運命を宝石にして胸に飾るなら

 私は所謂、日陰者である。前職が理由で、人様にお見せできないような経歴を持っており、そのため普通の人達のように、一般企業に属して人の波の中で生活する、といった人生は歩めない。私の前職は、ロケット団だ。警察に出頭すれば、間違いなく逮捕される。――と、言えたなら、いっそ、その方が格好良かったのかも知れない。全盛期のロケット団は、それこそ数え切れないくらいの数の団員を抱えていた。二度目の解散の間際、チョウジのアジトが壊滅した際に、心が圧し折れて、最後まで伴は出来なかった、という程度のしたっぱなのだ、私は。警察だって、そんな末端の構成員まで構っている余裕はなくて、実際、警察に出頭したところで、証拠不十分で厳重注意、が良いところ。でも、やっぱり私がわるいひと、だったことに変わりはなくて、それなりの年数、ロケット団に属していたこともあり、したっぱだから、普通に社会復帰して生きていける、ってわけじゃない。バトルが強かったなら、根無し草の賞金稼ぎ、のような生き方が楽だったかも知れないけれど、実際問題、私はバトルなんか全然強くない。強かったら、幹部にだってなれていたかもしれないけれど、私の腕前は幹部では最弱、といったら失礼だけど――の、ランスさんにも遠く劣るレベルだった。チョウジのアジトが襲撃されたときだって、必死に侵入者に応戦したものの、全然敵わなくて。手持ちは一瞬で六タテされ、トドメに、一緒に見張りをしていた相方の団員が、侵入者に投げ飛ばされ、目を回して、私は腰が抜けて、その場にへたり込んでしまって。

『――すまないが、ここは通らせてもらうよ』

 ……圧倒的強者を前に、私の心はぽっきりと折れてしまったのだった。私がそのとき見逃されたのは、腰抜けだったからか、女だったからか、分からないけれど。そこでもう、色々と思い知ってしまったのだ、私は。幹部のアテナさんには、色々と良くしてもらったし、バトルの腕前が幹部陣でも飛び抜けていた彼女に、私は憧れていて。あんな風になりたい、と。そう、思っていたから、最後までアテナさんのお供をしたかったけれど、挫けてしまった心では、コガネに走ることも出来なかった。
 それから、暫くは落ち込んで何も出来なかったけれど、ロケット団が解散した、という事実と、自分は力不足だった、という事実を、やがては受け止める他になくて、私は、生きる手段を探さなきゃいけなかった。バトルは強くないから、賞金稼ぎもできないし、当然だけれど前科持ちだから、ジムトレーナー等にもなれない。コンテストのセンスもないし、十代の頃からずっとロケット団にいたから、社会人経験なんてない。――そんなんじゃ、まあ、生きていくのは大変だった。実家に帰れるわけでもないし、私になにか取り柄があるとも、思えなくて。強いて言えば、植物を育てることが好きなくらい、だ。ロケット団時代も、花やきのみを育てていたから、悪人らしくない、ってからかわれたことがあった、なあ。本当に、何の価値もない私の特技。何の意味もなかったそれが、――ようやく、実を結んだのは、最近のこと。散々苦労して、私は先月から、トキワシティに小さなフラワーショップを開店したのだった。本当に、小さな、路地裏の店だ。でも、私にとっては初めての、自分が居ても良い場所。自分の為の、居場所。かつて、サカキ様がジムリーダーを務めていたこの町に店を持とう、と思ったのは、未練とかも、あったのかなあ。まあ、タマムシやヤマブキに比べて、片田舎のトキワは、家賃が安かった、というのが一番、だけれど。ジョウトも近く、セキエイが近いお陰で、人の出入り自体は、悪くないし。

「……へえ、こんなところに花屋ができたのか」
「いらっしゃいませ、贈り物ですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……たまには机にでも、花を飾るのもいいかな、と思って……ん?」
「? どうなさいました?」
「……きみ、以前チョウジで会ったよな?」
「チョウジ……? ……あっ!?」

 ある日の夕方、店先で立ち止まって私に話しかけてきた、長身の男性は、夕日を背負っていて、逆光で顔がよく、分からなくて。燃えるように赤い髪の色も、空の色に溶けてしまっていたから、一瞬、気付けなかった。チョウジで会わなかったか、という言葉を不思議に思いながら、彼の顔を見つめて、――そこで、思い出した。あかいかみ、くろいマントに、こんいろのユニフォーム。低くてよく通る、意志の強さの滲む声色。――間違いない、あのとき、アジトに乗り込んできたカイリューの使い手、――私の心を折って、ロケット団壊滅の一端を担った、その張本人。

