真冬の向日葵をきみと見たい

 私の旦那様であるワタルさんは、セキエイ高原のチャンピオンで、カントー・ジョウトを統べる最強のドラゴンマスターである。そんなワタルさんは当然お仕事も忙しく、加えて彼はライフワークが悪人成敗、といったきらいがあるので、常に何処かを飛び回っているため、あまり、お仕事に出ている日中は連絡するのが憚られるなあ、なんて思っていたのは、――確か、まだ結婚前で、ワタルさんが四天王だった頃のこと、だっただろうか。当時の私は遠慮をしているつもり、彼を尊重しているつもりで、極力こちらからの連絡を避けるようにしていたのだけれど、あるときに、当時の四天王であるカンナさんから、あなたから連絡が来ると、ワタルったらずっと上機嫌でバトルの調子も良いのよ、なんて教えられてしまって、多分、私が彼に遠慮をしなくなったのは、それからのこと。私が思っているよりもずっと、私はワタルさんの世界の中心に居るのだなあ、と思えたから、彼に対して素直に接することができるようになったのは、カンナさんのおかげだったりするのかな。
 それからというもの、互いの間に無意識にあった薄い壁が取り払われたことで、ぐっと距離が近づいて、気付けばワタルさんとの付き合いも長くなっていたし、私は今では彼の奥さんだ。奥さんだから、何の気兼ねもなく「今日のお夕飯は何が食べたいですか?」なんて、本当になんてこともない連絡が入れられる間柄になったことを、私は、本当に嬉しくて得難くて掛け替えのないものだと思っているし、ワタルさんもそうだったらいいなあ、なんて思ってしまう。連絡を入れて、5分も経たずに私のポケギアが鳴ったかと思えば、「今日は暑いし素麺が良いな。帰りにアイスを買って帰るけど何が良い?」と、ワタルさんから返事が返ってきた。室内は空調が効いているとは言えども、暑いんだからそんなに頑張らなくて大丈夫だよ、という意味だろうなあ、とは思いつつも、「分かりました! マゴのジェラートが食べたいです」と返信を打って、さてどうしようかと考える。正直に言えば、その気遣いは非常に有り難いし嬉しい。この時期は、火の前に立つのだって一苦労なのだ。だけれど、バトルも正義活動も日々のトレーニングも、暑い日だろうと関係なく、炎天下の外を駆け回って、くたくたで帰ってくる旦那様にお出しする夕飯が素麺だけ、なんて私が嫌なの。只でさえ彼はこの季節でも、伝統あるコスチュームだからと言って、耐火耐水のかっちりした衣裳に、マントを羽織って出掛けていくのに。しっかりと栄養バランスの取れた食事をして、体を壊さないようにしてほしいし、只、単純に、すきなひとにおいしいものを食べて欲しい、という気持ちもあるし。「了解。ちゃんとエアコンを付けて、外に出かける時は熱中症に気を付けるんだよ」と返ってきた返事に、このひとは本当に人の心配ばかりしているんだなあ、と思いつつも、ここまで気に掛けるのは流石にきみのことだけだよ、というのが本人談だそうなので、まあ、きっと、お互い様なのだろうなあ、なんて思いながら、私は今夜の献立を考えるのだった。


 夕方になっても、まだ日が高く、空が明るい日々が続き、夏だなあ、と痛感する。一族の後継者だったり、チャンピオンだったりという立場も伴って、おれは真夏でもいつものユニフォーム姿だけど、流石に日が落ちてもこの時期にこの格好は暑い、なあ。ぱたぱたと首元に空気を送り込みながら、リーグでの業務を終えて、帰り道を歩く。今日は挑戦者も少なかったから定時で上がり、帰り道にアイスクリームショップに寄って、マゴのみとイトケのみのシャーベットを購入し、帰路に付いていた。

「ただいま戻ったよ」
「おかえりなさい、ワタルさん!」

 ぱたぱたとスリッパの音を立てて、台所からが駆けてくる。前もって、何時頃に帰れるか連絡しておくのは、こうして彼女に出迎えられるのが、嬉しいからでもある。おれからマントとアイスクリームショップの手提げを受け取って、お夕飯の支度が今出来るところですよ、とにこにこ話す彼女を見詰めていると、自然とあたたかい気持ちに包まれて、ああ、おれは幸せものだなあ、なんて思いながら、ふ、とが額にうっすらと汗をかいていることに気付いた。

