魔法使いだって朝までは待ってくれない

「──鷹ちゃん! よかった、会えた!」
「…………?」

 ──俺が、と初めて出会ったのは、15歳の冬の終わりの出来事だった。アメリカから帰国して以来、地元には戻らず帝黒の中等部に編入して、そのまま何事もなく高等部への進級とアメフト部への入部が決まっていた、そんなある日のこと。合格発表の張り出しなど自分には直接関係が無かったけれど、新しくチームメイトになる人間の顔を見ておきたいからと言って鷹を誘い出向いた其処に、という少女が立っていたのだ。
 親しげに鷹の名前を呼んで駆け寄った彼女は、俺の隣に立つ彼の胸へと飛び込んで、にこにことそれはもう本当に嬉しそうに笑って、……だからまだあのときは、鷹が大切な子と過ごせるようになったことを祝福する気持ちしか、俺の中には無かったように思う。笑った顔が綺麗な女の子だとは思ったけれど、それは一目惚れだとか大層な話ではなくて、──だから、俺がを好ましく感じるようになったのは、実際に高校生活が始まって、共に部活に励むようになってからのことなのだ。

「──あ、大和くん、おはよう」
「……おはよう、随分と早いんだね。鷹もいっしょかい?」
「ううん、鷹ちゃんはもう少し後に来ると思う。私は先に、朝練の準備とかしておきたかっただけだよ」

 互いに寮生活で、何かと朝は忙しいことも知っていて、全体の朝練が始まるよりも早く、自主的にロードワークに出て学園に戻ってくると、いつもは誰よりも早い時間帯から部室に居た。入学以前にアメフトのことは全て勉強してきた、という言葉に違わず彼女は知識に秀で、マネージャーとしても非常に優秀で、コーチ役や監督なんかが帝黒には居ない分、他校と比べて彼女の仕事は決して少なくはなかったにも関わらず、決しては弱音を吐かなくて、……鷹のことだけじゃなくて、俺達、他の一軍選手にも皆平等に、彼女はマネジメント役を徹してくれていたのだった。
 ……彼女と初めて出会った日から、随分と根性のある女の子なんだな、とは思っていた。鷹と彼女の地元は京都だと聞いているから、隣の府とは言えどもそれは決して近場の進学では無かったはずで、それも、慣れない寮生活で。うちは偏差値も決して低い方ではないから、スポーツ推薦やスカウト編入ではない彼女にとって、勉学だって疎かには出来ない訳で。そんな難関を潜り抜けてでも、鷹のためにと帝黒に進学して、弱音も吐かずに部員一同のサポートまで引き受けて。いつも毅然とした態度で、背筋を伸ばして。凛としたよく通る声ではきはきと話して、けれど笑った顔は何処かあどけない彼女のことを、……俺はいつからか、すっかりと、好ましく思うようになってしまったのだった。──だが、彼女は鷹にとって大切な女性なのである。ふたりが幼馴染以上の関係なのかどうかは、本人たちに名言されたわけではなかったけれど、当然のように周囲はのことを“鷹の彼女”として扱っていて、それに気付いている鷹は特に否定もしていない。……が気付いているのかどうかは定かではないものの、もしもふたりが、本当に恋人同士ならば、チームメイトとして友人として、ふたりの仲を裂くのはいかがなものか、なんて思いが、確かに俺の中にあったのだった。

「──大和くん! また花梨ちゃんの意見、無視したでしょ!?」
「ちょ、ま、ちゃん! わわ、私は平気やから……!」
「私が嫌なの! 大和くん、ちゃんと花梨ちゃんに謝って!」
「……すまない、。だが俺は、の気を損ねるようなことをしてしまったのだろうか……?」
「だーかーらー! 私じゃなくて、花梨ちゃんに意地悪しないで、って言ってるの!」