「……何故ここに? ロケット団は解散したはずだが……何か、関係があるのかな」

 かんかんかん。脳内で遮断機の音が警告みたいに鳴り響いていた。どっどっど。心臓が逸り、本能的な恐怖心に呼吸が浅くなる。あのひ、あのとき、あのばしょで、目の前のあかいひと、に、私は膝を着かされて、どうしようもない敗北の味を、知った。敵いっこない、と見逃されたあの時ですら恐怖で足が震えたのに、新しい生活が始まったばかりの今、また、なのか。また、何もないところに戻るのか、と。怖くて、怖くて、脚から力が抜ける。

「ーーっ、お、おい! きみ!」

 ……そこでわたしは、めのまえがまっくらに、なった。


 ――強烈な目眩でへたり込んで、どうやら私は、過呼吸を起こしたらしい。そのまま意識を飛ばして身体を棚やら床やらへと強かにぶつけるかと思ったけれど、赤い人が咄嗟に私を抱き留めて、椅子に座らせてくれたから、大事には至らなかった。大丈夫かい? と凛々しい眉を下げて、赤い人は私の顔を覗き込む。狭い店内のレジ奥、水道で水を汲んできてくれた赤い人は、至極申し訳なさそうな顔で、私へとグラスを差し出していた。ありがとうございます、と。どうにかか細く発声し、彼から受け取ったグラスから、こくり、とひとくち水を飲む。冷たい温度が喉を滑り落ちる感覚に、すこしだけ、気持ちが落ち着いた気がした。

「――つまり、きみはもうロケット団を抜けた。残党でも何でもない、と」
「……はい。私には、ロケット団で出来ることはない、と思い知ったので」
「? それは、どういう?」
「……そのままの意味、です」

 ここで会ったが百年目、とでも言うべき相手に、そんな啖呵を切れるほどの強かさや豪胆さを持たない私は、それどころか、因縁の彼に因縁とさえ思われておらず、恥も知らずに、彼の施しを受けている。本当に惨めだが、惨めすぎて、それを気にすることさえ出来なかった。ぽつり、ぽつりと、自白を重ねるように、私は彼に、自分がロケット団に属していた理由を、話す。誰かに許されたかった訳じゃないけれど、知っておいて欲しかったのかもしれない。私が、其処に居た理由、あの人達が、純然たる悪人ではなかった、という事実を。それが、宿敵だろうが、誰でも良かった。只私は、それを誰かに、覚えていてほしかったのだ。

「……ただ、私には居場所がなくて、その時たまたま、ロケット団と出会って。帰るところも、行くところも、無かった私にとっては、彼らが大切な居場所だったんです」

 だから、護りたかったのに、――私の手では、何も届かずに、護ることは出来なかった。何の力にもなれず、ひとつも恩を返せないまま、私の存在を許してくれた場所は、未来永劫に、その芽を摘み取られてしまって。なさけない、ほんとうに、なさけないし、やるせないな。誰に話したところで、もう、何も戻らない。終わってしまったこと、に過ぎなくて、ましてや、赤い彼はロケット団壊滅の要因、その半分を握っているひと、なのに、ぼろぼろと私の虚勢は崩れて、言葉も零れて、止められなかった。

「……悪いけど、おれはきみに同情できないし、ロケット団を潰したことを悪かったとは思わない。おれはおれの正義に則って、きみと戦い、正面から叩き潰すことできみたちの野望を阻止した。それだけだよ」
「……そうですね。私も、そう思います。多分、何人で束になっても、あなたには勝てませんでした」
「うん、そうだね。……でも、さ、誰かにとっての正義は、誰かの悪で、それは逆もまた然りなんだよ。おれの正義は、きみにとっては悪、だったんだろう?」
「……どう、なんでしょうか」
「その気持ちを、偽る必要はないんだよ。きみはきみの正義を信じて、おれの正義とぶつかって、結果きみが負けたからって、勝ったおれだけが正しいわけじゃないさ。ああ、勿論、おれは自分の正しさを信じてはいるけどね」
「…………」
「正しいことは、ひとつだけじゃない。……少なくともきみは、おれへの復讐に狂うだとか、卑怯な真似をしたりはしなかった。それは、きみが正しいからじゃないのかな」

 故意ではなかったとは言え、私が此処にこのひとを留まらせてしまったから、いつの間にか外は暗く、夕日に溶ける赤い髪は、電気を付けずに暗いままの店内で、ぼんやりと炎のように光って見える。――私は正しい、間違ってはいなかった、と。只の一度も、自分で自分を認められたことはなくて、他の誰にも、認めてもらえなかったことを、なんでもないような顔をして、目の前のあかいひとは、穏やかに、語るのだ。私は、このままでもいいんだ、って。私の人生は何も間違ってなければ、無駄なことなんて一つもなかったんだ、って。