「あれ、、家に居たんじゃなかったのかい? 汗をかいているようだけど」
「え!? あ、ほ、ほんとですか、やだ、私ってば……」
「ああ、額のところに……」
「だ、だいじょうぶです! あの、自分で……」
「そうかい? おれは気にしないのに」
「私が気にするんです……!」

 額を拭ってあげようと思って、す、と手を伸ばしたものの、ばばっ、と手で額を抑えられてしまって、行き場の無くなった手で、ぽん、との頭を撫でてみる。本当に、おれは気にしないんだけどなあ。汗をかいていても、はいつもいいにおいがして、不思議だなと思う。彼女のにおいを心地良い、好きだと感じているから、おれは本当に気にしていないけど、恥ずかしそうに慌てるに、無理矢理を強いるのは可哀想だし、時と場合で、それを強いてしまうことが度々あるのも事実なので、こんなときくらいは、大人しく彼女に従おうか。

「ああ、そうだ、それアイスだから、冷凍庫に……ん?」
「? どうしました? あなた?」
「……なんだか、良い匂いがするな」
「……あ、そうでした! そうなの、今日のお夕飯は温かいうちに食べてほしいんです!」
「へえ、そうなのかい? 楽しみだなあ」

 素麺がいいな、と送ったはずだったけれど、暖かい夕飯ということは、違う献立になったのかな? と考えながら、に促されるがままに、軽く手を引かれてダイニングへと向かう。引かれた指先を、そっと絡めてみたら、すぐそばでおれより少し低い位置にある彼女の顔がこちらを見上げて、ふにゃ、と照れくさそうに笑って、それからぎゅっと手を握り返してくるのが嬉しくって、すごくかわいい。そうして、お互いににこにこ笑いながらダイニングに足を踏み入れると、テーブルの上にはたくさんの天ぷらと、それからいくつかの副菜が並んでいた。

「……すごいな、これ全部が揚げたのかい?」
「はい! 具材もたくさんあるんですよ、えびと茄子と、ししとう、鶏天と、さつまいもに紫蘇にまいたけ、あ、こっちは変わり種で、クリームチーズとズッキーニのかき揚げとね、あとはフリットと……」
「全部美味しそうだ、暑いのに大変だっただろう?」
「ふふ、ちょっと大変でした。でも、ワタルさんに喜んでほしかったから、頑張っちゃった」
「……そうか。ありがとう、とても嬉しいよ」
「あなたが喜んでくれて、私も嬉しいです! 素麺は今から茹でるので、先に着替えてきてくださいね。その格好じゃ暑いでしょう?」
「ああ、そうだな。そうさせて貰うよ」

 一旦部屋に引っ込んでから、半袖の部屋着に着替えて、脱いだユニフォームを洗濯籠に入れ、ダイニングに戻ってくると、丁度素麺が茹で上がったところだったので、そのままふたりでテーブルに着いて、夕飯を摂ることにした。天ぷらはどれもさくさくでよく揚がっていて美味しいし、素麺にもよく合う。美味しいよ、と言って次々に頬張っていると、向かいに座ったは、にこにことおれを見詰めていて、なんだかくすぐったくて、気恥ずかしいな。おれはよく食べる方だが、は食事自体よりも、料理をするのが好きなタイプで、おれが美味しそうに食事をするのを見ているのが好きなのだ、とよく言っている。大口を開けてぱくぱく頬張っているのをじっと見詰められるのは、どことなく恥ずかしくもあるが、が嬉しそうだと結局はおれも嬉しいので、彼女との食事の時間はおれにとってこの上ない安らぎの時間でもある。忙しくても、疲れていても、が家に待っていてくれるから、温かい夕飯を用意して、他でもないおれを待っていてくれるから。おれは、彼女が待つ家に帰ってくる。

