お砂糖の作り方を知ってるかい?

 放課後、部活も終えた後で人気のなくなった一軍の部室には、華奢な指がぱらぱらとページを捲り、ペンを走らせる音だけが静かに響いている。──皆が帰っていく中ひとり残って部誌を纏めているを、終わったら寮まで送って行くから、という名目で、俺もその場に付き添いとして残り、「……暇だろうし、好きに時間潰してきてくれて良いんだよ?」なんて言って、恐らくは善意で申し出てくれる彼女の気遣いは、まあトレーニングで追い込みたいときなんかには有難くもあるんだけど。……只、恋人の横顔を眺めているだけの時間だって大切にしたいんだよ、ということを、まだこのお姫様はよく分かってくれていないらしい。
 と恋人同士になってから、しばらくの時間が過ぎたけれど、今年もクリスマスボウルが控えている訳でもあるし、日々は相変わらずに忙しなく、甘やかな時間だけに浸るわけにもいかない。だから、彼女との関係性も急激に変化させるというのは難しいところでもあって、……それに、脈絡なく距離を詰めたのでは怯えさせてしまうかもしれないし、大切に、慎重に、けれど、退路は既に絶った上で少しずつ彼女との距離を詰めているつもりだ。……そのつもりではあるけれど、……そろそろもう少し恋人らしいこともしてみたいな、なんて思ってしまうのは、それは俺だって健全な男子高校生な訳だし、当然だろうと、そんな想いを寄せられていることなど、きっと彼女は思いも寄らないのだろう。真剣な横顔はノートの中だけに神経を集中させているようで、部室に備え付けられたテーブルに着く彼女の正面の椅子に腰を掛けて雑誌を捲る俺の方などは見向きもしない、……そう、彼女への思いを馳せながら、長い睫毛が揺れる様をじっと見つめていると、不意にと視線がかち合って、それに少しだけ驚いていると、どうやらちょうど俺が偶然こちらを見たのと自身が顔を上げたタイミングと一致したとでも思ったのか、熱視線を注がれ続けていたことになど気付かない彼女は、少しだけ照れ臭そうにはにかんで、筆記用具をケースへと仕舞いながらこちらを見つめているのだった。

「大和くん、お待たせ。部誌纏め終わったから、帰ろう?」
「……ああ、暗くなる前に戻ろうか」
「うん。……その前に、それ、何の雑誌? って聞いてもいい?」
「うん? これかい?」
「そう、……アメフトの本じゃないでしょ? 何読んでるのかな、って」
「ああ……この辺りのスポットを纏めてあるらしいよ、観光雑誌みたいなものかな」
「観光……?」
「それともタウン情報誌、の方が適切かな?」

 ぱたん、と部誌を閉じて通学鞄に仕舞いながら、ふと俺が目を落としている……素振りで只開いているだけだったのだが、ともかく片手に持っていた雑誌に興味を示すの目の前へと、手にしていた雑誌を開き直して、「新しく出来た食べ物屋だとか、人気のスポットが載っていて……」と、まるで先ほどまで熟読していたかのような口ぶりで語りだす己には、……流石に自分でも、多少は質の悪さを覚える。何故ならば、これはあらかじめ用意していた台詞に過ぎずに、の前でわざとらしくページを開いていたのは、彼女がきっと興味を示すと思っていたから、と言う理由でしかなかった。──端的に言うと、これは近隣のおすすめデートスポットが載っている雑誌で。この中で、が好きそうなものに当たりを付けておいて、彼女を誘い出す口実にしようというという思惑で俺はこれを持ち出したに過ぎない。……そろそろ休日の学外で、アメフト以外の理由でもに会いたい俺が仕込んだ、そんなささやかな罠にも気付かずに、は楽しそうに賑やかな色彩に満ちるカラーページを大きな瞳に映しこんで、きらきらと目を輝かせている。

「──ほら、これなんてが好きそうじゃないか?」
「え、どれ?」
「猫と触れ合えるカフェだって、メニューも、が好きそうだ。甘いの好きだよな?」
「! 好き! 猫も好き! ……わあ、いいなあ、この子すっごくかわいい……」
「……そうだな、会いに行ってみるか?」
「え? 誰に?」
「猫にだよ。……週末の休みにでも、いっしょに行かないか?」
「! いいの……? 大和くん、トレーニングとか……」
「いいよ、駄目な理由が無いだろ? その日は部活も休みだし、偶には息抜きも必要だしな」
「ありがとう……! 嬉しい、楽しみ……! 鷹ちゃんのことも、誘っておくね!」
「……うん?」

 ──おかしいな、聞き間違いではなければ今、は「鷹も誘う」と言ったような気がしたけれど。……俺としては今の会話はデートの誘いのつもりで、そもそも俺とは恋人同士で、その俺に休日の外出に誘われたなら、だって理由くらいは心当たりがあるだろうし、ちゃんと伝わっているはずだろう? ……と、そう思うが、そう思いたいところだが、……にこにこと邪気のひとつもない笑顔で楽しみだと言って笑うは、どうやら本当に悪気もなくそう言っているらしいから、彼女は彼女で質が悪い、なんて流石に俺も思ってしまう。

