捨てられた昨日の星と今日のすみれの花を恨むことなかれ

※キャラクターや作品に関する自己解釈を多大に含みます。



 ──時空の裂け目から落ちてきた少女、ショウ。あの子供とのアルセウスを巡る決戦に敗北した後で──ワタクシは次なる手立てを探し出す為にと、シンオウの各地を巡る日々を送っていた。ヒスイ地方、等という呼称は所詮は何も知らない他所者が勝手にそう言っているだけに過ぎずに、その輪から外れた今となっては、何を取り繕う意味があろうか。……古代シンオウ人の血を引くワタクシはかつて、この地こそが新天地などという幻想に憑りつかれた連中に住処を追われて、行く当てもなく只のひとりきりになった。孤児がひとりで生きていけるほどこの大地は優しくはなくて、理不尽な目に遭ったことも死を覚悟したことも幾らでもあって。……運良く、遠縁の親戚に当たるコギトさんからの保護を受けたことでワタクシは命を拾ったものの、救いを得られなかった同族など、この大地に還っていった同族など幾らでもいる。

 という女も、そのひとりであった。

 ワタクシが彼女と出会ったとき、はそれはもう酷い有様で。野生のポケモンに襲われて命からがらといった具合で逃げ延びた彼女が、コギトさんの庵の傍に“落ちていた”のだ。──行き倒れているなどという表現は到底、相応しくはなく、ボロ雑巾のような有様で彼女は其処に“落ちていた”。……彼女が同族だと気付かなければ、ワタクシはそのままを見捨てていたかもしれない。きらり、と胸元に──古代シンオウ人が装身具として身に着けていたと伝わる、ワタクシやコギトさんの持つそれと同じ首飾りを見つけて、思わず足が止まって。ワタクシは結局、をコギトさんの隠れ里まで運んで、……まあ、その後の介抱をしたのはワタクシではなくコギトさんだったのだが。はどうやら、ワタクシにも恩義を感じていたらしい。聞けば彼女も似たような理由で住処を追われて、何処にも行き場が無く野営を繰り返すうちに、野生のガチグマの群れに襲われてしまったのだとか、そんなことを言っていたような気がする。

「ウォロ、あの……私、ウォロの役に立ちたい。助けて、もらったから……」
「……今後は、コギトさんの庵で保護してもらっては? ジブンは、イチョウ商会という組合に属しておりまして、常に此処には居ませんが、まあ、コギトさんといれば不自由はしないでしょう! コギトさんも妙齢ですので、さんが居れば何かとお手伝い出来ますしね!」
「だったら、私もそのイチョウ商会に……」
「……イチョウ商会は、コトブキムラに拠点を置く開拓民……他所者の組織ですよ? アナタ、苦しいんじゃないですか?」
「う……じゃ、じゃあ、商会じゃなくて、ウォロの手伝いをしたい」
「ハァ……?」
「コギトさんに聞いたの。ウォロ、遺跡の調査をしているのでしょ? 私、ポケモン連れてるから、ウォロの護衛なら出来るよ! ……この間は、ガチグマに負けてしまったけれど……強くなって、役に立つから、ウォロの手伝いがしたい……だめかな……」
「……まあ、そういうことなら良いでしょう! 頼みました、さん! ジブン、ポケモン勝負は好きですが強くはないので……そうですね、稽古相手にもなって貰えますし、考えてみれば丁度いいです! では、よろしくお願いしますね、仲良くやりましょう!」
「う、うん……! ありがとう、ウォロ……!」

 ──そんな、白々しい契約を結んだのは、もうずっと昔のこと。同じ血脈を受け継ぐ人間同士として、絆だとか愛着だとか、彼女に対してそんなものを感じていたわけでは決してなかった。只、“他よりは幾らかマシ”だった、というそれだけで。ワタクシの最終目標がアルセウスだということも、世界創造を本懐とすることも、ワタクシがそれらをに種明かしをしてしまったのは、彼女を信頼していたからなどというそれらしい理由ではなく、彼女もまた、ヒスイに生きる人々に思い入れなどを抱いていなかったから、というそれだけだった。──祖を辿れば恐らく、ワタクシとは、コギトさんよりもずっと遠くの親類だったのだろう。他の同族が生き延びていたのなら、巡り合うことなどなかっただろう、というほど遠くの同種。他の者たちが息絶えてしまったからこそ出会い、共犯とも道連れとも呼べない間柄に落ち着いただけの薄っぺらい関係だと、そう思っていた。ポケモンを使うのと同じように、ワタクシはを使役しているのだと、──彼女を道具のひとつとしてしか見ていないものだと、そう信じていた。

