空の水際をほころびましょう

「えっ、ツェッドくんって、普段からごはん、ジャンクフードなの?」
「ええ、まあ。外食かテイクアウトで済ませることが多いですね……」
「そうだったの……」

 秘密結社ライブラに身を置いて暫く、ツェッドくん、と近頃では呼びかける仲にまで打ち解けた彼の部屋に所要で訪ねると、彼の部屋のゴミ箱に、ジャンクフードの包み紙がいくつも捨ててあることに、ふと気が付いた。私も彼も、日頃からこのライブラ本部で寝泊まりをしているわけだけれど、そうは言っても、お互いにプライベートな部分に踏み込みすぎているわけでもない。現在、“台風の目”と組織内で仮に称されている私に掛けられた、……らしい、呪いに起因する災厄探知能力を理由に、構成員、としてライブラで雇ってもらっている私ではあるけれど、ツェッドくんたちのように戦えるわけでも、レオくんのような能力があるわけでも、チェインさんのように諜報に優れているわけでもないから。本当に探知するだけの私に、構成員、という肩書は過ぎた待遇……のような気がしてしまう。そもそも、一人で外を出歩けば無事では済まないし、何時死んでもおかしくないから、という理由で私は保護されたのだし。そんな環境でも不自由なく暮らせるように、……と、クラウスさん達が配慮してくれているのだろうな、と私は思っている。

さんは違うんですか?」
「あ、そうなの……私は、本部のキッチンを借りて、普段は自炊してて」
「……ああ、そういえば、時々、水槽を出るといい香りが漂ってくることが……」

 気軽に出歩けない以上、基本的に本部に留まることになるから、と。衣食住に関しても、経費で工面するから気軽に言うと良い、……と。そう、言われはしたものの、どうしても申し訳無さを感じてしまって、流石に遠慮させていただいている……ということは、食事だとかそういったものは、どうにか自分で用意しなければならなくて、まあそれは、ライブラに身を寄せる前から普通にしていたことなのだから、と。普段は本部のキッチンを借りて、一人分の食事を拵えている。……だから、なんとなく、ツェッドくんもそうなのだとばかり、思っていたけれど。

「? どうかしましたか?」
「……うん……その……」

 ツェッドくん、基本的には水槽暮らしな訳だし、確かに自炊、というのは難しいのかもしれない、と。……薄いガラス越しに、目の前の彼を見て、私は思う。……でも、そうは言っても、身体が資本の任務に日々励んでいるというのに、この食生活は、少し、心配にもなってしまうのだ。ちらり、と視界の端でゴミ箱を一瞥しながら、……ふと浮かんだ提案を言い出すべきか、言うまいか、逡巡して。意を決して、私は口を開いたのだった。

「……あの、よかったら、いっしょにごはん、食べない……? 一人分も二人分も、作る手間は変わらないし……」
「……え」
「も、もちろん、ツェッドくんが嫌じゃなければ、だけれど……」

 お節介がすぎる、恩着せがましい、という自覚はあって。けれど、どうしても心配で、見過ごせなかったのだ。……もしかするとそれも口実に過ぎなくて、私は意中の彼と共に過ごす時間が欲しかっただけ、なのかもしれないし、そんな自覚もあったからこそ、その提案を申し出るのは少し、躊躇われたけれど。私の提案を聞いたツェッドくんは、ぽかん、と口を開けて少し固まって、それから、おずおずと声を上げる。……良いんですか? と。私はその返答にこくこくと必死で頷いて、そんな私を見てツェッドくんは何処か困惑したように、

「ですが、あなたの負担になりませんか? 勿論、僕も手伝うつもりですが……」
「全然! 大丈夫だよ、ひとりで作って食べるのも、少し味気なかったし……」
「そういうことなら……是非お願いしたいです。食生活の乱れは、僕も些か気になるところではあったので……」
「よかった! じゃあ、今夜からでいいかな? それとも、今日は予定あったりする?」
「いえ、特に予定はないので……今夜からご一緒しても大丈夫ですか?」
「もちろん!」

