きみを愛おしく思う理由を僕だって知りたいよ

 どうしても受けてほしい、お見合いの話がある、と。――そう、私に頼み込んできたのは、元・セキエイリーグ四天王の、キクコさんだった。
 ――何故、そんな方から、私なんかに? というだけでも、十分、驚きの展開だったのに、――なんと、お相手はあの、セキエイリーグのチャンピオン・ワタルさんなのだと言う。

 ――勿論、そのお話をいただいて、私は最初、真っ先にお断りした。
 チャンピオンのような、素晴らしい方には、私は相応しくない、と。そのときになってから、知ったことだけれど、キクコさんは、なんでも、私のご近所で、シンオウリーグ四天王のキクノさんのご身内の方だそうで、以前より、キクノさんから私の話を聞いていて、それで、セキエイチャンピオンのお相手に丁度良さそうだ、と感じていたのだ、という。
 キクノさんが、私のことを、どんな風に話して、キクコさんに伝えていたのかは、知らない。――でも、私は本当に、キクノさんとご近所さんだから、付き合いがある、というだけの、一般人だ。四天王でもジムリーダーでもないし、それどころか、ポケモントレーナー、と呼べる存在でさえ無かった。
 ポケモンは可愛いと思うし、その存在に、憧れはある。――けれど、幼い頃の私は、体が弱くて、私が住む極寒のシンオウ地方を、一人で旅することは、叶わなくて。
 旅に出られず、トレーナーズスクールに通う必要性も感じられずに、結局、今日までも、パートナーの一匹も持たずに、平凡に生き続けてしまった。

 ――そんな私が、顔見知りですらない、他地方のチャンピオンと、お見合い?

 無理だ、と思った。チャンピオンにまで、上り詰める方なら、きっと、ポケモンがさぞかしお好きなのだろう。バトルの話も、育成の話も、何もまともに出来ない相手と、共に暮らしたところで、きっと、毎日が退屈なはずだ。会うまでもなく、破談されるに決まっている。

「キクコには、なにか考えがあってのことらしいの。絶対に、双方にとって良縁になるはずだと言ってるのね」
「で、でも、キクノさん、私なんかじゃ、とても恐れ多くて……」
「そんなことはないわ、さんはとっても素敵なお嬢さんだもの。それはね、おばあさんが保証しますよ」
「キクノさん……」
「ね、会って見るだけ、どうかしら? ジョウト地方に、ちょっとした旅行、のつもりで、ね?」
「……キクノさんが、そうおっしゃるなら……」
「! そう! ほほほ、それは良かったわ!」

 ――本当に、ひと目、会って見るだけ、のつもりだった。そもそも、この話がきたとき、私は、てっきり相手方から、すぐに断られるだろう、と思っていたのだけど、そうはならなくて。――相手方も、キクコさんがそこまで言うなら一度会ってみよう、と仰られている、と。私はキクノさんから、そう、言われてしまったのだった。渦中の相手は、世界最高クラスの、セキエイ高原チャンピオンである。そんな方が、会ってみよう、と仰るなら、立場上、私にはそれ以外の選択肢はない。
 ――一度、会ってみるだけ、食事をしてみる、だけだから、と。
 お見合いの話が決まってからは、相手方とキクコさんの間で、詳細な予定が組まれていって、どうやら、当人達だけで食事を、という話に、纏まったらしかった。仲人役、立会人が同席しなければ、その分、簡単に断れるから、ということなのだろうと思う。
 破断になると決まっている見合い話のために、それも、雲の上の方との食事会、という用事のために、単身、ジョウトに出向く、というのは、――なんとも、気の重い話では、あったけれど。
 指定されたのは、ジョウト地方、エンジュシティの老舗の料亭で、――なんでも、話を持ち出したのは自分だから、と。今回、旅費なども含めて、すべて、キクコさんが支払ってくれるのだという。お宿も、老舗の素敵なところだし、会食の前には、着物を着せてくれるそうだし。――きっと、お見合い自体は、すぐに終わって、お断りされてしまうのだろうから、その後は、エンジュシティを観光すると思えば、まあ、それもありなのかもしれない。現地には、一週間ほど留まれるように手配しておく、と。キクノさんから言われているし。

 ――でも、どうして、一瞬で終わるお見合いのために、そんなに私を滞在させるのだろう?
 ――なんて、悠長に、そのときは本気で、そう思っていたのだ。

「――、と申します」
「あ、ああ。おれはワタルだ、仕事は、セキエイ高原のチャンピオンをしていて、」
「ふふ、存じ上げております」
「あ、ああ! そ、そうだよな!? ハハ、光栄だな、ありがとう……」
「どういたしまして、です」

