やさしいひとのやわらかい嘘

 大和くんは、とても背が高い。同年代の平均をゆうに超えるその長身は、帝黒アレキサンダーズの中でも飛び抜けていて、それに反して私は同年代から見てもやや小柄な背丈をしているため、大和くんとはかなり身長差が生じてしまうのだった。
 その結果、其処にはどういった不都合があるのかと言うと、──以前から、どちらかが屈むか背伸びするかしないと声が届きにくいだとか、選手とマネージャー、クラスメイトで友人と言う距離感だった頃から、私と大和くんの間には小さな不便がままあったものの、彼との関係性が“恋人同士”というものに変化してから、その不都合は尚のこと顕著に現れているのだった。それが具体的にはどのように不便なのかと言うと、……恋人である以上は、多かれ少なかれそれらしいスキンシップがあるものの、私と大和くんの場合は、身長が離れすぎていて手を繋ぐことすらままならないのである。お互いの手の高さが全然違う以上は、隣を歩いていて偶然にも指先がぶつかるようなハプニングも、私達には起こり得ないから。私は大和くんと手を繋ぐタイミングをなかなかどうして、上手く掴めずにいるのだった。流石にこの身長差では、偶然を装って手を繋ぐのは難しくて、当の大和くんはと言うと、「、手を貸して貰えるかな?」なんて言いながら、しれっと私の手を握ってくるけれど、私には彼みたいに積極的なのは、少し難しい。

 それに、大和くんが私をぎゅっと抱きしめてくれたときだって、筋肉質で分厚くて体格の良い彼を抱きしめ返すのは、私ではかなり困難なのだった。どんなに密着しても、私の腕の長さでは大和くんの背中まで届かなくて、しがみついているような格好にしかならなくて不格好だし、彼の胸元まですらも背丈が届かないから、まるで駄々をこねる子供のようにしか傍目からは見えないのだろうと思う。……まあ、何も誰に見られる訳では無いのだけれど、他でもない大和くんに見られている以上は、やっぱり気になってしまうのだ。
 彼と手を繋ぐにしても、ぎゅっとするにしても。力では一生勝てそうにないのも相まって、私から愛情表現をすることはなかなかどうして難しく、……私は大和くんみたいになんでも正直に口にできるタイプでは無いのも、あるし。唯一力の強さが関係しなさそうなスキンシップと言うと、……キス、とかなのかなあ? なんて風に思う。とはいえ、私も彼もまだ高校生なので、彼とのその行為はまだ数えるほどしかしたことが無いけれど、……キスだったら、力で負けていても、勇気さえ出せば私から仕掛けることも出来るような、……そんな気は、しているのだけれど。

「──? どうかしたのか?」
「……べつに、なんでもないよ……?」

 ──しかしながら、結局は、此処でも身長差に邪魔をされているのだった。
 というか、考えてもみなくとも、手を繋いだり抱き締めたりするのよりもずっと、キスをすることの方が、身長面でのハードルは高いだろうに。手を繋いだり抱き着いたりするだけなら、多少強引に行けば出来ないこともないけれど、キスをしようと思ったなら、それはもう大和くんに屈んでもらうか、お互いに座っていて目線が近いときを狙うしか、私に手立ては無いのだった。

 そんなわけで、部活終わりの部室にて、少しだけでもふたりきりの時間を作ろうという考えから、大和くんとふたりで残ってお話をしたりすることが度々あって、今日もそういう日。……しかし、穏やかな素振りで私へと会話を振ってくれている大和くんに反して、私はと言えば、どうすれば彼とキスをする機会を得られるだろうかと、そんなことばかりを考えているのだから情けない。それも、どうにかして私が優位に立つ必要があるのだ。……いや、本当は別にそんな必要性があるわけではないのだけれど、身長差もあってなかなか行動に起こせない私とは違って、大和くんはかなり行動で示すタイプのひとだから。……だからこそ、彼が私のことを大切に思ってくれていることはちゃんと分かっているのに、私からは上手く彼への“好き”を返してあげられていないような気がしてしまって、そんな現状がきっと、私は嫌なのだと思う。

「……、本当に上の空に見えるけど……体調でも悪いのか? 保健室に行こうか?」
「え、ち、ちがうの、全然、大丈夫だから……」
「……本当に? はすぐに無理をするし、意地を張るから、心配だな」
「ほ、ほんとだよ。……大丈夫、ぜんぜん、へいきで……」
「……いや、やっぱり心配だから、せめて今日は早く休んでくれ。まだ離れたくないなんて俺の我儘で引き留めてしまったね、寮まで送るよ。……帰ろうか、
「……あ……」

