おろしたての朝にくるまる

 俺はから間違いなく心を許されているという、その自信は十分にある。──では、心以外は? ……と言うと、……正直なところ、それはどうなのだろうかと、俺は皆目見当も付かずにいるのだった。
 さて、長らく想いを寄せながらも、猛烈な勢いで口説き続けてきたが、ようやく俺の言葉に頷いてくれて、現状のマホロバへの滞在を終えて霊山に帰還次第にはなるが、俺との婚儀の約束もしっかりと取り付けて。俺はと、恋仲に落ち着いた訳ではあるが。
 こうして、現在、束の間の恋人期間を満喫しているとは、元々友人同士だった頃から、大分距離が近い方だった。それは、俺がに想いを打ち明ける以前にも大差はなく、それは気の置けない戦友だからこそ、この距離感、というところでもあり、──俺がを好いていると知ってからは、多少はも意識してくれていたのか、俺がに対して距離を詰めてくることに幾らかは警戒していたようだったが、それでも、気が緩んだり高揚していると、はそんなことも忘れてしまうのだった。多少の距離を取ろうと試みたところで、俺とは最早、適切な距離感などが分からなくなってしまっているほどに互いが互いの領域を侵食していて、──だからこそ、俺は。現在のとの距離感が、俺を恋人として許容しているからこそなのかと言われると、……正直、どちらなのだろうか、と疑問に思うところではあった。

「──……でね、そのときに初穂と、カラクリ使いくんがね」

 小鳥が囀るように高くて可愛らしい声色で、くるくると表情を変えながら、“本日に見かけた楽しい出来事”を、俺へと話し聞かせているは、どうやらおしゃべりに夢中なようで、いつもよりも些か、俺との距離が近かった。
 恋人同士に収まってからというもの、俺とは毎夜こうして、どちらかの部屋で語らいの時間を設けている。──まあ、それ以前にも似たような習慣は度々あったのだが、以降は意図的に日課になった、宿舎に与えられた俺の部屋で今日の出来事を語らうこの時間は、俺にとって日々の憩いとも言えるものになっている。
 霊山への滞在中や、任務地を転戦している際にも、が参番隊に来てからは長らく、こうして、夜には互いの部屋で語らうのが習慣となっていたが。恋仲に落ち着いてからは尚更に、お互いに日中は九葉殿の命やらで単独で動いていることもあれば、後輩たちの世話に回っていることもあるし、部下の相手をしていることもある。故に常にふたりで共に居られるわけではなかったからこそ、その日の出来事はその日のうちに互いに報告し合おう、と話し合って取り決めたのだった。
 そうして、すっかり日課となったこの時間に関しては、俺だけではなくとて楽しみにしてくれているのが彼女の明るい声の抑揚だとか、表情の華やぎだとかそういった反応から、はっきりと見て取れるので、それに関してはからの好意と信頼を実感できて、俺も非常に嬉しい。

「──それで、博士がね、時継と焔にね」

 ──そう、嬉しいのだが。──異界より戻り、禊も済ませて寝支度もとうに整えた、夜着の薄い浴衣には、肩を冷やさないようにと羽織を掛けてはいるものの。参番隊の隊服に武装した日中と比べると、何処も彼処も緩くて防御力の低そうなその恰好で、は話に熱中するものだから、座り方を変えたりするたびに軽くはだけていた浴衣の合わせ目からは、今やまっしろなふくらはぎが覗いているというのに、──どうやら、は未だその事実にも気付いていないらしい。……あまりにも、其処ばかりを凝視したのでは流石に無礼だと思って顔を上げると、今度は胸の谷間が覗くのだから、……そりゃまあ、此方としてはたまったものではないと言うのに。

「……相馬? 聞いてる?」
「……ああ、聞いてるが……」

 あからさまに上の空、といった返事が口を吐いたことを取り繕うよりも何よりも、俺の視線はすっかりへと釘付けになってしまう。──恐らくは、俺に気を許しているからこそ、なのだろうが。──俺の隣で、横座りの格好で、足をあちらへと伸ばしているものだから、必然的に俺との距離が縮まって、上目遣いに俺を見上げることになっているのも、はあまり気にしていないのか。……至近距離で不思議そうにこちらを見つめてくる無垢な瞳に、──俺は、どうにも。のんびりと語らい合うなどという気分では、とても居られなくなってきてしまった。

