転がる月を運命と呼ぶの

 フスベの田舎は、なんだかんだと、一々、しきたりだとかに煩い土地で、フスベを離れて、セキエイ高原のチャンピオンを務める現在は、まあ、地元に居た頃よりは、そういったことで、どやされることも少なくなった。今はチャンピオンとしての勤めがあるから、という建前で、ある程度は、納得して貰えていたし、お陰で、此処数年は、ポケモントレーナーとしての日々に、没頭することが叶っていた。

「――は? おれに見合い話……?」

 ――叶っていたの、だが。
 その話を持ってきたのは、かつて、このセキエイ高原にて、四天王に名を連ねていた、キクコであった。――大方、里の長老にでも頼まれたのだろう。里の将来のことは考えているのか、そろそろ嫁を貰ったらどうだ、誰か好い人はいないのか、と、――数年前まで、飽きるほど聞かされていた言葉を思い起こしながら、どうしたものかと、頭を抱えたくもなる。急にリーグ本部のおれ宛に、キクコから封筒が送られてきて、何事かと思っていたら、タイミングを合わせたように、キクコから電話が掛かってきて、見合い写真を送ったから、その相手と一度会ってみて欲しい、などと言うのだ。ご丁寧にも、俺の自宅ではなく、リーグ宛に送られてきたものだから、あっという間に、チャンピオンが見合いをするらしい、なんて噂も広まってしまって、相変わらず、食えないご婦人だ、とため息をついたのだった。彼女の方が俺よりも、一枚上の策士だった、というわけである。年の功、とでも言うのかな。

 ――無論、俺も最初は、はっきりと断った。
 長老の入れ知恵だろうが、今はチャンピオンとしての責務を果たすことで精一杯で、未だ若輩者の身であるし、伴侶を持つ気はない、と。その分の時間も全て、ポケモンに費やしていたいのだ、と。正直な気持ちを、彼女にも伝えたのだ、が。
 おれがそう言うだろうということくらいは分かっている、だが、それを承知の上で勧めるほどの理由がある、なにも会ったら結婚、というわけではないのだから、会うだけ会ってみてくれないか、と、更に強く、念を押されてしまい、――元同僚、という関係もあるし、あまり年上の面子を潰すものではないよな、と思えるくらいは、おれも、もう子供でもないし、結局おれは渋々、キクコの親戚のご近所さんだとかいう、その人と、一度会うだけ会ってみることにしたのだった。――まあ、そもそも、相手方の方から断られるんじゃないか、と思う。今回の話は、どうやらキクコが無理矢理に話をまとめて、俺に提案してきたらしいし、別に、先方の女性は、結婚を望んでいるわけでも、俺を所望しているわけでも、ないそうだし。
 ――だから、多分、一度会ってみて、それで終わりになるだろう、と思っていたのだ。俺は別に、どうしたい、という気もないし、先方も、それは同じだろうから、それ以上に発展することも、ないだろうな、と。


「――、と申します」
「あ、ああ。俺はワタルだ、仕事は、セキエイ高原のチャンピオンをしていて、」
「ふふ、存じ上げております」
「あ、ああ! そ、そうだよな!? ハハ、光栄だな、ありがとう……」
「どういたしまして、です」

 ――送られてきた見合い写真は、開きもしなかったんだよ。まあ、どんな女性が来ようと、お互いその気はないのだから、と思っていたから。
 ――それが、どうだろう。
 彼女との会食の席に指定された、エンジュの料亭の個室にて、部屋に入って、彼女の姿を一目見た瞬間に、――思わず、後悔した。事前に、写真くらい目を通しておけば、対策のしようもあっただろうに、と。ポケモンバトルと同じだ、事前に相手のパーティ編成が、ある程度読めていれば、初手の行動も組み立てられるのに。愚かにも対策を怠ったおれは、バトルで例えるなら、初動でかなしばりを打たれたも同然だった。何故ならば、――こんなに素敵な女性が、この世に居るのか? と、そう、思って。ろくな受け答えも、できなくなってしまったのだ、から。

