花と傷、触りたい方を選んで

「──、今少しいいかな?」
「……いいけど、何かあったの? 大和くん……」

 昼休み、珍しくひとりで廊下を歩くを見つけて、思わず俺は彼女を呼び止める。授業の合間の休憩時間だとか、昼休みなんかには、はいつも決まって鷹か花梨と並んでいることが多いし、部活中はもっと周囲に人間が居るから、俺がとふたりきりになる、という機会を得るのは、実はなかなかに難しい。そもそも部活中は、雑談しているような暇はお互いに無いし。だからこそ、彼女との間に生じてしまった不和を俺も早々に取り除きたいとは思っていたものの、なかなかその機会に恵まれずにいたものだから。──急なことだったけれど、今を逃したら次はいつになるか分からないと思って、呼び止めたの腕を引いて、「ともかく、何処か落ち着いてふたりで話せる場所に行こう」と、歩き出す俺に、は何処か戸惑いを隠せない表情で此方を見上げている。既に昼食を終えて、昼休みの残り時間などはたかが知れているし、逸る気持ちから思わず速足ですたすたと歩いてしまいたくなるものの、俺より遥かに小さなは俺の歩幅に合わせたのでは転んでしまうと、数歩歩いたところで足がもつれた彼女を見て気が付いて「すまない、」と、俺は慌てて謝罪して。つむじが見えてしまうほどに小さな彼女に歩幅を合わせようと、歩みを緩めて再び歩き出す俺を、は少し驚いたような顔で見つめて、──やがて、俺が空き教室に彼女を連れ込むまで、はそれ以上は何も話さなかった。

「……大和くん、用事ってなに? 部活のこと……?」
「いや、この間言われたことだよ、……俺が傲慢だって、そう言ってただろ?」
「あ、……れは、……その、私……」
「俺なりに考えてみたんだ、だが……すまない、やはり自分では心当たりがない。だが、俺が無意識にに嫌われるような行動を取っているなら、俺も態度を改めたいと思うんだ。……どうだろう、もう少しヒントを貰えないかな?」
「へ、……は、話って、それ……?」
「ああ、そうだよ?」

 簡潔に用件を述べる俺の言葉にはぽかん、と小さく口を開けている。──そのとき、俺は、そんな彼女を見つめながら。建前の上では、謝罪の姿勢を示しているものの、彼女は背丈も手足も、開いた口もなにもかもが小さくて可愛いな、なんて思考にほんの一瞬だけでも攫われかけていることに、自分でも気付いていて、……やっぱりきっとこういうところが、彼女が俺を傲慢な人間だと感じる所以なのだろうなと、そう思った。何故なら俺は結局、の申し出で自分を曲げるつもりなどは毛頭なくて、この謝罪も要するに、……に嫌われるのは困るから、彼女にとって好ましい態度を選んでいるだけ、に過ぎないのかもしれないな。……けれど、そんな俺の思惑などをは知らないから、ほっとちいさく息を吐いて胸を撫で下ろす彼女が、……小動物みたいで可愛いなと思うこの気持ちは、果たして真っ当な感情なのか、一体どうなのだろうかと、からの返答を待ちながら、俺はぼんやりと考えていた。

「……あの、私が一方的に大和くんを悪く言うのは公平ではないから……」
「うん?」
「大和くんにも、言ってほしいの……きっと、私の至らないところ、いくらでもあるでしょう? 私は確かに大和くんの花梨ちゃんへの態度を改めて欲しいというか、ときどき大和くん、横柄なところがあるの、よくないと思ってるけれど……」
「……ああ」
「それと、大和くんが私にとって好ましい態度を取るべき、というのはイコールではないし、そもそも一方的に言うのは不公平だと思う。……だから、大和くんの希望に沿うためにも、まずは大和くんが私の好きじゃないところを教えてください。……私も、直したいと思うから……」
「いや……そんなの、何ひとつないよ?」
「……へ?」
「無いよ。……について気に入らないところなんて、まるで思い付かないな……」

