日に日に夜はやわらかく

 という女は、かつてのあずまの地の生き残りだ。──十年前のオオマガトキの際に、参番隊はあずまの地にて生き残りを探したが、既に一足遅く、生存者のひとりも見つけることが叶わなかった。──しかし、それから幾年が過ぎ去った二年前のこと。俺は、ウタカタの里で新たに隊長の席に収まったモノノフが、あずまの地の生き残りであることを知ったのだ。
 ──そのときに俺が感じた喜びが如何ほどのものだったことか、きっと、他の誰にも理解はされても実感などは得られんことだろう。──生きていた、生きていたのだ! 当時俺たちが救えなかったと思っていた、──実際に、俺達には救えなかったあずまの人間が、自力で生き延びて、それも現在はモノノフとして、東の最前線──此処が落ちれば東は壊滅すると言っても過言ではない、ウタカタの里を率いて、──トコヨノオウとの戦いでも、部下達を率いて、オオマガトキの再来を防ぎ、あずまの生き残りが世界を救ったというのだから心底驚きだ。

 ──そうして、俺は是が非でも、あずまの生き残り──に会ってみたいと、そう思ったのだ。

 その後、運良く九葉殿の護衛付きの武官として、参番隊を率いてウタカタの里を訪れることとなった俺は、其処で、ずっと会ってみたかった連中に出会った。──初対面こそは、何気ない言葉でを傷付けてしまい、当初は警戒されていたものの、任務を通して見えたふたりの人柄は俺にとって好ましいもので、同じく隊長という立場であることも伴い、俺はふたりと次第に打ち解けていった。
 何しろ、奴らもある意味ではオオマガトキの英雄だ。オオマガトキを生き延びて、その再来を祓った奴らは周囲から英雄と呼ばれており、そんなところもまた、俺にとって親近感を覚える類のもの、だったのだろうな。
 そうして、俺は奴らと気の置けない友になったわけだが、──俺はと言えば、と出会ったそのときから彼女に見惚れており、モノノフとしての技量や度胸、人となりを傍で見ているうちに、当初は些細な一目惚れに過ぎなかったはずが、すっかりとに惚れ込んでしまい、──それで、自然と言葉が零れ落ちてしまったのだ。……「参番隊に来い」と。

 ……まあ、順当ながら、にはその誘いも断られてしまった。
 もしも、が霊山に来ると言ったのならば、もそれに倣うかもしれないが、よりも遥かに強情であったし、あいつがウタカタを離れることはきっと無いのだろうと俺にも分かる。それに、流石にふたり纏めて引き抜いては顰蹙ものだろう。

 そうして、俺もその場では物分かりの良い対応をしたが、ウタカタでの一連の騒動が落ち着き、もうしばらくはこの里に留まる方針で九葉殿からの指示が下りた後で、──俺はこの間に、どうにか勝負を決めねばならんと、そう思ったわけだ。
 それまで、俺はに対して、基本的に同じように接していた。まあ、無意識にの方を多少甘やかすことくらいはあったかもしれんが、原則的には対等に扱っていたつもりで、その理由は何よりも、がそう扱われることを望んでいるように、俺には見えていたからだ。

 幼馴染のは、あずまの地で生まれ育ち、オオマガトキの後には、外様である苦労を分かち合いながらも、共にモノノフとして生きてきたらしい。そうして、やがて配属されたこのウタカタの里にて、ふたりは頭角を現し隊長にまで上り詰めたが、しかし。──“今生のムスヒの君”と称されるは、周囲から特別な人間として扱われており、は恐らくだが其処に引け目を感じている。
 きっとは、のようになりたいのだろうと思ったからこそ、俺は彼女への接し方が甘くなり過ぎないように心掛けていた訳だったのだが、……そう、だったのだが。これは、逆効果なのではないかと、あるときにそう思ったのだ。

