もうシロップには戻れない

「――なあ、。これ、ヘアサロンの優待券貰ったんだけどな、オレさま、期間中に行けそうにないからさ、オマエにやるよ」
「はい? いや、私も別に今は髪切りたいとか、ないんですが……」
「まーまー、切る以外にもさ、カラーリングとかあるし、気分転換してみれば?」
「カラーリング……」
「カラコンとかも入れられるぜ」
「カラコン……」

 ――一番初めは、そんな経緯だった。何も私は、外見に頓着しない、というわけではないし、清潔感は心がけているし、可愛いものとか、綺麗なものは結構好きだ。でも、そういえばカラーリングってしたことないな、と。キバナさんに言われて、その時、初めて気づいた。私の髪は、地味な色だし、試しに一度くらい、染めてみるのもあり、かなあ、なんて。

「――え、カラーリングってこんなに色々あるんですか」
「はい、お好みのお色はございますか?」
「……あ、赤もある!」
「きれいな赤ですよねー! そのお色! お客様にお似合いだと思います!」
「……そ、そうですかね……?」
「赤にしてみます?」
「じゃ、じゃあ……! 赤で……!」
「はぁい、かしこまりました!」

 ――赤い髪は、私にとって憧れの象徴だった。燃えるような赤い色は、正義の体現であるかのようにさえ、思う。――そう、つまり。ワタルさんと、同じ色にしてみたいな、なんて。考えたこともなかったけれど、ちょっと試してみるだけ、一度やってみたら満足するし、そうしたらまたすぐに、元に戻せばいい、と、――そう、思って。本当に軽い気持ち、だったのだが。

「――はい、お疲れ様でした。後ろはこうなってます、どうでしょう? お似合いだと思いますよ!」

 ――鏡に映る自分が、まるで、魔法にでも掛けられたかのように、見えてしまった。燃える炎の髪は、私を、情景に一歩でも、近づけてくれた気がした。

「髪色が明るくなったので、カラコンとかも合わせてもいいかもしれませんねー!」
「あ、あの、カラコンって……」
「はい、なんでしょう?」
「……グレーとか、あります……?」
「はい、もちろんございますよ! 今お出ししますね!」

 ――急なイメチェンで、笑われるかな、とも思ったけれど、翌日、赤い髪にグレーのカラコンで、ナックルジムに出勤すると、予想外に、似合う似合う、と皆が褒めてくれた。キバナさんは絶対からかってくるでしょ、と思ったものの、あの人は、ガラルのファッションリーダー、なんて言われてるような人だから。寧ろ、私の雰囲気がガラッと変わったことに対して、好意的に受け止めてくれて。

「あーびっくりした、オマエ、急にワタルさんカラーになってんだもん。でもめっちゃ似合ってんじゃん、いいよソレ。あ、髪型弄ってもいいな、これとか……」

 ――まあ、何故その色を選んだのかは、キバナさんに一瞬で看破されてしまったものの。そんなこんなで、私の赤い髪とグレーの瞳は、すっかり定着して、私も今ではこっちの方が、落ち着く程になってしまったのだが。



「――え!? フスベってヘアサロンとかないんですか!?」
「ないわよそんなの、この田舎町に、あると思う?」
「そ、そんな……」
「ジョウトは景観条例もあるから、そういう店はコガネまで出ないとないわよ」
「こ、コガネ!? って遠いじゃないですか!?」
「土日にでも行けばいいじゃない」
「で、でもイブキさん、わたし、土日も修行したいですし、なるべく就業後に、手軽に、済ませたくて、」
「そんなこと言われても、ないものはないのよ! 髪を切るくらいなら、まあ、フスベでも店はあるわよ、でも変わった髪色とか、ましてやカラコン置いてる店とかは、コガネに出るしかないわね」
「……そんなあ……」

 ナックルシティで暮らし、働いていた頃は、就業後にサッとヘアサロンに立ち寄れたから、カラーリングもすぐに手直しできたし、そうやってサロンに寄った際に、ついでにカラコンも買い足していた為、不自由、なんて感じたことがなかった。――でも、私の髪は結構、頻繁なメンテナンスが必要、というのは事実で、根本はもう地毛が目立ってきているし、カラコンも今日の分で切らしてしまった。せめてカラコンくらいは、ガラルから多めに持ってくればよかったな……。

