あまいりんごをたべてあげよう

「え、ワタルさん、それ、何ですか? きのみ?」
「ああ、これ? 実はこれ、ポケモンなんだよ。カジッチュと言うんだ」
「え、りんごみたいですけど……」
「うん、この葉っぱの部分があるだろう? よく見てごらん」
「葉っぱの部分……?」

 そう言ってワタルさんから、ぽん、と手渡された赤いりんごのようなきのみ。その葉部分を、ワタルさんに言われたとおりに、じいっ、と食い入るように見詰めていると、ぽん、と突然瞳が開かれて、黄緑色をした二枚の葉っぱに小さな黒い瞳がふたつ、浮かび上がった。その様子を驚いて見詰めていると、ぴょこん、とトカゲのような小さな尻尾が顔を出して、果実の模様部分、色が切り替わった箇所がぱかりと開き、くあ、と欠伸をするように、小さな牙が姿を見せて。

「……か、かわいい……!」
「な! 可愛いだろ? がきっと好きだと思ったんだ」
「はい……! 可愛いです! それに、なんだか甘酸っぱい香りがして、癒やされます……」
「はは、よかった。このポケモン、こんなに可愛らしい姿だけど、ドラゴンに進化するらしいんだ」
「え、ドラゴンにですか? なんだか、それは、あまり想像できませんけど……」
「うん、おれもちょっと想像がつかないな」
「それじゃあ、これから育ててみてのお楽しみ、ですね?」
「ああ、いや。この子はおれが育てるわけじゃなくてさ、にプレゼントしようと思って、ガラルから連れてきたんだよ」
「え、」

 思わずワタルさんのその言葉にぽかん、と口を開けて、目の前の少し高い所にあるワタルさんの顔と、てのひらの上のカジッチュを見比べて、首を傾げていると、ワタルさんは少しだけ困ったように、眉尻を下げてくしゃりと笑う。ワタルさんは、セキエイリーグの仕事の一環で、昨日までガラルに出張へと出向いていた。ガラルとカントーとでは、時差が半日ほどあるため、勿論カイリューで出向く、という訳にも行かず、飛行機での長旅を往復して帰ってきたところでお疲れだろうに、戻ってすぐに、部下である私に諸報告を済ませたワタルさんは、今日のところは自宅に戻って休まれてくださいね、なんて提案する前に、手荷物の中から真新しいハイパーボールをひとつ取り出して、その中に入っていたカジッチュを、私へとお披露目してくれたのだった。ドラゴン使いで、ドラゴンタイプを鍛え上げること、それ自体が堪らなく好きだ、というワタルさんだから、初めて見るドラゴンを自分で育てるために捕まえてきたのだろう、と当然のように思っていた。が、しかし。実際のワタルさんは、この小さな竜の子を私への贈り物だと言って、ぴょこぴょこと器用に私の肩にカジッチュがよじ登ったことで空いたてのひらに、カジッチュが入っていたボールをワタルさんの手で、そっと握らせたのだ。

「この子は、のお土産にしようと思って捕まえた子だから。きみに育ててほしいんだよ」
「で、でも……ワタルさんだって、育ててみたいんじゃないですか?」
「……、以前にドラゴンに興味があると言っていただろう?」
「は、はい」
「ドラゴンタイプは、幼体、進化前の状態でも凶暴な個体も多く、進化させることでプライドが高くなったり、扱いが非常に難しい種類だ。おれも、昔は散々手を焼かされたよ」
「ワタルさんでも、そんな頃があったんですね……」
「あるとも。だが、このカジッチュというポケモンは、本体は更に小さく、進化後も非常に温厚なポケモンらしい。初めてドラゴンを育てるにはうってつけだと思ったんだ、爪や皮膚で怪我をする危険も限りなく少なそうだしな」
「ワタルさん……」
「……そう、ガラルで知ってね、真っ先にの顔が思い浮かんだ。それで、生息地を聞いて、捕まえて帰ってきたんだ。おれは、がドラゴンタイプに興味を持ってくれたことが嬉しかった。きみにも、ドラゴンを好きになって貰えたらうれしい、だが、無責任に薦めて、きみを危険に晒すのは絶対に御免だ。だからこそ、この子を贈りたい。……と、そういうわけなんだが、どうだろう? 受け取って貰えるかな?」
「ほ、本当に良いんですか?」
「もちろん。に貰って欲しくて捕まえてきたんだから」
「あ、ありがとうございます……!」
「進化後の姿はおれも見たことがないんだ。進化したら、是非見せて欲しいな」
「もちろんです! 頑張って育てますね!」
「ああ、おれに協力できることがあれば、いつでも言ってくれよ」
「はい!」