 ――おれはかつて、キクコに、自分の好みの女性の話など、したことが、あっただろうか。否、絶対に無かったはず、そうも浮ついた話題が上るような職場ではなかったし、俺自身、己にそういった好みがあるとさえ、思っていなかった。それなのに、これは、どういうことか、と。そう、思うほどに、――は、俺にとって、非常に魅力的な女性、だったのだ。見目が可憐なだけではなく、物腰が柔らかで、穏やかな声と目をしていて、話していると、ひどく心安らいで。――だと言うのに、上手い話題のひとつも選べない、己の不甲斐なさを悔いながら、また、立会人の同席を断った数週間前の自分を、恨みたくもなる。元々は、キクコとさんの母君が、今日の会食に同席する手はずだったのだが、あまり仰々しい席にされては、引くに引けなくなりそうだ、なんて思ってしまったせいで、今日はふたりきりの食事会に、なってしまっている。
 ――せめて、立会人が居たなら、まだ話もしやすかっただろうに。そんな席だというのに、おれはと言うと、季節のものや、地のものを贅沢に使った、懐石料理の味よりも、飾り切りにされた、花の形の食材が、さんの桜色の唇に触れる、美しい様のほうが、気になってしまうような有様で。不甲斐なさと情けなさよりも、未だかつて感じたことのない動悸に襲われて、この気持ちを必死に嚥下することで、精一杯だった。

「あの、チャンピオンは……」
「あ、いや、ワタルでいいよ」
「いいのですか?」
「ああ、さんに、その、そう呼んでもらえると、おれは嬉しいな」
「あ、ありがとうございます、ワタルさん、……私も、嬉しいです」

 味もよくわからないまま、食事を終えて、食後、少し中庭を散歩しようか、なんて、どうにか、必死で提案して、こんな時に、どんな会話をするのが正しいのか、そんな作法も知らないなんて。なにも、軟派な男になりたいとは思わないが、少しくらい、気の利いた台詞を言えないものか、と、ぎこちなく話すおれに、ふわ、と微笑んで彼女が答える。――ああ、ほんとに、すてきな女性だ、な。笑った顔が可愛くて、気配り上手な態度も、物腰の柔らかさも、本当に素敵だ。話題なんて、ポケモン達のことくらいしか提供できないおれに、嫌な顔一つせずに話を聞いてくれて、本当に、素敵なひと、だな。今日、一度会うだけだから、なんて想って、次に繋げる術を、まるで考えてこなかった己を、心底問い詰めたい。――どうにか、彼女にまたおれと会って欲しいが、こんなとき、なにをどう提案すれば良いのか、無骨な頭では、てんで見当がつかないのだ。だって、まさかバトルに誘うわけにも行かないだろう? また食事、とかに誘えば良いのだろうか、ああ、だが、そもそも連絡先を聞いたりしても、良いものなのだろうか? 彼女の方も、キクコの顔を立てて、仕方なく来ているだけなのかもしれないし――。

「あ、ワタルさん! みてください、これ!」
「? どうかしたかい、さん」
「このお花、見てください」
「? うん、とても綺麗だとは思うが、それがどうか、」
「この形、翼を広げたカイリュー、みたいに見えませんか?」
「えっ」
「この房が顔で、葉っぱが翼で……」
「…………」
「……ワタルさん、喜ぶかなって、思ったのですが、……そうでも、なかった、ですかね……」

 そう言って、嬉しそうに花を指さして、身振り手振りで説明する姿が、余りにも愛らしくて、――気が、動転して、――きっと、舞い上がってしまった、のだ。

「……さん」
「は、はい」
「おれと結婚してくれ」
「はい……えっ、はい!? い、いまなんて」
「おれと、結婚してもらえないだろうか、と言ったんだ。その、おれはチャンピオンだし、フスベの里は古臭いしきたりも多いし、おれに嫁ぐということは、何かと面倒も多いかもしれない。だが、おれはきみがいいんだ。初対面でなにを、と思うかもしれない。だが、おれは真剣なんだ」
「え、えっと、あの」
「すまない、おれはこういったことにあまり慣れていないから、こうして、正直な気持ちを伝えるくらいしかできないんだ。だが、おれは、きみに惚れてしまったらしいんだ、どうにかして、引き止めなければと思って、今必死に打ち明けている」
「わ、わたる、さ、」
「どうか、おれと添い遂げて欲しい。……それとも、おれでは駄目、かな?」

 その場に、立会人か誰かが居れば、急にベラベラと、いくつもの手順を飛び越えて、バカ正直に、本音を並べ立てたおれを、叱るか止めるか、したのかもしれない。だが、生憎此処には、誰も助けてくれる人は、居なかったから、おれも、全て洗いざらいに吐いてしまったし、――さんも、返事を濁す、なんてことは、出来なくなってしまった。おれが、それをさせまいとしたから。逃さない、とその手を掴んだから。

「あ、あの……ふ、ふつつかもの、ですが……」
「! それじゃあ、」
「は、はい。謹んでお受けします、よろしくお願いします、ワタルさん」
「ありがとう! 嬉しいよ、
「はい、わたしも、嬉しいです……」

 竜は決して、狙った獲物を逃さないんだよ。――なんて、結果論だけどね。 inserted by FC2 system


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