誰のものでもない切先の権利

 セキエイ高原の四天王の方々が、持ち場を不在にして数ヶ月。書き置きだったり、あとから連絡をくれたりで、皆が何処に行ってしまったのかは分かっていたし、リーグ以前に各ジムリーダーも不在が相次いでいる状況だったこともあり、そこまでリーグ運営に支障があった、というわけではない。まあ、経営面では影響がありそうなものだけれど、四天王やジムリーダーを招集する上で、向こうの主催者が王族? かなにからしく、個人にも運営本部にも、かなりの額のマージンが払われているそうで。経営が手詰まりになる、なんてこともなく、只々、職員一同はこの束の間のノマドワークを満喫したり、休暇を取ったり、人の出入りが激しい普段は出来ない、大掛かりな建物の修繕工事が入ったり、と。このまたとない機会を、皆が有効活用していた。――チャンピオン・ワタルさんだって、それは同じで、鍛錬に時間を費やせて嬉しいよ、なんて笑っても居たが、まあ、やっぱり退屈だったのだなあ、と。今は思う。

「ここがパシオか! うんうん、賑やかだね!」

 ある日、片付ける書類も無くなって、リーグ本部の所属部署、皆が出払ったデスクでぼんやりしていたら、ワタルさんが現れて。少し外に出ないか、と言うので、そのままリーグの近くをワタルさんと散歩して、本当にチャレンジャー来ませんねえ、なんて話しながら、まったり過ごしていたとき。――突然、ゲート、らしきものが現れて。キラキラとした偏光のまたたきで、その向こうは何も見えなかったけれど、ホログラムのようで、空間に穴が開くが如きその現象は、セレビィの時渡りに、似ている気がした。だとしたら、絶対にワタルさんを近づけてはいけない、と。彼の部下として反射的に、ばっ、とワタルさんを背に庇い、――私は、彼に逃げて、と言おうと、したのだが。

「ワタルさん! 危険です、セレビィの時渡りに似た現象かもしれません、何があるかわからない、早く逃げてください」
「――否、違うよ、。これは多分、シバ達が通ったと報告のあった道だ」
「え、わ、分かるんですか?」
「いや、おれの勘、だけれどね」
「勘、って……え、待ってください、まさか通るおつもりですか!?」
「ああ。だって、楽しそうだろう? おれも、少し退屈してきていたんだ」
「だ、だめですよ! 部下として、あなたがたの秘書として、見逃せません!」
「へえ、四天王はみすみす行かせたのに、おれのことはやたらと必死で止めるんだな」
「そ、それは、現場に居合わせることが、出来なかったからで……って、ワタルさん! ストップ! セレビィ以外にも、最近は、アローラでウルトラビーストの目撃情報もあったでしょう!? 危険すぎます、まって、いかないで、や、やだ、わたるさ、」
「……分かった、ひとりでは行かないよ」
「! わ、わたるさん……!」
「一緒に行こう、
「……え?」
「きみが一緒なら、安心だろ? ほら、早く行こう」
「え、ちょ、ま……」

 がっしりと手を掴まれて、にこにこと、笑顔の圧が怖い。ほんと、ワタルさん、そういうところある。普段は温厚そうに振る舞っているけれど、ここぞというとき、このひとの言葉には妙な圧力があるのだ。きみはおれに同調してくれると信じているよ、と言外に告げているような、妙な圧力を微笑みに讃えて、燻色の瞳で射抜かれると、何も言い返せなくなって。一瞬、押し黙った私を、ワタルさんは決して見逃さない。ぐい、と力いっぱいに腕を引かれて、ずんずんと光差す方へ歩み寄るワタルさんを、私には止められない。きらきらと少年みたいに顔を輝かせて、石英色の星が積もる瞳が瞬くのが、きれいで。そんなにも、楽しそうで、嬉しそうな顔を、されたら。――もう、どうにでもなってしまえ、と思っちゃったの、職員としては失格だよなあ。でも、思っちゃったのだ、あのとき。――ああ、やっぱりワタルさん、退屈だったんだ、この先に待ち受けるものが、ワタルさんの渇きを少しでも癒せるなら、それに越したことはない、と。ワタルさんの言葉は、行動は、いつでも自信に満ち溢れている。自分を信じることの難しさなら、私だって知っているけれど、正義を体現しながら、自分の行動を信じ続けるこのひとの背中には、後ろから付いていく人間に、このひとなら大丈夫だ、と思わせるだけの強さがある。――まあ、端的に言えば、乗せられてしまったに過ぎないのだが、それでも。ワタルさんなら、大丈夫だ、と。そう思ったのは、本当だ。