 ……さんと食事をご一緒するようになって、暫く経つ。昼食に関しては、各自好きに摂るようにしているものの、朝食と夕食は原則的に予定がない限りは、二人で支度をして、共に食卓を囲むようになっていた。ライブラの本部で生活している者同士、……とは言えども、同僚で友人である彼女と、普段はお互いに干渉しすぎることもなく、今までは、日中以外は、別々に過ごすことのほうが多かった。だが最近では、夕飯の後でお茶を淹れてそのままふたりで話したり、ふたりで映画を見たり、といった過ごし方をすることも増えてきていた。自分は亜人で、さんはそんな僕にも色眼鏡なしの友人として接してくれている、……が、やはり僕にとっては彼女は別種族だろうが女性、に違いないので、礼節に欠けるのはどうかと思ったからこそ、今まではプライベートな時間に訪ねすぎるのは控えていたつもり、だったのだ。……或いは、彼女との適切な距離感が、僕にはまだ分からない、というのもあったのかもしれない。師匠の元からこのヘルサレムズ・ロットを訪れて暫く、……個人的にこうも懇意にしてくれているのは、彼女くらいで、彼女が僕にとって、初めて親しくなった女性、だからである。そんな彼女と、食卓を囲むようになってから、……朝には温かいオムレツとベーコンが焼き上がる時間に合わせて、僕がベーカリーで焼きたてのパンを買ってきて、この野菜にはこのドレッシングが一番合う、なんて話しながらサラダを食べて。日中、夕飯のメニューを相談して、夜は二人でキッチンに立って、週末は少し手の込んだ料理にしよう、とビーフシチューを煮込んでワインを開けてみたり、前に映画で見た料理を再現してみよう、なんて、知的好奇心に従って、少しばかり非合理な遊びをしてみたり、……僕にとっては、全てが全て、新鮮で、楽しかったのだ。師匠の元に居た頃は、アウトドア料理が多かったのもあり、文献上の知識はあっても、食べたことがないものも多かったし、……何より、誰かと食卓を囲んで過ごす日々は、……本当に、楽しくて、……嬉しかった。

「……僕は、ありがたいですし助かっていますが……、さんの負担になっていませんか?」
「え?」
「食事のことです。ほら、好みに合わせてメニューを変えたりもしてくれてるじゃないですか。大変でしょう?」

 だから、さんにそう訊ねたのは、純粋な疑問と心配からだった。僕はこの日々を楽しい、と感じているものの、それが彼女の負担になっていたのでは仕方がないから、それならそれで、この習慣を継続させるために、僕が努力をするべきだな、と思ったのだ。

「そんなことないよ、ツェッドくんも、料理手伝ってくれてるし……」
「とはいえ、微々たるものでしょう?」
「こうして、買い出し手伝ってもらえるのだって助かってるんだよ? 私、一人で出歩くなって言われてるから……」

 日中業務、……とはいえ、待機時間が多いものの、まあ、待機だったり出動だったりを終えた夕方に、度々二人で食材の買い出しに行く。今日が正しくその日で、さんと僕は、揃って街に出てきていた。……さんは、血界の眷属の手により、複雑な呪術を施されていて、彼女の意志で何処かに向かおうとすると、因果が捻じ曲がり、災厄の方に引き寄せられてしまう、という後天性の体質が原因で、原則的に一人で外出することを禁じられている。それも、こうして僕が彼女をエスコートして、彼女ではなく僕が行く先を決めることで、事前に防げるから。普段、用事があってもなかなか買い物にすら出られない、という彼女の私的な買い物に、食材の買い出しついでに付き合ったりもしていて、実際、そういう面で彼女の助けになれている、というのも事実なのだろうと思う。……まあ、その程度なら、普段から言ってくれたのなら、いつでも付き合えるのだが、……さんはどうしてか、あまり普段は僕を頼ってくれないのだ。

「……あれ、そういえば、今までは食材の買い出しってどうしていたんですか?」
「ああ、えっとね、レオくんとかザップさんに買ってきてもらってたの」
「……そう、だったんですか?」
「お礼に時々ご飯作ったりしてたんだけどね、まあ、依頼みたいな感じで……」

 ライブラに、特殊ではない人間なんていない。……だが、その中でもさんは事情がまた複雑だから、周囲に遠慮をする気持ちがあるのだろう、と思う。だからこそ、僕には遠慮をしてほしくはないのに。……付き合いが一番長いのは、僕のはずなのに。……嗚呼、彼らには頼っていたのか、と思った瞬間、腕の中に抱えた紙袋が、ずしり、と重量を増したような気がして、僕だけが彼女の手料理の味を知っている訳ではないと知って、胸の奥でぐるぐると靄が渦巻いた理由を、……僕はまだ、知らないのだ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system