 ――お見合い写真は、正直、ちゃんと見ていなかった。チャンピオンになる方だし、さぞかし素敵な方なのだろう、とは思っていたけれど。ひと目会うだけだとも思っていたから、そこまで、気に留めていなかったのだ。それに、チャンピオンのメディア露出というものは、地方によって、その加減が異なるものらしく、シンオウのシロナさんと比べても、セキエイ高原のチャンピオンは、あまり、メディアの前にお姿を表さない方のようで、お名前は聞いたことがあっても、お顔の印象は、はっきりしていなかったのだ。

 ――だから、ひと目お会いしたとき、わたしは、頭が真っ白になる心地に、襲われていた。

 す、と通った鼻筋に、凛々しい眉と、意志が強そうで、それでいて、酷く優しく、滋味深い、燃える瞳。藍色の着物に身を包んだ、がっしりと背の高い体躯。――セキエイチャンピオン、ワタルさん、は、――たったひと目で、呼吸の仕方を忘れそうになるほどに、すてきな、ひとだったから。

「シンオウから、来てくれたんだよな? ごめんね、キクコが無理を言ったと聞いているよ……本来なら、おれの方が出向くべきところを、本当に申し訳ない」
「そ、そんな。ワタルさんは、お忙しいのですから、お気になさらないでください」

 耳障りの良い、低音で艶っぽい声で、優しげに話していたかと思えば、照れくさそうに咳払いをしてみせる、その意外な仕草に、ぎゅん、と。すっかり、私は撃ち抜かれてしまって。――私、ずっと体が弱くて、こんな風に、一人で遠方まで出ることだって、比較的最近になるまで、叶わなかったから。外の世界を、あまり知らずに育った、私にとって。ワタルさんとの出会いは、本当に衝撃だったのだ。チャンピオンなのだし、さぞや人格者なのだろう、とは思っていた。でも、それを差し引いても、――こんなにも、素敵な男性がいるなんて、私には、思いも寄らなかった、から。

「あの、チャンピオンは……」
「あ、いや、ワタルでいいよ」
「いいのですか?」
「ああ、さんに、その、そう呼んでもらえると、おれは嬉しいな」
「あ、ありがとうございます、ワタルさん、……私も、嬉しいです」

 ――もしも、いつか。私が恋をするとしたら、ワタルさんのような人が良い、と思った。こんなにも素敵な方に、二度と出会えるかどうかは、分からないけれど。――でも、この感情に、恋、という名前を、付けてしまったなら。――わたし、これからずっと、苦しむことになってしまう。決して、届かないひとを想い続けて、この日のことを、心の糧として生きるなんて、そんなの、あまりにもつらすぎるから、――なんて。

「……さん」
「は、はい」
「おれと結婚してくれ」
「はい……えっ、はい!? い、いまなんて」
「おれと、結婚してもらえないだろうか、と言ったんだ。その、おれはチャンピオンだし、フスベの里は古臭いしきたりも多いし、おれに嫁ぐということは、何かと面倒も多いかもしれない。だが、おれはきみがいいんだ。初対面でなにを、と思うかもしれない。だが、おれは真剣なんだ」
「え、えっと、あの」
「すまない、おれはこういったことにあまり慣れていないから、こうして、正直な気持ちを伝えるくらいしかできないんだ。だが、おれは、きみに惚れてしまったらしいんだ、どうにかして、引き止めなければと思って、今必死に打ち明けている」
「わ、わたる、さ、」
「どうか、おれと添い遂げて欲しい。……それとも、おれでは駄目、かな?」

 ――あのときは、私、本気でそう思っていたのだ。――なんて、あなたに言ったら、叱られてしまう、だろうか。


 滞在期間は、一週間。
 ジョウトに着いたのが、当日の朝で、その後、宿で荷解きを終えて、着物を着付けていただいて、――食事が終わるのは、きっと昼下がり。その頃にはもう、用事は済んで、ひとりでさびしく観光、ということになるのだろうな、と思っていた。

 結果から言えば、当初の私の予定は、大幅に狂った。

 会食後、エンジュシティを案内してくださる、とワタルさんが申し出て、チャンピオン業は忙しいだろうに、そんなに拘束してしまって大丈夫なのか、と。思ったままに、私は不安を、ワタルさんへとお伝えしたのだけれど。