 ――そうして、その日から、私とカジッチュの共同生活が始まったのだった。ポケモンを持つこと自体は、これが初めてではないし、正直、バトルはそこまで強くないけれど、ポケモントレーナーとして過ごした時間はまあまあ長く、ポケモンを育てること自体は好きだったから、カジッチュの世話も積極的に焼いて、二ヶ月も過ぎた頃には、すっかり仲良くなっていた。こまめに葉水をしてあげたりして、りんごの色艶には気を配っているし、適度な運動と経験値のために、訓練程度のバトルも行わせている。大分よく懐いてくれていると思うし、毎晩一緒に寝ている程度には、私とカジッチュはすっかり仲良しだった。私自身がこの子を酷く気に入っているのもあるし、何より、ワタルさんは私が密やかな憧れを募らせている人、でもあるから。そんな彼に、是非きみに育てて欲しい、と託されたからには、立派なドラゴンに育て上げて、ワタルさんにお披露目したいと思ったのだ。ドラゴンポケモンと心を通わせられるようになったら、今より、もっと。ワタルさんとも、仲良くなれないかなあ、なんて。勿論、そんなのは私の勝手な願望に、過ぎないのだけれど。やっぱり、ワタルさんからの贈り物だと思うと、どうしようもなく特別だったのだ。だから、進化させてあげたくて、私なりに手を尽くしていたつもり、だったのだけれど。

「――カジッチュが進化しない?」
「はい……色々、試してはいるんですが……」

 ポケモンの進化方法は、その種族によって多種多様だ。遠いガラル地方に生息するポケモンで、現地でも珍しい種類らしいカジッチュの進化方法は、此処カントーでは全くと言っていいほど情報がなくて、文献を調べたりしながらも、色々と独自に試していたの、だが。最初は、レベルアップでの進化を想定していたものの、適正なレベルはとうに過ぎて、なつき度合いや、仲の良さも問題はないはずだし、恐らく、レベル帯での進化ではないらしい、ということだけは判明し、それならば果実を模しているわけだし、リーフの石で進化するとか、太陽の下で進化するとか、そういった進化方法なのかな? と、石や時間帯、天候からのアプロ―チも試してみたが、効果はなく。

「粗方試したと思うんです、カラマネロなんかは、マーイーカを逆さまにして進化させますよね?」
「……まさか、カジッチュを逆さまにしてみたのか?」
「わ、笑わないでください!」
「ふはっ、す、すまない、一生懸命で、可愛らしいなと……」
「か、からかわないでくださいよ……! そ、それでですね、もしかしたら、特定の場所があるのかな? と思うんですが、どう思います?」
「……なるほど、確かに特定の地域や遺跡などを進化条件とするポケモンは存在するな……」
「ですよね? もしかして、ガラルでしか進化できない、とか、だったら……」

 せっかくワタルさんが、連れて帰ってきてくれたのに。もしも、此処カントーでは進化させてあげられないのだと、したら。ワタルさんとの約束が護れないのもイヤだし、なにより、進化させてあげられないのでは、カジッチュが可哀想だ。私があれこれと調べたり試したりを繰り返していることも手伝ってか、傍で私を見ているカジッチュ自身は進化を望んでくれている。ワタルさんの手持ちのドラゴンタイプたちを日常的に見ていることも、関係しているように思う。竜になりたい、とあの子が望んでくれているのに、それを叶えてあげられないのは、トレーナーとしても嫌だった。