 私のことはどうでも良いの! と、俺に向かって人指し指を突き付ける彼女に、「のことだって、大事だろ?」と思ったままに反論してみたら、またしても彼女の機嫌を損ねてしまって。……俺が、鷹との関係性を慎重に見極めようとしているうちに、帝黒アレキサンダーズには花梨というチームメイトが加わった。鷹が才能を見出してアメフト部に加入させた彼女のことを、どうやらは大層に気に入っているようで、最近では鷹の傍にいなければ大抵は花梨の傍に居るようになってしまって、……おかげで俺は、以前よりも少し、と話す機会を失ってしまっていた。……まあ、それは構わないんだ。なにも俺も、花梨にまで嫉妬している訳じゃないし。だが、どういう訳かは俺の花梨への接し方が大層お気に召さないらしく、いまいち心当たりのないことで、近頃の俺は、と口論になったりと何かと対立するようになってしまったのだ。

「……参ったな……」

 平時よりも眉を吊り上げて怒った顔をしながら、自分よりも背も高く力も強い花梨の腕を引いて、遠ざかってしまう華奢な背中を呼び止めるべきか、呼び止めないべきかを迷っている間にも、やはりどうしても何を彼女がああも怒っているのか、心当たりが見つからない。……高等部に上がってすぐの頃は、こんなこともなかったんだよ。花梨が入部する以前は本当に、とも仲良く話が出来ていたし、何なら鷹の次に彼女と仲が良かったのは、自惚れなんかじゃなく俺だったという自信がある。……まあ、それもいつの間にか、過去の栄光になってしまったらしいけれど、ね。「大和くん、鷹ちゃんと同じくらいすごいんだね!」と、彼女にとっての最上級であろう賛辞を俺へと向けて、きらきらとこちらを見上げてくれていた瞳に、近頃では「……大和くんって、ちょっと傲慢なところあると思うよ……」なんて、じっとりと非難のまなざしを向けられるようになってしまって。……本当に、どうしたものだろうかと儘ならない気持ちに前髪を掻き上げて、俺がその場で思案に浸っていると、「……大和」と、一部始終を見ていたらしい鷹が、俺に向かって声を掛けてきた。

「……やあ、鷹。悪いね、を怒らせるつもりはなかったんだけど……」
「……どうして、僕に謝るんだ?」
「うん?」
「大和、これは教えるか迷ったんだけど……大和なら良いかなと思ってるから、言うよ」
「? ああ、なんだい? 鷹」
「……は、俺の彼女じゃないんだ」
「……え」
「周りが勘違いしているなら、それで良いと思って否定してなかっただけだよ。が、俺にとって大切な女の子なのは、事実だし……でも、の相手が大和だったら俺も不満はないから、教えておくよ」
「……参ったな……そんなに顔に出ているかい? 隠せているつもりだったんだけどな……」
「全然、隠せていないと思うけど……?」
「……なるほど……そうか……うん、分かった」
「? 何を?」
「いや……そういうことなら、隠す必要はもうないってことだよな? と思ってさ」
「……に嫌われない程度にしなよ、大和」
「はは、そう言われると耳が痛いな……」

 ──俺とはまるで正反対の、薄くて細い身体なのに。小さな背中はいつでも頼もしくて、涼やかな凛とした目で胸を張る姿に、どうしたって俺は、何度でも目を奪われるのだ。……とはいえ、どうにも彼女は鷹との距離が近すぎるので、そういう関係なのだろうかと疑問に思って、多少は振る舞いに気を遣っていたつもりだったけれど、実際のところ、全然そんなことも出来ていなかったらしいから、もしかすると、は俺のこういう部分を傲慢と称しているのかもしれないな、と思う。……うん、もしもそうなのだとすると、残念ながら、彼女の要望通りに俺がこの性格を改めるのは、難しいのかもしれない。現に今、鷹の言葉で火が着いてしまった俺は、自分を改めるよりも、彼女に気変わりしてもらった方が手っ取り早いんじゃないか? なんて、そんな風に考えているのだ。こちらは好意を抱いているのに、どうにも反発されるのは嫌われているからなのだろうか? と、そう思わなかったわけじゃない。……でも、もしも本当に嫌われていたのなら、きっと彼女は俺に改善を求めることすらしていないよな? なんて、本気で嫌われてるわけじゃないだろうからと、……心の何処かにそんな自信を抱いている事実さえも、或いは、彼女に怒られてしまう理由だったりするのかもしれないな。 inserted by FC2 system


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