 かくして、私とワタルさんは、噂のパシオに降り立ったわけである。
 四天王の面々から、既に報告は受けていたけれど、どうやら特殊なゲートで招待客を招き入れているらしい、この土地には、外部からの意志で介入することが出来ない。どういった仕組みなのか、安全性が確実に保証されるのかは、まだ不明確だが、もしも、危険があったとしても、ワタルさんはゲートに飛び込んだのだろうな、と思う。このひとは、そういうひとだ。正義の味方であろうとする、生まれ持った責務を果たそうと、がむしゃらに突っ走るひと。セキエイ高原チャンピオン、という肩書きが、辛うじて今は彼を縛っているけれど、そんな肩書きもなくなれば、きっと、ワタルさんは、ずっと遠いところの誰かの助けに応えて、私の前からは居なくなってしまうのだとおもう。でも、きっと、それでいい。それが、ワタルさんというひとにとっての正解だ。私は、ワタルさんというひとの在り方、生き様が好きだった。だから、彼にはいつだって、自分の思うがままに歩いていて欲しい。ワタルさんの語る正義は、私には少し、高尚すぎて、きっと私には彼とは、同じ景色を見ることは叶わないのだと、そう悟っている。だから、私がワタルさんの背中を見つめていられるのは、私がセキエイで働いていること、ワタルさんがセキエイのチャンピオンであること。この二つの条件が揃っている間だけなのだ、と。諦めているのだ、私は。それも別に、悲観的になっているわけではなくて、そういうものなのだ、と理解しているだけのこと。だって私は、天高くを、羽撃く竜の姿に、惹かれたのだから。只々、ワタルさんにはかくあってほしいのだと、願っていた、の、だけれど、なあ。

 ――実際、あのとき、ゲートを前にして咄嗟にワタルさんを庇ったのは、職員としての責務、なんかじゃなくて、只私が、ワタルさんを連れて行かれたくなかっただけなのだ。四天王の方々からの報告で、彼らが呼ばれた土地は、強いトレーナーを各地から呼び寄せている、という旨は聞いていた。どういった現象で、其処に呼ばれたのかも分かっていたのだから、あのときの光が、その現象である可能性が極めて高いことを、私は知っていた。未だ調査段階だったから、ワタルさんは、其処までの事情を知らなかった筈だけれど、恐らく、直感的に、あれは悪しきものではない、と判別したのだと思う。だから、彼は躊躇いなく飛び込めたし、私は、ワタルさんを止めようとした。だって、それは。私には、向こう側に行く資格がないって、分かっていたから。私だってトレーナーだけれど、只のセキエイ高原の一職員に過ぎなくて、四天王でもジムリーダーでもなければ、そもそもジムのチャレンジャーだったことすらない。――順当に行けば、いつかはワタルさんが光の向こうに行ってしまうと、知っていた。ジムリーダーも四天王も招集された以上、頂点に座する彼が呼ばれない道理はない。いつ呼ばれて、いつ帰ってくるかは、誰にも分からなくて、――私は、それが怖かった。まだずっと先の話だと思っていた、彼の背中を見つめていられなくなる日が、唐突に訪れることが、こわくて。

 ――ああ、だからきっと、あのとき。ぜんぜん、こわくなかったの、ね。当然のような顔で彼が、私の手を引いて、光源の如き彼を連れ去ってしまうと思っていた光の渦の中に、わたしも、導いてくれたから。なにも、怖くなかったのだ、わたし。ワタルさんが居なくなってしまうこと以上に、怖いことなんて、何処にもなかったから、ね。

 パシオでは、バディーズという制度の元、パートナー一体を登録し、三人一組のスリーマンセルで大会を行う、というシステムが敷かれていた。パシオから外にコンタクトを取ること自体は可能だったので、現地から上司に連絡を試みたところ、こちらに来てしまった以上、私はセキエイの代表として、此方の現場監督を一任される運びとなって。とはいっても、私は所詮したっぱなので、セキエイリーグの皆さんと、カントー、ジョウトのジムリーダー、それから元四天王のカンナさんとキクコさんの、此方での活躍や動向を纏めて、日報として上に報告する、というのが此方での私の仕事で、大したことは、全然していない。私なんかの指示や監督に、従ってくれるような人たちでもないし。