「……よし、それならおれが今度ガラルで聞いてこよう」
「え、で、でも……」
「先日出向いた際に、今度は是非、講師として来訪して欲しい、と要請があってね。面白そうだし、受けようと思っていたんだ。そのついでなら、良いだろう? スケジュールは調整できそうかな」
「は、はい。……あの、そういうことなら、私も補佐として同行しても構いませんか?」
「……それは、おれとしては、願ったり叶ったりだし、助かるが……」
「よかった……! では部下として同行しますね! ……あの、それで、」
「うん、何かな?」
「……ご迷惑でなければ、カジッチュが住んでいたところ、私も見てみたいです。あの、公私混同、かもしれませんが……」
「はは、その程度大したことじゃないさ。良いよ、前回はとんぼ返りだったしな、今回は少し、観光もしようか。きみが上手く、お偉方には言い訳してくれるんだよな?」
「……ふふ、お任せください!」
「ああ、期待しているよ」

 本当は、自分一人でガラルに出向こう、と考えていた。どうしたって、長期の休みを取ることになるから、それだって今すぐというわけには行かないし、一体いつになるだろう、というところではあったのだけれど。でも、仕事としてならすぐにでも! と、此処ぞとばかりに、手を挙げたのは、ちょっとまずかったかな……なんて風にも思ったものの、ワタルさんから話を聞いてみると、その案件は実際、本当に人手が必要な内容らしかった。ワタルさんは優秀だし、何でも一人でこなしてしまえるような人だけれど、講師として、教壇に立つともなれば、物理的に手が足りないことだってある。それなら部下として、そもそもチャンピオン以下、四天王の皆さんの周りの雑事は、私が秘書としてこなさなければならない仕事でもあるので。同行するためには一応、上席の許可を取ったりもしなければならないけれど、まあ実際、セキエイのトップは我らがチャンピオンその人であるので、チャンピオンの希望です、とさえ報告すればすんなり通るだろう。要は、そういった役員とのやり取り等の諸雑務もまとめて、私に任せたい、ということでもある。適材適所で、いくら自分一人でも出来るとはいっても、そういうことは私に任せたほうが万事滞り無く進む、とワタルさんから信頼して貰えている、ということでもあり、そんなの嬉しくないわけがない。だって相手は、憧れのワタルさんだ。そのワタルさんと、出張とは言えガラルまでご一緒できて、実地調査も一緒に出向いてもらえる、というのだから、当日までは、もう、楽しみで仕方がなかった。

 そうして、約二週間後、ガラルの地へと降り立った私とワタルさんは、シュートシティから電車を使い、ナックルシティまで移動し、現地にある大学にて、いざワタルさんが講師を務める講演会が開かれたのだった。ナックルシティは、ドラゴン伝説の残る神聖な土地であり、ドラゴンに纏わる歴史の研究や保存が積極的に執り行われている地、なのだそうで。ドラゴンタイプのポケモンジムも存在するこの街でも、遠くセキエイ高原のチャンピオンたるワタルさんは、皆の憧れのドラゴンマスターとして名を馳せているらしく、そういった様々な背景が伴い、是非一度講師に、という話になったのだ、と事前にワタルさんから事情は聞かされていたものの、いざ教壇に立つと、学生さんどころかジム関係者の方々、教師陣の方に至るまでが真剣にワタルさんの話に耳を傾けており、助手として資料を表示したり、ワタルさんの指示で動いていただけだったけれど、私も結構、緊張してしまって、講演会が終わる頃には、それなりに気疲れてしまっていた。しかし、現地のマスコミまでもがワタルさんの取材に訪れていて、ガラルではジムリーダーやチャンピオンのメディアの露出がかなり多いようだし、こういったことも物珍しくもないらしかったが、カントー・ジョウトではあまりそういった習慣がなくて、ワタルさんはあまりメディア慣れしていないから。記者から矢継ぎ早に飛んでくる質問や、向けられるレンズに、少し困った風で応対して、眉を下げて笑っていて、これはいけない、と思って、記者陣との間に入り、ワタルさんの変わりに私が受け答えさせてもらった。まあ、向こうからすれば望んだ対応ではないだろうけれど、質問には十分私でも答えられるし、何より私はワタルさんのマネジメントのために、ガラルまで同行しているわけである。少し困った風に、けれどセキエイチャンピオンとしての格を下げずに、責務を果たそうとするワタルさんを、放っておいて良い道理は何処にもない。

