逆回りのぬかるみを抜けて

「──ほら、。以前に言っていただろう? お前に似合いそうなものを見つけておいたぞ!」
「……? 以前に……? 私、何か言ったっけ……?」
「良いから、早く中身を見てくれ」
「う、うん……?」

 ──滞在中のマホロバの里にて、初穂と共にカラクリ使いたちと博士の屋敷で話し込んで、このあとで探索に向かうという彼らとは別れて、私は宿舎に戻って武器の手入れでもしようかと思い、ひとりで里を歩いていると、「──!」と、私を呼ぶよく通る声が聞こえた。ぐるり、声がした方へと振り返ると、少し離れた場所に相馬を見つけて、ぶんぶんと手を振りながらも此方へと駆けてくる相馬がやけに上機嫌だったものだから、どうかしたのだろうかと思いながらもひらり、と手を振り返してその場で相馬を待っていると、私の目の前まで走ってきた相馬は、得意げに小さな包みを私へと付き渡し、手の中へと握らせてくるものだから、──私は一連の流れの中で、呆然としながらも、成されるがままにそれを受け取ることしかできない。
 ──そうして、急かされるがままに、草花で染色された淡い色の和紙による包装をかさり、と解くと、中にはきれいな髪飾りが収まっていた。漆塗りの艶やかな簪で、先端にはつまみ細工の花飾りと、ガラス細工やトンボ玉がいくつも連なっており、しゃらしゃらと揺れるそれは日の光を吸い込んできらきら輝いて、視界がちかちかして、思わず感嘆が漏れていた。

「……きれい……」
「そうだろう? これを見つけたときに、まさしくのために造られた品だと確信してな!」
「私の……え、じゃあこれ、私が貰って良いの? くれるの?」
「ああ。その為に用意した品だ、お前に受け取ってもらわねば困る」
「でも、……急に、どうしたの? 何か約束とかしてたっけ……?」
「あのなあ……先日、お前が言っていたんだろう? 紅月が付けている髪飾りが羨ましいと」
「……あ」

 ──そう言われてみると、確かに、そんなことを言ったかもしれない。紅月さんが付けている髪飾りと、それから耳飾りも可愛くて、私は思わず相馬に、……ああいうのって何処に売ってるんだろう? 霊山のお店とかに売ってる? 相馬、そういうお店って知ってたりする? ……と、確かに、相馬にそんなことを尋ねた記憶がある。
 霊山からも遠いウタカタの里には、装飾具を売っているようなお店はあまりなくて、霊山に移り住んでからも、霊山に滞在している時間よりも任務地に出向いている時間の方が長かったし。そもそも、今までは修行のために霊山を訪れたという意識が強すぎて、……少しずつ気持ちの整理がついてきた最近になってようやく、自分の興味関心を優先する、ということを私は覚え始めたものだから、そのときも、何の気もなく相馬に聞いたのだと思う。紅月さんと相馬は旧友でもあるし、何か知っているかもしれないと思ったのだ。
 何しろ、相馬はオオマガドキ以前からモノノフを続けている訳で、霊山暮らしも長いし鬼内だし、霊山だけではなく、他所の里のことにも詳しそうだし。……それに、相馬って結構女性からも好かれやすいようだから。きっと、女のひとが喜ぶようなお店とか、詳しいんだろうなあ、だとか。……そういう、身勝手な嫉妬めいた気持ちもあったのかもしれない、けれど。

 ──ともかく、マホロバはウタカタよりも霊山に近い分、霊山からの物資も届けやすいだろうし、もしかしてマホロバにもそういうお店があるのかな? なんて話を相馬とした記憶はあるけれど、……その話題が、その場のそれっきりになってしまっていた間にも、相馬はどうやら、私の言っていた言葉を覚えていたようで、簪を用意してくれたのだと言うものだから、私は開いた口がすっかり塞がらなくなってしまっていた。