「本当に美味しいよ、こうすると素麺もご馳走になるんだな。知らなかったよ」
「えへへ、気に入ってくれて嬉しいです。あ、素麺のつけだれもね、いくつか用意してあるの」
「へえ、これは何の味なんだ?」
「これはね、ねりごまをめんつゆで引き伸ばして、それを豆乳で割ってあるの。あと、こっちはね……」
「……ん、こっちも美味しいな。はは、困ったなあ、素麺が足りなくなりそうだ」
「ふふ、そのときはまた茹でますからね」
「いや、追加の分はおれが茹でるよ。殆どおれが食べてしまっているし……も、ちゃんと食べているか? おれの分をと、気遣わなくても平気だからね」
「大丈夫です、私もちゃんと食べてますから」
「そうか? きみは食が細いから、心配だな……」
「そうでもないですよ、ワタルさんはいっぱい食べるから、そう思うだけです」
「そうかな? でも夏バテとかも、心配だからな……」

 それはまあ、確かに。はおれと比べれば身体も小さいし、そんなに食べなくても平気なのかも知れない。そんなに少食な訳ではない、と彼女は言うけれど、やっぱり夏場はいつもよりも更に、食べる量が少なくなる気がするし、心配にもなるのだ。今日、職場で四天王たちにその話をしてみたら、おれと比べるのがおかしい、と言われてしまったし、過保護すぎだの心配しすぎだの惚気もいい加減にしろだのと散々な言われようをしたし、それは心配だなと言ってくれたのは、おれよりも体格が良くてよく食べるシバだけだったのだが、それでも心配してしまうのは仕方がないだろう。彼女が大切だから、心配なのだ。いつでも健やかで笑っていて欲しい、の笑顔はおれが護りたいから、彼女に対しては少し過保護にもなってしまう。彼女は他の誰にも替えられない、おれの大切なひとなんだ、当然だろう。

「……ワタルさん、もしかしてそれでアイス買ってきてくれたの?」
「ああ、そうだよ。アイスなら食べられるかな、と思って……」
「あのアイスクリームショップ、最近人気の、ですよね?」
「うん。おれはそういうの疎いから、イツキとカリンに教えてもらったんだよ。それで、昼間のうちに予約して、帰りに受け取ってきたんだ」
「…………」
?」
「……あのね、ワタルさん」
「うん?」
「私ね、ワタルさんのそういうところが、大好きだなー、って思っちゃった……」

 でもね、あなたがそうやって気遣ってくれるから、私はちゃんといつでも元気だよ、と照れくさそうに、冗談めかして笑う彼女のほほえみに、心臓があつい。揚げたての熱い天ぷらを食べたから、とかそんなことじゃなく。胸があたたかいを通り越して、全身が熱くて仕方がなかった。どうして彼女は、こんなにも簡単におれを舞い上がらせてしまうんだろう。のことになると、いつものように冷静で居られなくなる。平常心を装ってはいても、本当は全然、落ち着いてなんていられなくなるんだよ。結婚して、おれはのものだし、はおれのもの、という後ろ盾がしっかり出来た今でも、どうしようもなく彼女を独占してしまいたくなる。それはいけないことだ、と分かっているからの意志を尊重しようとしているだけで、本当にタガが外れてしまったなら、一体どうなってしまうのか分かったものじゃないなあ、なんて思うよ。が大切だからこそ、何があってもそんなことには、ならないけどね。

「……はは、参ったな」
「……ワタルさん?」
「いや……おれの奥さんは、本当に可愛いなと思ってさ……」

 残念ながら、この熱はアイスクリームの冷たさなんかじゃ、治まってくれそうにないけど。そうだな、食後のアイスを食べながらでも、じっくりと語って聞かせることにしようか。でも、それじゃきっとアイスが溶けてしまうから、食べてからじゃなきゃだめか。さっきみたいに、熱い指を絡めて、熱視線でどろどろに溶かして、きみのいちばんあついところに触れたい。暑い夏はまだまだ終わらず、されど、全てを夏のせいにしてしまう気はおれには更々ない。これは夏のせいなんかじゃなく、気の迷いでもなんでもない。きみが可愛すぎるせいで、おれがきみにぞっこんに惚れ込みすぎているせいなんだよ、 inserted by FC2 system


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