おだやかな日曜日の信徒

 帝黒学園に通う私たちは寮生活を送っている都合上、休日に外に出るにしても、寮の入り口だとかで待ち合わせをして落ち合ってから出かけることが多いけれど、その日は各々で午前中の内は用事があったもので、昼過ぎに街中で合流して皆でランチを食べよう、という予定になっていた。大和くんと鷹ちゃんと、それから今日は珍しく、「ちゃんが来るんやったら、私も行こうかな……?」とおずおず承諾してくれた花梨ちゃんもいるから、四人でおでかけ! 学内で、それから部活の時間にも皆とは毎日顔を合わせているわけだから、特に珍しい面子という訳でもないけれど、それでも、外でみんなで遊ぶのはなかなかあることではないので、どうしたって浮足立ってしまう。四人ではなく、誰かとふたりでならば皆と出掛けることも度々あるけれど、それにしたって、基本的には全員アメフトが最優先なので、当て所もなく遊びに行こう、というのは余りあることではないのだった。
 そんな珍しい休日は、何処でお昼を食べようかと考えるだけでもうきうきして、事前にお店をいくつかリストアップしてきたから、みんなと合流したら何が食べたい気分なのかを確認して、それから入るお店を決めようというのが私の計画だ。一軍専属マネージャーたるもの、こういうところでも頼れる証拠を見せないと! ──なんて考えながら、用事を済ませて軽やかな足取りで待ち合わせ場所へと向かい、駅前の広場、時計台が視界に入ったときに、──周囲から頭一つ分抜きん出ている姿を見つけて、あ、と思わず零れた声は雑踏の中に消えてゆく。思わずその場で手を振ろうかとも思ったけれど、背丈の低い私では彼から見える訳がないと思い直して、人込みの間を縫うように歩いて抜けたところで、ようやく彼の視界に入る距離に辿り着いた私は、人込みをぼんやりと眺めるようにして其処に立っていた彼へと声を掛けるのだった。

「──大和くん!」
「やっぱり、が一番か、ごくろうさま」
「一番は大和くんでしょ? いつから此処に居たの?」
「15分前くらいからかな? 思ったよりも早く用事が済んだんだ」
「寒くなかった? 大丈夫?」
「俺は平気だよ。俺よりも、は平気かい?」
「大丈夫! 厚着してきたから!」
「それは良かった」

 冬のこの季節、肌を突き刺すような冷たい空気は、太陽が高く昇る日中であっても、やはり厳しいものがある。そんな寒い中で待っていたのだから、如何に体格に恵まれて基礎体温の高い大和くんであっても、きっと寒かっただろうにと思ったけれど、大和くんの口ぶりからすると、どうやら彼は全然平気らしい。やっぱり大和くんはすごいなあ、と改めてマネージャーとして選手の彼に感心するものの、……よく見ると大和くんは、手の中にコーヒースタンドの紙コップを持っていた。両手でくるんで熱を逃がさないように包み込むその持ち方は、暖を取るようで、……或いは、まるで、コップの中身が冷めないように保温しようとしている、ような。

「ん……あれ、大和くん、珈琲飲んでたの? やっぱり、寒かったんじゃ……?」
「ああ、これかい? これはね、にと思って買っておいたんだけど……少し温くなっちゃったな」
「え。わ、わたしに?」
「うん。きっと俺の次に来るのはだろうと思ったから、身体を冷やさないようにと思って。……は、俺達選手を待たせたりしないだろうからね」
「……でも、大和くんのこと、待たせちゃったね」
「俺が好きで待っていただけだよ。……その代わりに、此処で少し待っていてくれ、新しいのを買ってくるから……」
「ま、待って! あの……、私、それがいいな」
「え? ……多分、もう温くなっていると思うけど……」
「いいの。……大和くんがあっためておいてくれたんでしょ? 貰ってもいいなら、私はそれが欲しいな」
「……そうか。それなら、どうぞ」
「ありがと! ……というか、お金払うね? 幾らだった?」
「気にしなくていいよ。只俺は、俺の彼女のことが心配だっただけだから」
「そ、そう……ありがとう……」
「どういたしまして」