 大和くんはそう言って部室の椅子から立ち上がると、私の分も学生鞄を手に持って、少しだけ寂しそうに、けれど私に気を遣わせないようにと何でもないふりをして笑う。大和くんが席を立ったことで、私が彼にキスをするチャンスは無くなってしまったけれど、……それよりも、大和くんに悲しい顔をさせてしまったことが、申し訳なくて、……また遠回しな態度で傷付けてしまった、と自分にがっかりする。こんな有様で、恋人以前に何処がマネージャーなのだろうか。
 以前の私は、こんな風に何時だって気丈な彼のほんのすこしの苦悩に、気が付けなかった。彼は自分の弱い部分を隠して、克服し、ひとりで乗り越えてしまう強い心を持ったひとだから、マネージャーであっても恋人であっても、私にはアメフト選手としての大和くんに、彼の弱みを見せてもらうことは叶わない。──けれど、それよりもっと単純なことなら。周囲にパーフェクトと評される大和猛くんという男の子の人間らしい一面ならば、私にはもう見せても平気だと、きっと彼がそう思ってくれたから。大和くんも少しずつでも、私の前で取り繕わないことが増えてきたというのに、……それなのに、こんな風にあなたの悲しい顔を見て、きっとそれを私が取り除けるはずなのに、……寧ろ、私があなたにそんな顔をさせてしまっているというのは、……やっぱりいやだよ、大和くん。

「……?」
「……あの! ……本当に、具合が悪いとかじゃないの……ただ、考え事、してて……」
「……何か悩んでいるのか? 話を聞こうか?」
「……そ、の……」
「……俺には話せない? それなら、鷹や花梨に……」

 自分には話したくないのなら無理をしなくても、なんて。本当はそんなの嘘なのだと、私だって流石にもう気付いている。私が一番頼りにしているのは鷹ちゃんだから、私が一番仲良しなのは花梨ちゃんだから、それなら仕方ない、って。……本当にそう思っていたら、きっとあなたは悔しそうな顔をしたりしないって、ちゃんと分かってるよ、大和くん。……でも、以前の私はそれを理解できていなかったのは事実で、……だからあなたのこと、傷付けてしまったことだって、あるのかもしれない、……だからこそ、今はちゃんと伝えたいのだ、私は。言葉にして、態度にして、……私だってあなたに負けないくらい、大和くんのことが好きなのだと、彼に伝えなければ。

「大和くんには言いづらい、けれど……大和くんにしか、言えない……」
「……うん? 俺にしか言えないことなのに? そうだな……俺は何を言われても気にしないから、気を遣わなくても……」
「……それ、うそだよね?」
……?」
「大和くんだって、嫌なことは嫌だよね。大和くんは優しいから、何でも許してくれるけれど……」
「……俺も、誰にでも優しいわけじゃないよ。は特別なだけだ」
「うん……だから私も、あなたに甘えっぱなしは、嫌で……」
「……そうか、そんな風に考えていてくれたのか、俺は……」
「……それだけで十分だって、そう言おうとしてる?」
「なんだ……其処までバレてるのか?」

 ほんの少しだけ驚いた顔をして目を丸くしてから、ふは、と困ったように少しだけ幼げに笑って、まなじりを下げながら、大和くんは再び私の隣に座り直す。大和くんは、そんなことはないとそう言うけれど、やっぱりあなたは基本的にはとてもやさしいひとだ。それは彼だって時には厳しく振舞うこともあるけれど、それはそうするだけの理由があるからに過ぎなくて、……私はあなたの、そんな風にいつだって優しくて、けれどそれは無償の善行などではなく、その優しさにもしっかりと責任を持って振舞う、そういうところを、好きになったから。……だから、私だってあなたに、とびきり優しくしてあげたいよ。あなたにしてもらって嬉しかったことを、私はあなたにしてあげたいと思っていて、……けれど、あなたが私に対してしてくれることは、恋人らしい情緒の伴った行為が多かったものだから。同じことを返すというのは、精神的にだけではなく物理的にも難しくて、それに恥ずかしい。……けれど、恥じらってばかりでは、あなたに何も伝えられない、よね。──隣に座る大和くんの頬に手を伸ばして顔を近付けようと試みるものの、座った状態でも未だ身長差が邪魔をすることに気付いて、少し驚いた。彼との身長差は全部、足の長さの分だとばかり思っていたけれど、比率を考えればそれはまあ、座高の高さも違って当然か。仕方がないので私は椅子から立ち上がって、大和くんの肩に片手を置いて、今一度、顔を寄せて、──至近距離でじっとこちらを見つめる煤竹色の瞳は、些かの動揺に満ちていた。

