ガラスボウルが巡り合わせたすべて

 異界と現世の交わる街、ヘルサレムズ・ロット。異界を臨む境界点であるこの街は、地球上で最も剣呑な緊張地帯……ではあるの、だけれど。

「わああああ!」

 いくらなんでも最近、トラブルに見舞われる率が、高すぎる!
 ……私が何かをやらかしたわけでもなく、怖そうな人に因縁をつけられてしまったわけでもなく、裏路地を歩いていたわけでもなく。一般人の自覚があるから、自分ひとりで状況を打破できない自覚があるから! 粛々と生きているつもり、なのに! ……二週間ほど前から、だろうか。私は何故か病的なまでに、事件現場に居合わせるようになってしまって、どうにかこうにか、逃げ切っていたわけ、だったのだけれど、なんだか遂に今日は、もうだめかもしれない、と。巨大な異形から必死で逃げながら、いよいよ走馬灯まで見えてきた、……ああ、最後に、あのわんちゃんに会いたかったなあ……。少し前に知り合った、可愛いわんちゃんを連れた焦げ茶色の短髪に、いつもスーツを着ているお兄さん、名前も知らないけれど、時々公園で会ってはわんちゃんを撫でさせてもらって雑談して、なんでもない私にとって、それは結構楽しみなひとときだったわけなのだけれど、だからって今こんなときに、そんなことを思い出すのは、もう駄目ってことかなあ! これ!

「……っ!」

 小道に逃げ込もうと思った矢先に、何かに躓いて思いっきり転んで、こんなところに物置いたの誰!? と思って足元を見たら、死体が転がっているようなこの街で、まあ、今日まで生きてこられたこと自体が奇跡だったようにも思うけれど、……ああ、でも、本当に呆気ない。こんな終わり方をするなんて、少し前なら、考えもしなかった、なあ……。

「……大丈夫ですか?」

 ぎゅっ、と目を閉じて、迫りくる痛みに、衝撃に、備えることなんて出来そうにないけれど、せめて一瞬で終わると良いなあ、と震えていたのに、……一向に、そのときは訪れなくて。頭上から降り注いだ柔らかな声に違和感を覚えて、そっ、と目を開くと、目の前に、赤い鉾を持ったおとこのひと、が、しゃがみ込んでいた。……ヒューマー、じゃない、海棲生物みたいな水掻きと長い爪の付いた手を、目の前の誰かが差し出している。その彼の後ろには、先程まで私が逃げ惑って……いたもの、らしい肉塊が転がっていて、……どうやら、このひとが、私を助けてくれたらしい。

「怪我はありませんか」
「は、はい……え、えっと、あの……」
「……ああ、すみません。怖がらせてしまいましたか、この外見ですから……」
「え!? ち、違うんです! あの、私、びっくりして……もう、死んじゃうと、思ったから……あ、ありがとうございますっ」
「それなら良かった、怪我が無いようで何よりです」

 せっかく助けてくれたのに、気を悪くさせてしまった、と。慌てて差し出された手を取ると、心なしかホッとした表情で、目の前の彼は私の手を引き、立ち上がらせてくれた。すべすべ、ぷにぷにした質感の大きなてのひらは冷たくて、動転していた気持ちが、少し落ち着いたような気がする。足元はまだふらふらしていたけれど、安全な場所まで送ります、と言って、そのまま手を引いてくれた彼のお陰で、ゆっくりとだけれど、どうにか歩くことが出来た。

「……では、僕はこれで」
「え、あ、あの、なにかお礼させてください。助けていただいたのに……!」
「いえ、見返りを求めて助けた訳ではありませんので」
「で、でも……」
「本当に気にしないでください、僕が見過ごせなかっただけですから」

 大通りに出るなり、そう言って立ち去ろうとする彼を必死で引き止めて食い下がるものの、きっぱりとそう言いきった彼は、とてもではないけれど、何かを受け取ってくれる気配はなくて。……この街に、こんなに優しくて、善良なひとが居たことに私は心底驚いて、だからこそ余計に、じゃあ大丈夫です! ……とは、とてもではないけれど、私には思えなくて。

