救世主には俺がなる

※古代→現代



 ──今にして、思えば。白き龍こそが、私の元へとあの子を運んできてくれたのだろう。

「とうさま! 今日はもう、お仕事は終わりですか?」
「ああ。……よ、お前こそ勉強は済んだのか?」
「はい! はとうさまの後を継ぎファラオとなるのですから! 王たるものの責務として、勉学はしっかりと果たしております!」
「フ、それは何より。流石は私の娘だ、

 ──という娘に私が恵まれたのは、キサラを喪ってから数年後のことである。
 の涼やかな瞳は彼女に似て、白い肌もまた、彼女によく似ていた。……この子は、彼女に似ている。それは決して顔立ちが似ているだとか、声が似ているだとか、そういった類のものではない。
 言うなれば彼女達は、魂の色が似ていたのだ。故に私は、をキサラの忘れ形見と思って、彼女にしてやれなかった分まで、この娘を守り育てようと誓っていた。
 は、私にとって一人娘だった。幼い日から王となることを志し勉学にも政治にも魔術の研鑽にも真剣に取り組み続けたあの子は、年頃の娘に成長する頃には次代のファラオとして神官団からも、民からも期待される存在となっていた。
 民意による支持さえも受けた次代の王が征く道は、正しく順調、と言って差し支えが無かったことだろう。──故に、そうだ。……あの子の生涯に影を差したのは、他の誰でも無いこの私なのだ。

よ、我が王命を持ってお前にひとつ、仕事を与えよう。」
「! 本当ですか!? 父様!」
「ああ。それで、お前に任せたい仕事というのは──」

 ──石版に眠りし魔物たち。それらの管理をあの子に委ねたのは、我が後継者としての期待あってのことだった。
 生まれながらに高い魔力を有していたあの子は魔物の扱いにも長けており、いずれファラオとなる頃には武勇に長けた王として名を残すことだろうと私だけではなく、神官団からもそのように思い願われていたのだ。
 ──それに、いつか。……私はあの子に、白き龍を託すことになるのだろう。
 あの子の魂の色は、キサラによく似ている。彼女もきっと、の傍ならば安らかに在れる筈だ。ならば、早いうちからその側に置いてやるべきだ。いずれ魂の片割れとなる者と心を通じ合わせるのに、早すぎるということもなかろう。
 石板の管理があの子の管轄に移ったことにより、は事実上、王宮の戦力を束ねる立場になった。魔術のマナと、武術のとで成された双璧は、王宮の安泰を不動のものとしてくれている。

「白き龍よ、どうか我がファラオを、国を、民を守り給え。さすれば私はこの身を光に捧げよう、祈りと信仰、名前を捧げよう。この命を預け永遠の時を供に往こう。我が名は王女。──お前にすべてを捧ぐ、御子の名である」

 ──あのとき、私があの子の手を、引いてやらなければならなかったのだ。此方側へと、繋ぎ留めておかなければならなかった、境界の向こう側へと──彼の王の居る場所へなど、みすみす行かせてはならなかった。
 ……来る日も来る日も、真剣な横顔で石板に祈りを捧げるその姿を、貴いなどと思っては、いけなかったのに。──それでも、息を呑むほどに美しかったのだ。その姿を見ていると、まるで、あの子自身が龍の化身であるかのような気がして、その空間は土足で踏み荒らしてはいけない聖域か何かのように思えてしまった。
 ──それから少し過ぎたある日、あの子に友人が出来た。民の暮らしを知る為にと護衛を付けた上でが城下へと下りることが増えてきた、とある日の出来事であった。
 ……思えば、あの日こそが、終わりの始まりだったのだろう。
 その日は日差しが強く、肌を焦がすほどの暑い日で、は城下の外れにて、行き倒れていたその村娘を助けたのだと後に家臣団より伝え聞いた。
 煌びやかな宮殿には不釣り合いな格好をした少女の手を引き、が少女を王宮へと初めて連れてきた日。──私は、思い出したのだ。
 彼女との、記憶を。──キサラという、もしかすればの母親になっていたかもしれない、女の姿を。

