紫電は楔となりて銀世界に閃く

 雷帝ゼオンこそが私にとっての神であったのだ。彼を呼称するには神よりも魔王と言う言葉が正しいのだろうけれど、人間界において魔王という単語は悪者を指す場合が多い。私にとってのゼオンは悪ではなく、正義だった。故に私は、彼を魔王と呼んだことがない。ゼオン・ベルという彼の名が、彼の姓が、魔界の言語でどういった意味を持つのか、私は彼の世界においてその音が持つ言葉の真実を知らない。けれど、彼の持つ紫電の瞳に射貫かれたあの日、色のない雪原の中で私は、この世界で何よりもうつくしい色彩を見たと感じたのだ。「──お前、名は?」あの日、確かに。声変わりを迎える前の少年の鈴のような声が、遠い何処かの空から雷光のように激しい鐘の音を連れてきて、白銀の世界に強い雷鳴を鳴らしていた。

「…………」
か。……デュフォー、お前の連れか? それとも……」
「……とオレは他人だ、だが……」
「なんだ、デュフォー」
「……のことは、見捨てていきたくない。このまま、こんな雪の中に放り出されていては、人間は死ぬ。……だから……」
「……分かった。お前にはまだ、その理由を語れないのだろう。……、お前も着いて来い。……オレが王となるまで、お前とデュフォーはオレと共に歩むんだ。いいな」
「……わ、わかっ、た……」
「ああ、それでいい」
「……ゼオン、ありがとう」
「……何がだ?」
「私とデュフォーを、助けてくれて……」
「……フン、只の成り行きだ」

 幼い日に私はデュフォーと、北極の施設の小さな部屋で出会った。アンサートーカーという超演算能力を有していた彼と、その能力を持つかもしれない、と期待されて、結局は何も開花しなかった私。白い世界の白い部屋での実験ばかりの日々は、きっと、デュフォーの方がずっとつらい毎日だったのだろうと思う。彼のお陰で彼よりは少しだけ楽をしていた私は、デュフォーに恨まれていたとしても何もおかしくなかったのに、ゼオンが魔本のパートナーとしてデュフォーを迎えに来た日、デュフォーは私を置いては行かないと、そう言ってくれて。それからはずっと、ふたりぼっちだった私たちはその間にゼオンを加えて、三人で生きていた。魔界の王を目指すために彼は人間界に舞い降りたのだと、ゼオンからこの戦いについての説明を受けた日、それはきっと非現実的な話だったはずなのに、私はすんなりと彼の言葉を受け入れられた。施設の爆発により巻き起こった激しい爆風から彼が私たちを守ってくれたという裏付けがあったから、というのも確かに理由としてはあるけれど、──それより、何より。ぴったりだ、と思ったのだ。紫電の瞳のこの少年が、今この時の世界の原罪を裁くための雷で、玉座に君臨するためにこの地を切り裂いたのだという事実、そのものが。……どうしようもなく、腑に落ちて、納得した。この少年こそが、ゼオン・ベルこそが、新世界の頂に座す神となるのだと、私は確信してしまったのだ。

「……わたし、ゼオンの臣下になりたい……」
「……そうか、殊勝なことだな、

 そう言って小さな膝元に縋る私が彼を王と呼べないことを、ゼオンはどう思っていたのだろう。ゼオンは私の恩人だった、私を地獄から引き挙げてくれたのは、あの白銀の神立だった。──あの頃、私がもしも、もっと敏ければ、ゼオンを王と呼んであげられていたのなら。幼少の砌からずっとその小さな背へと王の責務を押し付けられた彼を、私にも少しは救ってあげられたのかもしれない。私でも彼の、力になり得たのかもしれないのに。……私は最後まで、あなたを王様って呼んであげられなかった。……だって、ゼオンが王になる魔界に、私は居ない。だからゼオンは、隔てた世界の壁をも超越した存在になるのだと思いたかった。──雷帝ゼオンに、私の神様になって欲しかった。

「──、そろそろ発つぞ。日が落ちるまでには次の街に着きたい」
「うん。……デュフォー、次の街まで、あとどのくらい?」
「ああ。地図によると最短で三時間程だろう。此処からは、交通機関を乗り継いで……」

 この世界に、既にゼオンは居ない。彼のいない世界でこれからも生きていくことは、私にとって途方もない拷問だった。──けれど、託されたのだ。他でもないゼオンに、デュフォーを任せると、ふたりでちゃんと生き続けろと、……それが彼の何よりの望みだと。神様や王様は、きっとそんなにもちっぽけな願いを抱いたりしないのだろうに。ゼオンが最後に投げかけてくれたその言葉は、きらきら、きらきら、宝石みたいに輝いて私の心臓の奥の方にずっと埋まっている。ゼオン・ベルは、神ではなく王ではなく、されど私の楔となった。煌々と輝く紫水晶を胸に、私は彼と生きていく。この旅の終着点、世界の果てには、きっと彼の世界が繋がっている。 inserted by FC2 system


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