「い、言いたかったのは、これです。……大和くんに、キ、スを……したいな、って……おもって……」
「…………」
「……あ、あの、……あのね? 大和くん、背高いから……わたしからはあんまり、こういうこと、出来ないんだけどね……」
「…………」
「でも、ほんとは、……っ!?」

 ちゅ、と唇を重ねて軽く触れるだけのそれも、自分からするとなるといつもよりずっと恥ずかしくて、思わず、すぐに離れてしまったけれど。……わたしのきもち、少しは大和くんに伝わっているといいなあ、って。……そう思いながら、まるで弁明でもするように、こんな真似をした理由を説明しようと試みる私の言葉を遮るように、──ぐい、と。大和くんの力強い腕が私の背に伸びて、抱え込むように私を引き寄せるその力は当然、試合のときのそれよりもずっと弱いのだろうけれど、それでも、私を彼の腕の中に閉じ込めてしまうのには十分だったから。思わずバランスを崩した私は、椅子に座る彼の膝の上に抱きかかえられるような格好になってしまって、あまり暴れるとスカートが捲れてしまいそうだし、大和くんが離してくれない限りはこの体勢から逃れられそうにない。けれど、……黙ったままの大和くんは、私を抑え込むのには片手で十分と言うばかりに、そっと右手を私の頬に這わせて、──そのまま、流れるような動作で少しかさついた彼の唇に、私のそれを塞がれてしまった。それも、先ほどの私がしたみたいに一瞬で離れる軽いキスではなくて、針の目ほどの間だけを離れては幾らか角度を変えて摺り寄せるように、何度も押し付けられる啄みのような口付けに、……私はびっくりして、思わず呼吸を止めてしまって、焦って酸素を取り込もうと開いた唇の端から、──なにやら、生暖かい感触が咥内に滑り込んできて、それでもう私の頭の中は混乱でいっぱいになってしまった。口の中を這いまわる、自分より少し温度の高いそれに舌を絡め取られてようやく私は、私の歯列をなぞっているのが大和くんの舌だと気付いて、……それで私はもう、どうすればいいのか分からなくなってしまって。──やがて、酸素不足で少し視界がくらくらしてきた頃に解放された私は、ぷは、と慌てて息を吸い、へなへなと大和くんの膝の上、彼の胸へと崩れ落ちながら、必死で呼吸を整えるのだった。

「っ、はぁ、は……っ」
「……すまない、……」
「……? やまと、くん……?」
「こういったことはもう少し、我慢しようと……そもそも、の承諾を得てからするべきだと、そう思っていたんだ……」
「……う、ん……」
「まさかからキスしてくれるとは思ってもみなくて、その、高揚して、思わず……すまない……怖かっただろ?」
「……いいよ、怖くなかったから」
「……本当に?」
「うん。……び、びっくりしたし、恥ずかしかったけど!」
「ご、ごめん……」
「……でも、大和くんだから、いいよ……というか、私も勝手にキスしちゃったし……」
「はは、俺はいつでも大歓迎だよ。……なあ、
「なあに、大和くん?」
「……好きだよ、
「……うん、私も、大和くんが好き、だいすき……」

 ──はじめの一歩を踏み出すのは難しくて、けれど、私が少し頑張ると、あなたはいつだってそれ以上で応えてくれるのだと、私はとっくに知っていて。でも、それって不公平じゃない? と思うからこそ、私も頑張ってみよう、なんていう風に思ってみたりもするものの、やっぱりそれすらもあなたは簡単に飛び越えて行ってしまう。きっとこれからも、私があなたを出し抜いたり、ましてやあなたに勝とうだなんてことは、どんなに頑張ったって困難なのだろうなあ。それでも、どうにかしてあなたの喜ぶ顔や驚いた顔を見たいと思ってしまうのは、惚れた弱みというものなのでしょう。それはもちろん、あなたも、私もね。 inserted by FC2 system


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