不一致をすくいたまえ

 ジョウト地方、フスベシティに連なる、由緒正しいトレーナー一家の生家に生まれた私は、ドラゴン使いのトレーナーとなるべく育てられて、いつかはジムリーダーだとか、四天王だとか、一流のドラゴン使いになるのだと、そう思っていた、――そう、思っていたのだ、なんて、本当は、その言い分さえも、嘘だったのだろう。そう、必死で思い込もうとしていただけで、結局、只の一度も、私はチャンピオンを、夢見たことがない。その事実こそが、きっと、全ての答えなのだ。

「――、そろそろ休憩だろ?」
「――はあ、それが何か?」
「一緒に昼飯食いに行かないか? 良い店があるんだ」
「ハァ……どういうおつもりなのかは知りませんが、セキエイ高原から出掛けると? 休憩時間内に戻れるとは思えませんが」
「そこはまあ、おれが口利きしてやるからさ!」
「お断りします、チャンピオンお一人で行かれては?」
「つれないな、おれときみの仲だろ」
「チャンピオンと一般職員の間に、仲も何も無いでしょう」

 冷た過ぎる程の対応で突っぱねたというのに、チャンピオン――ワタルは、にこにことまるで気に留めた様子もなく笑っている。ドラゴン使いに、絶対零度が効かないなんて、可笑しいでしょうに。何を言っても何をやっても、ワタルは私を構うのをやめなくて、――この男のこういうところも、私は、好きじゃなかった。

がどれだけ嫌がったって、おれときみは他人じゃないだろ?」
「…………」
「おれたちは、同郷の生まれで、兄妹弟子なんだからさ」

 ――これでも、将来有望なトレーナーだと期待されていた、腕は立つ方だったし、折れなければ、トレーナー職でやっていけたのかもしれない。けれど、実際問題、私が生まれた頃には既にこの男、ワタルが居て、神童と持て囃されたこの男に、私が勝てる要素なんて、初めから、無かったのだ。付け入る隙すら、なかった。誰も、私がワタルに勝てると思っていなかったし、私も、自分がワタルに勝てるとは思わなかったし。端から負け試合だと、挫けてしまった私は、されど、イブキのように食らいつくことも、開き直ることもできずに、ジムリーダー職にすら就けず、今はポケモンリーグの受付嬢として働いている。家長も、フスベの里の皆も最初から、私にドラゴン使いの頂点になれ、なんて期待はこれっぽっちも掛けていなくて、掛けられたところで、応えられるはずも無いくせに、どうしようもなく、それが悔しくて、結局、私は何処にもいけないままだ。

「――昔の話です、私はもう、フスベの里とも、あなたとも、無関係ですから」
「そう思っているのは、きみだけだと思うがな。まあ、俺も里にはなかなか顔も出せてないけど…きみのこと、心配してるんじゃないか?」

 ――ああ、いつもこうだ。こんな風に、年長者、保護者面をしてくるワタルが、私はずっと嫌いだった。

「――これ以上は、人前で話すようなことでは、」
「よし、なら昼に出よう! を連れていきたい店がトキワにあってさ!」

 受付でチャンピオンと話し込んでいれば、嫌でも人目を集める。その上、世間話、なんて雰囲気ではとてもなかったし、ましてや、私がワタルと揉めているのなんて、今に始まったことじゃなくて。――本来なら、一職員に過ぎない立場で、チャンピオンと口論なんて、良ければ謹慎処分、悪ければ、私の首が飛んでいる。私だって、そんなことは分かっていたから、最初の頃は、ワタルに執拗に絡まれても、我慢して営業スマイルで対応していたのだ。けれど、営業を営業と受け取れないワタルに、昔みたいに俺に笑ってくれるようになって嬉しいなあ! なんて太陽みたいな笑みで言われてしまって、――思わず逆上したのが、運の尽きだった。チャンピオンを怒鳴りつけて、これは完全に首が飛んだと、そう思ったのに。――何やら、ワタルの方から直接、上司になにか吹き込んだらしい。私は結局、大した注意も受けずに、上司からは冷や汗混じりに、チャンピオンと仲良くしなさい、と一度言われただけで。そうしてワタルは結局、また私の居場所を奪ったのだ。もう、リーグ関係者で、私とワタルが旧知であることを知らない人間はいないし、一般職員として、細々と、なんて計画はとっくに破綻してしまっている。こんなことなら、首が飛んだほうが幾分もましだったのかもしれない、とさえ思っている。こんなことでは、特別にはなれずに、かと言って、大多数にもなれないのだと、中途半端な自分が浮き彫りになっただけだ。