「……うう、どうしよう……」
「週末にでも、少し休んでコガネに行ってきたら?」
「で、でも、明日は金曜なんですよ! ワタルさんとの修行の日なのに! こ、こんな、みっともない髪でワタルさんにお会いするなんて……! ……もうだめです……」
「……仕方ないわね、今日、午後から行ってきてもいいわよ。、日頃頑張ってるから、たまには……」
「え、それはいいです」
「何よ!? 私は親切で言ってやったんじゃない!」
「え……だって、そんな理由で修行を投げ出したら、本末転倒じゃないですか……」
「……あなた、本当に真面目よね……」

 ――結局、イブキさんの申し出も断ってしまったし、その日も就業後まで、夢中になって修行に励んでいたから、勤務時間が終わってからコガネに出るのは、流石に無謀で。
 そうして、翌日、金曜日。
 ワタルさんのセキエイリーグでの仕事と、私のフスベジムでの仕事が終わってから、竜の穴で、ワタルさんに稽古を付けて貰う時間が、あっという間にやってきてしまった。普段なら、毎週楽しみでならない、わくわくどきどきのこの時間も、今週に限っては、はらはらどきどきである。――だって、誰だって憧れの人の前では、少しでもよく見せたいものでしょう、普通は。

「やぁ、ちゃん。一週間ぶりだね、調子はどうだい?」
「は、はい。お陰様で、リザードン達も……」
「……あれ、今日は帽子に眼鏡なんだね、なんだか新鮮だな。でも、似合っているよ」

 髪の根本を隠したくて、ナックルジム公認の、マーク入りキャップを被って、ジムトレーナーが全員眼鏡を掛けているから、と。ジム内では決まって身に着けていた、眼鏡を掛けることで、目元も隠して。それでどうにか、今日は一旦やり過ごそう、――と思ったものの、ワタルさんは、そんな些細な変化にも、目敏く気付いてくれる。――嬉しい、嬉しいんだけど、うう、でも、気付かないで欲しかった、あ、でもやっぱり、嬉しい……。

「そ、そうですか?」
「でも、祠で修行するには邪魔じゃないか? 此処は薄暗いし、ますます視界が悪くなるだろ?」
「そ、それは、そうなんですが……」
「きみは、修行に真摯だし、何故そんな……まさか、怪我でもしてるのか?」
「え!? ち、違います!只、その……」

 あ、これはまずい、修行だっていうのに、浮かれてる奴だと思われたら、それは絶対に嫌だ、と。内心、大慌てしていたものの、――ワタルさんの中では、その可能性は、早々に潰えてくれたらしかった。日頃から、真面目にやってるの、見ていてくれてるんだなあ、少しは信頼してもらえてるといいなあ、なんて、ワタルさんの言葉にじんわりと胸を打たれていたのも束の間。――はっ、と。ワタルさんは、別の可能性に気付いて、少し慌てたような素振りで、

「――ちょっと、失礼」

 竜の穴、洞窟を利用して作られた、天然の祠は、薄暗く、松明の明かりでは、――こうして、顔を寄せなければ、相手の顔色までは伺えない。まさか体調を押してまで、修行に来たのか、と。どうやら、要らない心配をさせてしまったらしく、ワタルさんは、ずい、と私に歩み寄ると、ぽん、と、肩に手を置いて、少しかがんで、私の顔を覗き込む。――透き通る石英の、強い眼が、――至近距離で、じっ、と。わたしを、みつめていた。

「……あれ? ちゃん、目の色、いつもと違わないか?」
「あ、あの、」
「いつもは、おれと同じ色なのに……、此処が暗いから、ってわけじゃなさそうだけど」

 きょとん、と不思議そうに首を傾げる仕草を見せるワタルさんに、――限界だ、と、思った。ワタルさんに、こんなにも近くに顔を寄せて、見つめられることも、そうだし。ワタルさんを騙している、欺いている罪悪感で、もう、どうにかなりそうだった。確かに、ワタルさんは私にとって、自分を一番よく見せたい相手では、あるけれど。それ以前に、このひとは私の、憬れのひと、だから。嘘は吐きたくない、心配させてしまったことを、ちゃんと謝りたくて、――私は、洗いざらいに、すべてを白状した。本当は普段はカラコンで、髪色も染めていて、でもフスベに来て以来、染め直す時間がなくて、ワタルさんにだけは、みっともない姿を見せたくなかった、と。……私、格好悪いなあ、情けないなあ、と。思わず、俯いてしまいながら、どうにか、ちゃんと、本当のことを言えたと思う。