「申し訳ありませんが、ワタルさんはこの後予定がありますので、此処からは、代理になりますが、秘書の私が、質疑応答を受け付けます」
「! 、しかし……」
「……ワタルさんは、控室で少し休まれてください。私のほうがこういうのは得意ですので、大丈夫です」
「……そうか、確かにそれもそうだな。では、すまないがここは任せても構わないかな?」
「勿論です」
「助かるよ」

 ひそひそ、耳元でちいさくやりとりをして、控室に戻るワタルさんの背を見送る。講演会後の段取りは、ナックルジムのリーダーが、取り計らってくれる手筈なので、心配は要らないだろう。ともかく、この場を収めるのが今の私の仕事だ。取材陣に向き合うと、長丁場になりそうだ、と私は静かに腹を括ったのだった。


 ――マスコミの相手、というものは、どうにも慣れない。セキエイはメディア露出が少ないほうだし、地元ではおれが街中を歩いたところで、特に何の騒ぎにもならない。まあ、知っている人には声を掛けられることもあるが、チャンピオンの顔を知らない民間人だってざらに居るし、こんな風に講演会のような機会があっても、地元の人間は今更おれを囃し立てるなんてことも、ないし。

「オレにはそっちのほうが信じられませんけどね、ワタルさんが歩いてたら、ガラルじゃ大騒ぎになりますよ」
「はは、大袈裟だなあ」
「いやいや、大袈裟じゃないですって……」

 ナックルジムリーダーのキバナとは、前回の出張時に顔を合わせてからの縁だ。彼は元々、おれのファンでいてくれたそうで、遠い地でドラゴン使いとして名を馳せる彼が、おれを目標に掲げてくれていることを、素直に嬉しく思う。そんな縁で、今回の講演会の話も、キバナを発端に上がった企画だった為、実行委員側に彼が名を連ねており、この後、調べたいことがある、という話をしたところ、彼は快く協力を申し出てくれた。ナックルジムのトレーナーは、この街の宝物庫の番人を兼ねており、必要であれば資料庫への立ち入りも許可してくれると言う。そもそも今回の遠征は、の目的を叶えてあげたかった、というところが大きいので、キバナの提案はありがたい申し出だった。控室に戻り、キバナからコーヒーを受け取ると、手土産に持ってきたジョウト名物のいかりまんじゅうを片手に、束の間の休息を取る。テーブルを隔てて、おれの向かいの席に座ったキバナは、いかりまんじゅうが物珍しいようで、不思議そうに眺めて、写真に収めてから包装を剥がして頬張っていた。食べ慣れた味をもぐもぐと咀嚼すると、異国の地でも妙にほっとするなあ、なんて思う。

「そうだ、彼女って、ワタルさんの秘書さん? マネージャーですっけ?」
「……のことかい?」
「そうそう、さんだ。すごいですね、彼女」
「ああ、そうだろう? 自慢の部下なんだ」
「慣れてるんですね、彼女。講演会の最中も、ワタルさんが指示する前に動いてたし。息が合ってるなあ、優秀だなあ、って。オレのジムのトレーナー達も、よくやってくれてるんで、ありがたいですよね、ああいうの」
「……ああ、そうなんだよ! は本当に優秀で、いつも助けられているんだ」