「……ええと、鷹も誘うんだ? 何故かな?」
「? 鷹ちゃんもいっしょに、三人で遊ぶ方が楽しくない? 違った?」
「いや……それはまあ、楽しいとは思うけどね?」
「ね? だから、鷹ちゃんのことも誘っておくね! 大和くん、他に行きたいところある? スポーツショップとか行く? 大和くんも鷹ちゃんも、スパイクがそろそろすり減ってたよね。あとサポーターとかも足りないし、それも見に行こう?」

 ──と鷹とが幼馴染同士で、彼らの間に特別な情があることは俺も知っているし、いくらの恋人は俺だからと言って、それを理由にふたりの間を引き裂こうなんて俺は思いもしないし、が「鷹ちゃん鷹ちゃん」と懐いて回るのも、もう見慣れたものではあるけれど。──とはいえ、まったく悪びれもせずに当然のように、デートの誘いに対して「鷹も連れて行こう」なんて言われてしまうと、少なからず、もやりと胸に停滞する暗雲めいた感情を覚えもするのだが、……しかし、そこから立て続けに、スポーツショップを見に行こう、なんて俺と鷹の為でしかない提案をされてしまうと、否が応でも彼女に悪気が無いのは分かるから、……あまり咎めても可哀想かな、なんて気にもなってしまう、なあ。

「……うん、そうだね……」
「ね?」
「ああ……でも、そうだな……、少し寄り道してから寮に戻らないか?」
「寄り道?」
「うん。少し、散歩がてら歩こうよ」
「……えっと、ジョギングだったら、私はいっしょじゃない方が……私、足遅いし……」
「そうじゃなくて。……と歩きたいんだけど、駄目かな?」
「……ううん、駄目じゃない、よ……」
「それは良かった。ついでに買い食いでもしていこうか?」
「もう、晩御飯が入らなくなると、寮母さんに怒られちゃうよ?」
「そうなったら、も共犯だな」

 ──それでも、やっぱり少し腑に落ちない気持ちもまた、拭いきれずに。……本当はもう寮の門限まで時間もないし、早く寮に戻るべきだと分かっていたけれどさ、多少は意識してもらわないと困るなと、そう思って、──そういうことならば、もう今すぐにでも連れ出して嫌でも理解してもらおうと、俺は小さな背を追い立てるように強引に彼女を促して、共に部室を後にする。の狭い歩幅に合わせてゆったりと歩くことにもだいぶ慣れてきて、俺が彼女に負担をかけることも減っているように思うけれど、の自然体こそは俺のとなりにいるそのときだ、と言い切れるまでになるにはは、未だもう少し時間が必要なのだろうな。──さて、恋人らしい間柄になってみたいと思うものの、自然と手を繋ぐには身長差が些か邪魔をするので、「、少し手を貸してくれないか?」と言葉にして誘導し、不思議そうな顔で此方に差し出された細い指を絡め取ってやると、は目を丸くして、それから頬を薔薇色に染めて、俺を見上げていた。

「……手、繋いでもいいかな?」
「そういうの、繋ぐ前に聞くべきだと思うよ……!」
「そうかな? 次は気を付けるよ」
「……別に、気を付けなくてもいいよ。……その、ええと、いやじゃ、ないから……」
「それは良かった。……なあ、俺はもう少しきみと、こうして恋人らしく寄り添ってみたくてさ」
「う、うん……」
「だからさっきのは、デートの誘いのつもりだったんだよ。そういう訳だから、鷹を呼ばれるのは少し困るんだ。分かったかな?」
「え!? ……あ、あの、ごめん、わたし、察しが悪くて……!」
「ははは。いいよ、そういうところも可愛いし。……でも、毎回勘違いされるのは困るから、少し慣れておこうか」
「? 慣れる……?」
「そういう訳で、今からデートの練習に行こう、ってことだよ。時間は限られてるけど……そうだな、雑誌に載っていた店で、近場だと……」
「え、あの、大和くん? ……大和くん、ねえ、きいてる!?」

 俺はこんなにもきみの歩幅に合わせて歩いているというのに、きみの存在を忘れている訳も、声が聞こえていない訳も在りっこないじゃないかと思うけれど、慣れない行為が恥ずかしくて堪らないといった様子のは、それすらも気付かずに焦った声で俺を軽く咎めながらも、けれど決してきみは俺を非難はしないのだった。──ほらね、きみは俺を強引だってそう言うけれど、今だってそうだし、何も自分に向けられるそれに対しては、は悪い気はしていないことを、俺はちゃんと知っているんだ。──だからね、そんなにも可愛らしく些細な抵抗などでは、まるで足りないさ。それどころかきみは最後には頷いてくれるのだと、……そんな風に味を占めるばかりだよ、俺は。 inserted by FC2 system


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