「……? 相馬……?」

 ──するり、と。白い手に指を這わせるたびに、柔らかで小さなこの手が、あんなにも頼もしく武器を振るうことを信じられなくなりそうだと、そう思う。ましてや、この華奢な手の持ち主を化け物か何かのように形容し、吹聴していた連中のことはやはり許せんなと俺はそう思うのだった。そうして、すりすりとの手を指先で撫でまわしていると、最初はくすぐったげに目を細めていたも、──次第に、俺の意図に気付いたのか。ゆうるりと這い回る指先に手を絡め取られながら、──気付けばは、顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。

「……
「な、なに……」
「顔を、見せてくれないか」
「……や、やだ……」
「何故だ?」
「……いま、ぜったい、顔あかいから……」

 交渉次第では考えてやっても良かったと言うのに、お前がそんな風に可愛らしいことを言うものだから、空いた片手で頬を撫でながら強引に此方を向かせると、うう、とは小さく声を漏らして、しどろもどろに目を泳がせている。──楽しくおしゃべりをしていたはずなのに、どうしてこんな空気になっているの、と。その顔にはっきりとそう書いてあったが、彼女の無言の訴えにも、気付かない振りを押し通そうとする俺はきっと狡いのだろう。
 が俺よりも年下で、駆け引きなどという発想が未だ彼女には存在しておらずに、当然ながら、自分の方がこういったことでは彼女よりも何枚も上手だと言う自覚があるからこそ、俺は今もこうしてを振り回していて、──だからこそ、この先に踏み込む権利について、俺は考えてしまうのだった。

 告白の返事を受けた際には、思わず高揚して、強引に唇を塞いでしまったが、……この先もずっと、に愛想を尽かされずにふたりで連れ合っていきたいからこそ、あまり乱暴だったりだとか、強引な真似をするのは憚られて、──しかしながら、の性格上、彼女の方から許しをくれるというのはあまり期待出来ないだろう。……だからせめて、俺は見極めたいのだ。──心は、間違いなく、奥深くまですべからく許されている。それならば、……身体の何処までならば、俺が触れることを彼女は許してくれるのだろうかと、俺はそれを知りたい。

 尚もすりすりと柔い手を撫でまわしながら、軽く持ち上げたその指先に向かって、わざとらしく音を立てながら何度か唇を落としてみる。びくり、と大袈裟なほどに、柔い刺激に反応して揺れるの目をじいっと見つめて、赤ら顔を正面から見据えると、……は何かを言いたげな様子で、しかしながらうまく言葉には言いだせんらしい。……だが、緩い手で握っているだけの俺の手を、振り解こうなどという素振りは決して見られずに、もじもじと落ち着きのない様子で、されど、俺を見つめて頬を染めているは、……やはり結局は、決して悪い気はしていないのだと、これは、そう思って構わんな?

「……
「……うん」
「手の甲以外にも、口付けても構わないな?」
「……良い、よ……相馬の好きにして……」

 ──初めての口付けは、俺が無理に迫ったから。「強引すぎ」「あんまり勝手にしないで」「相馬の馬鹿」とに散々なじられたからこそ、今度はしっかりと同意を得てから、二度目を済ませたいという俺の意向にどうやらも気付いたのか、……だからこその「好きにしていい」というその言葉には、前回は流石に強く言い過ぎた、という、そんなの可愛らしい後悔と懺悔も含まれていたのだろう。──そう、その言葉には、その程度の意味しか籠められていないと、俺とてそんなことは分かっているのだが、……そう、分かっているのだが。──こうして、好きな女に散々振り回された後で、ようやく手に入れたこの権利の前で、……やはり俺は、年甲斐もなく幾らか、盛り上がってしまっているらしいな。

「──許可は取ったからな?」
「え? は……?」

 ──ぐっ、と俺の力で肩を押されれば、如何に歴戦のモノノフであろうとも、の薄い身体などは簡単に畳の上に転がる。が頭をぶつけないようにと差し入れたてのひらでがっちりと後頭部を抑え込んでから、無防備に天井を見上げるへと馬乗りになると、それでも、やさしく努めて、……まるで抑えの効かない欲などは、どうにか隠し通しながら、そうっと、その柔らかな唇を塞いで、俺は。──さて、この状態からどれだけ、の呼吸を奪って彼女の心を乱してやれば、……もっと俺の好きにしてほしいと、俺に触れて欲しいのだと、……どうすればそんな風に、鈴の音のような愛らしいその声に、乞わせることが叶うのだろうかと、──そんなにも、碌でもないことを考えながら俺は、躍起になって己の鬼の面を覆い隠して、の目を塞ぐのだった。 inserted by FC2 system


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