「あ、あの、せめてお名前、教えてもらえませんか……!」

 名前を聞いたところで何になるかと言われれば、それまでなのだけれど。……多分私は、そのとき、必死だったのだと思う。きっと、わたしは。そう、口に出したときには既に、純粋にお礼をしたい気持ちよりも、……彼のことを少しでも知りたい気持ちが、勝ってしまっていた。

「……ツェッドです」
「!」
「ツェッド、僕の名前です。あなたは?」
「わ、わたし、、と言います……!」
さん、ですね。次は気をつけて。僕も、何度も居合わせるとは限りませんからね」
「は、はい……本当にありがとうございました……!」

 ……実際、そうして名前を聞いたところで、この騒々しい街で、彼にもう一度会える保証なんて何処にもなくて、その時の私の行動になにか意味があったかと言えば、正直、微妙なところだった。……ツェッドさん、と教えて貰えた彼の名前を何度も脳内で復唱して、……また、会えるかなあ、なんて。淡い期待をしていたのも、事実だったけれど。

「……偶然ですね、大丈夫でしたか?」
「は、はい……何度も何度も、本当にすみません……!」

 ……幸運、と言って良いのかと言われると、正直分からないけれど、その後も結局、二度、三度と、私はツェッドさんに危ないところを助けられてしまった。あまりにも偶然、毎度毎度、彼が通りかかった場所に私が居るものだから、奇妙な話だけれど、私とツェッドさんはすっかり顔見知りになってしまって。四度目に助けてもらったときに、本当にこのままでは私が申し訳無さすぎて居た堪れないので! と必死で説得して、お礼にコーヒーとケーキを奢らせていただいたときに、少し世間話をしたら、話の流れで、ツェッドさんは読書や映画鑑賞、絵画鑑賞だとかの趣味が私と似通っていることが分かって、なかなかそういう趣味の話が出来る相手がお互いに居ないから、ということで、なんと、ツェッドさんと連絡先を交換してもらえることになって。以来、ツェッドさんとお友達として親しくしてもらえるようになり、やっぱり結果的に幸運だったのでは!? ……なんて、すっかり、いつも助けてくれる騎士様のような彼に惹かれていた私は、内心舞い上がっていたわけ、なのだけれど。……そう、なのだけれど、その後も、せっかくツェッドさんとお出かけが出来ても、……まあ、いつもの如く、居合わせるのだ、何故か。私の行く先々では、必ず何かのトラブルが起きる。その「何か」は、回を重ねるごとに大事になっていき、ヘルサレムズ・ロット全体を揺らがすような大事件の中心に居合わせることもザラにあって、それで、私は遂に、

「……おい! この女おかしいだろ!? いつもいつも中心にいやがる! こいつが首謀者なんじゃねえの!?」

 ……赤い糸か何かで私を拘束してそう叫んだ、銀髪に褐色の男の人に引きずられて、私は何処かの事務所? に、連れてこられていた。此処が何処だかは分からないけれど、まずいことになったのは、流石に私にも分かる。未曾有の災害の爆心地にいつもいつも居合わせる一般人がいるわけねえだろ! と叫ぶそのひとに、私にそんなこと出来るわけありません! と、主張しては見たものの、……これ、もしかしなくても、私、容疑をかけられているし。……殺されるの、だろうか、このひとたちに。そう思って、半泣きになっていたら、銀髪さんの上司らしい細身の男性と、大柄の男性は話し合いながら何処かに電話をかけていて、それから少しして、小柄な男の子と、……ツェッドさんが、部屋に入ってきた。

「!? さん!?」
「つぇ、つぇっどさぁん……」
「あ? んだよ魚類、お前のツレか?」
「何をしているんですかあなたは!? 彼女は一般人だ! それをこんな……!」
「いや、待ってください……」
「レオくんまで何を……!」
「……前に見覚えがあります、エイブラムスさんにも同じようなものが見えました……あの、さん、でしたっけ?」
「……? はい……」
「……最近、妙な連中と接触したり、してませんか?」
「……はい?」

