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 亮の再手術の日程が決まり、それまでの期間に採血や心電図と言った細かな検査をアカデミアの設備で行われることも決まって、近頃は少しばかり忙しない日々が続いていた。
 ──まあ、忙しないとは言っても、少し前までの生活と比べれば暇すぎるくらいで、まだ身体の自由が効かない亮の代わりに洗濯だとか食事だとか、検査の付き添いだとかの身の回りのすべては現在、私が世話を焼いているものの、その上でもまだ時間が余っているくらいなのだ。
 ──尤も、プロリーグでの日々が多忙を極めていたからこそ、そう思うのかもしれないけれど。
 それでも、亮が帰ってきて、彼とちゃんと話し合いをした上で、お互いが納得出来る条件で今後も共に歩いていく道を見つけて、──その選択はきっと、今までのように無我夢中で突っ走っていく向こう見ずの日々とは少し違って、こんな風に余暇を持て余すくらいの時間が、今後は幾らでもあるのかもしれなくて。
 ──けれど、今までならば退屈に思えたこの時間も、今となっては、本当はどれほど貴重なものであるのかを私たちは良く思い知っているからこそ、──こんな日々も悪くないなと、近頃はそんな風に思うのだ。

「──亮、疲れてない? 大丈夫?」
「ああ、平気だ」
「そう? 今日はもう、検査は終わりだって鮎川先生に言われたから……部屋に戻って休む?」
「そうだな……ならば、少し外の空気が吸いたい」
「なら、散歩に出ましょうか。……翔くんにも、声掛けてみる?」
「いや……翔も卒業間際で忙しいだろうからな、二人がいい」
「……そう。それじゃあ、船着き場の方にでも行ってみましょうか」
「ああ」

 今日は午後を少し過ぎた頃にはすべての検査が終わり、昼食は事前にサンドイッチのお弁当を用意しておいて、休憩時間に職員寮の談話室にて二人で食べたから、午後の空いた時間はどうしようかと問いかけてみると、亮は、少し散歩に出たいのだと言う。
 散歩とは言っても、亮は未だ自分の足で長々と歩き回れるほどに体調が戻っていないから、亮の車椅子を私が押してやる形になるけれど、亮はそれで十分に満足らしい。
 私の方は、現プロリーグから除名して亮の傍で過ごすようになった近頃の生活のお陰で、不眠症も治ってきて大分体調も整っているので、車椅子を押してやるくらいは何の負担にもならないから、そういうことならと私たちは少し外に出てみることにしたのだった。
 
 車椅子で移動するには、砂浜の方は少し足場が悪いし、何より、年間を通して気候が常夏のこの島では、浜辺にて水遊びをしている在校生の姿も多い。
 私と亮は、特に在校生に姿を見られても困る立場というわけではなかったけれど、──共にプロリーグを脱退したことは既に公然の事実ではあるし、その私たちが現在デュエルアカデミアに滞在していることもまた、学内では周知とするところでもあったので、──まあ、私たちが気にしなくとも、あまり目立った行動を取れば、気にする生徒はいるだろうから。
 卒業生の立場でありながらこの島に滞在させてもらっている以上は、あまり後輩の邪魔にはならないようにしようか、と。
 ──そんな些細な配慮もあり、船着き場の方へ向かって灯台から海を眺めてから、また少し移動して森の方──旧特待生寮の方まで行ってみようと、そう話しながら船着き場へと向かってみると、──其処には、灯台のふもとに座り込んで、釣り糸を垂らす十代の姿を見つけたのだった。

「──十代?」
「お、カイザーとさん」
「……此処、釣れるのか?」
「結構釣れるぜ? カイザーもさんもよく灯台にいたけど、此処で釣りしたことないのか?」
「いや……在学中は、特にしなかったな……」
「ええ……そんなに釣れるの?」
「そのバケツの中身が、今日の成果か?」
「おう、……ほら、結構釣れてるだろ?」
「えー! すごい! こんなに釣れたの?」
「どれ……本当だ、大漁だな」
「十代って、釣りも得意だったのね?」
「いや、そんな大したことじゃないって……大袈裟だな」

 ──異世界から戻って以来、十代は、少し雰囲気が変わった。
 今でもちゃんと、学友である皆との交流は続いている様子だったけれど、以前と比べるとなんとなく、その輪から少し離れた場所に立っているのを見かける機会が増えて、──それに、近頃の十代は私のことを意図して避けているような印象があったのだ。
 現に、私が異世界から戻ったばかりの頃には、十代も既に学園へと戻ってきていたというのに、当時アカデミアへの滞在中に十代とは一度しか顔を合わせていない。
 だから、恐らくこの場所での邂逅は、十代にとっても想定外だったのだろうなと、──なんとなくそんなことを思いながらも、十代が釣った魚の入っているバケツを亮とふたりで覗き込んで、見慣れた灯台でこんなにも色々と魚が釣れることに驚いた私が、何気なく十代に賞賛を送ったそのとき、──ばちり、と肌を刺すような誰かの視線を、私は感じたのだった。

