すみれ色の謎はまだ溶けないの

※キャラクターや作品に関する自己解釈を多大に含みます。シロナとの百合っぽい表現もあります。


 なまえは数年前からあたしの秘書として働いてくれている子で、チャンピオン業の補佐役としても、歴史研究者の助手としても、それから部屋の片づけだとかが苦手なあたしの私生活の補助役としても、本当に優秀な子だった。当初はリーグの職員として、チャンピオンの席に着いたあたしの秘書役で配属されただけの縁だったけれど、あたしはどうしてか、彼女の持つその高い能力を差し引いても、彼女を手放しがたいと思ってしまって、リーグ職員だった彼女をどうにか口説き落としてあたしとの直接雇用、という形に持ち込んで。リーグでの秘書としての職務はそのままに、「歴史研究者としてのあたしの仕事なんかも少しだけ手伝ってくれたら、今よりずっとお給料も弾むわ」というあたしの誘いになまえは少し驚いてから笑って、「そんなことしなくても、私はシロナさんのやりたいことなら、なんでも叶えてあげたいのに」って。──正直、なまえの言葉は嬉しかったわ。どうして彼女がそんなにもあたしの存在を許してくれるのかは分からないけれど、あたしは彼女のことがとっても好きだから、彼女にあたしのすべてを許されているのはとても嬉しかったけれど、……そんなのって、やっぱり不平等じゃない。結局は、当初あたしが提示した通りの待遇でなまえと雇用関係を結んだ、という形に落ち着いて、あたしとなまえの関係は上司と部下、それ以上でも以下でもないけれど、時々リーグ関係者、四天王たちあたりから彼女が「シロナさんの嫁」なんて揶揄されているのを聞いても、嫌な気持ちになるどころか、ちょっとした優越感を覚える程度には、あたしはなまえのことが大好きだったし、大切だったの。なまえはもちろん、そんな冷やかしにも少しだけ頬を赤らめて眉を下げて、それからあたしを見上げて困ったように笑ったりするのだけれど、……そんな仕草が可愛くてたまらないと思ってしまうのは、……きっとそういうことなのよね、あたし。
 ──ともかく、なまえはあたしにとって、そんな風に、可愛くて仕方がない大切な女の子で、同時に無くてはならないあたしの秘書役なの。万が一にでも彼女を害そうとする人間が現れたのなら、必ずあたしがそれを食い止めると心に決めて、あたしは彼女と過ごしてきたわ。──まあ、曲がりなりにもチャンピオンのあたしを敵に回そうなんてひと、今まではそうそう、現れなかったのだけれど、ね。

「──アナタが、それを気にも留めないのは……アナタが、あたしの先祖に当たるヒト、だからなのでしょう? ……ウォロさん。いえ、……大叔父様、とでも呼ぶのが適切なのかしら?」
「……さあ? ジブンも何年、何十年、……何百年、彷徨ったものかはとうに忘れてしまいましたので……アナタにとってジブンが何者に当たるのかは、正直ジブンにも分かりません。……ま、アナタが誰のお孫さんなのかは、察しが付いていますが……」
「そう……まあ、アナタが直接の先祖じゃないらしいことには、正直安心したわ」
「あはは、ジブンも嫌われたものですね! そんなこと言わずに、仲良くしてくださいよ! ……ハァ……このクソガキが、先祖を立てることも知らずに、よくぞチャンピオンなどと名乗れたものだ……」

