与えること、許すこと、手放すこと

※キャラクターや作品に関する自己解釈を多大に含みます。


 古代シンオウの血脈を受け継ぐ私たちは、カミナギという小さな集落に暮らす民の集まりだった。やがて、カミナギの民は次第にシンオウ全体に拠点を広げて、いくつかの集落に別れて暮らすようになり、──多分、ウォロはそれからもカミナギの村に暮らしていたのだと思う。私はそれよりも離れた小さな集落で暮らしていたから、彼のことを知らなかったし、……カミナギが侵略を受けたときにも、私はその事実を知らなかった。私の暮らしていた集落にその凶報が飛び込んでくるのは、それから、もっとずっと後のことで、──カミナギが墜ちたことを知らされてすぐに、私は、私の家族は、私の村は、……新たにカミナギの民を名乗りだした彼らに、住処を追われたのだった。
 逃げる道中、野生のポケモンに襲われて命を落とした者もいる。逃げることを良しとせずに立ち向かい、戻らなかった者もいる。人間と人間が傷付け合いながらお互いを「余所者」と罵り合う地獄の火の海から私は逃げて、逃げて、逃げて──私は一体、何処まで逃げたのか、気付けば、私を乗せて走り続けてくれた幼馴染のルクシオが隣に倒れていて、私も雪の上に倒れていて、銀世界に日が昇るのを霞む視界が薄っすらと捉えて、──それで、私は。この夜明けが自分を祝福したものではないことを思い出して、凍えて震えながら泣いていた。

 それからというもの、住処と家族に親戚、友人や仲間を失った私は、行く当てもなくルクシオと共に放浪の日々を送ることを余儀なくされていた。私が暮らしたかつての故郷は今、“シンジュ団”を名乗る開拓民の拠点になっているらしい。彼らはあろうことかカミナギの民を名乗り、他の集落も“コンゴウ団”なるものに乗っ取られた挙句の果てに、そちらもカミナギの民を自称しているのだとか。……正直なところ、私にはカミナギの民としての誇りや、古代シンオウ人としての自負などが備わっていたわけではない。けれど、私はこのシンオウの地に暮らす同胞たちのことを無条件に好きだったのだろう。だからこそ、出来るなら生き残りを探したい。見つけ出したところで、何が出来るわけでもなく、侵略者への復讐などと大それた野望を持ち合わせてもいない。……けれど、このままひとりで生きていくことは困難で、けれど、海の向こうから渡ってきた彼らの輪の中で自分が生きられるか? と言われれば、それはどう考えても不可能だ。木材が、衣服が、食料が、村が、人が、……焼ける匂いが今も鼻を付いて離れないというのに。平気な顔で振舞えるほど、私は器用ではなかった。

 だから結局、やがて私は、たったひとりで限界を迎えた。オヤブンのガチグマが率いるリングマの群れに襲われて、ルクシオは懸命に応戦してくれたけれど、到底一体では敵わなくて、私を庇うルクシオがぼろぼろに傷付くのが怖くて、だって、ルクシオが居なくなってしまったら私は本当にひとりぼっちなのに、──怖くて、怖くて、「ルクシオを虐めないで」と、無謀にも立ちはだかった私の体が宙を浮いたのも、本当に一瞬だった。──それからは、また、よく覚えていないけれど。私が殺されないように、ルクシオが殺されないように、傷だらけで潰れそうな足で私を背負って逃げてくれたルクシオが、どうやら途中で力尽きて、……また、あの日のように、私はルクシオと共に地面に転がっていたらしい。……ああ、此処までなのかなあ。私の人生、なにもいいこと、なかったな。ルクシオだけでもせめて、死なせたくない、どうか、どうか、誰か、──と。縋るように見上げた視界にぼんやりと映る金色と青。……ルクシオと同じその二色に、私は何故だか、どうしようもなく安堵してしまったのだ。

「……この装束……この女……まさか、カミナギの民の生き残りか……?」



「おや、目が覚めたか? よく眠っていたのう……命を繋いだようで何よりじゃな」

 ──やがて目が覚めたときに、私はふかふかの寝台で眠っていた。隣にはルクシオもちゃんと居て、寝台の傍らには黒い洋装に色素の抜けた白金の髪をした女性が座っていた。女性は自身を“コギト”と名乗り、コギトさんの話を聞くからに彼女も私と同じく古代シンオウの血を引くカミナギの民であるらしい。ようやく生き残りに会えたのだという安堵からか、コギトさんに事情を聞かされている間、どうしても私は涙が止まらなくて、コギトさんはそんな私の頭を撫でながら、私を落ち着かせるように静かに話をしてくれた。……コギトさん曰く、どうやら私は彼女の隠れ里の傍で倒れていたそうで、私の衣服や怪我の状態から状況を察した彼女の身内が、私をコギトさんの庵まで運んでくれた、という流れだったらしい。

「あの、コギトさんの身内ということは……」
「ああ、そやつもそなたと同じ、カミナギの民じゃ」

 やっぱり! と、表情に喜びが溢れてしまったのか、私の反応を見たコギトさんは笑っていて、……けれど私は、本当に嬉しくてたまらなかったのだ。……だって、もう会えないのかもしれないと思っていた同胞に、それも、ふたりも巡り合えて、その上で、そのふたりが私の命を拾ってくれたのだと言う。私にとってこんなにも幸せなことは、他に無かったのだ。