「──と、申します。ファラオ、私のような者が王宮へと足を踏み入れることをお許しくださり、ありがとうございます……」
「──あ、ああ……我が娘の友人と聞いた。……私の娘を、どうか頼む。……仲良くして、やってくれ」
「父様、彼女を私の部屋に招きたいのです。彼女に見せたい書物があって、話したいこともたくさん……!」
「……許そう。お前の友人を大切にしなさい、
「はい!」

 が巡り合ってしまったその相手は、例えるならば、──私にとっての、彼の王か。──それとも、私にとっての彼の女か?
 少女の手を引いて、楽しげに走り去るの後ろ姿に、……ざわり、と妙な胸騒ぎがした。
 酷く嫌な予感がして、私にはあの少女の目をまっすぐに見ることも、少女の名を聞き取ることさえも出来ずに。……白い肌、白い髪に、青い瞳。それはまさしく、キサラの生き写しのような姿だった。……キサラには、妹が居たのか? 彼女の身内の存在などが知れる前に、あの女は私の前から消えてしまったが為に、私には少女の正体を知ることさえも叶わない。
 ──或いは、もしやあの少女は、──キサラを救えなかった私の元に、復讐をしに来たのだろうか?
 ──とあの少女を、供に歩ませては、いけない。
 私は少女を見た瞬間から直感的にそう感じていたと言うのに、……それと同時に、嫌と言うほどに分かってしまった。
 ……あの二人はきっと、出会うべくして出会ったのだ、と。
 何れは少女に置いて行かれるのだと、そう知ったとしても。永久に魂を縛られるのだと、そう教えたとしても。……きっと、はあの少女の手を離さないことだろう。
 何故ならば、他でもないこの私がそうだった。その先にどんな結末が待ち受けているのか知っていたとしても、私はきっと、彼女の手を放さなかったことだろう。……あの結末が、彼女との別れが如何に耐え難いものであったとしても、……あの出会いに意味がなかったとは、今でも私には、思えない。

 故に、私はと少女の行く先を黙って見守ることにした。──だが、私に何よりの後悔があるとすれば、……無意識の内に、置いて行かれるのはあの子のほうだと、そう思い込んでいたことに他ならない。

「──ファラオ! 様が逆臣を討ち果たし、ご自身までもが犠牲に──!」

 ──その日、少女の暮らす村が王宮の謀反人によって襲われた。が少女と睦まじく過ごすことを許さない逆賊による、凶行だった。
 謀反人を誅し、炎の海より帰還した白い肌は、まるで枯れ木の色のように焼け焦げ、くったりと力の抜けたその小さな体を前にして、脳は理解を拒み体から力が抜けて、私は家臣たちの目を気にする余裕もなく、その場に崩れ落ちた。
 慌てて駆け寄り抱きしめたその身は、握ったその掌は、もう二度と、私の手を握り返してはくれないのだろう。
 ──まさか、お前までもが、私を置いて行ってしまうのか。
 ……私の希望、私の光、彼女が授けた、私の大切な、……大切な。光はいつも私を導いてくれるのに、炎はいつも、私からすべてを奪っていってしまうとでも言うのか。……呆然と揺れる視界の端に、自分のせいだとそう言って、ぼろぼろと涙を零すあの少女の姿を見た。

「……そうでは、ないのだ……」

 ……断じて、あの子のせいではない。少女のせいではない。彼女のせいではない。
 護ってやらなければいけなかったのだ、私こそが彼女たちの全てを。
 指先さえも届かぬ何処かへと大切な誰かを見送るのは、もう御免だと、もうたくさんだと、あれほどに思っていたというのに。……私は、お前を護ってやれなかった。……悲劇を予見していたならば、尚のことお前たちを護ってやれるのは、私だけだった筈だというのに。