 紙コップを受け取る際に触れた大きなてのひらは、乾いた空気で少しかさついていて、けれど、酷くあったかい。熱を閉じ込めるように被せられているプラスチックの蓋をかぱり、と外すと、ふわ、と白い湯気と甘いカカオの香りとが立ち上って、ひとくち口に含むとあまくてやさしいココアが喉へと滑り落ちていく。……珈琲だと思ったのに、もしかして、私があんまりカフェイン得意じゃないの、覚えてくれていたのだろうか。ちまちまとココアを飲むわたしを、にこにこと微笑みながら見下ろす大和くんはとても楽しそう、ご満悦と言った表情で、「覚えていてくれたの?」……なんて、問いかけたところで、きっと彼の優位に立つことなど不可能なのだろうと、聞かずとも私にもよく分かる。……きっと彼は、全部覚えているのだ。情け深いようでドライな一面も併せ持ったこのひとは、それでも。私のことはぜんぶ、ちゃあんと覚えているのだと、今だってその瞳が何よりも雄弁に語っている。……もうあつあつではなくなったココアは、それでも、彼の熱に満ちていて。じんわりとおなかの中が温まる感覚が何とも言えずに心地よくてほっとして、──ひとくち飲むたびに、ゆらゆらと揺れる湯気にぼやける雑踏に、まるで、私の中であなた以外の何もかもが曖昧になっていくかのような、気分だった。

「……おいしい」
「それはよかった」
「大和くんも、飲む? ……あ、でも私が口を付けた後だから……」
「そんなことは気にしないけれど、それはに買ったものだから……あ、でも」
「?」
「鷹と花梨だ。……ほら、あっちと、そっちに」
「え、どこどこ? 全然見えない……」
「俺の高さからだと見えるよ。ふたりとも、髪色が目立つから見付けやすくて助かるな」
「……それは、大和くんも同じだと思うよ……?」
「うん? 俺は髪色は地味な方だろ?」
「髪じゃなくって……」

 ──このひとって、自分が目立つ人間である自覚、ちゃんとあるのかなあ? と、時々、そんな風に心配になることがある。大和くん、厳しすぎるくらいに厳密に、的確に、自己評価が出来るひとだから、見誤っているということはないと思うのだけれど。……でも、ちょっとだけずれているというか、独特な感性をしているところもあるから、実際どうなのだろうと思わないことも無いのだ。──まあ、それはそれとして。今はそれよりも、早くココアを飲み切ってしまわないと。ふたりと合流して移動するのに、目星をつけているご飯屋さんは全部此処から徒歩五分以内のところだというのに、紙コップの中にはまだ半分以上ココアが残っている。店内に持ち込むわけにもいかないから、ふたりが来る前に飲んでしまわないと、って。んくんく、慌ててコップに口を付けるけれどなかなか減ってくれなくて、ますます焦ってしまう。──と思っていたら、「、貸して」と頭上から降り注いだ大和くんの声に、次いで、大きな手が私の手から紙コップを取り上げて。──ぐっ、と。コップを傾けると大和くんはにい、さんほども喉仏をおおきく上下させると、空になった紙コップをそのままの動作で、数歩離れたゴミ箱へと的確に投げ入れるのだった。

「……にあげると言ったのに、ゆっくり飲ませてあげられなくて、すまない」
「全然いいよ、むしろ、私が飲むの遅いからって、大和くんに後始末させちゃったね、ごめんね……」
「気にしないでくれ。……でも、此処のコーヒースタンド、他にもの好きそうなメニューがあってね」
「? うん」
「……今日はふたりきりではないから、また今度、ふたりで行ってみようか。今度は店内でゆっくり飲もうよ」
「……うん、わたしも、行ってみたい……」
「よし。……ほら、鷹が此方に気付いたみたいだ」
「あ、花梨ちゃんも……っわ、ちょ、や、やまとくん?」
「うん?」
「あの、……鷹ちゃんたちがいるのに、手を繋ぐのは、ちょっと……」
「……恥ずかしい?」
「……うん」
「気にすることないさ。ふたりも気にしないだろうから」
「え、ちょ、……や、やまとくんったら!」

 ぎゅっと力強く分厚いてのひらに握りこまれてしまえば、私に出来る抵抗などはある筈もないと分かっていて、それでもあなたは有無を言わせずに平気で包んでしまうのだから、やっぱり結構、残酷なひとだ。その上で、「ココアのお礼として、手くらいは繋がせてくれないか?」なんてダメ押しのように言われてしまっては、もう私には何も返す言葉もなく。あらゆる物事に、自覚があるのかないのか定かではないこのひとのいとおしい熱に、私はこの冬も振り回されるのだった。 inserted by FC2 system


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