「――ちゃん、ちょっと顔上げて」
「? はい……」

 最後に、ご心配をおかけしてすみませんでした、と。深々と頭を下げていると、ワタルさんに、顔を上げるように言われて。そんなに謝るな、という意味だろうか、と思いながら顔を上げる。すると、――すっ、と。ワタルさんの、骨ばった長い指が、私の頬に伸びて、するり、と眼鏡のフレームを、引き抜かれてしまう。一瞬だけ、頬を掠めた指が通った箇所が、くすぐったくて、――燃えるように、熱かった。

「……本当だ、いつもより瞳の色が澄んでる。この色が、ちゃんの目の色なんだね、……綺麗だな」
「え、あ、」
「髪の色も気になるな、……いや、流石に帽子を取って、というのは不躾だね。はい、眼鏡を返すよ。すまない、つい気になってしまって」
「い、いえ。お気になさらず」
「眼鏡は、度が入っていないようだけど……カラーコンタクト、だっけ? 目が悪くて入れてるのか?」
「いえ、……その、只のファッションです……」
「へえ。なんだか勿体ないな」
「え?」
「元の色のほうが、綺麗なのに。髪色も、きっとその瞳の色によく似合うんだろうね。いつか、見てみたいな」

 揺らめく炎のような髪色と、透明な結晶の奥に強い意志を秘めた、瞳の色。揺るぎないそれが、他の何よりも、美しい気がしたから、憧れた。私も、あんな風に、って。そんな身勝手な情景で、塗り潰していた私自身を、――太陽みたいな微笑みで、このひとは。きれいだ、と。そう、言ったのだ。

「――まあ、こういうことは、ちゃんの好みもあると思うし、女性にあまり、口出しすべきではないとは、おれも思うんだけど……」
「は、はい、」
「気が向いたら、見せて欲しいな。きっと、魅力的だと思うんだ」
「わ……かり、ました」
「うん、楽しみだな。――おれは、きみの色が、好きだなって思うよ」

 ――その日の特訓を終えて、ワタルさんが夕飯に連れて行ってくれた際に、流石に食事の席で帽子を被ったままなのは、と、渋々帽子を脱いで見せると、ワタルさんは、ぱっ、と明るい顔をして。

「――やっぱり! 綺麗な髪の色だね、うん、似合っているよ」
「あ、ありがとうございます……恐縮です」
「まあ、おれとしては、きみの赤い髪も気に入っていたんだけどね……ほら、おれとお揃いだろう?」
「え、あ、き、気付いてましたか!?」
「? 初めて会ったときから、すごい偶然だな、と思ってたよ」
「あ、……はは、そ、そうですよね。すごい、偶然で……」
「だから、そうだね、どっちも捨てがたいけど……その瞳に映える色は、赤よりこちらだな。……うん、やっぱり、綺麗だ」

 ――きっと、天然なのだろうな、と。そう、分かっていても。憧れのひと、に、綺麗だ綺麗だと褒められて、そっちのほうが好きだよ、なんて言われて、――揺るがない女が、いるだろうか。否、いるのかもしれない、が、そもそもワタルさんと一緒にしたい! という動機で髪を染めるような私には、揺るがないなんて、無理だった。マグニチュード10直撃の衝撃に、飛べない私は浮遊で逃れることも出来ずに、耐えきれず、――結局、翌日の朝一番で、コガネのヘアサロンに駆け込み、髪色を元に戻して、カラコンもやめたのであった。

「あ、髪色戻したんだね! うん、よく似合ってるよ!」

 翌週の金曜日、おひさまみたいに笑って、ふわり、髪を撫でられ、――ああ、そうか、と、思った。私は、ワタルさんになりたいんじゃない。――ワタルさんと並び立てるようなひとに、なりたかっただけだったのだ、と。――私はようやく、気付けたのだ。 inserted by FC2 system


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