「逝かないでくれ、よ、私を置いて逝くな、光の中へと逝ってしまわないでくれ、私の、私のたった一人の……」

 ──私の、星の光よ。


 ──それは、オレにとっては十年前で、あの男にとっては三千年前の記憶である。
 あの日、古代エジプトの再現空間にて目撃した、王の記憶とやらを、その後に記された歴史のすべてを、オレは決して鵜呑みにした訳ではない。
 確かにそのような世界があったと理解したところで、オレはオレだ。どこぞの神官でもファラオでもない、オレは海馬瀬人なのだ。
 故にあれは、この海馬瀬人とは何の関わりもない物語。──そう、そうなのだ。……それでも、何故かあの日、オレはあの少女と近い未来で再会するのではないかと、……一瞬、確かにそのような幻想を抱いてもいたのだった。
 少女の龍の眼は、好感が持てた。王を慕って励む姿は、眩しかった。……故にあの男は、心底に愚かであった。オレならば決して、あんな少女を見殺しにしたりしない。何があっても、我が子を絶対に護ることがオレには出来る筈だ。あのような悲劇の繰り返しを、果たして誰が望む? ……何故、もっと予防線を張っておかなかった、何故、全て纏めて護ってやるくらいの手腕を見せられなかった、その程度で何が王だというのだ。……笑わせるな。
 ──だからこそオレは、断じてあの男などではない。オレは、海馬瀬人だ。海馬という、愛しい少女が誇る、絶対無敵の父親だ。

「──父様、あのね! 今日の決闘でね、わたしね!」
「落ち着け、……ゆっくり話せ、話ならいくらでも聞いてやる」
「えへへ……えっとね、今日の対戦相手、亮だったの。それでね、決め手のターンに手札に乙女が来てくれてね……」

 ころころと目まぐるしく変わる表情で、戦友との決戦の話を、パートナーとの信頼の話を懸命に話す姿は、只の少女のそれでしかなく、……そんな姿を見ていると、オレはいつも、ひどく安堵する。
 オレは、セトなどという男ではない、などという娘ではない。王でも王女でもないオレ達は、血の繋がりさえ持たないが、こんなにも只の親子だ。
 ……その事実が、こうも愛おしい。こんな平凡な少女を、誰が攫っていく訳もない筈だと、そう思う。攫われたとて、取り返せぬ筈がないではないか。こんなにも、嬉しそうに自らを取り巻く全てを想い、愛おしげに語る娘を、……一体、誰が見送ってしまおうなどと思えるだろう。

「──でね! 今日の決闘、立ち回りが父様に似てるって言われたの!」
「オレに?」
「流石親子だって、遊戯さんが見に来てくれていたんだけど、終わってから楽屋に来てくれて……」
「何だと……? おのれ、遊戯め……オレは聞いておらんぞ」
「ふふ、私も。……でもね、遊戯さんすっごく褒めてくれたし、喜んでくれてた。私の成長が嬉しいって、それに、私が娘になってから、父様すっごく楽しそうだって、遊戯さんがそう言ってくれたのよ」

 照れたように笑う、たった一人の娘が、オレは心底から愛おしくてたまらない。
 ──ああ、そうだ。その通りだ。……遊戯は、アテムではない。オレはセトではないし、ではない。そんな当たり前の事実は、永遠に続いてゆく。──オレの戦いのロードには、この先もずっと、おまえたちがいるのだ。

「──フ、当然だ。お前はオレの自慢の娘で、遊戯はそれをずっと見てきた、このオレの生涯の好敵手なのだからな……」

 光の道に終わりなど訪れない。何処より眩しいこの場所は、終幕へと至る扉の前などではない。
 星は、墜ちない。一等星が輝き続ける限り、星々は己も更に強く輝こうと、光り続けるからだ。故に、オレはお前の永遠の星導で在ろう。
 ──だが、そうだ。……オレ達がこうして巡り合ったことだけは、再会と呼んでやってもいい。それは運命などという陳腐なものではない。……そう、この小さな白い手は、オレが自力で手繰り寄せた、必然だった。

「──よ、貴様は、決闘は好きか?」

 出会う前より、お前がオレの娘であることを知っていた。問いかける前より、その答えも知っていた、と。……いつか、お前に教えたのなら。お前はどのように、微笑んでくれるのだろう。 inserted by FC2 system

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