春によるさざ波

「──という訳だ。はウタカタには帰らん! これは決定事項だ!」
「──だーかーらー! 事後報告やめなさいって言ってるでしょ!」
「そうは言っても、こればかりは仕方がないだろう? なあ、?」
「ねえ、相馬はこう言ってるけど本当なの? 無理矢理にされてるんじゃない? 私が懲らしめようか?」
「……どんな言い草だ?」

 念願叶って、晴れてと恋人同士という関係に落ち着いた俺は、早急に話を纏めつつも、これを期に外堀を徹底的に埋めに掛かることにした。
 まずはともかく、マホロバの里を引き上げて霊山に戻った後には、そのまま参番隊に残留する、ウタカタの里には帰らない、という約束をと取り付けて、霊山に戻り次第に祝言を挙げる旨にも、しっかりと頷かせた。
 それは、の合意も得て決めたことだと、本人の意思確認も済ませているし、の方も気恥ずかしげではあったものの、最終的には俺に同意しているし、……そもそも、俺が贈った簪に求婚の意を籠めることを望んでくれたのは、彼女の方だった。
 確かにから憎からず思われている自覚はあったが、彼女はあまり素直な言葉に出来ない性分だからこそ、……率直な好意を伝えられたあのときには、本当に眩暈がした。……その結果、往来で恋人同士の戯れ合いに及んでしまい、後から案の定、九葉殿に「参番隊を率いている自覚が足りない」と、……俺ももこっ酷く説教を受けたわけだが。

 ──まあ、そんなわけで。事の顛末を報告するという理由も兼ねて、俺とは九葉殿へと話を通しにきた訳である。……それと、遅かれ早かれ、初穂にはウタカタに戻らない旨を説明する必要もあったので、初穂にも同席してもらったのだが。……初穂はというと、一連の説明を終えた俺へと反論の異を唱えた上に、俺が勝手に言っているだけじゃないのか、とまで言い出して、……其処まで疑う必要があるか? と俺が考えていると、俺の隣へと座り、困った顔をしているが、おずおずと口を開いたのだった。

「……初穂、相馬の言っていることは本当だよ。ちゃんと、ふたりで相談して決めたことだから……」
「……それじゃ、本当に本当なの? ウタカタには帰ってこないの……?」
「……うん。ウタカタを離れるのは寂しいけれど……これからは、相馬の傍にいようと思うの」
……!」
「……貴様らの言い分は分かったが、霊山で祝言を挙げるとは本気か? 相馬」
「……ああ。参番隊を率いる俺たちが祝言を挙げるのだから、それが順当だろう。俺としては、気が逸る余りに明日にでもこのマホロバで済ませてしまいたいところだが、……まあ、英雄だからな、そうも行くまい」
「相馬……私はそのような話をしているのではない」
「? 九葉殿?」
「分からぬか。……ウタカタのモノノフが総出で里を空けることなど叶わぬぞ。はそれで構わぬのか」

 九葉殿は厳しい方だが、本質的には非常に部下想いであり、更にはこの御仁は、ウタカタのモノノフたちを非常に気に入っている。──現にこうして、マホロバでのお頭選儀の同行者として、や初穂を武官に選ぶ辺りからもそれは誰の目にも明らかであり、──故に九葉殿は、のことを気に掛けているのだった。
 確かに俺は、百鬼隊・参番隊の隊長で、は参番隊で俺が唯一背を預けられるだけの実力者として、既に霊山でも一目置かれている。──だがしかし、同時にはウタカタの里のモノノフ部隊、その隊長でもあるのだ。現在は既にその役目からは離れているものの、ウタカタにも彼女を大切に思う奴は多く、それはの側にも同じことが言える。……だからこそ、九葉殿は暗にこう言っているのだ。俺の手前勝手な理由だけで霊山での婚儀を執り行う方針で話を進めて、は本当にそれで構わないのか? と。

 ──ウタカタの里から霊山までは、馬を飛ばしても移動に六日は要する。それほど遠く離れた霊山まで、ウタカタのモノノフ総出で祝いの席に出席することは、流石に難しい。再度のオオマガドキを未然に防いだとはいえども、ウタカタの里が東の最前線であることには変わりがなく、仮にモノノフたちが出払った状態で強襲を受ければ、東は今度こそ壊滅することだろう。そんなものは俺もも、それに奴らの誰も望まん。……だからこそ、霊山で祝言を挙げたのなら、ウタカタのモノノフからの祝福を受けることは叶わなくなるのだ。……そして無論、その中にはあいつも含まれる。