「──ユベル?」
「……何?」
「……今、ユベルの気配がしたわ。……十代、今のは一体……」
「……ユベル……俺は言ったよな? 理由もなく出てくると周りが驚くって……」
「フン、ボクの知ったことじゃないね。……がボクの十代に馴れ馴れしくするから悪いんだ」
「そんなこと、してないだろ……」
「……ユベルが、其処に居るのか?」
「! 亮……」

 スッ、と突然その場に姿を現した精霊──ユベルの姿は亮に見えていないものの、私と十代の言葉から、それが目の前に居ることを察した亮が思わず身構えて、咄嗟に腕を伸ばして私を背に庇おうとするのを見たユベルは、──なんともつまらなさそうな顔で私たちを一瞥すると、「そんな身体でわざわざ警戒して貰わなくても、もうを取って食ったりしないよ」──と、そう零していたので、──恐らく、ユベルには最早、此方への害意はないのだろう。

「……亮、ユベルに敵意はないみたい。大丈夫よ」
「……しかしだな……」
「……カイザー、大丈夫だ。ユベルはもう悪さは出来ない、コイツは俺の精霊に戻ったんだ」
「ボクは元々、ずうっと十代の精霊だったけどね」

 ──十代はあまり多くを語らなかったけれど、掻い摘んでの説明から察するに、恐らく現在、十代とユベルは一心同体──以前の私と破滅の光と同じような、心の部屋を共有する魂の同居人、と言った関係なのだろう。
 物言いの刺々しさは以前と変わらなかったけれど、実際、今のユベルには特に此方への悪意はない──というよりも、既に私や亮には一切興味がない様子で、──でも、きっとこの分だと、ユベルが其処に居るからこそ、十代はずっと私を避けていたのだろうと、そう思った。
 ──だって、確かにユベルは、私と亮にとって、恋人の仇ではあるのだから。

「──ユベル、十代と和解できたのね。今の暮らしはどう? 楽しい?」
「何だい、その質問は……」
「私は、結構楽しいの。……異世界での経験が、本当に大切なものに気付かせてくれたから、今日の私たちがいるのは、あなたのお陰かも知れないわね」
「……本当に、気味の悪い奴だね、。……ボクへの情けのつもりか? ボクを殺してやると言った口で、よくもそんな言葉が吐けるね」
「そんなつもりは無いけれど……私は十代に、余計な気を使って欲しくないだけよ。……十代、そういう訳だから私、ユベルのことを其処まで恨んではいないわ。何も、全く気にしていない、とは言わないけれどね? そんな風に言われても、嘘っぽく聞こえるだけでしょう?」
「……さん……」
「だから、正直に言っておくわね。……十代、あなたの気持ちもわかるけれど、変に気を遣ってくれなくても……」
「……断っておくが、俺はユベルを恨んでいるぞ、十代」
「ちょっと、亮!」

 何処か居心地悪そうにする十代には、そんな風に気を使って欲しくはないと、それは彼の先輩として掛けた言葉だったけれど、──そんな私の言葉を遮るように亮が異論を唱えるものだから、私は思わず焦って彼の言葉を制止しようとする。
 ──先程、ユベルを前に警戒していた様子から察するに、亮の方には私よりも強く遺恨があるのも、それはもちろん、分かってはいた。
 ──異世界での一件に関しては、最終的には亮が決めたことで、何もユベルが直接に手を下した訳ではなく、亮は自分で幕を引いたに過ぎなかったと、亮についてはそうとも言えるけれど、──私に関しては、完全にユベル側の悪意で連れ去られたわけなのだから、……まあ、私よりも亮の方が、ユベルに対して思うところも多いのだろう。
 ──とは言え、何も十代にそんなことを言わなくとも、……と、そう思ったものの、……別に亮にも、そんなつもりがあった訳ではなかったらしい。
 
