頭をやさしく撫でる、あなたの

 ──その少女を見た時、オレはその眼が自分に似ている、と。……そう、思ったのかもしれない。……否、そのように感じたからこそ、オレは遥か遠い見覚えのあるその少女へと声を掛けたのだろう。

「──貴様、名は何という?」
、です……海馬さま……」

 小柄な体をじいっと上から見下ろされて、怯えを湛えた眼はそれでも、強い光を湛えていた。
 きらきらと、焦がれるような眼でオレを見上げたその少女は、──確かに、何処かが。

、か……」

 ──とうに知っていたその音の響きを噛み締めながら、オレは思った。……この娘は何処か、幼い日のオレと弟に重なって見えると。

 オレの愛娘──は、元々孤児院で暮らしていた少女だった。
 それは本来の家族とは、何らかの理由があり離れて暮らしている、ということ。……その理由を、当時八歳だったは決して覚えてはいなかったが、その境遇に在る寂しさは、硝子玉の瞳にも鮮烈なまでに揺蕩っていた。
 ゆらり、揺らめく瞳は美しくもあり、荒れ果ててもいる。──それは、龍の瞳だった。孤高に殉じる、涼やかな瞳をした少女。……そう在らなければきっと、息も出来なかった幼い娘。

 初めてと出会った日、オレは、自分が生まれ育った孤児院へと寄付金の話し合いに訪れていた。
 海馬コーポレーション製の新製品の子供向け玩具に、菓子の類を山ほど持って訪れたオレの元へと、施設の子供たちは皆一様に、大はしゃぎで駆け寄ってくる。
 ……その中で、一人だけ遠巻きにオレを見る目があった。その瞳はきょろきょろとオレの周囲を広く見渡し、それから、ようやくオレを見つめると、……何か言いたげな顔をして、しかしオレや周囲に気圧されているのか、決して自分から此方に駆け寄ってくることは無かった。
 たかが子供たちの中の一人だが、オレはその視線が、どうにも気にかかったのだ。
 ──それは、オレが数年前に古代エジプトの王の記憶の中で、少女によく似た皇女を見たからという、そういった理由もあったものの、……それとは別に、少女は今程に妙な挙動を見せていたというのもある。
 ……今、この少女は、オレの傍に何かを見付けてはいなかっただろうか。
 磯野も外に控えている今、オレの傍に何者かが立っているなど在り得ん、──そう、それは在り得んことだと、非科学的だと以前のオレならば一蹴したことだろう。
 ……だが、今となっては。……あのオカルト極まりない決闘の直中に散々放り込まれた今のオレには、その視線の意味も気になって仕方がなかった。

「──よ、貴様、決闘は好きか?」

 ──大きく首を縦に振った少女には、その時やはり青眼の精霊が見えていたのだと、後にオレはの口から聞くこととなる。

 ──決闘が好きだ、とそう言ったに、オレは決闘の誘いを仕掛けた。
 何も幼い子供との試合に期待していたわけでもないが、……この少女には何処か、オレを惹き付ける力があったのだ。……或いは、オレが只そう思いたかったのかもしれないが。
 ──ともかく、少女は一体どのような決闘をするものかと気になり、対戦に誘ってはみたものの、……聞けばに決闘の経験は碌になく、自分のデッキさえ少女は持たぬというのだ。

「この施設には、オレがデュエルモンスターズのパックを毎月届けている筈だろう? 貴様は貰っていないのか?」
「わ、わたしも……カードはほしい、けれど……」
「けど、何だ」
「……わたしがデュエルすると、みんな、怖がるし……せんせいたちが、こまるから……」
「……そうか、ならばチェスはどうだ? 出来るか?」
「! できます!」
「よかろう、オレとチェスで勝負だ。異論はないな、?」
「はい! がんばります!」
「フ、言っておくがオレが得意とするのは決闘だけではない……オレはチェスも強いが、貴様が勝ったならば……そうだな、何かひとつ、貴様の望みを叶えてやろう」
「のぞみ……?」
「子供ならば、欲しいものの一つや二つくらいはあるだろう。或いは、何かして欲しいことでも構わん」
「あ! ……あります! そ、それじゃあ、」
「どうした?」
「かいばさまが、勝ったら、わたしもかいばさまのおねがい、ひとつききます。そうじゃないと、せいせいどうどう、じゃないから……」
「……オレの願いを叶える、だと……?」

