きっかり一時間だけの花嫁候補

※68話時点での執筆。


「──ねえ、其処のかわいこちゃん、見かけない顔だね。六葉町は初めてかい?」
「? ……?」
「其処のきみのことだよ、きみのことさ。其処できょろきょろしてるかわいこちゃん、きみに話しかけているんだよ、話かけているのさ」
「え、……あの、違うひとだとは思いますけれど、ええと……? あの……」
「違わないさ、六葉町には観光かい? ギャラクシーカップに参加しに来たのかな? 参加しに来たんだね?」
「そ、……そんな感じ、ですけど……どうして……?」
「こんなにかわいい子を僕が忘れるわけがないからね、忘れないよ。……ああ、きみって、本当に可愛らしいなあ……」

 ──そう言って、うっとりと目を細めるその少年の穏やかな仕草を前にして私は、──まるで兎が蛇に一睨みされたかのように、一瞬でその場から動けなくなってしまった。
 ──六葉町を訪れたのは、確かにギャラクシーカップの開催に合わせてのことで、更に言えば、数年前に家出した幼馴染がどうしているかを心配した兄貴分に付いて六葉町を訪ねたからだった。しかしながら、私達も当初は幼馴染を実家に連れ帰る予定で六葉町を訪れたものの、あいつの成長を見て考えを改めたマグ兄に言われて、私だけが幼馴染のお目付け役としてこのまま六葉町に残留することになったという経緯があったから、……確かに私は、六葉町に来たばかりだったし、私にはまだこの街にほとんど知り合いがいない。
 でも、そんなのはどうだっていいことだ。──それよりも重要なのは、目の前の男の子が、どうやら、私のことを可愛いって、……そう褒めそやして、私のことを口説いてきているらしいと言うそれだけ、だった。
 私は幼い頃から、家の方針で武道を叩き込まれながら厳しく躾けて育てられたから、幼馴染には未だに怖がられているし、それ以外からも女の子らしい扱いを受けた経験が私には一度たりとも無くて、けれど、それ自体を心苦しく思ったり嫌だと思ったことだって、一度もなかった。寧ろ、次期当主として誇らしいことだとそう思っていたのだ。──そう、嫌だったことなんて、今までは一度もなかったのに。

「六葉町には来たばかり? 中学生くらいかな?」
「……え、あ、……はい、実家を離れてこっちの中学に、最近、編入してきて……」
「へえ、じゃあ一人暮らしなんだ? 大変だ、それは大変だね。……そうだ、僕はこういう者でね……困ったことがあれば、いつでも頼って構わないよ。是非とも、頼ってほしいな」
「……えむ、あい、けー……って、確か、マナ……」
「あれ、MIKを知ってる? 知っているのかい? 光栄だな……実は僕の兄さんがMIKのトップでね、僕は兄さんの手伝いをしているんだ、手伝っているのさ」
「特務執行官……じゃあ、あなたは偉いひとなの?」
「僕の名前は特務執行官、じゃないよ。それに偉いのは兄さんの方でね……トレモロ、竜宮トレモロさ。僕の名前、其処に書いてあるだろう?」
「……トレモロ、くん」
「ああ、そうだとも。……それでかわいこちゃん、きみの名前は? 是非とも、きみの名前を教えてよ」
「…………」
「へえ、か。……綺麗な響きの名前だね、きみによく似合ってる、よく似合うと思うよ」

 ぺらぺらと口説き文句のような言葉を流暢に唱えるその口車は軽快で、けれど、軟派じみたこの行為よりもずっと自然な所作で、“MIK総帥直属特務執行官 竜宮トレモロ”と印刷された名刺を手渡してくる彼のそんな身の振る舞いが、私にはどうしてか酷く大人びて見えて、そのおかげか私は彼に対してもあまり不信感を抱かずに、こうしてトレモロくんの話をに耳を傾けてしまっている。──実家に居た頃は誰にも頼るな、誰も信じるなと、固くそのように教え込まれていたにも関わらずに、だ。

 トレモロくんは外見から見た感じでは、私と同年代くらいに見えるのに、名刺を手渡す彼の仕草には何の違和感もなくて、それは、彼が非常にその行為に手慣れているということに他ならなかった。
 中学生の私には、当然ながら日頃から名刺を交換したりする機会はないし、トレモロくんから受け取ったこれに返すべき自分のそれどころか、受け取ってしまった名刺をしまっておくための入れ物もない。それを理由に、私があたふたしていることに気付いたのか、まなじりを下げてくすくすと笑みを零しながらもトレモロくんは、「デッキケースさ、デッキケースに入れておくと良いよ。そうすれば失くさないし、有事にはすぐに確認できるだろう?」と、私が腰に付けたそれを軽く指差してそう言うものだから、……なんだか、私には彼のそんなところも妙に大人びて見えてしまって、私はいつの間にか、目の前の彼のことが大人っぽくてかっこいい男の子に見えてきてしまって、自分がすっかりトレモロくんに見惚れているというその事実に、嫌でも気付かされたのだった。

「……あの、でも、私、名刺もってない……」
「良いよ、気にしないで。僕が渡したいだけさ、渡したかったんだよ」
「……でも……」
「……まあ、連絡先くらいは知りたかった、知りたいけど……きっと、きみとはまた会える気がする、気がするのさ。ギャラクシーカップも盛り上がっているところだし……もちろん、きみも参加するんだろう? 参加するよね?」
「そ、……れは、そのつもり、だけど……」
「それは良かった。……ああ、もちろん、何か困ったことがあったら連絡をくれても良いよ? MIKとしても、困っている市民は見過ごせないし……それに……」
「? それに……?」
「……うん、気に入っちゃったな。きみのことが、気に入ったんだよ。だから、個人的な呼び出しにでも喜んで手を貸すさ、手を貸すとも。……じゃあ、また会おうね、。次に会えるのを楽しみにしてる、楽しみだよ」
「え、あの……ちょ、ちょっとお……!?」

 ──そう言ってあっという間に立ち去ってしまった、あの男の子に、あっさりと心の臓を射抜かれてしまった私は、──その後、彼へと向けられている女の子たちからの人気を知ったことで、とんでもない苦労を強いられるわけなのだけれど、……そんなことは未だ何も知らなかった頃の私は、只々、トレモロくんと出会えて、彼が私を見つけてくれたことを、どうしようもなく嬉しいと、そう感じてしまったのだ。
 ──だってあなたは私に、初めての“可愛い”をくれたひと、だったから。──あなたにとってはそうではなかったとしても、私にとってあなたは、特別なたったひとりになってしまったという、これはそれだけの、夏の儚くも淡い初恋の話だった。 inserted by FC2 system


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