「だが、……あのときにの後を追えなかったのは、俺の力が及ばなかっただけだ。十代の責任だとは思っていない。……お前は、俺の分もを助け出そうとしてくれたんだろう、十代」
「カイザー……」
「そういう訳だから、妙な気は使わないで。……それに、ユベルのお陰で、破滅の光との悪縁も切れたし」
「! そうか……! さんはもう、破滅の光からは逃れられたのか! 良かった……!」
「何もよくないよ、十代……ボクは本当に痛かったんだからね?」
「ふふ、……そういう訳で、私は精霊が見えるだけの只のデュエリストに戻ってしまったし……亮も今はこの様だけれど、……それでも、私たちにとって、十代は今でも大切な後輩よ」
「……さん……」
「だから、ユベルのことでも、そうじゃなくても……何かあったら、いつでも言って頂戴。……あなたには、異世界で助けられたもの。そうよね、亮?」
「ああ。……まあ、そういうことだ、十代。……詳しい事情は知らんが、あまり気に病むな」
「……ああ、ありがとう、カイザー……さん……」

 ──そうして、十代とユベルと少し立ち話をしてから、亮の体調がもう少し良くなったら、レッド寮の厨房を借りて、十代の釣った魚を私が料理して皆で食べようとそう約束して、余りこの場に長居するとユベルの機嫌が悪くなりそうだったのもあり、私と亮はその場を後にすることにした。

「カイザーとさん、この後は何処に行くんだ?」
「ああ、廃寮の方に散歩に行こうかと思ってな」
「……旧特待生寮か? ……それは、やめておいた方が良い」
「何……?」
「あら、どうして?」
「実は、つい最近崩落事故があったんだよ。……今は危ないし、瓦礫で足場も悪くなってるんだ」
「そうだったの? 確かに、それなら車椅子では厳しいわね……」
「……ならば、今日は部屋に戻るか。十代とも話せたしな」
「ああ、それが良いと思うぜ」
「そうね……じゃあ、私たちはもう戻るわ、十代。ユベルも、またね」
「おう、気をつけてな!」

 ユベルは私の言葉に特に返事をしなかったし、視線も向けてはくれなかったけれど、──ひらり、と片手をあげて反応はしてくれたので、「また今度」、私たちが十代と会うことについて、一応はユベルからの許可も降りたらしい。
 異世界でユベルと対峙してデュエルをしたあの時、──私は結局、ユベルという精霊の真意を汲み取ることが出来なかったけれど、──でも確かに、あの精霊の根底にあるものは少し私に似ているんじゃないかと、そんな風に思ったのだ。
 愛するが故の凶行、私は既にそれについての心当たりが幾らでもあり、──十代に寄り添うユベルを見て、私の見当違いではなかったらしいことが確認できて、……正直なところ、少し安心していた。

「──じゃあ、戻りましょうか、亮」
「ああ」
「部屋に戻ったら、お茶を淹れて……少し、亮のデッキのことを考えてみない?」
「俺のデッキ?」
「ええ。……新しいデッキのこと、少しでも構想が出来ている方が、手術を頑張ろうと言う気にもなれるんじゃない?」
「……そうだな。手持ちのカードを眺めて、少し考えてみるか……」
「ね。亮の家からストレージに入ってるカードと、あと私のも実家から少し持って来てあるから。色々展開を考えてみましょうよ」
「……ああ、ありがとう、

 
「──やっぱり、カイザーとさんには、何も知らせたくないよな、吹雪さん……」

 俺のせいで、異世界にて凄惨な結末を迎えたあの二人が、心身ともに傷付き切って此方の世界に帰還して、──それでようやく、数年前のように、穏やかに笑い合っている二人を見ていたら、──そりゃ吹雪さんは俺以上に、二人を巻き込みたくないだろうなと、それは俺にだってよく分かる。
 カイザーは俺が戦った誰よりも強い決闘者だし、さんもそれは同じで、更にさんは精霊と心を通わせている。──確かに、俺がこれから戦わなきゃいけない敵との決戦に二人が手を貸してくれたなら心強いけれど、……とてもじゃないが、今のカイザーはそんなことが出来るような状態じゃないし、さんだって今は少しでもカイザーの傍に居たいのだろう。
 ──それに、さんも、もう少しで俺と同じように人智を越えた存在になるところだったのを、──あの人は、どうにか人の側に踏み止まれたんだからさ。……このまま関わらずに済むのなら、それが一番なんじゃないかと、……どうしたって、そう思いたくなるよなあ。

「……君は本当に甘いね、十代」
「煩いな、ユベル……」
「オネストの話を忘れたのか? ──きっとは、最後には嫌でも奴との戦いに引きずり出されるぞ」
「……そうかもな」
「全く、何を遠慮しているんだか……」
「お前こそ、随分とさんに肩入れしてるんだな?」
「冗談じゃない。……多少は骨のある奴だと、そう思っているだけさ、大嫌いだよ」
「へえ……」
「……なんだい十代、ニヤニヤして」
「べーつに?」


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