アクアドウムの窒息

※義姉弟。恋愛ではない。フェイザーと夢主が恋仲なのが前提。


 トレモロくんという男の子のことを、私はずっと、可愛い子だなあと思っていた。
 出会った頃のトレモロくんは、私と比べても背だって低かったし声変わりもまだ迎えていなくて、本当に可愛らしい男の子だった。今となっては、彼もすっかり背丈が伸びて落ち着いた声色になり、MIKの職務においても私生活に於いても非常に頼もしいトレモロくんは、すっかり大人びた少年に成長したから、彼に向かって“可愛い”と評するのは、些か失礼なのかもしれない。

 それでもやっぱり、私は今でもトレモロくんのことを可愛いなあと思ってしまうのだ。大きなひとみの縁からピンと伸びた睫毛は長くて、秘書の女の子たちにきゃあきゃあ騒がれるのもよく分かるほどに、トレモロくんは綺麗な顔立ちをしている。
 私はトレモロくんの事を家族と言う立場から見ているから、恐らくは身内の贔屓目が入っているとは思うものの、それでも、トレモロくんを囃し立てたくなる彼女たちの気持ちもよく分かるし、お人形のような顔立ちをした彼のことを私はやっぱり、可愛らしいなあ、と思ってしまうのだ。

 トレモロくんは小さくて可愛くて、私から見れば尚のこと、彼は年下の男の子で子供だったから、……こう言っては図々しいかもしれないけれど、私はずっとトレモロくんのことを守ってあげたいなあ、なんていう風にも思っていた。
 ──今から何年も前、トレモロくんは、ある日突然、フェイザーさんに連れられて竜宮家を訪れた私のことを、嫌な顔ひとつせずに快く迎え入れてくれた。私がふたりきりの兄弟に割って入ることを、彼は決して咎めたりしなかったのだ。トレモロくんは初めて会った日から私のことを、姉さん、って優しい声で呼んでくれたから、……そんな彼のことを、私は心から大好きだとそう感じるようになって、私はお姉ちゃんだから、トレモロくんのことを護るんだって、……私は本気で、そう思っていたし、その気持ちだけは彼の“強さ”を仔細に知った今でも、変わることはないのだ。

「……可愛い。姉さんは、小さくて可愛いなあ……」
「? トレモロくんの方が小さいし可愛いよ……?」
「……ああ、違う、違うんだ姉さん。今のは言葉の綾さ」

 ──以前に僕は、らしくもなく姉さんの前でそんな風に迂闊な言葉を滑らせてしまったことがある。
 あの頃の僕は、まだ姉さんよりも背が低かったから、尚更に姉さんは不思議そうな顔をして、こてん、と小首を傾げて僕の言葉をまるで理解できないと言ったふうに反芻して、少し悩んでいるらしかった。
 でも、最近の姉さんは、僕が「可愛い」と言っても照れたように頬を染めるだけで、否定することは無くなったね。……僕はそれが、とても嬉しいと思うんだよ、姉さん。
 きっと、それは単純に姉さんが、例え“僕は人間の姿であっても”、姉さんよりも背丈も力もあることを知って、それに、僕も子供と言うほどの歳でもなくなったから、僕の気持ちを鑑みた上で尊重してくれているだけなのだと、そう思う。──きっと、僕はいつまでも姉さんにとっては可愛い弟だから、僕を甘やかす意味でも、姉さんは僕の好きにさせて肯定してくれているだけなのだ。

 でもね、姉さんは知らないんだよ。──否、今は知っているけれど、それでも、姉さんは知らないのさ。

 僕のことを小さくて可愛いだととか、守ってあげたいだとか、ずっとずっと、そんな風に言って大切に守ろうとしてくれていた姉さんだけれど、──僕にとってはずっと前から、姉さんの方がずうっとずっと小さくて可愛い“ヒト”だったのだということを、……姉さんは、知らないよね。そうさ、姉さんが僕を可愛いと言うたびに、僕も姉さんに対して同じことを思っていたことなんて、姉さんは知らないだろう?

 兄さんと同様に宇宙ドラゴンの血を引いている僕の身体は、地球人のそれと比べると幾らも頑丈で、動体視力も反射神経も、普通の人の比ではない。
 それはもちろん、平時のヒトの姿を取っている際にも変わらないのさ。
 つまるところ、僕は姉さんの華奢な指先に守ってもらわなくてもそれなりに強いし、あなたのことを護ってあげられる。僕は何度も姉さんに言ったよね、「僕が姉さんのことを守ってあげるからね」って。姉さんが微笑ましげに受け止めてくれていたあの言葉はね、額面通りの意味で其処には何の偽りもなかったのさ。……僕は兄さんとも、姉さんを守ることを約束しているからね。

 確かに僕は姉さんよりも歳下だし、兄さんの愛する姉さんが僕を本当の弟のように思って、まごころを砕いてくれているのが嬉しい。それらは本来なら兄さんにすべて注がれるべきもののはずなのに、兄さんと姉さんが僕にそれを分け与えてくれているその事実が、僕は堪らなく嬉しいんだ。僕はね、姉さんのことが大好きさ。いくつになっても子供みたいにして姉さんに可愛がられていることだって、全く悪い気はしていないし、いつまでも彼女の愛情を身に受けていたいとそう思う。
 ──けれど、けれどね。姉さんってば、ヒトの小さな体で頑張って僕を守ろうとしてくれるものだから。……ああ、本当に可愛いヒトだなあ、なんて。……そうして、僕があなたに向けている慈愛は、ともすればちょっと危ういものかもしれないから、やっぱり姉さんには教えられないな。
 だって、万が一にでも怖がられて、僕を可愛がってもらえなくなっては困るからね。──まあ、姉さんに限ってそんなことはないと分かりきっているけれどさ。あなたは、隣人よりも竜を愛するヒトなんだから。 inserted by FC2 system


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