陽当たりのわるい夢

 あねさま、……姉さまと私は、実の姉妹で、あねさまは昔から里のドラゴンポケモンに好かれやすく、勉強家で知識にも秀でてポケモンを育てるのも上手だったから、私よりも先に長老から認められて、ドラゴンタイプを持つことも許されていた。けれど、幼い私が見ていたあねさまのパートナー、ミニリュウは、ハクリューに進化こそすれども、カイリューに進化することはなく、あねさまが大人になった今でも、ハクリューの姿のままであねさまと共に暮らしている。そして、あねさまは、ハクリュー一体しかポケモンを持たない。あねさまはポケモンが大層好きだし、ポケモンたちもあねさまのことが好きだ。私のキングドラだって、タッツ―のころからあねさまには一等よく懐いたし、私のタッツ―を可愛い可愛いと言ってくれたあねさまに、それならお揃いでタッツ―を育てましょうと強請って、あねさまと一緒にタッツ―を捕まえに行こうとして、あねさまを困らせて、それで、ワタルに叱られたことを、私はずっとずっと覚えている。

『……イブキ、駄目だろう? きみのあねさまにとっては、ハクリューを育てるだけでも大変なんだよ。を困らせては駄目だ』

 そんなことない、あねさまは優秀だもの、私のあねさまなんだから、私とあねさまの二人でならワタルにだって絶対勝てるし、あねさまは絶対に困ってないし、大変なんかじゃない。ハクリューだって、今に進化して、将来はワタルなんて蹴散らして、私とあねさまの二人でフスベジムを継ぐのだ。きょうだい二人でジムリーダーをしては駄目、なんて規定はないし、私とあねさまの二人で、その第一人者になってやろうと、そう思っていた。何も分かっていなかったあの頃、何も見えていなかった頃は、あねさまの理解者を気取っている従兄弟のことが、本当に、いやで、いやで、きらいで、きらいで、目障りだったのだ。悔しかった、あねさまの妹は私なのに、あねさまは私のことを好きだって、大切だって言ってくれるのに、いつか二人でジムリーダーになりましょうね! と私が言う度に、あねさまが困った顔をする理由が、私にはまだ、分からなかったから。その理由を知っているらしい従兄弟のことを、ずるい、くやしい、邪魔だ、って。そう、ずっと思っていた。
 あねさまは、私やワタルと比べると、身体が弱かった。……何も、其処まで大袈裟なものじゃなくて、日常生活には支障がない程度の、些細なものだ。けれど、一族に課せられた過酷な修行に、あねさまの身体は、耐えられなかったらしい。ドラゴンポケモンは非常に強力で、頼もしい存在でもあるものの、育て上げるには壮絶な苦労が伴うし、まだトレーナ―に慣れていない時分や、進化に伴う身体の変化に心が付いていかないときだとか、バトル直後の興奮しているとき、怪我をして我を失っているとき、だとか。トレーナーであれども、彼らから危害を受ける可能性は十二分にあるからこその、厳しい修行だ。ドラゴンは強くたくましく、美しい聖獣であるからこそ、手懐けるのは非常に難しい。あのワタルでさえ、昔は何度も大怪我をしていたし、長老だって手腕に古傷がいくつも残っているくらいだった。……あねさまの身体は、そんな修行に耐えられなくて、いつしかあねさまは、りゅうのあなでの修行に参加しなくなった。そうして、あねさまと共に修行が出来なくなって、私はあねさまと過ごす時間が減ってしまっていた。ジムリーダーを目指すならばこれも必要なことだと長老に言われて、本当は修行になんか行きたくない日もあったけれど、あねさまに恥じない妹であろうと務めて、我慢していた。ほんとうは、あねさまと縁側でお話をしたり、あねさまとタッツ―やハクリューと遊んでいたい日が、いくらでもあった。それでも、家に帰れば、あねさまとお話が出来ていたのに、いつからか、それさえも難しくなってしまって。

『やあ、イブキ、こんばんは。こんな時間まできみのあねさまを借りてしまって、すまないね』

 そんなこと、本当は思ってもいないくせに、にこやかにそう告げられるのが、本当に嫌だった。だって、姉さまは私のあねさまなのに、どうして私よりもワタルのほうがあねさまと一緒に居られるのよ。おかしいじゃない、そんなの。……あねさま、私はあねさまがトレーナーとして生きていくのを諦めたとしても、私がジムリーダーにさえなれば、あねさまは私の側で、私を支えてくれるものだと思っていたし、またあねさまと毎日一緒に居られる日が来るのだと信じていたの。ジムトレーナーの育成や支持やらジムの運営やら、そういうことは向こう見ずな私よりもずっと、あねさまのほうが得手に決まっているわ。バトルが不得手だから、一族の後継者には適さないから、それがなんなの。どうせ最初から、分家の私達姉妹は“次点”でしかなかったの、知っているのよ。もしも手に入れられるとすれば、ジムリーダーの座だけだとそう思ったからこそ、頑張って、頑張って、頑張ったのよ、あねさまと私の二人で、その座を手に入れたかったから、私は。