 凛とした彼女の声だけが響く空き教室は静かで、……その声が、他の誰かには分からない程度の震えを帯びていることにだってすぐに気付けるほど、俺はきみのことを見つめているのに。──人の気も知らずに、が「嫌いなところを教えて欲しい」なんて言うものだから、思ったままの言葉が、するりと口を突いて滑り落ちてしまった。本当はそんな言葉を俺から聞きたくないと、顔にはっきりと書いてあるのに、誠実ゆえのそんな言葉を彼女が言い放つものだから。……ああ、これはどうやら。本気で嫌われている訳じゃない、という読みは正しかったらしいが、……鷹にはとっくに筒抜けだったというきっと分かりやすい俺の好意は、にはまるで気付かれていなかったようだ。

は、マネージャーとしてよくやってくれていて、しっかり者で頼りになるし、はっきりと物を言うきみの性格を俺は好ましく思っているよ。非の打ちどころなんて、思い付かないな」
「そ、……そんなの、嘘だよ! だって私、大和くんに嫌なことたくさん言ってたしっ」
「だから、そうやって自分の意見を言い切るところが好きだよ」
「す、好きって……」
「でも、俺はに咎められるような行動をしているわけだし、……は俺のことが嫌いなのかな、と思ってさ」
「! 嫌いじゃない! ……嫌いじゃないよ、だって、大和くんは、鷹ちゃんのチームメイトでいてくれて、大和くんのおかげで、鷹ちゃん、昔よりも楽しそうだから……私、いつもそれが嬉しくて、ふたりの力になりたくて……」
「……うん、以前にもそう言っていたね」
「……私は、大和くんのことも尊敬してるよ……でも私は、自分が選手になろうなんて、考えたこともなかったから……」
「……ああ」
「花梨ちゃんのこと、大切だし、尊敬してて、彼女の力にもなりたいの。……だから、花梨ちゃんの話は、もう少し聞いてあげて、ほしい……」
「……分かった。俺も気を付けるし、が先に気付いたら注意してくれ。何も俺だって、チームの輪を乱すのは本意じゃないさ。その際には、の判断に従おう」
「! あ、ありがとう、大和くん……」

 ──よし、きっとこれで、彼女との不和は取り除けたはずだと、そう思う。少なくとも彼女から俺へと嫌悪感が向けられていないことは明らかになったし、……寧ろ、鷹や花梨に並ぶ程度には、俺も彼女の中で重要視されているということが分かったし、良かったな。

「……おっと、そろそろ予鈴が鳴るな。教室に戻ろうか、……
「うん?」
「話してくれて、ありがとう。一度持ち帰って検討してくれて構わないから、答えが出たら教えてくれるかな」
「うん、分かった。花梨ちゃんのこと、考えてみるね」
「いや、そっちじゃなくて……」
「?」
「俺はのことを好きだって、そう言っただろ? そっちの話だよ」
「へ、……え、いや、マネージャーとして、とか……そういう話だよね……?」
「いや? 女性として、きみを好ましく思うって話だよ」
「……は……」
「でもまあ、これは俺の予告だけど。きっと、も俺のことを好きになってくれるんじゃないかな。俺は絶対に、を振り向かせるつもりでいるからさ」
「あ、……のねえ、やまとくん、ほんと、そういうところ……!」
「うん?」

 そう言って、顔を真っ赤にした彼女が震える手で俺の腕に縋りついて、「……もうずっと前から、私は大和くんのことが好きだよ……」なんて、言うものだから。──本当は内心では俺も少し驚いていたけれど、動揺などは取り繕って、「ほら、やっぱり俺の絶対予告は外れないだろ?」と笑ったら、「今のはずるいしインチキだよ……!」なんて、が弱い力でぽこぽこと俺の脇腹を叩くのが可愛らしくて、──ああ、そんなことをしていたら、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴ってしまった。今から慌てて戻ったのでは周囲に怪しまれるし、教室に戻るに戻れなくなってしまったんじゃないか? と、本当は俺は誰に何を勘繰られようとどうだってよかったけれど、「……教室に戻って皆に怪しまれるのと、このまま俺にすべて白状するのと、どっちがいい?」と、薄い身体を窓際に追い詰めて、揺れるカーテンの中、冗談半分で尋ねてみる。……すると、俺にとっては余りにも都合のいい答えを彼女がくれるものだから、……これでは、二度と手放せなくなってしまうなと、そう思った。少し前まで、彼女が鷹の恋人なら身を引こうだなんて謙虚にも思っていたのがまるで嘘のようで、……、案外きみが俺を傲慢にしている元凶なんじゃないか? なんて尋ねたら、またきみを怒らせてしまうのかな。 inserted by FC2 system


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