「そうじゃな、あやつもそなたの様子を見に来るかもしれぬし……三人分のイモモチでも拵えておくかのう」
「あ、あの、私も手伝います」
「そなたはまだ病み上がりじゃろうて? 休んでいても構わんぞ」
「平気です……コギトさんのお手伝い、したいんです」
「……ふふ、そなたは可愛らしいのう、まるで孫が出来たようじゃ。どれ、では手伝ってもらおうか? よ」
「は、はい……!」

 ──思えば、コギトさんから“私を助けてくれたひと”の人物像を聞きながら、まだ見ぬそのひとへのお礼にとイモモチをこさえていたあのときに、……それより前の、“私を助けたのは同胞である”と聞かされていたあのときに、──私の心は、覚悟は、とっくに決まってしまっていたのだと思う。どうやって生きていくか、何のために生きていくかの指針すらも失った私が、光を見失わずに済んだのは、間違いなく。──あの日の夕餉の時間に、つやつや光るまあるいイモモチを口に運んで、楽しそうにペラペラと矢次話に話を聞かせてくれた、私の恩人──ウォロのお陰だったのだもの。彼がどんなひとだったとしても、私を助けて、ルクシオと同じ色彩で瞬いて、私に知らない世界の話をたくさん聞かせてくれて、燻っていた私に好奇心という色を与えて、同じ釜の飯を食ったのは。私にとって、あの男でしかなかったのだ。……そうだ、私にとってウォロは、古代の英雄に匹敵する救世主、だったんだよ。

 ウォロの護衛役、助手──共犯者、道連れ、使役されるもの、所持品、所有物。……彼と私の関係は、そんな幾つかの表現が効くもので、その実で本質が何処にあったのかは、私にも最後まで分からなかった。私に分かっているのは只々、私はウォロになら何をされても何を言われても平気だったという、只のそれだけだ。やがてレントラーに進化した相棒と共にウォロの護衛──彼にとって都合の悪いものを排除する役目を負っていた私を、その役目を疑うこともなく受け入れる私を、ウォロは「何でも言うことを聞いて、ポケモンのようで気味が悪い」なんて言っていたけれど、彼がポケモンと同じように私を“使う”と決めたのなら、私には反論の理由など何処にもなかったのだ。
 だって、私はそれが、──決して、嫌ではなかった。
 ウォロの手足として外敵を排除することも、イチョウ商会の商人である彼について各地を回ることも嫌ではなくて、……各地で“侵略者”の彼らと触れ合うことは恐ろしかったが、彼らも人間であると知れることもあったし、それも嫌いじゃなかったな。でも、やっぱり私は彼らに愛着など抱けなくて、私にとってイチョウ商会もコンゴウ団も、シンジュ団も、──ギンガ団も、「さんもポケモン勝負、強いんですね!」と、……そう、笑いかけてくれた、ショウさんも、全員、嫌いではなかったけれど、……結局は私にとっても、みんな余所者のままだったから。ウォロが彼らを破り消し去って世界を作り変えてみたいと語っても、私はその好奇心を、古代の英雄への情景を、否定する気にはなれなくて、……彼が神を従えて作り上げる新世界に私が居なかったとしても、それで構わないと思っていた。私に心残りはなかった。帰る場所も家族も失くした私にとって、“そういうもの”はウォロとコギトさんだけ。コギトさんを裏切ってしまうのは心苦しかったけれど、ウォロの夢を叶えてあげたくて仕方がなくなってしまっていた私には、他のものは選べなかったんだよ、自分の命だって私には選べなくて、──きっと、ウォロは私の全部になってしまっていた。私、彼の為なら何でも出来た。何も辛くなかった。──それなのに、それなのに。

「っ、う、いたい、なあ……」

 ──ウォロを逃がして、レントラーと私、それから他の手持ちのポケモンたちでオヤブンのガチグマとリングマの群れを縫い留めて、どうにか敵は全員倒したけれど、手持ちはひどく傷付いて、それでもこの子達は命は拾ったものの──でも、私は、多分此処までだ。ガチグマの爪と腕力で一撫でにされた背中からの出血が止まらなくて、ずきんずきんと鋭い痛みに意識はとっくに飛びそうで、肉がえぐれているのも感覚で分かるし、骨も多分、ひしゃげてしまっている。──まさか、自分が死ぬのだと理解した瞬間、こんなにも恐ろしくてたまらなくなると思わなかった、なあ。ぺろぺろと私の頬を舐めながら悲しげに啼くレントラーに、何もしてあげられないことが、彼らを野に放つことになってしまうのが、どうしようもなく苦しくて、でも彼らは私が居なくとも、きっと強く生きてくれるだろうとそう信じているけれど、──ウォロは、どうするのだろうか、これから。長命種である彼の旅路に付き従える人間など多くはなく、私は数少ない、その条件を満たした人間だったのに。まだ、私が彼を護ってあげなければならないのに。……今、ショウさんに夢破られた彼は不安定で、彼の“腹癒せ”に私を使うことだってまだまだあるだろうに。道具として、捌け口として、どうあれ私はウォロに使われるものであると決めたのだから、最後までその役割を全うしなきゃいけないのに。……それに、私、まだウォロの夢の続きを見ていたかった。彼といっしょに、生きていたかった。

「やだ、なあ……うぉ、ろ、まだ、おわかれ、したくない、よ……」

 ああ、そうか、──私はただ、あのひとのことが、……ウォロのことが好きだっただけ、なのかあ。



「……?」

 妙な胸騒ぎに足を止めて、ワタクシは思わずその場に立ち止まる。……彼女に限ってそんなこと、なんて、──どうしたらそんな傲慢を、ワタクシに言えたのだろうか? inserted by FC2 system


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