 彼女の能力は、他でもないおれが一番理解している、と自負しているが、それとこれはまた別の話で、自慢の部下であるを、他の人間から称賛されるのは、おれも鼻が高いしやはり嬉しいものだな、こういうのは。先程のフォローだって、他に誰も居なければ、おれ一人で対処できるところではあったのだが、正直な所、おれは取材陣の相手が苦手だ。カメラを向けられると、何処を見て話すべきなのか悩んで、必要以上に気を張って疲れてしまう。とはいえおれもチャンピオンだし、決してそんな弱音を吐いたことはないけれど、言外の顔色や態度から汲み取ってそれを理解してくれている彼女だからこそ、ああいったフォローをすぐに入れられるのだろうと思う。今回、同行を申し出たのは確かにの方だが、それを快諾したのは、おれが彼女の能力を信頼している、といったところが非常に大きい。に同行して貰えたほうが、おれもおれの仕事がやりやすいし、精神的にもかなり楽になる。……と二人で旅行、というのも、おれとしては願ったり叶ったりでもあるし。

「……なるほど、自慢の部下なんですね」
「ああ、羨ましいかい? 残念だけど、あげられないよ」
「はは、そりゃそうだ。あ、そういや、このあと実地調査に行くんですよね?」
「ああ、少し調べたいことがあって」
「そうそう、それって何の調査ですか? オレに力になれそうなことなら、同行しますよ」
「ああ、助かるよ。キバナに聞くのが一番早いかと思っていたところだ」
「と、いいますと?」
「カジッチュのことなんだよ。前回、ガラルを訪れた際に捕まえて帰ったんだけどね、進化方法が分からなくて困っているんだ」
「ああ、なるほど。あいつはちょっと進化が特殊なんですよ、アイテムで進化させるんですけど……」

 ドラゴンタイプのエキスパートなだけあって、キバナはおれが望んだ回答を返してくれた。キバナ曰く、カジッチュの進化には専用のアイテムが存在し、それは果実なのだそうで、ありそうな場所に案内は出来るが珍しいものなので簡単には見つからないと思う、という話だった。だから、必要であれば彼が持っている在庫を分けてくれる、というのだが、心当たりがあるらしいその場所は、ワイルドエリアという大自然が広がり、ポケモンが多数存在する、ガラルにおけるサファリゾーンのような場所に当たるそうで。ポケモン達とキャンプをしているトレーナーも多い、と言うし、ポケモンと食べるカレーが流行っているそうで、個人的には非常に興味をそそられるところでもあった。現地人のキバナの案内付きなら何かと安心だし、に確認してみてからの話にはなるが、彼女もそういうのは好きだし、一度そのワイルドエリアに出向いてみるのもよさそうだな、と思う。キバナの話に相槌を打ちながら、話を聞いているだけでも、なんだか、年甲斐もなくわくわくしてしまう、な。

「そうか、ワタルさん、カジッチュ育ててたんですね」
「いや、おれではないんだが、先日、カジッチュをプレゼントした相手が居てね」
「へえ〜、ワタルさんのいいひとか、どんな人なんですか?」
「……? だよ」
「あ、やっぱり? なるほど、やっぱりか〜、そんな気はしてたんですよね、そっか〜、ワタルさんのいいひとって、さんか〜」
「うん……? キバナ、それはどういう……?」
「え、だって、さんにカジッチュ贈ったんですよね?」
「そうだよ? 彼女がドラゴンタイプに興味を持ってくれたから、温厚そうな種族を選んでプレゼントしようと思って……」
「……あー、ワタルさんさあ」
「うん?」
「もしかして、カジッチュのジンクス、知らない?」
「……ジンクス?」
「……好きな相手にカジッチュを渡して告白すると、想いが叶う、ってジンクスがあるんですよ、だからガラルでは、カジッチュは告白の定番で」
「…………」
「……その様子だと、知らなかったんですよね?」
「……ああ……」