 あたしにそっくりの顔立ちに色素の薄いプラチナの髪で、山男のような服装に身を包む、見るからに怪しげな男──ウォロ、さん、……彼が、あたしの前に、……というよりも、なまえの前に姿を現したのは、今から数ヶ月前のこと。初対面時に恐らく彼は、あたしの血縁者だとは思ったけれど、その確信に至るだけの判断材料が無かった。──ウォロ、と名乗った彼の名前を調べても、どうにも家系図にその名前は見当たらなかったし、……事実確認が遅れてしまったのは、カンナギに住むおばあちゃんからの証言を得られるまでに、時間がかかってしまったから、だった。家系図にも名前が載っていなかった“ウォロ”という男が、──百年以上も昔に、とある禁忌の領域に踏み込んだことで家系図から名前を消されて、同時に、歴史を綴ることを使命として生きてきたあたしの一族が、その名については記録を残せなかったほどに、──ウォロという男は、踏み入ってはならない領域に踏み込んでしまった、ということ、らしいのだ。……おばあちゃんも、ウォロさんについて尋ねたところで、どうにも饒舌には語りたがらなかったし。けれど、ウォロというあたしによく似た男がなまえをつけ回していると伝えると、おばあちゃんは盛大な溜息を吐いて、たったひとこと「あやつのためにお前にまで苦労を掛けるのう、シロナ……なまえにも、何と言って詫びればいいものかのう……」……なんて、そんなことを言っていたから。……恐らく、おばあちゃんはウォロという身内に、やはり心当たりがあるのだ。そして、あたしの目の前に対峙する男こそがその“ウォロ”だと、恐らくおばあちゃんは確信している。……でも、どうして? 古代シンオウ人──かつてのカンナギの民の血を引くあたしの一族は、海を渡ってシンオウ──ヒスイの地を踏んだ開拓民に比べて、長命だったと聞いているけれど。それはもうずっと昔の話で、おばあちゃんだって普通におばあちゃんの見た目をしているし、あたしだって何百年と生きられるわけじゃない、普通の人間だ。……だというのに、ウォロさんは幾らか髪の色素が抜けているだけで、目の下に刻まれた薄い皺から察するに、あたしよりは確実に年上だろうというくらいで、到底百年を生きているとは思えないほどの若々しい風貌をしているし、そもそも、おばあちゃんですらもが年老いた今、古代シンオウの血を引くとは言っても、一族の誰かがそんなにも長命である筈がないのに。

「そうですねえ……執念がそうさせたのでしょう。それもすべて、ワタクシの好奇心……もとい、ワタクシの悲願を叶えるため……そして、なまえを見つけ出すためです」

 彼の語る言葉を額面通りに受け取るならば、……彼の持つ執念こそが、彼という種に超進化をもたらした……という言い分になるけれど、到底、そんなことは信じられるはずもない。……けれど、おばあちゃんのあの言葉と、ウォロさんが持つなまえへの常軌を逸した執念と、──それから、神話の研究者として数多くの“科学的に考えれば、到底あり得ない現象や事象”を見聞きしてきたあたしにとって、……きっとこれは、私情を抜きにしてさえいれば、信じられなくもない話なのだ。ギラギラと輝くウォロさんの金剛石の瞳には、白濁した真珠の光がぼうっと宿って、彼の表情全体に破れかぶれの影を落としている。……彼の瞳には、表情には、風体には、……残念ながら、彼自身が語る言葉に対して、恐ろしいまでの説得力が伴っているのだ。

「ウォロさん、……アナタの言葉が真実だとして、アナタの目的はなに?」
「……目的?」
「なまえを探していたというのは分かったわ。……でも、あの子を見つけてどうしたかったの?」
「……彼女は、ワタクシの所有物です。ワタクシに使役されることを彼女は望んでいた……アナタもワタクシと同じようになまえを使役しているのですから、分かるでしょう?」
「違うわね……あたしは、なまえを使役なんてしていない。確かに、あたしたちは雇用契約を結んでいるけれど……それは書面上の問題よ。あたしは、彼女を大切に思っている。彼女をあたしの所有物だなんて思ったことはないわ、なまえは、あたしの大切な女の子よ」
「……そうですか、シロナ、アナタはその事実に気付けたのですね」
「は……?」
「ワタクシは、かつてその事実に気付けなかった。……ですから、いずれ生まれ変わるであろうなまえの魂こそを、ワタクシは探し続けていたのです。……まあ、今日は彼女も席を外しているようですし、アナタとの問答に意味などない。今日のところは改めましょうか」
「……ちょっと、アナタ」
「彼女にどうぞお伝えください。……また日を改めて、会いに来ます、と。それでは! ジブンは失礼しますよ!」
「……ちょっと、ウォロさん!」

 ──あたしの呼びかけになど耳を貸さずに立ち去ってしまったあのひとが、……あたしの言葉に、まるで胸を痛めたかのような表情をして眉を顰め、苦しげに笑っていたのは、何故? ──あたしはあのひとのことを、なまえを害する存在だとしか思っていなかった。今でもその見解のすべてが覆ったとは到底言えなかったけれど、……言えないけれど、あのひと、……もしかして、なまえを探していただけなの? 彼女に会いたかったという、ほんとうに彼にとってはそれだけなの? ──人当たりが良いように見せかけて軽薄で、毒の強いウォロさんのあの人柄がずっと昔から変わらないものなのだとしたら、それを受け入れていたかつてのなまえは、そんな彼女に受け入れられることを良しとした彼は、……本当に、間違っていると言えるのだろうか。……あたしが、彼らを遮ってしまってもいいのだろうか。

「……ばかね、あたし……」

 ──あの子を護りたい、その言葉の裏でその実は、あの子を独占したいのは、あたしもあのひとも、何も代わりがないのね。 inserted by FC2 system


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