「ウォ、ロ……にげて、ここは、わたしが……!」

 ──それが揺らいだのは、逃亡の日々の中で、彼女がワタクシをガチグマの群れから庇ったから、だった。当時よりも遥かに育った彼女のポケモンたち、……けれど、ショウさんと決別したワタクシの道連れとしてのこの逃避行は、旅路の安全が保障されたものでは決してなく、不自由を強いられることも多い日々だったから。腹部に怪我を負いながらもボールを構え直すの息は上がっていて、……危険だということは分かっていたが、ワタクシがこの場に縫い留まることがより危険だとも、分かりきっていた。ワタクシが此処に残って彼女と共闘すれば、ふたりで生き延びられるかもしれないが、──ふたりで命を落とす可能性だって十分にある。……だから、ワタクシは。その場から、逃げたのだ。合理的な判断だった。古代シンオウ人の血を引く我々は、海の向こうから渡ってきた余所者と比べて長命で、生命力も強い。はワタクシより血が薄いし、我々も不死ではないものの、怪我を負っただけなら幾らでも回復できる。……そうだ、死ぬ訳では無いのだと納得して、に戦況を預けて、……しばらくしてから、の様子を見に戻ってきた私の目に映ったものは。

「…………? 寝ているのですか……?」

 ズタズタに破れた衣服と血まみれの地面、割れたボールと倒れ伏すポケモンたちの中で、静かに目を伏せている──既に息を引き取った、の姿だった。

 ──そうして、ワタクシがシンオウ──ヒスイの地にてと過ごした日々は、呆気なく終わりを迎えた。あれから百年以上もの間、今でもワタクシはひとりでアルセウスの研究を続けて、各地の遺跡を回り続けていたが、決して揺らがなかったアルセウスへの執念とは逆に、この百年で揺らいでしまったものもある。
 それは、あのときは、気付かなかった、……決して認めまいと思っていたが。ワタクシにとって、という女は恐らく、理解者だったのだろう、という事実を受け入れられるようになった、ということだった。
 ワタクシの思想を真に理解できていたとは思えないが、それでも、あの女は決してワタクシを否定しなかった。「ウォロがそうしたいなら、私がいっしょにその夢を叶えるから、好きなように私を使って?」と、……ワタクシに対して馬鹿みたいにまっすぐな心を傾ける人間など、この百年、他に現れなどはしなかったから。……きっと、特別だったのだ。彼女は、ワタクシにとって、……あんなところで喪ってはいけないひとだったのだと、今なら理解できるし、受け止められる。──古代シンオウの神話では、やがて魂は巡ると信じられていた。海や川で捕まえたポケモンの肉を食べた後で、骨を綺麗に濯いで水の中に送り返すことで、やがてポケモンは、再び肉体を付けてこの世界に戻ってくるのだ、と。……遥か遠くの先祖たちは、そう信じていたらしい。昔は人とポケモンに区別はなく、どちらも同じものだった。だからこそ、古代シンオウではポケモンと人が契ったという神話があり、やがて我々の血が薄れていったと考えられる。人とポケモンは同じだと言うのなら、と。……が死んだとき、ワタクシは彼女の遺骨を川に流した。決してその言い伝えにすべてを則って儀式を行ったわけではないし、ポケモンよりも重い人間の骨は川を流れることもなく水底に沈んだだけなのだろうと、ワタクシにもその程度は理解できていたが。このシンオウの地で海へと流した彼女の骨がいつか肉を付けて、ワタクシの前に戻ってくるのではないかと、……そんな幻想に憑りつかれる程度には、を喪ってから十分すぎるほどに、自分にとって彼女が何者であったのかを、酷く痛感出来るようになってしまったのだ。ワタクシと彼女との関係はきっと、“使役”などではなくて、……只ワタクシは、執着していたのだ、あの女に。自分の物にするためには、彼女を使うことが手っ取り早かったから。それを、彼女自身も望んでいたから。

 ──やがて、魂は巡る。
 アルセウスに纏わる神話でもない古めかしい言い伝えを、ワタクシが本気で信じていたわけでも無かったが。──それは、永い永い旅を送るある日、ズイの遺跡を訪れた日のこと。──彼女が、ワタクシの目の前に現れたのだ。……身に着ける衣服こそ現代のもので、見慣れた彼女のそれではなかったが、それでも、この百年以上の時間、ふたりで写る古ぼけた写真を捨てられなかったワタクシが、彼女を見間違えるはずもない。見慣れた髪色と瞳の色に背格好も、連れているポケモンまでいっしょで、──ああ、間違いない。あれは、だ。……もしも、もう一度出会えたのなら。否、再び巡り合うその時までワタクシは生き続けてやろうと思っていた、そんな彼女が、……今、目の前にいる。……頭の中は既に真っ白で、ワタクシは反射的に地面を蹴り、彼女に向かって駆け出していた。