「――、今いいかな?」
「あ、ワタルさん……お疲さまです、どうぞ」
「うん、ご苦労さま。日報かい?」
「はい。今丁度送信したところです、返信は明日になるので、今日の業務はもうおしまい、ですね」
「そっか、大変だろう? 俺たちの分だけじゃなくて、ジムリーダー達の報告も、が上げていると聞いたよ」
「ああ、まあ、そうですね。でも、私は他に、此方でやることもないので、大したことでは……」

 ポケモンセンターのエントランスで、ノートパソコンを開いて仕事をしていたところで、回復に立ち寄ったのか、ワタルさんに声を掛けられた。向かいの席は開いていたけれど、多分、隣に座るだろうなあ、と思い、荷物をどかすと、案の定ワタルさんは、私の隣に腰を落として、長い足を少し窮屈そうに折りたたみ、ソファへと座る。パソコンを閉じて、ワタルさんとの会話に集中する姿勢を作ると、軽い雑談から、大会の話へと次第に逸れていくので、ああ、心配されているのだな、とすぐに悟った。ワタルさんにとっては、私も庇護対象のひとり、らしいから。

「……はさ、」
「? はい、なんでしょう?」
「大会には、出ないのかな」
「……ええと、まあ、私が此方に来たのは、事故のようなものですし……」
「本当にそうかい? きみが呼ばれていなかったなら、あの時転移に失敗していたと、おれは思うよ。この地はのことも招いたんじゃないかな。良い機会だと思って、出てみればいいのに」

 そんなはずがない、と思う。確かに、特別な肩書を持たない一般トレーナーだって、パシオには多数来ているけれど、自分もそのひとりだとは、どうしても思えなかった。パシオに来た際に、パートナーのボールは持っていたから、一応、形式上でバディーズの申請と登録は、済ませていて。バトルも何度か、してはいるけれど。

「きみは、おれの付属品だ、と思っているなら、それは間違いだよ、

 強い瞳で見つめて、そう言い切られて、どきり、と心臓が跳ねる。――だって、想像すらしていなかった。ワタルさんが居なくなる想像なら、何度も何度も、イメージ出来ていたけれど、こんな偶発的な産物だとしても、その旅路に自分を伴ってもらえるとは、考えてもみなかった。だから、自分の力で、それを叶えたとは、まるで思えない。ワタルさんはこう言うけれど、やっぱり今回のことは、どう考えても、事故だ。――そう、きっと、今回は事故、なのだけれど。

「……パシオで、何人かのトレーナーと知り合って、バトルをしたり、話したりしました」
「そうか、どんな人達だった?」
「普通のトレーナーです、でも、良い人達でした。……それで、その中で、他地方でリーグ職員をやっている方とも、出会いました。二人とも、普段から仕事の傍ら、トレーナーとしても頑張っているそうです」
「それは、もだろう? 時々、ポケモンを鍛えているの、おれは知ってるよ」
「私は二人に比べたら、全然ですよ。……それで二人は、リーグの規定で、職員はジムに挑戦は出来ないから、パシオの大会はまたとない、腕試しの機会だって、そう言ってて……」

 見送る日がいつか来ることを、受け入れたつもりで、全然、受け入れられていないのだと、そう、知っても。多分、今までだったら、それでもどうしようもないから、仕方がないことだから、と。それで、無理に納得しようとしていたと思う。その結果、いつかの明日の私が、泣きじゃくる羽目になったとしても、どうしようもないもの、って、そう、思っていたの。――でも、あの光源の中で、太陽のようにあたたかな微笑みを讃えたあなたが、たった一言、一緒に往こう、と。そう、私に言ってくれたことで。――欲が、出た。また、いつか。あなたから、その言葉を聞きたいと、私はそう、願ってしまった。

「……二人から、チームを組まないかと、誘われています」
「…………」
「……私、やってみようと思うんです。彼らと一緒に大会に、出ます」

 私の決意を聞いたワタルさんは、一瞬だけ、面食らったような顔をして、それから、ぱあっ、と顔を明るくして、本当に嬉しそうに笑って、ゆるりとまなじりを落とし、高揚した様子が表情にも、声にもありありと出ていて、――きっと、このひとは私の決意を聞いたなら、喜んでくれるのだろうとは、思っていたけれど。予想以上の反応に、今度は私が、驚く番だった。