「……長老にでも、何か言われたの」
「お、やっと普通に喋ってくれるようになったな、嬉しいよ」
「茶化さないで。……本当、何のつもりなの?」

 目的の店に移動するために、ワタルのカイリューに二人で乗ればいいという提案を退けて、私は私のポケモンに乗って移動する、と言い張ったけれど、カイリューの速度に付いてこられるのか? と、至極真っ当な指摘を受けてしまい、何も言い返せず、結局は、ワタルの提案を飲んで。――こんな些細な口論ですら、私はワタルに敵わないのか、と。悔しくて、情けなかった。――私は、カイリューを持っていない。私のハクリューは、適正レベルをとうに過ぎても、ずっと進化させていないからだ。

『――は最初のポケモン、何がほしいんだ?』
『えっとね、わたし、ミニリュウがほしい!』
『ミニリュウ?』
『うん! ワタルといっしょがいいから!』
『! そうか! じゃあおれがにミニリュウ、捕まえてやるよ!』
『やったあ! ワタルだいすき!』
『――ああ、おれも、がだいすきだよ』

 ――反抗の仕方にしたって、私は何もかもが中途半端だ。そんなに嫌なら、そんなに苦痛だったなら、ドラゴン使いであることだって、捨ててしまえばよかったのに。トレーナー修行に心挫けて、故郷を飛び出した後も、結局、ポケモン達のことは、捨てられなかった。ドラゴンタイプで揃えた手持ちを見ていれば、嫌でも深い思考の渦に飲まれて、堕ちていってしまうなんてことくらい、分かっていたのに。ましてや、最初のパートナー、――ハクリューは、他でもないワタルから、譲り受けたポケモンなのに。蛇のように、私の首を緩やかに締めるあの子を、私はどうしても、手放せずにいる。

「おれは、のことが心配なんだ。――って、理由じゃ、きみは納得しないんだろ?」
「…………」
「そう睨まないでくれよ、一応、それも本心なんだけどな」

 トキワシティに最近オープンしたらしいレストランの店内で、運ばれてきた料理を口に運びながら、したくもない会話、休憩返上で、気の休まらない時間を過ごしている私は、この上なく露骨に、不機嫌を前面に押し出した顔をしていることだろう。隠そうという気にも最早ならない、それ程に、不快なのだ。私が好きそうな店だと思ったから、と連れてこられた店だったけれど、料理の味なんて、全然気にしていられないくらいに、私はこの時間が苦痛で仕方がなかった。

「――なあ、がリーグに就職して、何年になる?」
「――三年、じゃない?」
「そうだよな、おれが四天王の大将から、チャンピオンになってすぐだったもんな」
「そうよ、内定が出た頃はチャンピオンじゃなかった。だから私も、リーグに就職したのに……で? それが何?」
「おれはさ、嬉しかったんだよ。が、リーグに来てくれて」
「――は?」
「あの頃は、四天王の再編とか、トキワのジムリーダー交代とか、あと、何よりレッドが消えたことだな、おれも色々と焦ってて、とてもじゃないけど、チャンピオンなんてやれる状態じゃなかったんだ」
「……とても、そうは見えなかったけれど」
「かもな、そう見えないようにしてたから。だって、が居ただろ」
「……?」
の前では、格好つけたかったんだよ。そう思ったら、頑張れた。それに、いつでもきみに会えただろ? きみも笑って話してくれたし」
「……あれはただ、受付としての仕事をしていただけです」
「そうだったのかもしれないけどな、俺にとっては、それだけじゃなかったからさ。感謝してるんだ、おれはずっと、きみに助けられてるよ」

 ――その言葉を、皮肉だ、と。そう、思えたなら、どれ程良かったことだろう。それは、紛れもない本心なのだ、と。それが分かり切っているからこそ、この男は質が悪いのだ。ワタルは真面目で正義感に厚くて、悪いことなんて出来ないし、そんなものは考えたことも、したこともないような、まっすぐな男で。知っているのだ、そんなことは。ずっと昔から、私が一番ワタルを見つめてきたのだと、その自覚があるから、本当は全部、分かっていた。どんなに突っぱねて、彼を突き放して、反抗してみたところで。そうすればするほど、自分で自分を嫌いになるだけなのだと、知っていた。――そんなことでは、ワタルを突き放せはしないことも、決して、この男が私を嫌いになることも、失望することもないのだと知っていたからこそ、甘えていただけで。――だからこそ、私は、ワタルに対して何処までも幼稚な自分が、本当に嫌だった。