『……本日は、改めてご挨拶に伺いました。おれが、四天王としてセキエイに招集されたのはご存知でしょう。おれはこれを機に、と籍を入れて、共にフスベを離れようと思っています』

 私が欲しかったものは、もう全部全部、あいつのものになってしまった。私の古ぼけた情景は燃え滓になって、あの男の輝かしい未来のための踏み台にされてしまった。もう、手に入らない。私の手には戻らない、私の大切なもの。あねさま、あねさま。……私の大好きな、私の姉さま。


 ――トキワシティに構える、実家とは似ても似つかぬ洋風建築の白い家。せっかくフスベの田舎を離れておきながら、こんなカントーの片田舎の何処がいいのかと毎度思うが、職場に近いだけではなく自然が多く隣町からは海も見えるところが気に入っているのだとは従兄弟の談である。そして何より、あねさまの身体のことを考えて、都会から離れた場所に住居を構えたのだろう、ということくらいは、もう私にだって、聞かずとも理解できるからこそ、それがまた、腹立たしいのだった。この家を訪ねるのも、もう何度、何十回繰り返したものだろうか。あねさまにひと目でもお会いしたいがために、足を運んでいるものの、出来ることならばあねさまだけがご在宅の時間帯に訪ねて、姉妹水入らずでゆっくりとお話がしたい。あねさまに聞いてほしいことなら、いくらでもあるのだ。キングドラが最近、新しい技を覚えただとか、先日の挑戦者はなかなかやり手だったが、難なく退けたのだとか、親戚の双子の姉妹が、あねさまに久しくお会いしていなくて寂しがっているだとか、……私だってあねさまに、たまには、里に帰ってきて欲しいだとか。きっと、今回も言えない言葉も含めて、たくさん。話したいことがあるのに、あねさまと私の時間は、あまりにも短い。普段はジムの仕事があるから、なかなか狙った時間に訪ねるのも難しいものの、今日は臨時でジムが休館になったから、これは好機だと思って、衝動的にトキワまでやってきてしまった。此方に来る前にコガネに立ち寄って、以前、ジムリ―ダー会議の際にアカネから薦められた店で洋菓子を買って。あねさまは、きっとこういうものが好きだから、喜んでもらえたらいい、と。そう、思って。緊張で些か震える指で、玄関のインターホンを押したのに。

「……あ、あねさま! イブキが参りました!」
「やあ、イブキ。よく来たね、今玄関を開けるから少し待っていてくれ」

 ……どうして! あなたが! いるのよ!!

「……今日フスベジムが休館になったのは、カントー、ジョウトのポケモンジム全館一斉で、リーグ本部の指示だと聞かなかったかい?」
「……確かに、そう聞いたわ」
「それなら、おれも休みに決まってるだろう? リーグが休みなんだから、家にいるさ。何処かに出かけるかい? とも、と話していたんだが……」
「何処にも出なくて正解ね。イブキちゃんが会いに来てくれたもの」

 いちいち説教っぽくて嫌味ったらしい、意地の悪いこの男! ……とは、大違いで、あねさまはにこにこと笑って、嬉しそうにそう仰る。キッチンから紅茶のポットとティーカップを三脚持って、ダイニングのテーブルに戻ってきたあねさまは、カップに黄金色の紅茶を注ぐと、ワタルと私、それからワタルの隣、……あねさまの定位置にカップを置いて、ソファーに座った。急に訪ねてきてしまったけれど、あねさまがそう仰ってくれるとうれしい。「今日のお茶も美味しいよ、」「ふふ、ありがとう、ワタルくん」……これで、目の前でこれみよがしに、あねさまと仲睦まじげに振る舞う従兄弟がいなければ、完璧だったのに。私だって、鬼の居ぬ間にとタイミングを見計らって毎度訪ねてきているのに、私より忙しいはずのこの男は、どうしてか高確率で私が訪問する度に在宅しているのだ。本当にもう、私への嫌がらせとしか思えないくらいに。