 奴らがあずまの地を脱出した際、は鬼の強襲により怪我を負い、自力で走ることも儘ならない状態だったそうだ。それも、不慣れな強い瘴気が充満する異界と化したその地獄で、は一度、逃げることを諦めたのだと、本人がそのように話していた。
 ──だが、が彼女を助けたのだ。絶対にを死なせないとそう言って、彼女を背に担ぎ、異界を必死で駆け抜けて、──そうして、本当にを助け出した上で自らも生き延びてしまった。
 霊山では、ウタカタの隊長とやらは、やれ素手で鬼の腕を引きちぎるだとか、やれその顎で鬼の角を噛み砕くだとか、尾ひれが幾重にも付いて、まるで化け物か何かのように噂を囁かれていたが、実際のところ、という人間はそのように形容されるのも納得できる人物だった。瘴気の中を人を担いで逃げ延びるような人間は、早々居るものではない。──まあ、“ウタカタの隊長”という曖昧な表現により風評被害を負っていたは、こいつの何処が化け物だ? と首を傾げたくなるほどに、可憐な女だったわけだが。

 かつて救われたことを理由に、を強く慕っている。元々、幼馴染で仲が良かったのもあるのだろう。はいつもの背を追いかけて、はそんなを溺愛しており、過保護すぎるほどに庇護しているのだ。──それは、俺にとって些か都合の悪いものでもあったが、流石に割って入ろうと思うほど、俺も無粋ではない。
 それに、──俺がと出会い、彼女を愛したのもすべては、のお陰なのだ。あいつがあずまの地で、を助け出していなければ。──きっと俺は、あの日、あずまの地に横たわり冷たくなったを見つけることになっていたのだろうと、そう思うと背筋が冷たくなる。は俺にとって、あずまの地を救えなかった後悔をほんの少しでも和らげてくれた、……そんな恩人だったから、があいつを慕う気持ちは、俺にも理解できるし、が其処までして救ったから引き離そうと思えるほど、俺も外道ではなかったのだ。

 だからこそ、を慕うの気持ちを尊重してやりたいとそう思っていた訳なのだが、──そうは言っても、彼女に惚れている俺としては、まずに自分とは違う人間なのだとそう自覚してもらう必要がある訳だ。……まあ、間違いなくそれを誘導すればに睨まれるだろうとは思ったし、も苦悩するかもしれないが、それでも。
 ──いつまでもに負い目を感じているのは、きっと、もつらいだろう。一歩離れて、成長し、対等に背を預けられるモノノフとなるための環境を、俺なら整えてやれる自信があった。──それに、が傍に居てくれたのなら、俺はどんな鬼にも負けない自信もあった。お前ひとりではに劣るかもしれないが、俺とお前ならば、だって軽くのせてしまえるとは思わないか? と、……そう言って、懲りずに何度も何度も彼女を参番隊に勧誘して、お前を愛していると、正直に伝えたその想いの丈も飽きるほど口説き聞かせて。

 ──やがて、霊山へと引き上げて、通常の任へと戻った後でも、霊山からは馬を飛ばしても六日は要するウタカタの里まで。只、に会いたかったというだけの理由で俺は通い詰めていたのだから、口では何を言ったところでとて、俺が如何に本気なのか否かなどは、当に理解できている筈で、──理解した上で、仮配属だの修行だのという取って付けたような建前の理由を用意してまで、六日も掛けて霊山を訪れて、彼女は参番隊に入ったのだから。……まあ、脈は大有りなのだということも、正直なところ、俺はとっくに気付いているさ。

 ……だが、まあ。が俺に素直になれないのもすべては、俺が初対面時に口を滑らせたことが尾を引いているのだとすれば、それは俺に責任がある。……だからこそ、これでも、ちゃんと待ってやろうと思っているのだ。が自分の意志でしっかりと答えを出して、俺に告げてくれるその日を、俺は辛抱強く待っている。……実際のところ、既に二年以上もの答えを待っているんだぞ? への迫り方が強引だと周囲からよく咎められるが、俺としてはこうも気長に、十分控えめに口説いていると言うのにな、全く。 inserted by FC2 system


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