 ――キバナが言うには。そのジンクスは、ガラルではかなりメジャーなものらしく、……ああ、そういえば確かに、前回ガラルを訪れた際には、リーグの関係者にカジッチュの生息地を教えて貰ったのだった筈だが、その際におれはカジッチュのことを知り、贈りたい相手がいるのだ、と言って、案内してもらったのだった、気がする。そうか、そもそもあの時に、現地でも珍しいポケモンの生息地を、外部のおれにやすやすと開示したのは、そういうことか? 気を遣われた、ということか……と、恐らく、この場にキバナが居らずにおれひとりだったなら、頭を抱えていたことだろう。だが、仮にも講師として招かれ、おれを慕ってくれる後輩である彼がいる手前、みっともない振る舞いも出来ない。ああ、だが、そうだな、……果たしてこれは、知らなかった、で済まされるのか?

「……キバナ、そのジンクスというのは、ガラルでは定番なんだよな?」
「ええ、まあ……」
「……きみの部下は、知っているのか?」
「知ってるでしょうね」
「……マスコミの対処に残ったのサポートには、きみの部下も残っていたよな?」
「……残ってましたねー」
「彼らがドラゴンジムのジムトレーナーだということは、も承知している。恐らく、控室まで戻ってくる道中にでも、カジッチュについて尋ねるだろう。彼らは、何と答える?」
「まあ、オレと同じ答えでしょうねー……」
「ジンクスについては?」
「……教えるでしょうね……」
「……そうだよな……」

 そんなつもりではなかった、そうなんだ、……そうなんだが、それはそれとして。……複雑なことに、おれが彼女を好いているのは、事実なのだ。そうじゃなければ、個人的なプレゼントを贈ったりしないだろう、いくらおれだってここまでするのはにだけだよ。だから、そんなつもりがなかったとはいえ、おれ自身には彼女に対してそういう気持ちがあるのだから、やってしまったことには変わりがない。真相を知ったら、はどう思うだろうか。迷信に頼るような、女々しい男だと思われてしまうかな。それとも、他意は何処にもないと思って、気にも留めないのだろうか、と考えて、――ああ、それは少し、いや大分、かなり嫌だな、と思う。それでは、まるで男として意識されていないということになってしまうだろう、と。とん、とマグカップをテーブルに置くと、思わず深く溜息が漏れる。

「――あの、ワタルさん?」
「……うん、そうだな。そうしよう、ありがとうキバナ、これで腹が決まった」
「は、はい?」

 扉の向こうから、コツコツと廊下を蹴るヒールの音が聞こえる。決して耳障りではない、品のある歩き方と歩幅の感覚で、その足音が聞き慣れた彼女のものだということには、すぐに気付けた。当然だ、それはいつもおれの少し後ろを付いて回る、よく耳に馴染む音だから。かちゃ、と控えめに開かれたドアの向こうに、少し目の泳いだと、何処か困った顔をした、キバナの部下の青年が並んでいるのを見て、まあ、おれは全てを察したし、キバナも同様に、額に手を当てている。

「……キバナ、すまない。少し席を外してもらえるかな」
「え、あ、はい、ですよね分かりました」
「ワイルドエリアの件は、その後で返事をさせて貰えるかな」
「ああ、はい。じゃあオレは、講義室の撤収作業に混ざってるんで、そっちに来てもらえれば」
「ああ、分かった。ご苦労さま」
「はい。……おし、リョウタ! オレさま達は撤収!」
「いたっ、ちょ、キバナさま! 痛いです!」

 どたばたと少し騒々しく、二人分の足音が遠ざかっていくのを、じっ、と聞いていた。そうして、やがて、しん、と静寂と緊張感が張り詰めた部屋で、口を開くと、おれはシンプルな問いかけをにひとつ、投げかけてみる。先程まで、珈琲を飲んでいたのに、緊張からか妙に喉が渇いて、口の中がからからで、上手く声が出ない。

「……キバナの部下から、カジッチュのジンクスを聞いたかい?」
「……ええと、あの、はい……」
「……そうか」
「……はい……」
「では、。カジッチュのボールをおれに渡して貰えるかな」
「え……ま、待ってください。私そんな、思い上がったりしません。気にしてないので、気にしないでください。ですから、あの……」