 その後、レオくん……さん、から受けた説明は、私にはいまいち、よく分からなかったのだけれど、なんでも、私には、呪術? 呪詛? みたいなものが、複雑に掛けられている、そうで。それが原因で、危険に見舞われている筈だと彼は言う。私は恐らく何処かで、けっかいのけんぞく? という存在に接触したはずだ、と、大柄の男性……クラウスさんからも説明されたけれど、正直、全然、身に覚えがない。そんな怖い人、知り合いには居ないし、自ら突っ込んでいくほど命知らずでも、自分に自信があるわけでもないのに。……というか、それって、もしかして。

「……あの、私この先も、ずっとこうなんですか……!? 毎回、容疑をかけられたり、死にかけたりするってことですか……!?」
「……そういうことになる」
「そ、そんな……」
「……ツェッド、彼女は君の友人ということでいいんだね?」
「は、はい」
「そういうことなら、……君の身柄を、うちで預かろう」
「……はい?」
「身辺調査はさせてもらうが……あなたが一般人であるならば、見過ごすわけにもいかない。ようこそ、ライブラへ」
「いや、ちょ、……えっ? はい……? それって、どういう……?」

「……こういうことでしたかー……」
「……災難でしたね、あなたも……」

 ……身辺調査、というものが終わった、と連絡があってすぐ、……私は半強制的に自宅の立ち退きを食らって、らいぶら、という組織の事務所の一室を与えられて、其処に転居することになった、……というか、そうなってしまった。ヘルサレムズ・ロットの平穏を護るための秘密結社、だという彼等の事務所は、どう考えても私なんて場違いでしか、ないのだけれど。細身の男性、スターフェイズさんがしてくれた説明によると、私に掛けられた呪詛? は、「私が災厄を引き寄せている」のではなくて、「私が災厄に引き寄せられている」から、一人で出歩かせること自体が危険だし、視点を変えれば、いち早くこの町で起きる事件を探知する能力、として活用できるので、目の届く範囲にいてくれると助かる、という、話、なのだけれど……正直、釈然としないし、いまいち、彼等の言っていることも、よく分かっていない。

「……と、というか、ツェッドさん、本当にごめんなさい」
「え、何故謝るんですか」
「だ、だって、……私と一緒に出かけたり、してたの、私が巻き込んでた、ってことなんですよね……?」
「いや、そうはならないでしょう。さんも、好きで巻き込まれていたわけではないんですから」
「そ、それはそうかも、しれませんけれど……」
「気に病まないでくださいね。不都合も多いとは思いますが……僕は少し、安心しました。あまりにも事件現場にあなたが居合わせるから、心配だったんです」
「え……」
「僕も、この事務所に寝泊まりしているので、何かあればいつでも頼ってください」
「! わ、わかりました……!」
「あ、それと、あの人には気をつけてくださいね、あなたをここまで拘束してきた……」
「? ザップさん? でしたっけ?」
「そう。彼に絡まれると面倒なので、なるべく避けてください」
「さ、避けていいんでしょうか……? これからお世話になるのに……」
「良いんですよ、下手に出ると付け込まれますから。軽くあしらうようにしてください。……ともかく、」
「は、はい」
「改めて、よろしくおねがいしますね。僕も、こうして話し相手が居るのは嬉しいです」
「は、はい……! よろしくおねがいします!」

 ……やっぱり、ちょっとだけ、この体質? は、幸運だったかもしれない、って。再びツェッドさんに差し出された手を握り返したとき、そう思ってしまったの、とてもではないけれど、ツェッドさんには言えない、なあ。面倒事に巻き込んでおいて、そんなことを考えているなんて知られたら、嫌われてしまうかもしれない、と。……そう、考えてしまうくらいには、私はその時、このひとを特別に感じるようになってしまっていたからだ。 inserted by FC2 system


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