「だからさ、心配なのもあるけど、長老に何か言われたからとか、そんな義務感できみを構っているわけじゃないんだ。まあ、兄貴ぶりたいのは否定しないけどな」
「…………」
「おれが、を構いたいだけなんだよ。きみに構ってほしくて、きみを構ってるだけなんだ。……失望したかい?」
「……別に、最初から羨望もしてないし、失望する理由もないでしょ」
「はは、確かにそれもそうだよな。ああ、そうだ、おれがきみを此処に連れてきたかった理由、だけどさ」
「? なに?」
「メニュー、デザートのページを見てごらん」
「……?」

 ワタルに言われるがまま、テーブルの端に避けたメニューを手に取り、ぱら、と後ろのページを開く。そんなに悠長にしている時間もないし、ワタルとゆっくりしていくつもりもなかったから、見ようともしていなかったけれど。よくよく見てみると、この店は、結構スイーツ系のメニューにも力を入れているらしかった。色とりどりの洋菓子は、見ているだけでも楽しくて、甘いものは好きだし、思わず、目を奪われて、

「――あ、」
「分かったかい?」
「これ、ミニリュウの……」
「そうそう! 前に来たときに見つけたんだ、ケーキの上にミニリュウの細工が乗ってて……!」
「……え、これのため、なの?」
「ああ! 、絶対喜ぶだろうと思ってさ。おれも少し、一人では頼みづらくて、前は頼めなかったんだけど。どうせなら、と来たいと思って」
「どうしてそんな……」
「え、だってはミニリュウ、好きだろ?」
「…………」
「未だにカイリューに進化させてないの、姿が変わってしまうからだろ? ミニリュウ、可愛がってたもんな」
「は? ちが、それは、」
「? 違うのか?」

 ――違う、だって、私がハクリューを進化させていないのは、ワタルと一緒なのが嫌だったという、それだけの話なのだ。ワタルといっしょがいいから、と言って選んでおきながら、今度は、ワタルといっしょは嫌だから、なんて人間本意な理由で、ハクリュー自身の意志を無視して、進化させないことを選んでいる、私みたいなトレーナー崩れが、あの子を好きだ、なんて、言えるはずがないのに。

「まあ、おれもミニリュウ好きだよ、可愛いもんな」
「だから、そうじゃなくて……」
「でも、、ハクリューと居るとき、優しい顔してるぞ?」
「……は?」
「おれにも、あんな風に笑ってくれたら嬉しいんだけどな。少しハクリューが羨ましいよ」
「なに、いって……」

 ――そんな訳がない、だって私は、ずっと、ハクリューへの後ろめたさを抱えてきた筈なのに。そんな訳が、ないのに。――何故か、否定の言葉が出てこなかった。あの子を嫌いだとは、言いたくなかったから。あの子を好きなのは事実で、好きじゃないなんて、言えなかったから。――ワタルが嫌いだから進化させていないだけだ、とも。なぜだか、その日は言えなかったのだ。

「実はさ、今日この店、事前に予約してて」
「は? 私が断ったらどうする気だったの」
「いや? どうにかして連れてこようと思ってたしな」
「…………」
「そんな非難めいた顔するなよ。だから、ミニリュウのケーキも先に予約してあるんだ」
「……もう休憩、終わるんだけど」
「チャンピオンと外で打ち合わせってことでどうだ? の上席にはもう話を通してあるよ」
「……だから、そういうことしないでって言ってるのに……」
「……だったら、仕事の後でも、おれと会ってくれるのか?」
「は?」
「夜にデートしてくれるっていうなら、おれだってこんなことしないさ」
「いや、それは、」
「それか、おれの秘書になるかだな」
「は? それこそ何言って、」
「え? だって、もしもがおれの秘書なら、業務時間内はおれの好きにできるだろ?」
「…………」
「冗談だよ。まあ、おれはいつでも歓迎なんだけど」
「……あなた、冗談なんて言えたの?」
「さあ? まあ、今日のところはおれに付き合ってくれよ、そうすれば気が変わるかもしれないだろ?」

 気変わりなんてしてたまるか、と。そう、思っているし、やっぱり私は、ワタルのことが好きじゃない。だけど、その日以来、嫌いだと口に出すのが憚られるのは、なけなしの情けか、それとも、気の迷いだろうか。 inserted by FC2 system


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