 ──小娘などに、この海馬瀬人の望みを如何様にして叶えられるというのか。
 そう言って盛大に笑い飛ばしてやりたかったその申し出だが、思いの外接戦となったその一局の中で、……なるほど確かに、オレにはにしか叶えられないであろう、望みが出来た。
 今はまだ、その戦術は稚拙で読みの甘さもやや目立つ。──だが、齢10歳にも満たぬ子供の戦術としては、十分に見事であった。……対局の最中にてとて、この一戦、決して自分は勝てないことは理解出来ていたのだろう。
 その証拠に一瞬だけ、この少女は迷いを見せた。──ほんの一瞬、たった一瞬の不自然な動き、それこそ下手な差し手では見抜けぬような不自然さ。……は間違いなく、あの一瞬にイカサマを仕掛けようとしたのだ。
 しかし、それを思い留まり、そして再びオレを見据えたの視線は、──何処までも気高かった。そして、確信したのだ。……この少女は、あの日のオレなのだと。或いは、オレさえ凌駕していくかもしれない、少女はその資質を持つ人間なのだ、と。
 ──そしてオレは今、きっとこの一戦で試されている。……己は嘗ての剛三郎となるのか、それとも、それを越えて行ける男にオレは成れたのか。
 目の前に座るは、既に幼い日のオレを越えている。は、オレが捨てきれなかった卑劣さを、心の弱さを、己が手で振り切ってオレに対峙している。
 ──ならば、オレとて、真っ向から応えてやらねばならん。
 最強の戦術で、この少女に、そして自分の中に未だ焼き付いて離れぬあの日の情念に、オレは打ち勝たねばならんのだ。

「──チェックメイト」

 ──そうして勝者は、あの日、確かに、己が願いを叶えていた。

 いつか必ず、は良い決闘者になると思った。
 そして、オレは出来る事ならば、その成長を傍で見届けてみたい。この少女を決闘者として一人前に育て上げてみたいと、そう思ったのだ。
 そんなものは、オレの身勝手なエゴに過ぎないとそう思いつつも、自分の傍で成長していくを見ているのはこの上なく楽しく、……きっとオレは、この十年間。のお蔭で、幸せだったのだろう。

「あの、かいばさま」
「……よ、オレはお前の父様、だろう」
「……と、とうさま、あの、どうして……」
「何だ、
「どうして私を、とうさまのこどもに、してくださったのですか……?」

 ──親子となったばかりの当初は、怯えられもした。十歳程度しか離れていないオレとでは、普通の親子になるまでには大分時間もかかった。
 だがそれでも、はオレの姿を追い続けてくれた。父の教えこそが正しいものと信じて、少女は直向きにこの背を追いかけてくれた。
 少年少女たちに決闘を教える教育機関として、アカデミアの設立を思い浮かべたのも、もしかすれば、がオレの傍に居たからこそ、だったのかもしれない。
 オレにしがみ付く小さな手は、オレを追いかけて走る小さな足は、いつしかオレを追い越して行ってしまうほどに大きくなって、──初めて、に決闘で負けた時も、それは確かに接戦で、オレのデッキが事故を起こしていたのもあり、にとっては泥仕合の末の辛い勝利で、あの子は青眼を継ぐことに葛藤もあったのかもしれない。
 だが、勝ちは勝ちで、負けは負けだ。オレが敗者で、が勝者。……その敗北は、どうしてか心地良かった。負けて悔しいと思わなかったことなど、オレにとっては初めての経験で。
 ──オレの娘はもう、何処にでも自分の足で駆け抜けていけるのだと誇らしく、……されど、幾らか寂しくもあり。……ああ、しかし。そのように感じ入ることが出来た今のオレはきっと、が誇れる父に、なれたのだろう、と。