「そう、かあ……! いやあ、よかった! ならきっと、勝ち進めるよ! 楽しみだなあ、おれでよければ、特訓相手になるよ!」
「わ、私じゃワタルさんの相手になりませんよ……!?」
「そうかな? 強い奴を相手にしてみるのも、実戦経験を積むという意味でありだと思うけどな」
「そ、それは……たしかに一理ありますけど……」
「……本当はさ、おれが一緒にチームを組もうかと思ってたんだ」
「? 誰とですか?」
とだよ」
「……はい!? い、いえ、そんなの駄目ですよ! ワタルさんはワタルさんに相応しい方と組んでください!」
「まあ、そうだね。今回は出遅れてしまったし、脇からかっさらうのも無粋だから、おれは他の人と組むよ」
「ぜ、是非そうしてください……」
「ああ、残念だけど、そうするよ」

 はあ、びっくりした。本当に心臓に悪いな、このひと。多分、冗談なんかじゃなくて、本気で私とチームを組もうとしていたのだろうな、ということが分かるから、質が悪い。パシオにはセキエイの四天王だって来ているし、ジムリーダー以外にも、レッドくんやグリーンくん、リーフちゃん、ヒビキくんとコトネちゃんなど、ワタルさんが認めた若い才能達だって集っていて、他地方のチャンピオンの方々とも、ワタルさんは結構よく話しているのを見かけるから、気が合うひとなら、実力が近いトレーナーなら、良いバトルが出来る相手なら、いくらでもいるだろうに。それなのに、先を越されてしまった、なんて、真剣味を帯びた声色で、寂しげに呟くのだから、このひとは、しんぞうにわるい。

「……ワタルさん」
「ん? なにかな?」
「私では、一生掛かっても、無理かもしれないんですが、」
「……ああ」
「ちゃんと、ワタルさんに実力を認められた上で、そう言ってもらえるようになりたい、と思ったんです。……それが、私の参加動機です」
「……ああ、分かった。よく、胸に刻んでおくよ。一番上で待っているから、登っておいで」
「……さすがの自信、ですね……」
「はは、そのくらいじゃないと、チャンピオンなんてやっていられないよ」

 本気で追いつこうと思ったなら、一朝一夕では叶わないし、歩幅がこんなにも離れている以上、きっと、どう足掻いたって追いつくことは、出来ないのだろう。でも、出来ないからって諦めていたら、いつまでたっても、いつか、に怯えて過ごさなきゃいけなくなる。やっぱり、そんなのは、いやだ。いつまでも、悠然と佇むその背中を、見つめていたいから。追いかけ続ける理由が、欲しくなってしまったのだ、わたしは。

「……ああ、でも、」
「? はい、なんでしょう、ワタルさん」
「おれは、おれに相応しいのはきみだと思っているよ、
「……え?」
「だからおれもパシオで頑張るよ、きみに相応しい男として、認めてもらえるようになりたいからね」
「…………」
「ああ、そうだ。ところで、のチームメイトの話だけど」
「えっ、あっ、は、はい」
「他所のリーグ職員と言ったね? ……それは、男かな」
「……え、いえ、女の子、ですが……」
「そうか! それなら良かった! 場合によっては、と思ったが、杞憂だったね」
「ば、場合によっては、なんでしょうか……?」
「ん? 聞きたい?」
「だ、大丈夫です……」
「そうか、それは残念。聞きたくなったら、いつでもおいで」
「……は、い」
「うん、良い子だ」

 本当に、心臓に悪い。ぽかぽかと体温の高い、おおきなてのひらで、ぽん、と髪を撫でられると、一気に今の会話が現実味を帯びて、頭のてっぺんから振りかかってきて、つまさきまで、熱を帯びてじんわりと浸透していく。恥ずかしくて、頬があつかった。私のほしいもの、ワタルさんのうしろを歩く理由。ワタルさんのほしいもの、――多分、付属品なんて口実抜きに、私を隣に置く権利。私の一大決心なんて、もしかして、可愛いレベルなのでは? と、そう思えてくるほどに、強者の余裕を持って告げられた言葉に、竜の本懐を見た気がして。……尚のこと、強くならなければ、と思う。だって、背中を置い続けるよりもずっと、彼を隣で支える生涯のほうが、大変に骨が折れて、されど愛おしい日々になりそうな気がしたもので。 inserted by FC2 system


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