「……そうだわ! あねさま! お土産をお持ちしたのよ! 一緒に食べましょう!」
「あら、これってコガネにできたパティスリーの箱?」
「ええ! アカネに教わ……、あねさまが好きそうな店を見つけておいたの!」
「ありがとう、イブキちゃん。姉さん嬉しいわ」
「ん? でもこれ二つしか入っていないな。イブキの分が足りないじゃないか」
「違うわよ! 足りないのはワタルの分よ!」
「イブキちゃん、ワタルくんに意地悪しないの。あなたは私のと半分こしましょうね」
「ああ、ありがとう」
「何よワタル! 私があねさまと半分こするのよ!」
「なんだ、やっぱりイブキの分が足りなかったのか?」
「違うわよ!」

 ……あねさま、身体が弱いからたくさん食べて欲しかったのに、ワタルと半分ずつにしようとするから、だったら私と半分こに、ううんいっそ私の分をあねさまが食べて、と語気強めに押し付けたら、少し困らせてしまった。そうして結局、私が自分の分をあねさまに押し付けたからって、だったらこっちはイブキが食べるといい、と言ってもうひとつを私に押し付けたワタルは、おれは別にお腹空いていないから平気だよ、なんて言って笑っていたけれど、そんな嘘よ。日頃からよく動いてよく考えているワタルは、人一倍燃費が悪いことくらい私もあねさまも知ってるのよ、ばか。それから、私が買ってきたケーキと、あねさまが焼いたのだと言って、恐らくはワタルのために出してきたスコーンを食べながら三人で話をしていると、結局私が気の利かない奴みたいになっていて、ワタルが年長者の顔をしている、あまりにもいつも通りの光景が、悔しくて仕方がなくて。

『……ワタル! あなたとあねさまの交際を私は認めないわ!』
『ならイブキは、どんな男なら姉の交際相手として認めるんだ?』

 本当に、昔から何も変わっていない。姉の結婚が嫌で、従兄弟に姉を奪われることがどうしても嫌で、ぐずって、駄々をこねていたあの頃から、私は何も成長していない。

『そうね……まずポケモン想いで』
『うん、おれだな』
『あねさまを大切にして、ちゃんと護って、』
『おれだな』
『私を倒せる、誰よりも強い男よ!』
『そんなの、おれしかいないじゃないか』
『うるさい! うるさい! ど、どうしてもあねさまが欲しいなら、私を倒して連れて行くことね!』
『そうか、じゃあお言葉に甘えようかな』
『やだ! やーだー! あねさまを返しなさい! 連れてっちゃだめ! ワタルのばかー!』

 ……本当は、あの頃からずっと。あねさまを護れるのは、ワタルだけなのだと、童心でも理解できていた。私では、無理なのだと、気付いていた。狭い里の中で、何者にもなれない無力感を噛み締めて生きていくよりも、ずっと。ワタルと共に里を出たほうが、姉は幸せだと、誰にだって分かっていた。私が泣いて引き留めて、あねさまが出ていくなら死んでやる、と叫び暴れたなら、或いは姉は思い留まって私を選んでくれたのかもしれない。けれど、実際問題、私はそんなことが出来るほどにプライドをかなぐり捨ててしまえるような覚悟は無くて、ワタルはそんな愚行を許さないし、姉の不幸を願うことだって私には出来なかったから、あねさまは、私の姉であることよりも、ワタルの妻であることを選んで。……私はその日から、たったの一歩だって前に進めずに生きている。

「おれだって、イブキの肉親なのに、イブキはおれに対して乱暴じゃないか?」
「何言っているのよ、あねさまと私は姉妹なのだから、従兄のあなたとは格が違うのよ!」
「ん? おれとイブキも義兄妹になったんだけどな」
「知らないわよ」
「ほらイブキ、あにさまだよ」
「うるさいわよ」
「きみのあねさまの旦那さまだよ? おれは」
「うるさいわよ!」
「ふふ、ワタルくんとイブキちゃん、本当に仲良いのね」
「あねさま! そういう訳ではありません! 私は……!」
「そうそう、おれとイブキは仲が良いんだよ。おれたちは昔からずっと、のことを好きな者同士だからね」

 そうだよな? と、圧を持ってねめつけてくる燻色の静かな眼が、昔から苦手だった。静かなその瞳は、言葉よりも雄弁に自身が竜の化身であることを物語るから。姉は、竜に愛され、手懐ける天賦の才があると一族ではもっぱらの評判だった。惜しむらくはその才を発揮できない身体の弱さである、と。皆が姉を、そう評した。上出来で不出来、完全で不完全、そんな色眼鏡で姉を見つめていなかったのは、私とワタルだけだということを、私も理解している。姉は竜を愛し、竜に寵愛された。姉にとっての竜は私ではなかったと、これは、それだけの話である。 inserted by FC2 system


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