「──!」
「……え?」
「アナタ、遅いのですよ……! ワタクシがどれほどアナタを探したと思っているんですか!?」
「え、え……? あ、あの……?」
「何を呆けて……ああ、余りにも久しくて驚いているのですか? まあ、それなら、致し方が……」
「──ちょっと! あなた誰?」
「……ハァ?」
「この子、あたしの秘書なの。何か用があるのなら、まずはあたしを通してくれない?」
「し、シロナさん……!」

 に詰め寄るワタクシを遮ったのは、眩いばかりの金と黒、──ワタクシに瓜二つの顔をした、恐らくはコギトさんの子孫なのだろう──当代におけるシンオウリーグ・ポケモンチャンピオンのシロナ、その人だった。……神話を追い求めて世捨て人同然の暮らしをしているとは言え、当世の情勢には常に目を光らせている。だからこそ、シロナの存在は知っていたが、……今、問題なのは、そんなことではない。聞き間違いだと思いたいが、……今、シロナはを自分の秘書だと、そう言った。ワタクシに向かってまるで我が物顔で、の所有権を主張したのだ、このガキは。

「し、シロナさんのお兄様ですか…?」
「いいえ、あたしのきょうだいは妹だけよ。あたしも、この人とは初対面だわ」
「ハァ……アナタに用なんてありませんよ、ワタクシはに用事が……」
「だから、どうしてアナタがあたしの秘書にご入用なのかしら? 今日、この遺跡に彼女が居るのは、あたしの助手として同行してくれたからだけど。アナタ、もしかしてストーカー? この子を先回りして、此処で待ち伏せていたのかしら」
「すっ……?」
「ハァ!? 人聞きの悪い……ワタクシが自分のモノに声をかけて何が悪い? はワタクシの所有物ですよ?」
「話にならないわ……ねえ、。アナタ、このヒトとは面識がないのよね?」

 シロナの問いかけにより一斉に視線を向けられたは、まるでワタクシから逃げるかのようにシロナの陰に隠れて、一体何のつもりなのか微かに震えていて。……突然の再会に動揺する気持ちは分からないでもないが、其処まで過剰な反応をされると、流石に此方も不愉快だ。

「……、そろそろ白状しなさい。今ならまだ許してあげますから、このクソガキにアナタから説明を……」
「……し、知りません! わ、私、あなたのことなんて、知らない……!」
「……ハァ……?」
「ひ、人違いじゃないですか……? 私はその、あなたと面識はないはずです……!」
「……まさか、覚えていないのですか? そんな、馬鹿な……」
「……話はついたかしら? 此処で引くなら此方も事を荒立てはしないわ。アナタが二度と彼女に付き纏わないなら、だけど……」
「……っざけんじゃねえ……」
「何か言ったかしら?」
「──テメェだけ忘れてんじゃねえよ! !」
「ひっ……!?」
「! 全く、話の通じない人ね……!」
「此方の台詞だバカガキ! お前にはワタクシを敬う義務がある! を大人しく渡せ!」
「アナタなんかに渡すと思っているの!? 冗談じゃないわ!」

 ──歴史を渡り歩いたこの百年以上もの間、事を荒立てないように、悪目立ちしすぎないように、理性を尽くして生きてきたというのに。それを台無しにしたのが、まさか、ワタクシの味方になりたいと言い続けたアナタになるなんて予想ができませんでしたよ、まったく。──ともかく、シロナが目障りで、バトルで黙らせてからをこの場から連れ去ろう、とボールを構えたワタクシと、ほぼ同時にボールを構えたシロナも大体は同じ算段だったようで。ズイの遺跡で突如始まったポケモン勝負──それも片方はチャンピオンで、ワタクシとてシロナに劣るような腕ではない。閃光と轟音の響く激しい戦闘にやがて係員が駆け付けて、が慌ててシロナのフォローを入れている間に、ワタクシは大騒ぎに乗じてこの場は逃げ果せることにしたのだった。

「……あのクソ女、絶対に、思い出させてやるからな……」

 例え百年が、千年が過ぎたとしても前言の撤回などはさせない。──アナタは、ワタクシの所有物なのだと、遥か昔から決まっているのだから。 inserted by FC2 system


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