「紅月に訊ねたところ、マホロバに服飾品を売っている店があると言われてな、なんでも、よろず屋と提携して珍しい品を置いているらしい」
「そう、なんだ……」
「店主に、珍しい簪が入ったら俺に教えてくれと頼んでいてな、今日知らせが入って見に行ってみると、この簪を出されたわけだ。で、これは必ずに似合うと思ってな……」
「え。……きょ、きょう? 言ってくれたら、私も行ったのに。……というか、私が言い出したんだから私が買うよ。幾らだった?」
「は? ……何を言っている、これは俺からのへの贈り物だぞ、金などと……俺の面子を潰す気か? こんなときくらいは年上の顔を立てろ」
「で、でも……相馬に買って貰う理由なんて、私には……」
「それこそ、幾らでもあるだろう? 惚れた女に尽くすのも男の喜びだからな。……どれ、早速着けているところを見せてくれ。俺が着けてやろう、……髪に触れても構わないな?」
「う、うん……」

 ──後から冷静に考えたのなら、その場で髪を結って貰う前に、まずは宿舎に戻ってから、そのやり取りをするべきだったのだと、そう思う。往来で多少は人の目もある場所で、参番隊の隊長とウタカタの隊長が私的なやり取りに浸るのは如何なものかと、……九葉殿が見ていたらそんな風に言われそうだなあ、なんてぼんやりと思って、私のてのひらに乗せられていた簪を手に取り、器用な手付きで私の髪を梳いて結い直す相馬の真剣な表情を、手鏡越しに見つめていると、気持ちがそわそわして、……結局、彼のことを知らなかった頃のような気持ちには、彼をよく知った今でもこんな風に、私は苛まれているわけで。
 ──やがて、「ほら、出来たぞ」という相馬の声でまじまじと鏡を覗き込んでみると、頭上にてきらきらと太陽の光を反射するそれが誇らしげに輝いていて、その美しさに、わあ、と思わず再度の感嘆が漏れていた。

「……やはり似合うな、俺の見立てに狂いはなかったようだ」

 そう言って満足げに微笑み、顎を擦る相馬は、……この簪を受け取ったならきっと、いつものように騒ぎ立てるのだろう、そうして、私はまた相馬に振り回されるのだろうと、そう思ったのに、……その覚悟で、受け取ってしまおうと決めたのに。こういう時に限って、それ以上は何も言及してくる様子が見られないものだから、……きっと、こういうところが私よりも上手で、同時に、私が彼の気持ちを素直に受け取り切れない理由なのだろうなと、そう思う。
 ──男性が女性に簪を贈るその意味が、求婚の懇願であることを。……まさか、この男が知らないはずなど、ある訳もないと言うのにね。

「……相馬、この簪って……」
「ああ、なんだ?」
「……只、私に似合うと思って、それで贈ってくれただけ?」
「……深い意味があるのかどうか、と聞きたい訳か?」
「……それは……」
「……まあ、気にするな! そういう意味だ、と言ったならお前は受け取りづらくなるだろう? ……これは、どうしてもに持っていて欲しいんだ。お前の都合で解釈して構わんさ、俺がどうこうと追及することもないから、安心しろ」

 ──それって、そういう意味だと言ってしまっては、私が受け取らなくなるからと、そういう意味? ──どうして、いつもはあんなに強引な癖に、こういうときばかり、“肝心な時に限って”、あなたって本当に、なんだって他人を優先してしまうのだろう。……ほんとうに、そういうところなのだ、この男は。身の丈以上に英雄然と振舞うこのひとの心と体を傍で守りたいと思って、だからこそ私は此処に居るのだと言うのに、……私のことまで、その線の外側に置くのは絶対にやめて欲しいし、そんなのって、私には我慢がならなくて。

 ──だから、もう。……此処で終わりにしよう、と。そのとき、急にそう思ってしまったのだ、私は。
 これ以上のいたちごっこなど、きっと何の意味も無いはずだから。……もしも、突き放されたならどうしようと思うと、やっぱり怖かったし、もしかすると、相馬は本気じゃないのかもしれないし、私は揶揄われているだけなのかもしれないし、その言葉を口にすることで、……まさか、本気にしたのか? って笑われやしないかと、私はそればかりがずっと不安で、……でも、相馬って、本当にそんなことを言うようなひとなの? 誰かを傷付けるようなことを、行ってしまえるひとなの? ──初対面で揶揄われて怒って、それでも尚、たったの一度も嫌いになれなかったこのひとは、……本当は誠実なひとなんだって、ずっと前から、私は知っていたくせに。

