあっさりと私の手を弾き、デッキと心中してしまおうとする。
 ──どんなつもりで、今更私に向かって、さよならなんて言えたのよ、亮。
 私がどんな想いで、どんな顔で──きっと、恋人に見せられたような状態じゃない、酷い顔で此処まで駆け付けたって言うのに、──それでもあなたは、私との数年間を平気で捨ててしまえるのだと言う。
 もう一度私を置き去りにしようと、そんなことが平気で出来るあなたの気持ちが、……もう、私には、全然分からない。
 只でさえ、自分にとって亮の存在が如何に大きかったのかを思い知ったばかりだったと言うのに、──亮にとっては私なんて、所詮はその程度だったの? 居ても居なくても変わらない、もう一度遺して逝っても全然平気で、私と生きるよりもデッキと心中することを選ぶって、──私というライバルは、あなたにとってその程度?


「──兄さん!? どうしたのさ、さんと何かあったの!?」
「…………」
さん、急に走って行っちゃったよ!? 吹雪さんが追いかけてくれたけど……兄さん……?」
「……翔、俺は……」

 ──何も、そんなつもりではなかった。俺はいつだって言葉が足りていなくて、その上に言葉が強すぎるから、人から誤解されないようにしろと、それはに再三言われ続けてきたことだったが、──だが、それでも、だけは俺の言葉を決して誤解したことなど一度も無かったから、──この期に及んで俺は、ならば意図を汲み取ってくれるだろうとそう考えて、彼女に甘えていたのだと思う。
 だが、俺は深く考えていなかった。──先程に目が覚めたばかりで、俺が行方不明になっていた間、どれ程の時間が経っていて、──その間にがどんな思いで日々を過ごしていたのかを知らなかったからこそ、──目が覚めてから気付いたことを考えも無しに彼女へと伝えてから、大切なことを報告できた安堵感で少し落ち着いた俺は、──其処でようやく、の様子がおかしいことに気付いたのだった。
 再会してすぐは、彼女が生きているだけで嬉しかったから、──見覚えのない黒い服に身を包んだが、以前よりもずっと青ざめて窶れていることや、目の下に薄っすらと化粧で隠しきれない隈があること、すっかり痩せてしまったように見えること、──の身体が微かに震えていることに俺が気付いたときにはもう遅く、──は堰を切ったように俺に向かって怒り、叫んでいて、──そうして、そのまま病室を飛び出していった彼女は、……泣いているように、見えた。

「──亮の馬鹿野郎! 君、に何を言ったんだ!?」
「! 吹雪、は……」
「僕がどんなに引き留めても、全然話を聞いてくれないし……海馬コーポレーションの人たちに取り押さえられているうちに、ヘリで逃げられたよ……」
「! そんな……! さん、本当に出て行っちゃったの!?」
「ああ……全く、があんなに怒っているの、初めて見たよ……」

 俺も慌ててを追おうとしたものの、病に蝕まれた身体ではまともに起き上がることも出来ずに、吹雪がを連れて戻ってくるはずだと翔に宥められて、俺は渋々そのままを待っていたが、──怒った様子で戻ってきた吹雪が言うには、は既に島を出て行ったらしい。
 彼女を追いかけようとして、──この体が不自由なばかりに追いかけられずに、苦い思いをしたのは、……これが、二回目のこと。
 寝台の上で辛うじて身を起こしながらも、呆然と座り込む俺に対して吹雪は険しい目を向けて、──それから吹雪は、自身から聞いたり、プロリーグに居るエド、それにの秘書である磯野さんや、デュエルアカデミアの後輩たち──皆から聞いた近頃のの様子を、俺へと語り聞かせたのだった。

「──、ずっと屋敷に戻っていないみたいだ。君の家で生活しているって、磯野さんに聞いたよ」
「俺の家……?」
「寂しかったからに決まってるだろ? 本当に察しが悪いな、君ってやつは……見ただろう、ってば、着慣れない黒い服なんて着ちゃってさ……」
「……さん、リーグに復帰してからずっとあの衣装を着てたんだよ、兄さん。……お陰で世間は、ヒール転向だとか喪服だとか、邪推してるけど……さん、全然そんなの聞こえない振りしてるみたいで……」
「……でも、亮が居なくて寂しいだけだと本人は言っていた……と、エドくんに聞いたよ」
「……そう、か」
「リーグではさん、ずっと勝ち続けてるけど……試合の度に窶れ続けていて、エドが食事に連れ出してるってボクは聞いたよ」
「ああ、その話は僕も聞いた。……でも、食事の度に様子が可笑しくて、あまり食べたがらないから……多分、今のには味が分からないんじゃないかと、エドくんが……」
「……は、そんなに体調が悪いのか……?」
「当たり前だろう。……君、自分がにとっての何だか分かってるのか? 君は彼女のすべてなんだぞ、亮」
「……そう、だな……」
「それで、……一体、彼女に何を言ったんだ?」
「ああ……俺は、言ってはならんことを、言ってしまったらしい……」

 ──今までずっと、俺はには何を言っても許されていたし、彼女とて逐一気に留めたりすることも無かった、──しかし。
 そんな暴力にも似た信頼関係は、いつしかの心を傷だらけにしていたのだと、──俺は、今更になって思い知ったのだった。


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