「……皆に、祝って欲しい気持ちはあります。でも、改まってというのは、ちょっと……」
「何だと?」
「……結局、私が押し負けたのかって、皆にそう思われそうで……」
「それは当然だろう」
「実際、俺の粘り勝ちだからな」
「そ、相馬うるさい! ……と、ともかく、気恥ずかしい気持ちも強いので、何も無理にとまでは……」
「……そうか。まあ、霊山に戻るまでまだ日もある、十分に考えてみるがよい。……相馬、取り計らってやれ」
「……ああ、無論だ、九葉殿。夫となる甲斐性くらいは見せるとも」
「……ちょっと相馬! あのね、まだこの子はウタカタのなの! 旦那面やめてくれる!?」
「は、初穂……」
「ハハハ、早く慣れておいた方が身のためだぞ、初穂?」
「うるさい!」

 仮に、霊山ではなくウタカタの里で、俺との祝言を挙げることもまあ、可能ではあるだろう。──ただし、霊山から遠く離れたウタカタの地では、霊山ほどの物資や設備にも恵まれず、盛大に執り行うと言うのは、些か難しい。積み荷を用意して向かったとしても、馬に乗せられる量には限りがあるし、荷物が増えれば増えた分だけ到着も遅くなる。……それに何より、百鬼隊の俺たちの婚儀でありながら、モノノフの総本山である霊山ではない場所で、というのは、霊山君の面子を潰すことにもなりかねない。俺が英雄ではなければ、話も違ったのかもしれないが、まあ、こればかりはそうもいくまい。
 九葉殿とて、それはあの御仁が一番理解しているのだろうから、無責任にウタカタでの婚儀を勧めてくるわけでは決してなかったが、……まあ、あの御仁の本音としては、それを望んでいるのだろうとは思うし、……俺も、何よりもウタカタのあいつらに祝って欲しいという気持ちはある。……そして、それは俺よりもの方が強く抱いている気持ちなのだろうということもまた、俺には分かっているのだ。

「──という訳で、霊山での婚儀を済ませた後に、何としてでも休暇を取り、新婚旅行に行くぞ!」
「……は……?」
「ん? なんだ、知らんのか? 新婚旅行というのはな、日ノ本では坂本龍馬が最初に……」
「いや、それは知ってるけれど! ど、どういうこと? 話がまるで見えないのだけれど……?」

 九葉殿と初穂への報告を終えて、九葉殿の部屋を後にしたのちに、カラクリ使い達との待ち合わせへと向かった初穂とも別れて、久音殿の店で休憩でもするかとと話しながら店内へと入り席に着いて。軽く茶と菓子を注文してから、と取り留めのない会話をして、──それで、その間にもぼんやりと考えていた、先ほどの九葉殿との議題に対するひとつの答えがふと思い浮かんだ俺は思わず、その提案を口にしたわけだったのだが、……当のはというと、湯飲みを両手に抱えたままで、ぽかん、と小さく口を開けて俺を見つめている。……この小さな口もまた、の可愛いところだ、というのはまあ、一旦横に置くとして。俺は身振り手振りを交えつつ、への解説を再開するのだった。

「まず、霊山で婚礼を執り行なう理由だがな。俺たちは共に百鬼隊の人間で、霊山軍師の九葉殿の武官でもある。霊山で祝言を挙げるのが尤も理に適っているだろう。霊山君の顔を立てる意味でもな」
「……うん、それは私もそう思う。相馬の考えに異論はないよ」
「……つまり、祝言を終えた後のことは、俺たちの自由だ」
「? うん?」
「そこで、祝言の後に新婚旅行という名目でウタカタに向かう。形式としては既に婚儀は済んでいる訳だ、……まさか、再度の婚儀を行うためにウタカタに向かおうとは、誰も思わんだろう?」
「……相馬、それって……」
「ああ。……だから、霊山とウタカタとで、二度祝言を挙げないか? まあ、二回目には儀式的な意味などはないが……、奴らと馬鹿騒ぎする名目としては十分だろう。どのみち、あいつらに報告はしたいところだしな。ついでに久々のウタカタで羽根を伸ばすとしよう。……どうだ、?」

 ──我ながらこれは名案なんじゃないか? と、……そう思いながらも、俺が提唱した計画を聞き届けるとは、ふっとちいさく笑って、……柔らかなその微笑みを彼女が俺へと向けてくれようになったことに、……祝言までにはどうにか、多少は慣れておきたいところだな。……これはなかなかどうして、心臓に悪いものだ。

「相馬、わたし……」
「……ああ、なんだ?」
「……相馬のそういうところ、好きだよ」
「…………」
「…………」
「……頼む、今のもう一回言ってくれ」
「や、やだ! ……相馬のそういうところ、好きじゃない!」
「何を言う、嫌いでもないのだろう?」
「……し、知らないっ」
「ハハハ、照れるな照れるな」
「照れてないから!」

 ──まあ、不慣れなのはお互い様で。……頬を牡丹の色に染めて、すっかりとそっぽを向いてしまったの方が、俺よりも余程、気恥ずかしそうに愛らしく振舞ってくれるお陰で、俺はどうにか年上の男としての面子を保てている訳でもあるから。……それには、俺も感謝しているがな。 inserted by FC2 system


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