「……私の都合で良いの?」
「ああ、構わん」
「そう……だったら、こちらこそよろしくね」
「……うん?」
「だから、こちらこそよろしく。……不束者ですが、とか言った方がいいの……? ごめん、そういう作法はちょっと、詳しくなくて……」
「……待て、待て待て、待ってくれ」
「なに?」
「……どうにも、俺に都合のいい言葉が聞こえた気がしたんだが……聞き間違いか?」
「……私にとって都合のいい答えが、相馬にとっても都合がいい言葉なら、聞き間違いじゃないと思うけど?」

 ──どうして、こんなときですら素直に言えないのかなって、自分でも嫌になるけれど。とはいえ、平然を装って、淡々と告げているつもりの声が震えていることには、自分でも気づいているし、その間にも、動揺しているのか、いつもより幼い反応を見せる相馬が私の肩を掴んで、じっと瞳を覗き込んできたりするものだから、どうしたって頬が熱いし、まっすぐにあなたの目が見れなくて視線が泳いでしまうし、……私が動揺しているの、絶対に相馬は気付いているのだろうし、……取り繕ったところで無駄なのだと、そんなことは分かっているけれど、……でも、恥ずかしいし、まだそんなに開き直れないの! 私は! みたいに冷静でも、あなたみたいに大人でもないから!

「け、結婚してくれるのか……? が、俺と……?」
「……嬉しくないの?」
「嬉しいに決まっているだろう!? だ、だが、……本当に良いのか? 霊山で暮らすことになるんだぞ?」
「既に今でも、私は霊山の人間だよ……?」
「きゅ、急に認めてくるのか……そうか……」
「……もしも、相馬にその気がないなら、只の贈り物ってことにしておく?」
「何だと!? 絶対に駄目だ! まさか今更取り消すつもりか!? 俺を弄んでいるのか、!?」
「違うってば……というか、私を弄んだのは相馬のほうでしょ?」
「は? 俺がお前を弄ぶはずがないだろう? こんなにも惚れていると言うのに……可愛いものを虐げるような趣味は無いぞ、俺は」

 相馬の方が、の方が、と言い争っているうちに、──なんだかいつの間にか、周囲に人だかりができてきたことに私は今更ながら気が付いて。──とはいえ、これで話は終わり、という訳にも行かないし。認識をすり合わせたり、話を纏めるためにも、一度宿舎に戻って腰を落ち着けて相談したほうが良いと思い、──話の途中だったけれど、「相馬」と名を呼んで、ぐい、と彼の手を引いてみる。……それは、宿舎に戻ろう、と。私としては、そういった合図のつもりだったのだけれど。

「……ああ、承知した」

 どうしてか、──す、と私の頬へと手を伸ばした相馬は、そのまま、──ちゅう、と小さな音を立てて、私の唇を、……す、吸ったりなんて、するもの、だから。──私は急に訳が分からなくなってしまって、慌てて身を離そうとしたら、──いつの間にやら腰に回されていた逞しい腕にがっちりと捕まっているし、──気付けば何処にも逃げ場はないのだと、……ああ、気付くのが遅かったのだと、そんなことはずっと前からとっくに分かり切っているけれど。

「こちらこそ、不束者だがよろしく頼む。……ッハハ、恋人になった途端におねだりとは、……本当に可愛い奴だな? 

 重ねて額へと降り注いだ口付けに、──なんでもっと早くに! 宿舎に戻らなかったんだろう!? と、──最早、相馬の向こう側に出来ているのであろう人だかりを確認する勇気もなくなってしまった私は、彼に必死でしがみついて、もうどうにでもなれ、と目を閉じることしか許されないのだ。──どうやら、この鬼ごっこは最初から私の負けで、詰んでいたようなので。 inserted by FC2 system


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