 カジッチュの入ったボールを握る、彼女の白くて細い指が震えている。ああ、これは言い方が悪かったな、多分は、おれにカジッチュを取り上げられると思って、動揺しているのだろう。大切なパートナー、大切な友達であるカジッチュを、撤回のためだけに没収する、なんて。存外、冷たい男だと思われているものだなあ。或いは、それとも、……きみも、おれと同じだったなら良いのにな。もしも、おれから突き放される可能性に、――他でもない、目の前のおれに、きみが怯えてくれていたのなら、そんなに嬉しいことはないのに。

「そうじゃないんだよ、。只、おれは、やり直しをさせてほしいんだ」
「はい……? やり直し、ですか?」
「ああ。正直言って、おれもジンクスのことを知らなかった。こういうことには疎いからね……だが、キバナは“カジッチュを渡して告白すると想いが叶う”というジンクスなのだと言っていた。だから、前提が足りていないんだよ」
「ワタル、さ、」
「……おれは、まだきみに告白していないだろう?」

 そっ、と。ボールを握りしめた手を、おれの両の手で包んで、きれいなひとみを覗き込む。だから、一度だけおれにカジッチュを返してほしいんだ。こんな聞き方はずるいかな、と聞いたら、ワタルさんの物言い、ストレートすぎるもの、卑怯なんかじゃありません、と。真っ赤な顔で、が答える。加減してください、と瞳に涙を溜めながら乞われたなら、それこそ手加減なんて出来る訳がないだろう。生憎、おれは立ち止まるということが出来ない性分だから。きみが何を言おうと、ブレーキを踏む気が、おれにはそもそもないんだよ。

「……あの、それ、ジンクスなんてなくても、あの……」
「……おれの想いは、が叶えてくれるのかな?」
「……ちゃんと、聞かせてくれたら……はい……」
「そうか、それは良かった! ……では、そうだな。好きだよ、
「は、はい……」
「きみのことが好きだ、きみにドラゴンを好きになって欲しかったのだって、おれをもっと知って欲しかったからなんだ、。いつかは告げようと思っていた、上司と部下という立場だし、きみを不快にさせないように、機を見て、と思っていたんだが……うん、やはりおれはきみが好きだ。勿論女性としてね、愛しているよ、。だから……」
「わ、わかりましたから……! その辺りで、許してもらえませんか……!」
「そうかい? それは残念だ、……それで?」
「はい?」
は、おれの願いを叶えてくれるんだよな?」
「……はい、えっと、あの、……わ、たし、ワタルさんのこと、ずっと、尊敬してて」
「……うん」
「……ジンクス、を……知ってて、贈ってくれたんだったらよかったのに、って……おもって……」
「はは、それはすまなかったね。だが、その分はそれ以上の愛情で返すよ」
「……て、手加減、お願いしますね……」
「悪いが、おれは手加減とかは好きじゃないんだ。相手への敬意に欠けるからね」
「……うー、ですよね、知ってます……そういうワタルさんが、好きなので……」

 そんな風に言われてしまったなら、ますます手加減する必要はないな。するり、と包み込んだ指先を撫でると、ぴくり、と小さく跳ねた彼女が、おそるおそる、おれの顔を見上げている。頬は赤く、恥ずかしさと喜びとがないまぜになった表情で見詰められると、抑えが利かなくなってしまうよ。がっつきすぎだとか、余裕がないとか、そんな風に思われるのは嫌だけれど、にはおれの愛情の重みを、よく知って貰わないといけないから、なんて誰でもない誰かに言い訳をして、そっと彼女に顔を寄せる。ひとまず、ワイルドエリア探索の件は明日に改めて貰うことにしようか。どうやら今日は、きみに愛を語って聞かせることで忙しくなりそうだから、と。そう思いながら、あまく食んだ唇は、ちいさく震えていて、おれはこの可愛らしい恋人のことが、愛しくてたまらないと思った。 inserted by FC2 system


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