綿菓子と矜恃

 人間というものの感情という機能は、基本的に、一度嫌いになった相手と和解することは難しいように出来ている。
 もちろん、例外は存在するものの、根本に深く残ってしまった棘だとか、一度失われた信頼だとか、そういったものを取り返すのは難しく、基本的には一度嫌悪を抱いた時点で、修復は出来ない場合のほうが多いのだ。
 例外的に、喧嘩をした後で関係性が修復される場合もあるが、──大抵の場合、“そもそも相手を嫌ったりなどしていない”からこそ関係の修復も可能であるという、それだけの話であることが多い。そもそもの話、相手に嫌悪感などは抱いていないのだから、争いになった原因が解消されたり、相手から謝罪があったりいう簡単なことで仲が修復できるのは、後者の場合が多い。

 ──結局のところ、これも、つまりはそういうこと、でしかないのだろう。
 私は、──初対面の頃からずっと、相馬を嫌っていた訳では無いのだという、きっとこれは、それだけの話なのだ。

 相馬が初めてウタカタの里を訪れた際に、──私は、本当は相馬のことを、羨望の眼差しで見つめていたように思う。
 あずまの地の出身で、外様にあたる私は、オオマガドキの当時は今よりも子供だったし、当時の戦いが如何ほどのものだったのか、実感をもって理解することは叶わなかったけれど、──それでも、百鬼隊の参番隊──相馬の率いる部隊が、あずまの地を救おうと奔走し、助けに来てくれたことを私は知っている。
 残念ながら、それよりも先に脱出したと、隊長に助けられて逃げ延びた私以外の誰一人として、あずまの地に生き残りは居なかったそうだけれど、──それでも。
 相馬は、既に手遅れと思われていた、誰も彼もが諦めてしまった私の故郷を、諦めずに救おうと必死で駆け付けてくれたひと、だった。

 なにも当時、私が相馬に出会っていた訳では無いし、霊山にてモノノフとしての訓練を受けていた頃だって、任務地に出向いていることの多い参番隊の相馬と顔を合わせた試しなどはなく、それどころか、遠巻きに参番隊を見かけたことさえもない。
 それでも、“百鬼隊参番隊・隊長の相馬”なるモノノフが、当時あずまの地を救おうと手を伸ばしてくれた中で唯一の生き残りらしい、ということは訓練生の私でも知っていて、漠然とした憧憬と感謝とが、確かに、私の胸にはあったのだ。

 そうして、オオマガドキから数年後のウタカタの里にて、九葉殿の護衛付きの武官として参番隊を率いる相馬との邂逅を果たしたとき、──確かに私は、胸が熱くて堪らなかったのを、覚えていて。……けれど、ずっとずっと、そんなものは無かったことにしてしまっていた。
 ずっと憧れていた参番隊の隊長は、ウタカタのモノノフ部隊の隊長となった私にとって、隊長職の先輩でもあり、相馬は私より幾らか年上で、ウタカタのモノノフは私も含めて比較的に平均年齢が低いこともあって、尚のこと相馬は、私には頼もしい大人のように見えたのだ。──そう、第一印象は、確かにそうだった。ずっと密かに憧れていて、初めて顔を合わせてみたら大人っぽく見えて、けれど意外と童顔で、笑うと子供っぽいところも、見つめているとなんとなく気持ちがそわそわして、──まあ、そんなものはすべて、口を開いた相馬に叩き壊されてしまったけれど。

 ──それで結局、私が相馬に抱いていた何かは、漠然とした憧れ以上の何者にもなることはなかったし、その後、任務を通して相馬とは戦友と呼べるような間柄になっていったし。
 確かに、相馬は隊長としては頼もしいけれど、思っていたよりも子供っぽかったりするのだなあ、という一面も次第に見えてきたりもして、気付けば私が抱いていた相馬への印象などはすっかり塗りかえられてしまっていたし、……無意識のうちに、私はそれ以上、深く考えないようにしていた、というのもあったのかもしれない。

 ……これを、認めてしまうのは、本当に悔しいけれど。
 もしも相馬が、開口一番に私とを揶揄うような言葉を言っていなかったのなら。それから、相馬が事前に思い描いていたような、大人っぽくて落ち着いた参番隊の隊長、というような人物像だったのなら。……私は、相馬に恋をしていたのかもしれないな、と正直なところ、私は思う。
 ──まあ、相馬は木綿ちゃんのことが好きなのだと以前は思っていたし、木綿ちゃんとの年齢差をよく考えろと呆れ顔をされたときには咄嗟に何も言えなかったけれど、私だって相馬からすれば十分に子供であっても可笑しくないと思うのだけれど。……でも、相馬は堂々と、私のことは女として見ている、と。……そんなことを、急に言い出すんだもの。

 もしも私が、相馬のことを嫌いだったのなら。好意を告げられても迷惑に感じたはずで、その場で断ってそれで終わりだったはずで、……混乱して逃げ出したのは、“その場では答えが上手く出せなかったから”、だ。初対面で言われたことを気にしてはいても、その後は友人の距離感になれたのは、相馬のことが嫌いじゃないから。相馬との一定の関係値と彼への好感とが、私の中では存在していて。……それも、彼が私にとって恩人に当たるからなのだと、私はそれを知っている。
 恩義を感じたからこそ、淡い恋心めいた憧れを彼に寄せていた私は、相馬が木綿ちゃんに向けているそれも、自分と同じものなのだと、そう思っていた。……だから、理想と現実との乖離もあったけれど、きっと私は、相馬を好きになっては駄目なのだろうなと、……そう、無意識のうちに、自分に待ったをかけてしまったんじゃないかなあ、とそう思う。……だって、相馬にとって私は、まるで女とは思えない相手で、その上に相馬には想う相手が居て、……抱いたところで、そんなものは見込みのない恋だと最初から思っていたから。
 けれど、相馬は木綿ちゃんに抱いているのは兄のような気持ちだと、そう言うものだから。……まだ顔も知らなかった頃、彼に対して幼い初恋にも似た機微を向けていたこちらとしては、ぎくり、と居心地の悪さを覚えてしまったというところも、大いにあるし、……相馬と比べると、まるで自分だけが子供のように思えてしまったのだろうな、あのときは。──彼の言う“女扱い”という私への甘やかしも、以前は子ども扱いだとばかり思っていたし。

 ──けれど、ウタカタの里を離れ、霊山で参番隊として励み、マホロバの里での事態収束に尽力した今、──いろいろな場所で、様々なひとたちと関わって、それで。……相馬が木綿ちゃんに向ける気持ちは、私がに向けている気持ちに近しいのかもなあ、と。──最近になって、少しずつでも、彼の考えていることを理解できるようになってきたような、そんな気がするのだ。
 私はのことが好き、──それは、家族に向ける情なのだと、私はそう思っている。隊長もまた、相馬と同様に私の恩人で、私はに一度命を救われているからこそ、次は私が護ってあげたいとそう思っているけれど、……多分きっと、相馬もそうなのだ。命を救ってくれた木綿ちゃんが危機に晒されるようなことがあったなら、きっと助けてあげたいし、そもそもそんな事態は未然に防ぎたいのだという、木綿ちゃんを庇護したい気持ちはきっと、……私がに、が私に、それぞれ向けているそれと、同じ類の情なのだ。
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