「――シンオウには、いつ戻る予定なんだ?」
「え、っと、一週間は、ジョウトに居る予定ですが……」
「! そうか! それはよかった、その間の予定は? 誰かとの約束や、予約はしてあるのかな」
「い、いえ。宿の予約だけです。あとは、現地で考えようと思っていたので……」
「ガイドや、他に落ち合う予定の人は?」
「いません、私、ひとりで……」
「よし、だったらおれが案内するよ。ひとまず、今日はエンジュを回って、明日は、そうだな……」
「ま、待ってください。ワタルさん、お仕事は?」
「ん? まあ、そうだな、一週間ずっと一緒、という訳にはいかないけど……調整するし、セキエイからは、ジョウトのどこへでも、カイリューでひとっ飛びだからさ。仕事を片付けてから、とかなら、おれは平気だよ」
「で、でも、そんなスケジュールじゃ、お疲れになりませんか?」
「…………」
「? ワタルさん?」
「……うーん、と。おれはさ、少しでも長く、きみと一緒に居られたら、と思って、提案したんだが……」
「え、」
「すまない、不器用な男で……只、きみと、離れ難いだけなんだ、おれは」

 ――不器用、だなんて。一体全体、何処を見れば、そうなるというのだろう。愚直に並べ立てられた殺し文句は、恐ろしく、心臓に悪く、爪先からじわじわと、どうしようもない恥ずかしさに苛まれる。

 こんなひとと、恋が出来たら良いなあ。
 ――なんて、夢見心地で想っていた方に、結婚を、申し込まれてしまった。

 何かの間違いでは、とも想ったけれど、――どう考えても、ワタルさんは、そんな風に質の悪い冗談を言えるようなひとでは、なくて。本気で、本心から、そう言ってくださっているのが、私にも嫌と言うほどに、よく分かったから。

「……あの、ワタルさんが迷惑ではなければ、」
「!」
「ご一緒、していただけますか……?」
「ああ! 勿論だよ!」
「ありがとう、ございます。……嬉しいです……」
「あ、ああ。おれもだ。それじゃあ、行こうか」

 料亭を後にして、お互いに和服のまま、エンジュの街を歩き出す。そ、っとワタルさんの大きな手が、私の指先に伸びて、――少し、逡巡するような素振りを見せるワタルさんが、なんだか可愛らしく見えて、仕方がなかった。先程は男らしく、結婚してくれ、とまで言い切ったのに、結婚を快諾したとはいえ、初対面の男女だからと、悩んでいるの、だろうか。そわそわと、少し落ち着かない表情が愛おしくて、静かに横顔を見上げていると、ばちり、とワタルさんと視線がぶつかる。困ったように、眉を下げる彼に、いいですよ、の意を込めて、小さく頷いてみせると、嬉しそうに、おそるおそると、ごつごつとあたたかなてのひらに、指先を包み込まれて、――ああ、ジョウトまで会いに来て、よかったなあ、と。優しく細められた瞳に、視界が揺れた。

 そうして、その日は、夕食までワタルさんとご一緒して、翌日は、昼からお会いして、三日目、今日はどうしてもセキエイを離れられないから、四天王に自分の代理で案内を任せる、というワタルさんに、恐る恐る、セキエイ高原を見学して、ワタルさんのバトルを見てみたい、と申し出た私に、ぱあっ、と顔色を明るくして、ワタルさんは私をセキエイまで案内してくださって、四日目も、そのままセキエイを見学し、五日目、せっかくシンオウから来ているのに可哀想だ、と四天王の皆さんに叱られたらしいワタルさんが、休みが取れたから、と言って、コガネの街を案内してくれた。コガネからリニアを使って、カントー、ヤマブキシティへ。ジョウトに戻り、六日目はアサギシティの灯台を見物して、