 自らのデッキ──己が魂のカード、青眼の白龍を娘に託した時、は唖然とした表情で、初めこそ、それはとんでもない申し出だとそれを断ろうとした。
 だが、の傍に立つ精霊──オレには見えないが、その精霊のモンスター効果は、オレとて知っているのだ。
 あのカードを作り、へと贈ったのはペガサスだったが、……もしかすれば奴はあの時既に、こうなる未来を予見していたのだろうか。……全く、黄金の瞳を失った奴に限ってそのようなことは有り得ん、くだらんオカルト話だ。
 ──だが、もしもオレが青眼を他の決闘者へと託す時が来るならば、それはしか在り得ないことだろうと、確かにオレはそう思った。
 この白き龍を、ならば遥か高みへと、オレが届かなかった頂へと、押し上げることだろう。──そして、にもきっとその時、青眼の力が必要になるとオレは知っていた。
 ……ならば、それが良いのだ。オレは、これが良い。
 青眼とて、精霊の見える主、それもオレの娘でどうやら平時より仲良くしているらしいともなれば、マスターと仰ぐにも何も不満はない筈だ。

「……父様、私……」
「持って行け、餞別代わりだ。アカデミアでも青眼と共に思う存分、暴れてくるといい」
「……本当に、私でいいの?」
「フ、当然だろう。……お前を差し置いて、他の誰がオレの意志を継いでくれるというのだ?」
「……ありがとう、父様! 私、頑張ってきます!」

 ──あのとき、既にオレの意向などは決まっていたようなものだった。
 娘は、は、必ずオレを越えた高みへと辿り着くだろう。あの子は天才だからだとか、それはそうも安っぽい理由ではない。……だが、只の才能や幸運などではないことが、末恐ろしくもある。
 あの少女は、1%のきらめきと、99%の執念で出来ている。──只、目の前の決闘に勝ちたいのだ、負けたくはないのだ、と。
 この父の背を追ううちにその身に刻み込まれた負けず嫌いで、あの少女は走り続けており、そのような走り方だからこそは、何があっても足を止めない。
 立ち止まれば追い抜かれるだけだということを、は誰よりも知っている。……だからこそやはり、立ち止まれない我の強さまでもが、はオレによく似ていたのだろう。

 ──プロリーグに進みたい、と。恐る恐るにそう告げてきたが、己の意向をオレに示したのは、その時が初めてのことであった。
 それまでのは、何があっても、この海馬瀬人の息女として相応しい行動を選び続けてきた。己が欲求など何もかもを押し殺し、己を律してきたが、そのときに初めて、オレに真っ向から意見したのだ。──それほどまでに、娘にとって決闘は掛け替えのないものだった。何よりも大切な財産だった。
 ……それが、嬉しくない筈があろうか。愛娘の初めての我侭を、喜ばない父が、決闘を愛することを喜ばぬ決闘者が、居るだろうか。
 その我侭に関して、とっくにオレの中では結論が出ていたところでもあったからこそ、それを我侭、と呼ぶには聊か不足ではあったが、オレは只、ようやく父に甘えようとしてくれた娘が愛おしくて愛おしくて、堪らなかった。
 ……それにきっとこれから、今のようにまたいくらでも、オレとは、親子になっていけることだろう。