「――さて、長居しすぎてしまったな。花を包んで欲しかったんだが……そうだ、出来れば職場まで届けてもらえないかな、明日にでも頼みたいんだが」
「は、はい。……でも、良いんですか? 私、前科持ちで……私がお勤め先に伺ったら、迷惑なんじゃ……」
「ははは、そんなことないさ。おれは近所の花屋さんに配達を依頼しただけだからね」
「あ、ありがとうございます……! どういったものを、お届けしましょうか? お好みなどは……」
「ううむ、おれは花にはあまり詳しくないから……そうだ、きみが選んでくれないかな? デスクに飾るつもりなんだ、きみのセンスに任せるよ。それで、その事を同僚にも話しておこう。きみのセンス次第では、一気に常連が増えるかもしれないな」
「!」
「これはおれの名刺だ、其処に書いてある住所に届けてもらえるかな。おれの名前を伝えてくれれば、警備が通してくれるはずだから。ああ、それと、」
「は、はい」
「……迷惑でなければ、また来てもいいかな? その、きみがおれと会うのは、精神的に負担になるようなら、明日も代理の者に受け取らせるようにするし、おれは顔を出すのを、控えるが……」
「……あの、」
「ん、何かな?」
「私、と言います。此処の店主の、です。……お客さんの入店をお断りすることはない、ので、気に入っていただけたなら、また来てください」
「……ああ、そうさせて貰うよ」

 ――なんだか、不思議なひとだったな。本当に、怖くて怖くて仕方がなくて、ずっと脳裏に恐怖の具現化のように焼き付いていた、私の世界の破壊者、のようなひと、だったはずなのだ、彼は。今だって、ロケット団のことを吹っ切れたわけではないし、多分、吹っ切れる日は来ないし、彼に負けたこと、彼に組織を潰されたことに対して、何も感じなくなることは、一生ないと思う。でも、それでも。彼自身への恨みだとか、そういったものは一切感じられなくて、恐怖心も後悔も纏めて、旋風のように攫っていってしまったのだ、あのひとは。只々、私のこの先の道程に、祝福だけを与えて、彼は去っていった。なんだか、こみ上げる感情で喉の奥があつい。多分、私は生涯、真っ当な人間にはなれないんじゃないかと思う。でも、それは即ち、私が間違っている、間違っていた、なんてことにはならないのだ、と。立ち去る背中に、福音を贈られた気がした。誰よりも正しいそのまなざしの持ち主による肯定が、どれほど心を救ったかなど。彼は、知る由もないのだろう。私も、その感傷を押し付けようとは思わないけれど、でも、飽くまで花屋としての私を信じてくれたお客さんの期待には、応えたいと思う。どんな花が良いだろう、デスクに飾るなら、匂いが強すぎないもので、彼をイメージした花を選ぶとして、――ああ、そうだ、宅配先によって運搬時間も変わるから、まずはその確認を、と。――そこでようやく、手元の名刺に目を落として、思わず首を傾げた。

「うん……? セキエイ高原、チャンピオン……?」

 ――それは、私では勝てないわけだとか、思いがけない上客が舞い込んだとか、色々、あったけれど。その夜は必死に花を選んで、レイアウトに試行錯誤していたから、見落としていたのだ。

「――あ、そういれば、見てもらえたかな?」
「え?」
「おれの名刺の裏だよ、ほら」

 翌日、配達先のセキエイ高原、チャンピオンの執務室にて、――本人の目の前で、指摘されるまでは、気付かなかった。彼の言葉に、名刺入れを取り出して、昨夜彼から受け取った名詞を抜き出し、ぺらり、と裏側を見る。――手書きの筆跡で、明日、夕食をご一緒にいかがかな、なんて。案外気障な口説き文句を認めるひとなのだ、と。――その文字を目で追いながら、場違いに、そんなことを思っていた。そうか、チャンピオンともなると、こんな風に一般人……とは、まあ、私は違うけれど。そういった通りがかりの相手の面倒も見ないといけないんだなあ、なんて。そう受け取ったのが私の本心なのかはわからないし、彼の真意だってわからない、けれど。存外、太陽の下にも生きていける場所があることを、このひとが教えてくれたことだけは確かで、解散のあの日以来、はじめて安心して息が出来たのが彼の隣であったことも、事実だったので。 inserted by FC2 system


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