「――おれの故郷だ、一度、見せておきたくて。小さな街だろ?」

 ――七日目、私はワタルさんに連れられて、フスベシティを訪れていた。

「……不思議な、街ですね。なんだか、厳かな雰囲気で……何処か落ち着きます」
「それはよかった。一応、おれは今、フスベに住んでは居ないんだけど。案内しておかなきゃな、と思って」
「え?」
「ん? だってほら、こちらに引っ越してきたら、いきなりおれの実家なんて嫌だろ? おれも息が詰まるし、新婚生活は、安心してもらって、大丈夫、……って、いや、ちょ、ちょっと、気が早かった、かな」
「い、いえ! 少し驚いただけで……! あ、あの、この街、素敵だな、と思います。……でも、私、ワタルさんともまだ、お会いしたばかりだし……」
「……うん」
「あの……当面は、ふたりがいいなあ、なんて……ワタルさんのことも、もっとよく、知りたいですし……」
「! そ、そうか! それなら良かった! 安心してくれ、おれだって、きみとの仲を邪魔されたくない、……暫くは、うん、そうだな。ふたりきりで、過ごそうか」
「……はい」
「……それで、。おれとしては、すぐにでも、きみがこちらに来てくれたら、と思うんだが、……もしもきみは、まだ時間がほしいようなら、当面は、おれがそちらに会いに行くようにしたいと思う。……どうだろうか?」
「……私、は」

 セキエイ高原の近く、シロガネやまでは、上質な鉱石と金属が取れるらしい。気軽に立ち入れる場所ではないからこそ、流通数は少なく、非常に貴重なのだという白金に、燃えるようなアレキサンドライトをあしらって。――ワタルさんは、別れ際、私に指輪を贈ってくれた。

「婚約指輪だ。時間がなかったから、おれが勝手に選んでしまって、すまないね」
「そんなこと、ないです……! とっても、きれい……」
「よかった。……結婚指輪は、ふたりでじっくり選ぼう」
「……はい」
「すぐに、用意して、迎えに行くよ。の親御さんにも、ちゃんと挨拶しないとな」
「……はい、私、待ってます。早く、ワタルさんとまた会えるのを、待ってますから」
「会える、じゃないだろ?」
「?」
「一緒に過ごす、んだよ。ひと目会うだけじゃない、これからは、ずっと一緒だ」
「……はい!」



「――あのとき、シンオウに帰って、ワタルさんに貰った指輪を見せたでしょう? だから、両親はすっごく驚いて……って、なると思ってたのに、あっさりと、だと思った! って言われちゃって、キクノさんにも……」
「はは、おれもそうだったよ。おれは絶対、を気に入ると思ってた、って」
「ワタルさんも、そうなの?」
「ああ。キクコの年の功、というやつなのかな。……何故分かったのかは知らないけど、……確かに、おれにはだけだったよ。全然、結婚なんて考えてなかったのにな。何が何でも、きみを物にしなければ、と思ったんだ、あのときは」
「……ワタルさん、なんだか、口が上手くなりました?」
「そんなことないさ、ああ、でも、きみを口説くことには少し、慣れてきたかな? 毎日こうして、囁いているわけだからね」

 セキエイ高原から、極力近いほうが良い、と言って。トキワシティに構えた新居、白亜の壁のきれいな家、その一室で、写真立てに飾られた、ドレスとタキシードに身を包んだ男女の写真を眺めながら、赤いソファに、ワタルさんとふたり、ぴったりと寄り添い、座っている。此処まで、あっという間だった気もするし、なかなか焦れったかったような気もするけれど、それらも含めて、今では私の宝物だ。

「……ねえ、ワタルさん?」
「ん? どうした?」
「私はね、あれから……ワタルさんの奥さん、にしてもらえるまで、なかなか会えないし、寂しかったけれど……ワタルさんは、私がすぐに踏み切れないなら、待つって言ったでしょ?」
「ああ、言ったな」
「……ワタルさんは、それでも平気だったの? 私と、なかなか会えない時間が、当面続いても、それで……」
「平気なわけがないだろ? 最初から、そんな選択考えていなかったよ」
「え? で、でも、あのときは、」
「一応、言ったけどね。待つ気も逃がす気も、おれにはなかったよ。すぐに呼び戻すつもりだった。……もう、きみなしの人生は、考えられなくなっていたからね」
「……ワタルさん」
「なんだい?」
「……なんだか、少し、強引になった」
「はは、おれは元々、こういう男だよ。……それとも、はこんなおれじゃ、嫌かな」
「……いやなわけが、ないです……」
「そうか、それはよかった。……なあ、
「はい?」
「すき、だよ」
「……わたしも、です」

 いつも、瞼を閉じれば、思い出は宝石の様に、色鮮やかに輝いている。きらきらしく、うつくしく、掛け替えのない。そんな幾許かを与えてくれた、このひとに、私もそんな、なにかを返せていたら良いと思う。私の世界に夢を紡ぎ、繋げてくれたのは、他でもない、あなたなのだ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system