「──よ、貴様はオレの娘だ。たった一人の、このオレの娘。貴様はオレの後を継ぐためだけにここにいるのではない、貴様が何を選ぼうと、海馬は愛しの我が娘だ」

 ──故に貴様は、この父の視線の先をこそ、走り続けるがいい。
 ……オレはこの先もずっと、此処から貴様を見守り続けよう。

 確かに、最初にをこの屋敷へと連れてきたそのとき、オレはを己の後継者に、するつもりだったことだろう。
 だが何も、それは今ではなくともいい。更に言えば、モクバに子供が出来た時に、モクバの子がそれを望み、が望まなかったなら、モクバの子にその職務は譲ればいいだけのこと。
 貴様は決してオレの後釜として此処に居るわけではない、と。──その言葉にオレの意向や真意など、全てが込められていた。
 それにだ、が我が社の広告塔としてリーグで活躍してくれれば、巡り巡ってそれは会社の利益にもなる。それもまたひとつの、会社を支える形ではなかろうか。
 の父として子育てにも慣れぬまま奮闘したこの10年程の年月で、オレが得たのは、そう言ったものだ。かつて否定した、父と言う者の存在、その在り方。……オレは今ようやく、娘と共にその過去を振り切り、乗り越えた。
 は、数えきれないほどのものをオレにくれた。オレの娘になれ、とあの少女と家族になることを欲して望んだあの日から、──そして今でも、はオレに、いつも大切なものを教えてくれる。

 ──屋敷の廊下を軽やかに駆け抜ける、高いヒールの音が執務室まで聞こえてくることに気付き、オレはモニターから視線を外すと、そっと口角を上げる。……このオレが灰の中から引き上げたその足音は、部屋の前で立ち止まり、そして光を背に、扉が開かれた。

「──父様!」
よ、随分と早い帰りだな、まだ試合会場にいるものだとばかり思っていたが……」
「あら、試合観ていてくれたのね、父様」
「フ、愛娘の晴れ舞台だ、当然だろう? モニター越しにしか見られんのが悔やまれるがな……」
「ふふ、それでも嬉しいわ。……そう、私ね、急いで帰ってきたのよ、今日だけは、今日のうちに帰ってきたかったから……ねえ父様、今日が何の日か、覚えてる?」
「ああ、覚えているとも。……娘の顔も見れんままに終わらせるには惜しい日だ、と貴様はそう言いたいのだろう?」
「もう、父様ったら……」

 はそ言ってはにかむと、胸に抱えた色とりどりのバラの花束を、そっとオレの手へと受け渡す。
 ──その花は、父へと贈る花だ。その花をこの日に選び、そして、幾重もの色を取り合わせたのは、意図があってのことなのだろう。……なるほど、そう思えばこそ娘からのいじらしいメッセージの数々に、思わずふっと頬が緩くなるのを禁じ得なかった。

「お誕生日おめでとう、父様。この花束と、それから今日の勝利が私からのプレゼント!」
「……全く、粋なことをするようになったではないか、よ」
「ふふ……こんなんじゃまだまだ、父様には何も返せていないけど、時間をかけて、たくさん、恩返ししていくから。だから、ずっと見ていてね、父様!」
「……本当に貴様という奴は……否、何も言うまい。今後とも楽しみにしておくとしよう」
「ええ! 父様の為にも、私頑張るから……まだまだ背中を押していて、ね?」

 その背は、オレの追い風などとうに必要としていないだろうに、だがそれでも、追い風があればあるだけ、きっとは高く飛ぶのだろう。
 ならば、それをもう暫く見つめているとしよう、後押ししてやるとしよう。──いつまでもオレだけのではないのだと、分かってはいるが。……せめて今は、こうして父のものでいてくれる今はまだ、いくらでも貴様の助けとなろう。
 ──それでも、貴様がオレに与えてくれた輝きの数には、遥かに及ばんのだろうが。

「初めて会った日に、父様はね、私の願いを叶えてくれたでしょう? だから、私も……」
「──待て、あの日勝負に勝ったのはオレだろう。望みを叶えたのも、オレだけの筈だが……」
「え? でも父様、だったらどうして私を……」
「オレがを娘にしたいと、そう望んだからに決まっているだろう。他に理由があるのか?」
「……そう、だったの……?私、父様に、決闘を教えて欲しいって、あの日願おうと思ってたから、てっきり……」

 ──ああ、全く。オレの娘は本当に、何処までも愛らしくて、いつまででも見つめていたくなる。

「父様は、私の願いを叶えてくれたのかな、って……そう、思っていたの……
inserted by FC2 system

close
inserted by FC2 system